岩木一麻「がん消滅の罠 完全寛解の謎」(ネタバレ注意) [ミステリー]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は別件の仕事で都内を廻る予定です。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
医療系の研究者の前歴のある著者による医療ミステリーで、
第15回の「このミステリーがすごい!」大賞受賞作です。
「余命半年の宣告を受けたがん患者が、生命保険の生前給付金を受け取ると、その直後、病巣がきれいに消え去ってしまうー」
という現象が繰り返し起こるという、
人間消失ならぬ、がん消失という怪事件を推理する、
という話です。
選考委員が「まったく見当のつかない真相」
「史上最高の医療本格ミステリー」
などと真顔で公言しているので、
一体この謎がどのように解かれるのだろうと、
どうせ大したことではないのではないか、
と少しは思いながらも、
凡人の性で何となく気になってしまいます。
これはまあ、2つの謎があるのです。
いずれもがんが消えたり、するのですが、
設定は少し違います。
1つは肺腺癌が全身に転移していて、
それ自体は専門の医療機関で確認されているのです。
余命半年という宣告で保険金が下りるのですが、
標準治療の抗がん剤を使用して、
余命の少しの延長しか期待は出来ない筈なのに、
数か月でがんは全て縮小して消えてしまいます。
これが1つ。
もう1つは何か謎の病院があって、
特別な免疫治療をしているらしいのです。
ある人が人間ドックで初期の肺がんが見つかり、
それが早期なので切除すると、
しばらくして全身の転移が見つかり、
それがその病院の画期的な治療で、
みるみる縮小して消えてしまったり、
治療をやめると悪化したりするというのです。
これがもう1つの謎です。
本を読む前にそれだけの情報で、
どのようなトリックなのか考えてみました。
別に僕でなくても医学をちょっとかじった人なら、
誰でもそう考えると思うのですが、
本物の癌が急に消える訳はないと思うのです。
それがあれば純然たるSFで、
医学ミステリーという枠からは大きくはみ出してしまいます。
そうなると、
消えたのは「〇〇」ではない、
ということになり、
要するにこうしてこうしたのではないかしら、
と何となく答えは1つしかないという気がします。
でも、それだけのことでは、
さすがに素人でもすぐ分かってしまうのではないかしら、
そんなものを「空前のトリック」などと言うのかしら、
と疑問に思って、
悔しい気はしたのですが、
真面目に買って本を読んでみました。
読むと結局はほぼ想像の通りでした。
このように理屈で1方向で考えると、
すぐに1つの可能性しか残らなくなってしまうのは、
所謂「不可能犯罪」のトリックとしては上出来とは言えないと思います。
しかし、一方で多くの人は、
医療というものに一種の呪術性のようなものを期待し、
「私があなたの癌を100%治します」
などと言われれば、
明らかなインチキでも思考停止して信じてしまうようなところがあるので、
そこを上手く突いているという点は、
読者に受けるところがあるようにも思います。
同じような奇跡は実際にはゴロゴロ転がっていて、
有名芸能人の進行癌の報道などに対しては、
絶対に治る筈がないのに、
「奇跡を信じます」と言わないと非難を浴び、
真顔で皆が非論理的で非科学的な奇跡を、
信じて疑わないようなところがあるからです。
従って、そうした先入観や思い込みを、
一種のミスディレクションとして活用していると考えると、
満更低レベルのトリックとも言い切れません。
この作品はトリックはそんな感じのものなのですが、
小説としてはなかなか良く出来ていて、
かなり加筆されて手が入っていると思うのですが、
ミステリー的な小ネタの使い方が上手く、
全体に何かもやもやした不気味な感じというか、
グロテスクな感じがすることも悪くありません。
以下少しネタバレを含む感想です。
必ず本編読了後にお読みください。
必ずよろしくお願いします。
これはフーマンチューもののバリエーションのような作品で、
狂気に満ちた癌研究の第一人者の研究者が、
自分の知識を悪用して、
日本の重要人物に癌を作ってそれをコントロールすることにより、
彼らを強迫して理想の政治を実現しようとする、
というような話です。
本人の癌細胞に自死(アポトーシス)を誘導するような仕掛けをして、
それを大きくしたり小さくしたりする、
というような趣向です。
ただ、末期癌の恐怖を味合わせてから、
それを縮小させるようなことをするのですが、
それは成立しないという気がしました。
癌でもう悪液質のような状態が生じているとすると、
そこで慌てて癌細胞に自死の指令を出しても、
身体全体としてはもう手遅れの可能性が高いように思うからです。
自死させるような遺伝子に組み込んだ仕掛けとは何?、
というのが1つのポイントですが、
そこは昆虫から抽出した毒素みたいなことで、
適当に胡麻化している、という印象です。
それとは別に、
最初に免疫抑制剤をアレルギーの薬と嘘を吐いて飲ませておいて、
他人由来の癌を植え込み、
癌を消したい時にはその免疫抑制剤を中止すると、
拒絶反応で癌が消滅する、
という方法も使われています。
ただ、これも大分無理があって、
他人の癌細胞が生着するような強力な免疫抑制をしておいて、
それが他の医療機関でバレないというのも不自然ですし、
本人はそれを全く知らないのですから、
感染症などで体調を悪くする可能性も高そうです。
また肺癌の細胞をただ注射しただけなのに、
それが原発性の肺癌が全身に転移したのと同じに見えるような広がりで、
うまい具合に生着するというのも随分と不自然に思います。
著者は動物実験の知識はあるので、
癌の動物実験をそのまま人間に適応している訳です。
それはそれでグロテスクな趣きがあるので、
趣向としては成功していると言って良いのですが、
人間の患者さんの実際は、
多分あまりご存じがないのだと思うので、
「とんでもトリック」という感じのものになっています。
ただ、この作品はそのトリック以外の部分に、
そのミステリ―としての妙味があって、
最初は如何にも探偵役に見えた変人研究者が、
事件の根幹に関わっていたり、
勧善懲悪にはならずに、
ラストは次のステップに入るというような捻りも良いのです。
人物もあまり細かく書き込まないことがむしろ成功していて、
ステレオタイプな人物しか出て来ないのに、
何か生々しい感じを出しているのも面白いと思います。
このくらいなら…
という思いもありましたし、
くやしい感じも強くしたので、
眠っていた意欲に、
少し火が点いた感じもしたのです。
ちょっと頑張ります。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は別件の仕事で都内を廻る予定です。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
医療系の研究者の前歴のある著者による医療ミステリーで、
第15回の「このミステリーがすごい!」大賞受賞作です。
「余命半年の宣告を受けたがん患者が、生命保険の生前給付金を受け取ると、その直後、病巣がきれいに消え去ってしまうー」
という現象が繰り返し起こるという、
人間消失ならぬ、がん消失という怪事件を推理する、
という話です。
選考委員が「まったく見当のつかない真相」
「史上最高の医療本格ミステリー」
などと真顔で公言しているので、
一体この謎がどのように解かれるのだろうと、
どうせ大したことではないのではないか、
と少しは思いながらも、
凡人の性で何となく気になってしまいます。
これはまあ、2つの謎があるのです。
いずれもがんが消えたり、するのですが、
設定は少し違います。
1つは肺腺癌が全身に転移していて、
それ自体は専門の医療機関で確認されているのです。
余命半年という宣告で保険金が下りるのですが、
標準治療の抗がん剤を使用して、
余命の少しの延長しか期待は出来ない筈なのに、
数か月でがんは全て縮小して消えてしまいます。
これが1つ。
もう1つは何か謎の病院があって、
特別な免疫治療をしているらしいのです。
ある人が人間ドックで初期の肺がんが見つかり、
それが早期なので切除すると、
しばらくして全身の転移が見つかり、
それがその病院の画期的な治療で、
みるみる縮小して消えてしまったり、
治療をやめると悪化したりするというのです。
これがもう1つの謎です。
本を読む前にそれだけの情報で、
どのようなトリックなのか考えてみました。
別に僕でなくても医学をちょっとかじった人なら、
誰でもそう考えると思うのですが、
本物の癌が急に消える訳はないと思うのです。
それがあれば純然たるSFで、
医学ミステリーという枠からは大きくはみ出してしまいます。
そうなると、
消えたのは「〇〇」ではない、
ということになり、
要するにこうしてこうしたのではないかしら、
と何となく答えは1つしかないという気がします。
でも、それだけのことでは、
さすがに素人でもすぐ分かってしまうのではないかしら、
そんなものを「空前のトリック」などと言うのかしら、
と疑問に思って、
悔しい気はしたのですが、
真面目に買って本を読んでみました。
読むと結局はほぼ想像の通りでした。
このように理屈で1方向で考えると、
すぐに1つの可能性しか残らなくなってしまうのは、
所謂「不可能犯罪」のトリックとしては上出来とは言えないと思います。
しかし、一方で多くの人は、
医療というものに一種の呪術性のようなものを期待し、
「私があなたの癌を100%治します」
などと言われれば、
明らかなインチキでも思考停止して信じてしまうようなところがあるので、
そこを上手く突いているという点は、
読者に受けるところがあるようにも思います。
同じような奇跡は実際にはゴロゴロ転がっていて、
有名芸能人の進行癌の報道などに対しては、
絶対に治る筈がないのに、
「奇跡を信じます」と言わないと非難を浴び、
真顔で皆が非論理的で非科学的な奇跡を、
信じて疑わないようなところがあるからです。
従って、そうした先入観や思い込みを、
一種のミスディレクションとして活用していると考えると、
満更低レベルのトリックとも言い切れません。
この作品はトリックはそんな感じのものなのですが、
小説としてはなかなか良く出来ていて、
かなり加筆されて手が入っていると思うのですが、
ミステリー的な小ネタの使い方が上手く、
全体に何かもやもやした不気味な感じというか、
グロテスクな感じがすることも悪くありません。
以下少しネタバレを含む感想です。
必ず本編読了後にお読みください。
必ずよろしくお願いします。
これはフーマンチューもののバリエーションのような作品で、
狂気に満ちた癌研究の第一人者の研究者が、
自分の知識を悪用して、
日本の重要人物に癌を作ってそれをコントロールすることにより、
彼らを強迫して理想の政治を実現しようとする、
というような話です。
本人の癌細胞に自死(アポトーシス)を誘導するような仕掛けをして、
それを大きくしたり小さくしたりする、
というような趣向です。
ただ、末期癌の恐怖を味合わせてから、
それを縮小させるようなことをするのですが、
それは成立しないという気がしました。
癌でもう悪液質のような状態が生じているとすると、
そこで慌てて癌細胞に自死の指令を出しても、
身体全体としてはもう手遅れの可能性が高いように思うからです。
自死させるような遺伝子に組み込んだ仕掛けとは何?、
というのが1つのポイントですが、
そこは昆虫から抽出した毒素みたいなことで、
適当に胡麻化している、という印象です。
それとは別に、
最初に免疫抑制剤をアレルギーの薬と嘘を吐いて飲ませておいて、
他人由来の癌を植え込み、
癌を消したい時にはその免疫抑制剤を中止すると、
拒絶反応で癌が消滅する、
という方法も使われています。
ただ、これも大分無理があって、
他人の癌細胞が生着するような強力な免疫抑制をしておいて、
それが他の医療機関でバレないというのも不自然ですし、
本人はそれを全く知らないのですから、
感染症などで体調を悪くする可能性も高そうです。
また肺癌の細胞をただ注射しただけなのに、
それが原発性の肺癌が全身に転移したのと同じに見えるような広がりで、
うまい具合に生着するというのも随分と不自然に思います。
著者は動物実験の知識はあるので、
癌の動物実験をそのまま人間に適応している訳です。
それはそれでグロテスクな趣きがあるので、
趣向としては成功していると言って良いのですが、
人間の患者さんの実際は、
多分あまりご存じがないのだと思うので、
「とんでもトリック」という感じのものになっています。
ただ、この作品はそのトリック以外の部分に、
そのミステリ―としての妙味があって、
最初は如何にも探偵役に見えた変人研究者が、
事件の根幹に関わっていたり、
勧善懲悪にはならずに、
ラストは次のステップに入るというような捻りも良いのです。
人物もあまり細かく書き込まないことがむしろ成功していて、
ステレオタイプな人物しか出て来ないのに、
何か生々しい感じを出しているのも面白いと思います。
このくらいなら…
という思いもありましたし、
くやしい感じも強くしたので、
眠っていた意欲に、
少し火が点いた感じもしたのです。
ちょっと頑張ります。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
エリン「特別料理」とミステリー短編の世界 [ミステリー]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
石田医師は休診のため、
午前午後とも石原が診療を担当します。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
スタンリイ・エリンはアメリカのミステリー作家で、
もう故人ですが、
特に1950年代に発表した珠玉のような短編が、
今でもミステリー短編の1つのお手本として、
その輝きを放っています。
この「特別料理」はエリンの最初の短編集で、
タイトルロールである処女作の「特別料理」から
これも世評の高い、
マジックを扱った「決断の時」までの、
10編の短編が収録されています。
これは矢張り圧巻の短編集で、
僕は昔「特別料理」と「パーティーの夜」など数篇を読んで、
あまり感心しなかったので、
しっかり全部読んでいなかったのですが、
比較的最近通読して、
あまりに面白いのでびっくりしました。
エリンは「奇妙な味」の短編と言われています。
これはオーソドックスなミステリーではなく、
「よくこんな風変わりで変な話を思いついたな」
と感心するような傾向のものを指していて、
エリンと同じく短編の名手とされたロアルド・ダールは、
確かにエロチックだったりグロテスクであったりと、
「奇想」の名に恥じないものなのですが、
エリンの場合はちょっと違います。
基本的にはミステリーの骨法を大事に守っていて、
勿論本格ミステリーではないのですが、
予想外の展開を極めて緻密に練り上げていて、
ミステリーならではの愉楽に誘うのです。
この作品集はほぼ全てが傑作といって過言ではありません。
セレブに密かに愛されるレストランの特別料理の謎を、
直接的な描写を徹底して抑制することにより描いた「特別料理」や、
有名俳優が自堕落なパーティー繰り広げる描写のうちに、
異様な世界への扉が開く「パーティーの夜」などは、
世評の通りの逸品なのですが、
僕が特に好きなのは、
異様な犯罪計画とその皮肉極まりない顛末を描いて、
一分の隙もない「アプルピー氏の乱れなき世界」や、
当時流行の心理スリラーを、
徹底した心理描写のみで工芸品のように磨き上げた「好敵手」
の辺りです。
こういうレベルのものが1つでも書ければ、
本当に素晴らしいですね。
エリンの短編集は3冊あり、
一応全部読んでみました。
2冊目がこちら。
こちらは1冊目と比べると、
その出来にはちょっとばらつきがあります。
1冊目にはない、社会批評的な作品が幾つかあり、
それが今読むとややピンと来ないことも、
その1つの原因かも知れません。
この中では「不当な疑惑」は、
所謂「一事不再理」を扱った短編ですが、
限定された長さの中に知的な興奮が溢れ、
ラストの突き放した味わいの鮮やかさはさすがエリン、
という逸品です。
そして、最後の短編集がこちら。
これはもうかなり玉石混交です。
ただ、表題にもなった「最後の一壜」は、
初期作に勝るとも劣らない傑作です。
短編ミステリーに関しては、
ほぼ間違いなく1950年代が黄金時代で、
「奇妙な味」の全てのパターンが出尽くしているので、
その後今に至るまでの作品は、
ある種の蛇足のように思えてしまうのです。
「特別料理」は是非…
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
石田医師は休診のため、
午前午後とも石原が診療を担当します。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
スタンリイ・エリンはアメリカのミステリー作家で、
もう故人ですが、
特に1950年代に発表した珠玉のような短編が、
今でもミステリー短編の1つのお手本として、
その輝きを放っています。
この「特別料理」はエリンの最初の短編集で、
タイトルロールである処女作の「特別料理」から
これも世評の高い、
マジックを扱った「決断の時」までの、
10編の短編が収録されています。
これは矢張り圧巻の短編集で、
僕は昔「特別料理」と「パーティーの夜」など数篇を読んで、
あまり感心しなかったので、
しっかり全部読んでいなかったのですが、
比較的最近通読して、
あまりに面白いのでびっくりしました。
エリンは「奇妙な味」の短編と言われています。
これはオーソドックスなミステリーではなく、
「よくこんな風変わりで変な話を思いついたな」
と感心するような傾向のものを指していて、
エリンと同じく短編の名手とされたロアルド・ダールは、
確かにエロチックだったりグロテスクであったりと、
「奇想」の名に恥じないものなのですが、
エリンの場合はちょっと違います。
基本的にはミステリーの骨法を大事に守っていて、
勿論本格ミステリーではないのですが、
予想外の展開を極めて緻密に練り上げていて、
ミステリーならではの愉楽に誘うのです。
この作品集はほぼ全てが傑作といって過言ではありません。
セレブに密かに愛されるレストランの特別料理の謎を、
直接的な描写を徹底して抑制することにより描いた「特別料理」や、
有名俳優が自堕落なパーティー繰り広げる描写のうちに、
異様な世界への扉が開く「パーティーの夜」などは、
世評の通りの逸品なのですが、
僕が特に好きなのは、
異様な犯罪計画とその皮肉極まりない顛末を描いて、
一分の隙もない「アプルピー氏の乱れなき世界」や、
当時流行の心理スリラーを、
徹底した心理描写のみで工芸品のように磨き上げた「好敵手」
の辺りです。
こういうレベルのものが1つでも書ければ、
本当に素晴らしいですね。
エリンの短編集は3冊あり、
一応全部読んでみました。
2冊目がこちら。
こちらは1冊目と比べると、
その出来にはちょっとばらつきがあります。
1冊目にはない、社会批評的な作品が幾つかあり、
それが今読むとややピンと来ないことも、
その1つの原因かも知れません。
この中では「不当な疑惑」は、
所謂「一事不再理」を扱った短編ですが、
限定された長さの中に知的な興奮が溢れ、
ラストの突き放した味わいの鮮やかさはさすがエリン、
という逸品です。
そして、最後の短編集がこちら。
これはもうかなり玉石混交です。
ただ、表題にもなった「最後の一壜」は、
初期作に勝るとも劣らない傑作です。
短編ミステリーに関しては、
ほぼ間違いなく1950年代が黄金時代で、
「奇妙な味」の全てのパターンが出尽くしているので、
その後今に至るまでの作品は、
ある種の蛇足のように思えてしまうのです。
「特別料理」は是非…
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
ルメートル「その女アレックス」とフランス・ミステリーの世界 [ミステリー]
あけましておめでとうございます。
北品川藤クリニックの石原です。
今年もよろしくお願いします。
例年通りで今日から3日まで奈良に出掛ける予定です。
あまりお正月向きの話題ではないのですが、
今日はこちら。
一昨年に最も注目を集めた翻訳ミステリー、
ピエール・ルメートルの「その女アレックス」を、
遅ればせながら読みました。
ルメートルはフランスのミステリー作家で、
これまでに3つの長編ミステリーと、
1つの普通小説が翻訳されています。
長編ミステリーを発表順で言うと、
「悲しみのイレーヌ」、
「死のドレスを花婿に」、
そしてこの「その女アレックス」ということになります。
このうち、
「悲しみのイレーヌ」の続編が「その女アレックス」で、
この2作はシリーズものですが、
「死のドレスを花婿に」は独立したノンシリーズです。
僕は年代順に3作品を読みましたが、
矢張り「その女アレックス」が抜群で、
この作品は警察小説やサスペンスの色々な要素を、
うまく1つにまとめていて、
一見水と油のような要素が、
巧みに結び付いて、
それが意外性となって読む者を魅了するのです。
特にラストの趣向は、
シリーズ物の警察小説の定番のものなのですが、
前半を読んでいる限り、
とてもこんな趣向に結び付くとは思えないので、
ある種のカタルシスがあるのです。
ただ、正直それ以外の2作品は、
標準的なフランス産ミステリーという感じで、
意外性も不発に終わっていると思いますし、
悪趣味で悪乗りの割に、
辻褄が合わないところが多いので、
あまり感心はしませんでした。
週間文春のミステリーのベスト10では、
「その女アレックス」に続いて、
今年は「悲しみのイレーヌ」がベスト1に輝いているのですが、
これは明らかに前年の作品に引きずられた結果で、
アンケート集計形式のベスト10の、
悪いところが出ていると思います。
とても、1位になるような作品ではないからです。
フランスのミステリーは、
かなり昔から欧米のミステリーに、
影響されているようなところがあるのですが、
それでも独特の屈折した感じや、
倒錯的なエロスの描写、
意外にトリッキーな部分などがあって、
僕は昔から大好きな世界です。
黄金時代のトリッキーなステーマンもいいですし、
ダークなノワールのシムノン、
絶望感満載のサスペンスのアルレーやモンテイエ、
トリックや叙述ミステリーとサスペンスを融合させた、
ボアロー&ナルスジャックやジャプリゾ、
コミカルな技巧派エクスブライヤ、
カーを敬愛する新本格派のアルテなど、
多士済々なのです。
そのフランスミステリーの名人の列に加わるには、
まだ何となく未知数の感じもあるのですが、
今後も翻訳紹介の継続をお願いしたいと思います。
これから読まれる方には、
どちらかと言えば「その女アレックス」のみを、
最初から読まれることをお勧めします。
それではそろそろ出掛けます。
今年が皆さんにとって良い年でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今年もよろしくお願いします。
例年通りで今日から3日まで奈良に出掛ける予定です。
あまりお正月向きの話題ではないのですが、
今日はこちら。
一昨年に最も注目を集めた翻訳ミステリー、
ピエール・ルメートルの「その女アレックス」を、
遅ればせながら読みました。
ルメートルはフランスのミステリー作家で、
これまでに3つの長編ミステリーと、
1つの普通小説が翻訳されています。
長編ミステリーを発表順で言うと、
「悲しみのイレーヌ」、
「死のドレスを花婿に」、
そしてこの「その女アレックス」ということになります。
このうち、
「悲しみのイレーヌ」の続編が「その女アレックス」で、
この2作はシリーズものですが、
「死のドレスを花婿に」は独立したノンシリーズです。
僕は年代順に3作品を読みましたが、
矢張り「その女アレックス」が抜群で、
この作品は警察小説やサスペンスの色々な要素を、
うまく1つにまとめていて、
一見水と油のような要素が、
巧みに結び付いて、
それが意外性となって読む者を魅了するのです。
特にラストの趣向は、
シリーズ物の警察小説の定番のものなのですが、
前半を読んでいる限り、
とてもこんな趣向に結び付くとは思えないので、
ある種のカタルシスがあるのです。
ただ、正直それ以外の2作品は、
標準的なフランス産ミステリーという感じで、
意外性も不発に終わっていると思いますし、
悪趣味で悪乗りの割に、
辻褄が合わないところが多いので、
あまり感心はしませんでした。
週間文春のミステリーのベスト10では、
「その女アレックス」に続いて、
今年は「悲しみのイレーヌ」がベスト1に輝いているのですが、
これは明らかに前年の作品に引きずられた結果で、
アンケート集計形式のベスト10の、
悪いところが出ていると思います。
とても、1位になるような作品ではないからです。
フランスのミステリーは、
かなり昔から欧米のミステリーに、
影響されているようなところがあるのですが、
それでも独特の屈折した感じや、
倒錯的なエロスの描写、
意外にトリッキーな部分などがあって、
僕は昔から大好きな世界です。
黄金時代のトリッキーなステーマンもいいですし、
ダークなノワールのシムノン、
絶望感満載のサスペンスのアルレーやモンテイエ、
トリックや叙述ミステリーとサスペンスを融合させた、
ボアロー&ナルスジャックやジャプリゾ、
コミカルな技巧派エクスブライヤ、
カーを敬愛する新本格派のアルテなど、
多士済々なのです。
そのフランスミステリーの名人の列に加わるには、
まだ何となく未知数の感じもあるのですが、
今後も翻訳紹介の継続をお願いしたいと思います。
これから読まれる方には、
どちらかと言えば「その女アレックス」のみを、
最初から読まれることをお勧めします。
それではそろそろ出掛けます。
今年が皆さんにとって良い年でありますように。
石原がお送りしました。
秋吉理香子「聖母」 [ミステリー]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
毎年一回の恒例で、
今日明日と福井に行きます。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
比較的新進のミステリー作家の、
秋吉理香子さんの新作です。
帯には「ラスト20ページ、世界は一変する。」
と叙述トリックとどんでん返しが大好きな僕には、
とても魅力的なコピーが踊っていて、
絶賛の声には「イニシエーション・ラブ」に並ぶ衝撃、
などと書かれているので、
どうせがっかりの尻すぼみなのではないかしら、
とは思ったものの、
騙されて読んでしまいました。
週刊ポスト誌に作者のインタビュー記事が載せられていて、
従来のミステリーのどんでん返しには不満があり、
あまりこれまでの作品を参考にはせずに、
独自のストーリーを目指した、
というような趣旨のことが書かれていたので、
より興味を持ったのです。
と言うのも、
叙述ミステリーというものにも、
幾つかのパターンがあって、
ほぼ全て書き尽くされている感があり、
これまでにない発想の叙述ミステリーというようなものには、
滅多に出くわすことはないからです。
叙述ミステリーというのは、
作品の記述そのものにトリックがあり、
読者の先入観を最後にひっくり返して、
予想外の世界に読者を誘うミステリーの1ジャンルで、
バシッと決まった時の破壊力と衝撃は抜群です。
ただ、そのパターンは大雑把に言えば、
人物をずらすか時間をずらすかのどちらかなので、
それが分かってしまうと、
なかなか新鮮な驚きには出会えなくなってしまうのです。
実際に読んでみると、
そう悪くはなかったのですが、
これまでにある2つのパターンを組み合わせた、
一種のバリエーションで、
あまり目新しい感じではなかったので、
少しガッカリしました。
特に小ネタの1つは、
あまりにありきたりなものなので、
これはやらない方が良かったのでは、
と思いました。
最後の大ネタがばれにくくなるように、
小ネタでカモフラージュしているのですが、
最初からその部分は見え見えなので、
どうも逆効果であったような気がします。
この作品はこの作者の長編3作目で、
これまでの2作品もどんでん返しのあるラストで仰天のミステリー、
ということだったので、
意外に前の作品の方が面白いのかも知れない、
と思って、そちらも読んでみました。
処女作は女子高の文芸サークルの闇鍋パーティで、
不在のヒロインについての短編小説を、
皆が披露してゆくうちに…
という話で、
アイリッシュの「晩餐後の物語」と、
バークリーの「毒入りチョコレート事件」をミックスしたような作品でした。
ラストもありきたりでビックリするようなものではなく、
展開もモタモタしていて退屈でした。
これはまずお薦め出来ません。
2作目は崖から落ちた高校生の、
魂が入れ替わって自分を突き落とした犯人探しをする、
というオヤオヤな感じの青春ミステリーで、
いずれも映画を元にしたと思しき、
2つのひねりがあって、
処女作よりは仕掛けは練れていました。
ただ、超自然現象を重ねるのは、
構成として如何なものかと思いましたし、
すぐに映画を連想してしまうので、
新味はありませんでした。
と言う訳で、
これまでの3作品の中では、
この「聖母」が一番のお薦めで、
帯の煽り文句は過大表現だと思いますが、
まずまず破綻なく書けていて、
一読の値打ちはあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
毎年一回の恒例で、
今日明日と福井に行きます。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
比較的新進のミステリー作家の、
秋吉理香子さんの新作です。
帯には「ラスト20ページ、世界は一変する。」
と叙述トリックとどんでん返しが大好きな僕には、
とても魅力的なコピーが踊っていて、
絶賛の声には「イニシエーション・ラブ」に並ぶ衝撃、
などと書かれているので、
どうせがっかりの尻すぼみなのではないかしら、
とは思ったものの、
騙されて読んでしまいました。
週刊ポスト誌に作者のインタビュー記事が載せられていて、
従来のミステリーのどんでん返しには不満があり、
あまりこれまでの作品を参考にはせずに、
独自のストーリーを目指した、
というような趣旨のことが書かれていたので、
より興味を持ったのです。
と言うのも、
叙述ミステリーというものにも、
幾つかのパターンがあって、
ほぼ全て書き尽くされている感があり、
これまでにない発想の叙述ミステリーというようなものには、
滅多に出くわすことはないからです。
叙述ミステリーというのは、
作品の記述そのものにトリックがあり、
読者の先入観を最後にひっくり返して、
予想外の世界に読者を誘うミステリーの1ジャンルで、
バシッと決まった時の破壊力と衝撃は抜群です。
ただ、そのパターンは大雑把に言えば、
人物をずらすか時間をずらすかのどちらかなので、
それが分かってしまうと、
なかなか新鮮な驚きには出会えなくなってしまうのです。
実際に読んでみると、
そう悪くはなかったのですが、
これまでにある2つのパターンを組み合わせた、
一種のバリエーションで、
あまり目新しい感じではなかったので、
少しガッカリしました。
特に小ネタの1つは、
あまりにありきたりなものなので、
これはやらない方が良かったのでは、
と思いました。
最後の大ネタがばれにくくなるように、
小ネタでカモフラージュしているのですが、
最初からその部分は見え見えなので、
どうも逆効果であったような気がします。
この作品はこの作者の長編3作目で、
これまでの2作品もどんでん返しのあるラストで仰天のミステリー、
ということだったので、
意外に前の作品の方が面白いのかも知れない、
と思って、そちらも読んでみました。
処女作は女子高の文芸サークルの闇鍋パーティで、
不在のヒロインについての短編小説を、
皆が披露してゆくうちに…
という話で、
アイリッシュの「晩餐後の物語」と、
バークリーの「毒入りチョコレート事件」をミックスしたような作品でした。
ラストもありきたりでビックリするようなものではなく、
展開もモタモタしていて退屈でした。
これはまずお薦め出来ません。
2作目は崖から落ちた高校生の、
魂が入れ替わって自分を突き落とした犯人探しをする、
というオヤオヤな感じの青春ミステリーで、
いずれも映画を元にしたと思しき、
2つのひねりがあって、
処女作よりは仕掛けは練れていました。
ただ、超自然現象を重ねるのは、
構成として如何なものかと思いましたし、
すぐに映画を連想してしまうので、
新味はありませんでした。
と言う訳で、
これまでの3作品の中では、
この「聖母」が一番のお薦めで、
帯の煽り文句は過大表現だと思いますが、
まずまず破綻なく書けていて、
一読の値打ちはあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
久坂部羊「無痛」 [ミステリー]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が担当し、
午後2時からは石原が担当します。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
今連続ドラマ化されている、
久坂部羊さんの「無痛」という作品を読んでしまいました。
ドラマがちょっと特殊な素材で、
特に評判の高い病院の天才外科医という称する人物の造形に、
どういう方向にこれで転がるのかしら、
という興味を持ったので、
読んでしまったのです。
作者は現役の医師で、
今は在宅の医療機関で診療に当たっている、
というようなことがネットでは書かれていました。
小説以外に医療のエッセイなども書かれているようです。
読んでかなり驚きました。
医療ネタではあるのですが、
とても現役で臨床に関わっている医者が書いたとは、
信じ難いような内容でした。
登場人物の多くが「変態」なのですが、
その描写が非常に詳細かつ執拗で、
読んでいるとかなり気分が悪くなります。
ストーカーから女性に手紙が送られるのですが、
その文面がさして必要性が高いとは思えないのに、
執拗に長く引用されていて、
吐き気がするような内容です。
ある人物が生きたまま解剖される、
という猟奇的な場面がありますが、
それも物凄く執拗に書かれているのです。
この下品さと露悪的な趣味の悪さに驚きます。
何よりも物語の根幹の部分に、
倫理を踏みにじるようなところがあり、
現役で臨床に関わっている人間が、
そのことを公表しながら、
このような物語を一般に発表することには、
個人的には大きな問題があるように、
思えてなりませんでした。
以下ネタバレがあります。
個人的にはお読み頂かないことをお勧めしますが、
読まれる予定の方は、
先にお読みにならないようにお願いします。
物語はミステリーの体裁なのですが、
これと言った筋のひねりはなく、
意外性もありません。
教師の一家が子供を含めて猟奇的に殺され、
その犯人が不明なところに、
精神を病んだ少女が、
自分が殺したと、
担当の臨床心理士に告げるのが発端です。
そこに謎の天才外科医と、
患者の視診だけで、
全ての病気とその予後が分かってしまうという、
画期的(?)な診断法を持つ冴えない開業医。
そして、天才外科医の助手で患者の、
クレチン症で無痛症という、
怪人物が絡みます。
最初から、
ハンディキャップのある無痛症の若者を、
「不気味な怪人」のように描いていることが、
とても不快な感じがします。
それで結局猟奇殺人の実行犯は無痛症の若者なのです。
ひねりの欠片もありません。
天才外科医が弟のかつての恋人であった、
教師の妻に恨みを持っていて、
訳の分からない薬を若者に飲ませて操り、
復讐のための人殺しをさせていたのです。
それでは何故少女が告白したのかと言うと、
死んだ教師を恨んでいて、
殺しの前日にその家に行った、
というだけのことだったのです。
このプロットは結局、
マッドサイエンティストの外科医が、
自分の患者のハンディキャプを持つ若者に、
薬を盛って殺人マシーンとして利用する、
という後味の悪い話です。
昔のホラー映画では、
こうしたキワどいストーリーは、
一種の定番であったのですが、
最近はあまりに露骨で差別的なので、
おおっぴらには描かれることがなくなりました。
履歴によれば現役の臨床医が、
たとえフィクションとは言え、
このような倫理にもとるような話を、
それも下品極まるようなタッチで描き、
それが平気で出版されて書店に並び、
ドラマ化までされるという事態には、
その構図そのものが病的であるように、
僕には思えてなりません。
作者も問題ですが、
出版社もこうした作品の出版に、
そのままOKを出すのはどうかと思います。
せめて、作者が医師であることは、
伏せるべきではなかったかと思えてなりません。
現役の医者が書くべきではない物語というものも、
あると思うのです。
たとえば現役の警察官が、
警官が無実の市民を、
密かに快楽で殺しまくるような話を、
書くことが許されるでしょうか?
現役の消防隊員が、
消防隊員が密かに放火をして廻るような話を、
消防隊員の作家であることを売り物にしながら、
出版することが許されるでしょうか?
色々な考えがあると思いますが、
矢張りそれは倫理的に問題のある行為であるように、
僕には思えてなりません。
同じテーマを書くにしても、
踏み越えてはいけない一線というものは、
あるのではないかと思うのです。
この「無痛」という作品は、
あまりにそうした点に無自覚で、
不用意に差別的で、
医療への誤解に満ちているように、
思えてならないのです。
海堂尊さんという医師で作家の方がいます。
「チーム・バチスタの栄光」という作品が処女作で、
映画やドラマにもなりました。
その後も精力的に活躍をされています。
彼の作品にも非常にキワどいところはありますが、
それでも久坂部さんのこの作品のような、
露悪的で非倫理的な性質のものはありません。
それに、臨床はされていないと思います。
他にも医師で作家の方は沢山いますが、
矢張り臨床で実際に患者さんを診ていて、
それでいて変態の医師が、
障害のある患者を薬で操って、
自分の恨む人間を殺させる、
というような酷い話を、
自分が現役であるうちに書いた方は、
僕の知る限り1人もいないと思います。
それが表現の自由であるとは到底思えないのです。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が担当し、
午後2時からは石原が担当します。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
今連続ドラマ化されている、
久坂部羊さんの「無痛」という作品を読んでしまいました。
ドラマがちょっと特殊な素材で、
特に評判の高い病院の天才外科医という称する人物の造形に、
どういう方向にこれで転がるのかしら、
という興味を持ったので、
読んでしまったのです。
作者は現役の医師で、
今は在宅の医療機関で診療に当たっている、
というようなことがネットでは書かれていました。
小説以外に医療のエッセイなども書かれているようです。
読んでかなり驚きました。
医療ネタではあるのですが、
とても現役で臨床に関わっている医者が書いたとは、
信じ難いような内容でした。
登場人物の多くが「変態」なのですが、
その描写が非常に詳細かつ執拗で、
読んでいるとかなり気分が悪くなります。
ストーカーから女性に手紙が送られるのですが、
その文面がさして必要性が高いとは思えないのに、
執拗に長く引用されていて、
吐き気がするような内容です。
ある人物が生きたまま解剖される、
という猟奇的な場面がありますが、
それも物凄く執拗に書かれているのです。
この下品さと露悪的な趣味の悪さに驚きます。
何よりも物語の根幹の部分に、
倫理を踏みにじるようなところがあり、
現役で臨床に関わっている人間が、
そのことを公表しながら、
このような物語を一般に発表することには、
個人的には大きな問題があるように、
思えてなりませんでした。
以下ネタバレがあります。
個人的にはお読み頂かないことをお勧めしますが、
読まれる予定の方は、
先にお読みにならないようにお願いします。
物語はミステリーの体裁なのですが、
これと言った筋のひねりはなく、
意外性もありません。
教師の一家が子供を含めて猟奇的に殺され、
その犯人が不明なところに、
精神を病んだ少女が、
自分が殺したと、
担当の臨床心理士に告げるのが発端です。
そこに謎の天才外科医と、
患者の視診だけで、
全ての病気とその予後が分かってしまうという、
画期的(?)な診断法を持つ冴えない開業医。
そして、天才外科医の助手で患者の、
クレチン症で無痛症という、
怪人物が絡みます。
最初から、
ハンディキャップのある無痛症の若者を、
「不気味な怪人」のように描いていることが、
とても不快な感じがします。
それで結局猟奇殺人の実行犯は無痛症の若者なのです。
ひねりの欠片もありません。
天才外科医が弟のかつての恋人であった、
教師の妻に恨みを持っていて、
訳の分からない薬を若者に飲ませて操り、
復讐のための人殺しをさせていたのです。
それでは何故少女が告白したのかと言うと、
死んだ教師を恨んでいて、
殺しの前日にその家に行った、
というだけのことだったのです。
このプロットは結局、
マッドサイエンティストの外科医が、
自分の患者のハンディキャプを持つ若者に、
薬を盛って殺人マシーンとして利用する、
という後味の悪い話です。
昔のホラー映画では、
こうしたキワどいストーリーは、
一種の定番であったのですが、
最近はあまりに露骨で差別的なので、
おおっぴらには描かれることがなくなりました。
履歴によれば現役の臨床医が、
たとえフィクションとは言え、
このような倫理にもとるような話を、
それも下品極まるようなタッチで描き、
それが平気で出版されて書店に並び、
ドラマ化までされるという事態には、
その構図そのものが病的であるように、
僕には思えてなりません。
作者も問題ですが、
出版社もこうした作品の出版に、
そのままOKを出すのはどうかと思います。
せめて、作者が医師であることは、
伏せるべきではなかったかと思えてなりません。
現役の医者が書くべきではない物語というものも、
あると思うのです。
たとえば現役の警察官が、
警官が無実の市民を、
密かに快楽で殺しまくるような話を、
書くことが許されるでしょうか?
現役の消防隊員が、
消防隊員が密かに放火をして廻るような話を、
消防隊員の作家であることを売り物にしながら、
出版することが許されるでしょうか?
色々な考えがあると思いますが、
矢張りそれは倫理的に問題のある行為であるように、
僕には思えてなりません。
同じテーマを書くにしても、
踏み越えてはいけない一線というものは、
あるのではないかと思うのです。
この「無痛」という作品は、
あまりにそうした点に無自覚で、
不用意に差別的で、
医療への誤解に満ちているように、
思えてならないのです。
海堂尊さんという医師で作家の方がいます。
「チーム・バチスタの栄光」という作品が処女作で、
映画やドラマにもなりました。
その後も精力的に活躍をされています。
彼の作品にも非常にキワどいところはありますが、
それでも久坂部さんのこの作品のような、
露悪的で非倫理的な性質のものはありません。
それに、臨床はされていないと思います。
他にも医師で作家の方は沢山いますが、
矢張り臨床で実際に患者さんを診ていて、
それでいて変態の医師が、
障害のある患者を薬で操って、
自分の恨む人間を殺させる、
というような酷い話を、
自分が現役であるうちに書いた方は、
僕の知る限り1人もいないと思います。
それが表現の自由であるとは到底思えないのです。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
東野圭吾「天空の蜂」 [ミステリー]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
なるべく家でゆっくりと過ごすつもりです。
何もなければ良いのですが…
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
東野圭吾さんが20年前に書いた「天空の蜂」が、
今映画化されて公開中です。
僕は東野さんの作品は、
7割くらいは読んでいると思うのですが、
この作品は発表当時、
原発を絡めたパニック小説というのは、
東野さんには不向きのような思いがあって、
読んでいませんでした。
今回遅ればせながら読了し、
その後で昨日映画にも足を運びました。
これは意外に面白いです。
原作はパニック小説としての段取りには、
矢張り何となく不向きなたどたどしさがあるのですが、
東野さんならではの原発や自衛隊への視点と、
犯人の屈折した心理が面白く、
後半は「読まずに寝られるか」という感じで、
一気に読みました。
そのリーダビリティはさすがです。
原作をそうして読んでしまうと、
これを日本で映画化などしても、
絶対に面白くはならないだろうな、
と思うのですが、
映画はこれも意外に歯ごたえがあって面白く、
抜群とは言えないし不満も勿論あるのですが、
最近では非常に面白く鑑賞しました。
普通考えると、
非常に予見性のある原作であるのですが、
書かれてから15年後に、
実際に原発事故が起こってしまったのですから、
起こる前にそれを予見した作品を、
起こった後で読んでも、
さして面白いとは思えないのではないか、
と思うところです。
現実がフィクションを追い抜いてしまったように思うからです。
また、映画に関しても、
本当に深刻な原発事故が起こってしまった後で、
その15年前の結果として事故が回避される物語を、
今更映像化しても意味がないのではないか、
というように思うところです。
しかし、それが意外にそうではありません。
原発技術者や幹部自衛官の立場になって、
原発や自衛隊の問題を考える、
という東野さんの構想が、
新たな視点としてユニークで、
「沈黙する群衆に刃を突き付ける」
という発想が、
今という時間でむしろ意味を持つからです。
原作は読んで損はないですし、
映画も見て損はないと思います。
以下大きなネタバレはありませんが、
読了及び鑑賞予定の方は、
その後でお読みください。
自衛隊と機械メーカーが共同で開発した、
巨大ヘリがお披露目の日に盗まれ、
稼働中の原発の上空でホバリングします。
天空の蜂を名乗る犯人は、
日本の全ての原発を破壊しなければ、
原発に爆薬を積んだ巨大ヘリを墜落させると、
政府を脅します。
主人公はヘリの開発技術者で、
その友人の息子は、
犯人の意図しないところで、
ヘリの中に人質となってしまいます。
犯人と主人公、そして捜査陣や原発関係者の間で、
頭脳戦が繰り広げられます。
原作も映画も共通の特徴として、
犯人の造形が非常に面白く、
その屈折の感じが、
さすがに東野さん、という感じです。
こういう人物を犯人にして、
こうした物語を紡がせる、というのは、
東野さん以外には、
まず間違いなく出来ない芸当だと思うからです。
構成上の難点は、
人質となった子供が、
前半であっさり救出されてしまうことで、
犯人には人を犠牲にするつもりはない、
ということが分かってしまうので、
サスペンスの要素はかなり減弱してしまうことです。
これは原作でも映画でも同様でした。
原作と映画の最も大きな違いは、
原作では最初から犯人の正体を明かしているのに対して、
映画では終盤になるまで明かされない、
ということです。
映画としては、
間違いなくこの方が効果的です。
それ以外にも、
ヘリに閉じ込められる子供を、
主人公の友人から主人公自身に変えたり、
キーとなる謎の女性が、
海外へ旅行に行かなかった理由を、
犯罪を疑ったのではなく、
妊娠が分かったからにしたりと、
概ね映画として効果的な改変となっていて、
かなり台本が練られていることが分かります。
映画は前半はハリウッドのアクション映画をお手本に、
海外での公開を意図したような色気を感じる、
ちょっと恥ずかしいような感じもあります。
輸出を意識した韓国のアクション大作みたいな雰囲気です。
それが、犯人のアジトのアパートへ、
刑事が踏み込む辺りから、
堤監督の趣味が出る感じというのか、
日本映画のドロドロしたどぎつい画面に変貌します。
ここで壮絶な立ち回りがあり、
若い刑事が死亡するのですが、
こんな格闘は勿論原作にはありません。
この辺からが僕は結構気に入りました。
キーとなる謎の女性が、
トイレで用を足してからニヤリと笑ったり、
髪を無雑作に切って逃亡を図ったり、
という辺りは、今村昌平の映画みたいですし、
クライマックスで幾つかの場面を交錯させるのは、
「砂の器」を彷彿とさせます。
ただ、ヘリが落ちる場面は、
さすがにフルCGでは迫力に乏しく、
犯人が原発の屋上で手を広げるイメージカットは、
さすがにちょっと脱力しました。
映画館で大きな画面と大音量なので、
どうにかしのげますが、
テレビで見たら耐えられないと思います。
映画は福島の原発事故との関連では、
かなり神経を使ったと思うのです。
実際、この企画は、
原発事故の起こる前では、
不安を煽るとして実現不可能だった思いますし、
事故から数年は、
今度は生々し過ぎるとして、
これも実現不可能だったと思います。
今このタイミングだからこそ、
制作と上映が可能であったのだと思います。
映画のラストは2011年3月13日に設定されていて、
その前日に犯人は獄中で死亡したことになっています。
この日にち設定もギリギリのところで、
この日は日曜日で、
まだ原発事故の深刻さは、
一般には知られていなかったタイミングなので、
その予兆を観客に感じさせつつ物語は終わります。
このエピローグは食い足りない感じはありますが、
生々しい記憶が甦るのを避けたのだと思います。
おそらくこの作品が海外公開される場合には、
もっと直接的に原発事故が言及されるのではないでしょうか?
堤幸彦監督は同世代ですし、
そのポリシーには共感出来る部分が多いのですが、
作品としては破天荒なテレビドラマは良くても、
映画はあまり出来の良いものではない、
という印象を持っていました。
日本には他に映画監督はいないのかしら、
と大作を連発する昨今は思うこともあります。
ただ、今回の作品は監督としても、
かなり本気であることを感じさせるもので、
特に後半の人間ドラマは見応えがありました。
原作も映画も、
なかなかお薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
なるべく家でゆっくりと過ごすつもりです。
何もなければ良いのですが…
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
東野圭吾さんが20年前に書いた「天空の蜂」が、
今映画化されて公開中です。
僕は東野さんの作品は、
7割くらいは読んでいると思うのですが、
この作品は発表当時、
原発を絡めたパニック小説というのは、
東野さんには不向きのような思いがあって、
読んでいませんでした。
今回遅ればせながら読了し、
その後で昨日映画にも足を運びました。
これは意外に面白いです。
原作はパニック小説としての段取りには、
矢張り何となく不向きなたどたどしさがあるのですが、
東野さんならではの原発や自衛隊への視点と、
犯人の屈折した心理が面白く、
後半は「読まずに寝られるか」という感じで、
一気に読みました。
そのリーダビリティはさすがです。
原作をそうして読んでしまうと、
これを日本で映画化などしても、
絶対に面白くはならないだろうな、
と思うのですが、
映画はこれも意外に歯ごたえがあって面白く、
抜群とは言えないし不満も勿論あるのですが、
最近では非常に面白く鑑賞しました。
普通考えると、
非常に予見性のある原作であるのですが、
書かれてから15年後に、
実際に原発事故が起こってしまったのですから、
起こる前にそれを予見した作品を、
起こった後で読んでも、
さして面白いとは思えないのではないか、
と思うところです。
現実がフィクションを追い抜いてしまったように思うからです。
また、映画に関しても、
本当に深刻な原発事故が起こってしまった後で、
その15年前の結果として事故が回避される物語を、
今更映像化しても意味がないのではないか、
というように思うところです。
しかし、それが意外にそうではありません。
原発技術者や幹部自衛官の立場になって、
原発や自衛隊の問題を考える、
という東野さんの構想が、
新たな視点としてユニークで、
「沈黙する群衆に刃を突き付ける」
という発想が、
今という時間でむしろ意味を持つからです。
原作は読んで損はないですし、
映画も見て損はないと思います。
以下大きなネタバレはありませんが、
読了及び鑑賞予定の方は、
その後でお読みください。
自衛隊と機械メーカーが共同で開発した、
巨大ヘリがお披露目の日に盗まれ、
稼働中の原発の上空でホバリングします。
天空の蜂を名乗る犯人は、
日本の全ての原発を破壊しなければ、
原発に爆薬を積んだ巨大ヘリを墜落させると、
政府を脅します。
主人公はヘリの開発技術者で、
その友人の息子は、
犯人の意図しないところで、
ヘリの中に人質となってしまいます。
犯人と主人公、そして捜査陣や原発関係者の間で、
頭脳戦が繰り広げられます。
原作も映画も共通の特徴として、
犯人の造形が非常に面白く、
その屈折の感じが、
さすがに東野さん、という感じです。
こういう人物を犯人にして、
こうした物語を紡がせる、というのは、
東野さん以外には、
まず間違いなく出来ない芸当だと思うからです。
構成上の難点は、
人質となった子供が、
前半であっさり救出されてしまうことで、
犯人には人を犠牲にするつもりはない、
ということが分かってしまうので、
サスペンスの要素はかなり減弱してしまうことです。
これは原作でも映画でも同様でした。
原作と映画の最も大きな違いは、
原作では最初から犯人の正体を明かしているのに対して、
映画では終盤になるまで明かされない、
ということです。
映画としては、
間違いなくこの方が効果的です。
それ以外にも、
ヘリに閉じ込められる子供を、
主人公の友人から主人公自身に変えたり、
キーとなる謎の女性が、
海外へ旅行に行かなかった理由を、
犯罪を疑ったのではなく、
妊娠が分かったからにしたりと、
概ね映画として効果的な改変となっていて、
かなり台本が練られていることが分かります。
映画は前半はハリウッドのアクション映画をお手本に、
海外での公開を意図したような色気を感じる、
ちょっと恥ずかしいような感じもあります。
輸出を意識した韓国のアクション大作みたいな雰囲気です。
それが、犯人のアジトのアパートへ、
刑事が踏み込む辺りから、
堤監督の趣味が出る感じというのか、
日本映画のドロドロしたどぎつい画面に変貌します。
ここで壮絶な立ち回りがあり、
若い刑事が死亡するのですが、
こんな格闘は勿論原作にはありません。
この辺からが僕は結構気に入りました。
キーとなる謎の女性が、
トイレで用を足してからニヤリと笑ったり、
髪を無雑作に切って逃亡を図ったり、
という辺りは、今村昌平の映画みたいですし、
クライマックスで幾つかの場面を交錯させるのは、
「砂の器」を彷彿とさせます。
ただ、ヘリが落ちる場面は、
さすがにフルCGでは迫力に乏しく、
犯人が原発の屋上で手を広げるイメージカットは、
さすがにちょっと脱力しました。
映画館で大きな画面と大音量なので、
どうにかしのげますが、
テレビで見たら耐えられないと思います。
映画は福島の原発事故との関連では、
かなり神経を使ったと思うのです。
実際、この企画は、
原発事故の起こる前では、
不安を煽るとして実現不可能だった思いますし、
事故から数年は、
今度は生々し過ぎるとして、
これも実現不可能だったと思います。
今このタイミングだからこそ、
制作と上映が可能であったのだと思います。
映画のラストは2011年3月13日に設定されていて、
その前日に犯人は獄中で死亡したことになっています。
この日にち設定もギリギリのところで、
この日は日曜日で、
まだ原発事故の深刻さは、
一般には知られていなかったタイミングなので、
その予兆を観客に感じさせつつ物語は終わります。
このエピローグは食い足りない感じはありますが、
生々しい記憶が甦るのを避けたのだと思います。
おそらくこの作品が海外公開される場合には、
もっと直接的に原発事故が言及されるのではないでしょうか?
堤幸彦監督は同世代ですし、
そのポリシーには共感出来る部分が多いのですが、
作品としては破天荒なテレビドラマは良くても、
映画はあまり出来の良いものではない、
という印象を持っていました。
日本には他に映画監督はいないのかしら、
と大作を連発する昨今は思うこともあります。
ただ、今回の作品は監督としても、
かなり本気であることを感じさせるもので、
特に後半の人間ドラマは見応えがありました。
原作も映画も、
なかなかお薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
デイヴィッド・アリグザンダー「絞首人の一ダース」 [ミステリー]
こんにちは。
石原藤樹です。
今日明日と、北品川藤クリニックの内覧会を、
午前10時から午後5時まで開催します。
よろしければお越し下さい。
ご希望の方にはちょっとした検査もしていますし、
大したものではありませんが、
ちょっとしたお土産も用意しています。
当日は街道のお祭りもあります。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
1961年に原書が刊行された、
ミステリーの短編集です。
1950年代のアメリカは、
短編ミステリーの黄金時代で、
正直なところ、
短編ミステリーの殆どのパターンの最良のものは、
この時期に全て出尽くしているような気もします。
ダールの「あなたに似た人」や、
エリンの「特別料理」は、
名短編集として知られていて、
抜群の切れ味ですが、
この作品もそれに匹敵する、
というのはちょっと言い過ぎですが、
かなり肉薄する魅力と独創性に溢れた短編集です。
ただ、代表作とされる巻頭の「タルタヴァルに行った男」は、
アメリカの歴史を知らないとオチが分からず、
そのために作者自身によるコメントが、
最後に付いているという具合で、
ちょっと翻訳で日本で読むのには難があるのが、
発売当時には日本で刊行されなかった、
主な理由ではないかと思います。
原作は1961年の刊行ですが、
日本での翻訳版の発売は2006年です。
アリグザンダーの特徴は、
ミステリーの骨格の中に、
人生の哀感のようなものを、
巧みに潜ませて抜群のオチに昇華させる手際で、
僕のお気に入りは、
「見知らぬ男」や巻末の「雨がやむとき」です。
孤独から生じる恐怖を描いた「見知らぬ男」は、
ショートショートと言って良い短さですが、
ラストがバッチリ決まって深い余韻の残る逸品です。
もしご興味があれば是非。
それから、エリンの名作「特別料理」は、
最近初めて短編集の全編を通読したのですが、
全てが傑作と言って良い極めつけで、
まだ未読の方は本当に面白い本を読みたい時に、
とっておいて下さい。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
石原藤樹です。
今日明日と、北品川藤クリニックの内覧会を、
午前10時から午後5時まで開催します。
よろしければお越し下さい。
ご希望の方にはちょっとした検査もしていますし、
大したものではありませんが、
ちょっとしたお土産も用意しています。
当日は街道のお祭りもあります。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
1961年に原書が刊行された、
ミステリーの短編集です。
1950年代のアメリカは、
短編ミステリーの黄金時代で、
正直なところ、
短編ミステリーの殆どのパターンの最良のものは、
この時期に全て出尽くしているような気もします。
ダールの「あなたに似た人」や、
エリンの「特別料理」は、
名短編集として知られていて、
抜群の切れ味ですが、
この作品もそれに匹敵する、
というのはちょっと言い過ぎですが、
かなり肉薄する魅力と独創性に溢れた短編集です。
ただ、代表作とされる巻頭の「タルタヴァルに行った男」は、
アメリカの歴史を知らないとオチが分からず、
そのために作者自身によるコメントが、
最後に付いているという具合で、
ちょっと翻訳で日本で読むのには難があるのが、
発売当時には日本で刊行されなかった、
主な理由ではないかと思います。
原作は1961年の刊行ですが、
日本での翻訳版の発売は2006年です。
アリグザンダーの特徴は、
ミステリーの骨格の中に、
人生の哀感のようなものを、
巧みに潜ませて抜群のオチに昇華させる手際で、
僕のお気に入りは、
「見知らぬ男」や巻末の「雨がやむとき」です。
孤独から生じる恐怖を描いた「見知らぬ男」は、
ショートショートと言って良い短さですが、
ラストがバッチリ決まって深い余韻の残る逸品です。
もしご興味があれば是非。
それから、エリンの名作「特別料理」は、
最近初めて短編集の全編を通読したのですが、
全てが傑作と言って良い極めつけで、
まだ未読の方は本当に面白い本を読みたい時に、
とっておいて下さい。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
宮部みゆき「ソロモンの偽証」 [ミステリー]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から何となく悶々として、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
最初は久しぶりのミステリーです。
まずこちら。
小説新潮に2002年から、
足掛け9年を掛けて連載された、
宮部みゆきのこれまでで最も長いミステリーです。
「負の方程式」というおまけの中編が付いた、
文庫版を読みました。
500ページを超える文庫本が6分冊という、
びっくりするような長さです。
端的に感想を言えば、
矢張りちょっと長過ぎると感じました。
オープニングは如何にも宮部みゆきという、
これからを期待させるワクワクするタッチですし、
ラストには「魔術はささやく」的な泣かせも入っています。
そうした意味では宮部みゆきさんのファンの期待を、
裏切る作品ではないと思います。
ただ、ミステリーとしては意外性に乏しく、
せいぜい短編を支えられる程度、という筋立てなので、
ミステリーとしてのワクワク、ドキドキを期待すると、
やや裏切られたような気分になります。
主人公達の心理の謎が、
それに代わる超大作を支えるだけの魅力に成り得たかと言うと、
それもちょっと微妙なように思いました。
宮部さんは現代の現役の作家の中では、
文章の上手さでは群を抜いていると思うのですが、
今回の作品は執筆期間も長いせいか、
文体はかなり揺れていて、
時々湊かなえさんを思わせるような表現や、
桐野夏生さんを思わせるような表現があり、
個人的には違和感がありました。
以下ネタバレを少し含む感想です。
この超大作は3部に分かれていて、
第1部は1990年のクリスマスイブに、
不登校だった少年が、
通っていた中学の屋上から転落死する、
という事件と、
そこから派生して起こる、
幾つかの事件が描かれます。
第2部では自殺として公式には処理された事件を、
クラスメートが中心となって模擬法廷を行ない、
真相を究明しようという企画から、
実際の裁判の開始までが描かれ、
第3部ではその裁判の経緯が描かれます。
基本的に最初の墜落死の謎が、
最後になって解かれる、という、
ミステリーの構造にはなっているのですが、
そこに特別な意外性などはなく、
「ああ、やっぱりそうだったのね」という程度のものです。
死んだ少年と、その隠れた親友とのある種の心理的な対決が、
その謎に絡むのですが、
それも過去作の「模倣犯」辺りの焼き直しの感があります。
いじめや虐待、DV、
ストーキング、過剰報道、不祥事隠蔽など、
多くの社会悪がアラベスクのように描かれますが、
そうした「現代の悪」を描出する手法は、
これも過去作の「名もなき毒」辺りの焼き直しで、
その密度の面で過去完成作に及ばない、
という気がします。
(長期に渡る連載なので、
実際には執筆時期はクロスしています)
ある種宮部みゆきミステリーの総決算、
という趣があるのですが、
量的には文句なく総決算ですが、
質的にはやや疑問が残るように思いました。
文庫版のラストには、
ボーナストラックとして、
「負の方程式」という中編が収められていて、
これが目の覚めるような快作です。
「ペテロの葬列」後の杉村三郎と、
「ソロモンの偽証」のヒロインが一緒に探偵役を勤め、
事件も学校で先生と生徒の証言が、
真っ向から食い違うという、
一種の不可能犯罪で、
意外に奥の深い真相が姿を現します。
本編よりある意味楽しめる作品で、
宮部さんは長編より中短編が本領の作家であることを、
再認識するような作品となっていました。
それでは次の記事に移ります。
次は演劇の感想です。
六号通り診療所の石原です。
朝から何となく悶々として、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
最初は久しぶりのミステリーです。
まずこちら。
小説新潮に2002年から、
足掛け9年を掛けて連載された、
宮部みゆきのこれまでで最も長いミステリーです。
「負の方程式」というおまけの中編が付いた、
文庫版を読みました。
500ページを超える文庫本が6分冊という、
びっくりするような長さです。
端的に感想を言えば、
矢張りちょっと長過ぎると感じました。
オープニングは如何にも宮部みゆきという、
これからを期待させるワクワクするタッチですし、
ラストには「魔術はささやく」的な泣かせも入っています。
そうした意味では宮部みゆきさんのファンの期待を、
裏切る作品ではないと思います。
ただ、ミステリーとしては意外性に乏しく、
せいぜい短編を支えられる程度、という筋立てなので、
ミステリーとしてのワクワク、ドキドキを期待すると、
やや裏切られたような気分になります。
主人公達の心理の謎が、
それに代わる超大作を支えるだけの魅力に成り得たかと言うと、
それもちょっと微妙なように思いました。
宮部さんは現代の現役の作家の中では、
文章の上手さでは群を抜いていると思うのですが、
今回の作品は執筆期間も長いせいか、
文体はかなり揺れていて、
時々湊かなえさんを思わせるような表現や、
桐野夏生さんを思わせるような表現があり、
個人的には違和感がありました。
以下ネタバレを少し含む感想です。
この超大作は3部に分かれていて、
第1部は1990年のクリスマスイブに、
不登校だった少年が、
通っていた中学の屋上から転落死する、
という事件と、
そこから派生して起こる、
幾つかの事件が描かれます。
第2部では自殺として公式には処理された事件を、
クラスメートが中心となって模擬法廷を行ない、
真相を究明しようという企画から、
実際の裁判の開始までが描かれ、
第3部ではその裁判の経緯が描かれます。
基本的に最初の墜落死の謎が、
最後になって解かれる、という、
ミステリーの構造にはなっているのですが、
そこに特別な意外性などはなく、
「ああ、やっぱりそうだったのね」という程度のものです。
死んだ少年と、その隠れた親友とのある種の心理的な対決が、
その謎に絡むのですが、
それも過去作の「模倣犯」辺りの焼き直しの感があります。
いじめや虐待、DV、
ストーキング、過剰報道、不祥事隠蔽など、
多くの社会悪がアラベスクのように描かれますが、
そうした「現代の悪」を描出する手法は、
これも過去作の「名もなき毒」辺りの焼き直しで、
その密度の面で過去完成作に及ばない、
という気がします。
(長期に渡る連載なので、
実際には執筆時期はクロスしています)
ある種宮部みゆきミステリーの総決算、
という趣があるのですが、
量的には文句なく総決算ですが、
質的にはやや疑問が残るように思いました。
文庫版のラストには、
ボーナストラックとして、
「負の方程式」という中編が収められていて、
これが目の覚めるような快作です。
「ペテロの葬列」後の杉村三郎と、
「ソロモンの偽証」のヒロインが一緒に探偵役を勤め、
事件も学校で先生と生徒の証言が、
真っ向から食い違うという、
一種の不可能犯罪で、
意外に奥の深い真相が姿を現します。
本編よりある意味楽しめる作品で、
宮部さんは長編より中短編が本領の作家であることを、
再認識するような作品となっていました。
それでは次の記事に移ります。
次は演劇の感想です。
「まるで天使のような」とマーガレット・ミラーの世界 [ミステリー]
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
申し遅れましたが、
六号通り診療所の石原です。
今日はこれからいつものように、
奈良に出掛ける予定です。
年の初めにふさわしいかどうか分かりませんが、
今日は好きなミステリー作家の話です。
その決定版的な1作がこちら。
マーガレット・ミラーは、
1915年生まれのアメリカの女流ミステリー作家で、
夫はハードボイルドの大家である、
ロス・マクドナルドです。
ミステリーと普通小説の中間のような作風で、
多重人格の殺人などを扱った、
サイコスリラーの元祖の1人です。
僕は三度の食事よりサイコスリラーが大好物なので、
こうしたジャンルのものは、
最近はそれほど読んでいませんが、
20年くらい前までは、
滅多矢鱈と読んでいました。
ただ、どんな名手の作品でも、
サイコスリラーと言うと、
それほどパターンが多いのではないので、
あっ、いつもの多重人格で、
意識のないうちに別人になって何かしている、
というような奴だな、
と察しが付くようになり、
作者の工夫の有無には関わらず、
結末は見えてしまうことが多いのです。
従って、
サイコスリラーばかりを連発して、
読者をそれなりに納得させるという作家は、
そうざらにはいません。
そして、マーガレット・ミラーはそうした作家の1人です。
全てが翻訳はされていないので、
敢くまで知る限りの話ですが、
彼女の全ての作品が一種のサイコスリラーで、
普通小説に近いものでもミステリーに傾斜したものでも、
いずれも意外な展開を見せ、
意外な結末が待っています。
その中には勿論、
読んでいる間に想像の付くものもあるのですが、
想像を絶するものもあり、
一種の不意打ちを食らうようなものもあります。
そして、
いずれにしても、
読んでいる中で自然と信じていた世界が、
均衡を失って崩壊に向かう様が、
衝撃的で魅力的なのです。
この「まるで天使のような」は、
ミラー円熟期の力作で、
私立探偵の主人公が、
たまたま迷い込んだ見知らぬ土地で、
こじんまりとした共同体を形成して、
閉じた生活をしている新興宗教と関わりを持ち、
そこで密かにある人物の素行調査を依頼されるという、
正統的なハードボイルド小説の意匠を持って始まります。
その人物は謎の失踪をしていて、
それから連鎖的に殺人事件が起こります。
これはある種の秘められた情熱の物語で、
それが一体誰の誰に対する情熱なのかが、
見えそうで見えないところが妙味です。
物凄く意外な結末が待っている訳ではないのですが、
慄然とするような悲しく怖しい、
狂気じみた熱情が、
ラストに心を揺さぶるのです。
未読の方は是非。
絶品です。
それではそろそろ出掛けます。
皆さんも良い新年をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
今年もよろしくお願いします。
申し遅れましたが、
六号通り診療所の石原です。
今日はこれからいつものように、
奈良に出掛ける予定です。
年の初めにふさわしいかどうか分かりませんが、
今日は好きなミステリー作家の話です。
その決定版的な1作がこちら。
マーガレット・ミラーは、
1915年生まれのアメリカの女流ミステリー作家で、
夫はハードボイルドの大家である、
ロス・マクドナルドです。
ミステリーと普通小説の中間のような作風で、
多重人格の殺人などを扱った、
サイコスリラーの元祖の1人です。
僕は三度の食事よりサイコスリラーが大好物なので、
こうしたジャンルのものは、
最近はそれほど読んでいませんが、
20年くらい前までは、
滅多矢鱈と読んでいました。
ただ、どんな名手の作品でも、
サイコスリラーと言うと、
それほどパターンが多いのではないので、
あっ、いつもの多重人格で、
意識のないうちに別人になって何かしている、
というような奴だな、
と察しが付くようになり、
作者の工夫の有無には関わらず、
結末は見えてしまうことが多いのです。
従って、
サイコスリラーばかりを連発して、
読者をそれなりに納得させるという作家は、
そうざらにはいません。
そして、マーガレット・ミラーはそうした作家の1人です。
全てが翻訳はされていないので、
敢くまで知る限りの話ですが、
彼女の全ての作品が一種のサイコスリラーで、
普通小説に近いものでもミステリーに傾斜したものでも、
いずれも意外な展開を見せ、
意外な結末が待っています。
その中には勿論、
読んでいる間に想像の付くものもあるのですが、
想像を絶するものもあり、
一種の不意打ちを食らうようなものもあります。
そして、
いずれにしても、
読んでいる中で自然と信じていた世界が、
均衡を失って崩壊に向かう様が、
衝撃的で魅力的なのです。
この「まるで天使のような」は、
ミラー円熟期の力作で、
私立探偵の主人公が、
たまたま迷い込んだ見知らぬ土地で、
こじんまりとした共同体を形成して、
閉じた生活をしている新興宗教と関わりを持ち、
そこで密かにある人物の素行調査を依頼されるという、
正統的なハードボイルド小説の意匠を持って始まります。
その人物は謎の失踪をしていて、
それから連鎖的に殺人事件が起こります。
これはある種の秘められた情熱の物語で、
それが一体誰の誰に対する情熱なのかが、
見えそうで見えないところが妙味です。
物凄く意外な結末が待っている訳ではないのですが、
慄然とするような悲しく怖しい、
狂気じみた熱情が、
ラストに心を揺さぶるのです。
未読の方は是非。
絶品です。
それではそろそろ出掛けます。
皆さんも良い新年をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
麻耶雄嵩「さよなら神様」 [ミステリー]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から雨なので駒沢公園には行かず、
今PCに向かっています。
午後は新国立の「パルジファル」に参戦する予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ミステリーの鬼才、麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの新作です。
麻耶さんは大好きなので、
ほぼ全作品を読んでいます。
ただ、出来不出来の差が激しいのと、
物凄く頭の良い方だと思うのですが、
その極めて知的で入り組んだ世界が、
時として読者を置いて行くようなところがあるので、
とても万人向けとは言えません。
また、ミステリーの基本的な「文法」が前提となっている世界なので、
ミステリー好き以外には、
意味不明のままに終わる作品が大部分です。
しかし、単純にミステリーの枠に収まる作品群ではなく、
常にそこからはみ出す深い世界を内包していて、
文体もミステリー作家としては水準以上のものなので、
ミステリーマニアだけに独占させておくのは、
勿体ないという気もするのです。
今回の「さよなら神様」は連作短編の形式の作品ですが、
ジュブナイルとして書かれた作品の、
続編という体裁を取っていて、
この連作自体は決して子供向きのものではありませんが、
麻耶さんの作品としては敷居が低く簡明に書かれていて、
それでいて内容は極めて独創的かつ、
意外性にも富んだものなので、
彼の代表作の1つと言って間違いでないものですし、
麻耶ミステリーの入門編としても、
推奨の出来る作品だと思います。
以下、大きなネタばれは勿論しませんが、
少し内容には踏み込みます。
先入観なくお読みになりたい方は、
本編読了後にお読み下さい。
この作品は小学高学年の生徒を主人公にしていて、
「青春ミステリ」の味わいもあります。
ただ、小学生という感じは読んでいるとあまりなくて、
中学生くらいの感じに読めます。
小学校の近辺で矢鱈と殺人事件が起こるのはご愛嬌ですが、
上の扉の帯にもあるように、
最大の特徴は主人公の友達で、
自ら「神様」を名乗る少年が、
「犯人は○○だよ」とオープニングで真犯人を告げる、
という様式にあります。
このパターンの構成が、
連作短編の形式で6回続きます。
神様というのは小説では要するに作者のことですから、
謎解きミステリーの筈なのに、
最初にネタばれをしてしまう、
という掟破りのことをしているのです。
これで一体どうやって面白くするつもりなのだろう、
と思うのですが、
ところがどっこい、
制約を逆手にとった論理のアクロバットが続き、
連作短編ではありながら、
前半の謎が後半に有機的に繋がって、
ラストは如何にも麻耶さんという、
解けないパズルが待っています。
前半の捨てネタは詰まらないものもあるのですが、
後半は麻耶さん以外には、
ちょっと書き手のない世界で、
それでいて比較的読み易く、
かつての長編のように、
頭を抱えるような難所もありません。
ラストのメッセージも、
すんなり飲み込めるものでしたし、
麻耶ミステリーの初心者の方にも、
充分その真価を感じて頂けるのではないかと思います。
知的で変な本が読みたい方には、
是非にお勧めしたい逸品です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から雨なので駒沢公園には行かず、
今PCに向かっています。
午後は新国立の「パルジファル」に参戦する予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ミステリーの鬼才、麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの新作です。
麻耶さんは大好きなので、
ほぼ全作品を読んでいます。
ただ、出来不出来の差が激しいのと、
物凄く頭の良い方だと思うのですが、
その極めて知的で入り組んだ世界が、
時として読者を置いて行くようなところがあるので、
とても万人向けとは言えません。
また、ミステリーの基本的な「文法」が前提となっている世界なので、
ミステリー好き以外には、
意味不明のままに終わる作品が大部分です。
しかし、単純にミステリーの枠に収まる作品群ではなく、
常にそこからはみ出す深い世界を内包していて、
文体もミステリー作家としては水準以上のものなので、
ミステリーマニアだけに独占させておくのは、
勿体ないという気もするのです。
今回の「さよなら神様」は連作短編の形式の作品ですが、
ジュブナイルとして書かれた作品の、
続編という体裁を取っていて、
この連作自体は決して子供向きのものではありませんが、
麻耶さんの作品としては敷居が低く簡明に書かれていて、
それでいて内容は極めて独創的かつ、
意外性にも富んだものなので、
彼の代表作の1つと言って間違いでないものですし、
麻耶ミステリーの入門編としても、
推奨の出来る作品だと思います。
以下、大きなネタばれは勿論しませんが、
少し内容には踏み込みます。
先入観なくお読みになりたい方は、
本編読了後にお読み下さい。
この作品は小学高学年の生徒を主人公にしていて、
「青春ミステリ」の味わいもあります。
ただ、小学生という感じは読んでいるとあまりなくて、
中学生くらいの感じに読めます。
小学校の近辺で矢鱈と殺人事件が起こるのはご愛嬌ですが、
上の扉の帯にもあるように、
最大の特徴は主人公の友達で、
自ら「神様」を名乗る少年が、
「犯人は○○だよ」とオープニングで真犯人を告げる、
という様式にあります。
このパターンの構成が、
連作短編の形式で6回続きます。
神様というのは小説では要するに作者のことですから、
謎解きミステリーの筈なのに、
最初にネタばれをしてしまう、
という掟破りのことをしているのです。
これで一体どうやって面白くするつもりなのだろう、
と思うのですが、
ところがどっこい、
制約を逆手にとった論理のアクロバットが続き、
連作短編ではありながら、
前半の謎が後半に有機的に繋がって、
ラストは如何にも麻耶さんという、
解けないパズルが待っています。
前半の捨てネタは詰まらないものもあるのですが、
後半は麻耶さん以外には、
ちょっと書き手のない世界で、
それでいて比較的読み易く、
かつての長編のように、
頭を抱えるような難所もありません。
ラストのメッセージも、
すんなり飲み込めるものでしたし、
麻耶ミステリーの初心者の方にも、
充分その真価を感じて頂けるのではないかと思います。
知的で変な本が読みたい方には、
是非にお勧めしたい逸品です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣
- 作者: 石原藤樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/05/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! [ 石原藤樹 ]
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