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アントニーノ・シラグーザ リサイタル2013 [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は祝日で診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
これからまた在宅診療に出掛けます。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
シラグーザリサイタル2013.jpg
軽い声の技巧派のテノール、
イタリアのアントニーノ・シラグーザのリサイタルが、
先週東京で行なわれました。

彼のリサイタルは、
その誠実な舞台態度とサービス精神で、
一度聴いた人は皆ファンになります。

ただ、最近は声の調子の悪いことも多く、
明らかに不調なのに、
目いっぱいの笑顔でサービスをする姿は、
痛々しい感じで切なく胸が痛みます。

前回の来日は2011年で、
多くの歌手が震災の影響で来日を取り止める中、
いつものように来日してリサイタルを開き、
「セビリアの理髪師」を歌い、
おそらくは予定通りのドタキャンをした、
フローレスの代わりに、
急遽「清教徒」も1日歌う、
という活躍ぶりでしたが、
お風邪もあって絶不調で、
大変辛い思いが残りました。

今回のリサイタルも、
そのお声の調子だけが心配でしたが、
まずまずの調子で本当にホッとしましたし、
相変わらずの真摯な舞台姿と、
抜群のサービス精神には、
非常に充実した時間を過ごすことが出来ました。

シラグーザは元々軽い声の技巧派のテノールで、
コロラトゥーラなどの装飾歌唱と、
天空を切り裂くような超高音が、
その最大の魅力でしたが、
今回のリサイタルでは、
アジリタを堪能出来るような曲はなく、
もう少し重い声の歌が、
主体となっていました。

ただ、
アンコールで「セビリアの理髪師」から、
得意の弾き語りの小品のアリアを歌いましたが、
これが一服の清涼剤のような素晴らしさで、
重い声のアリアより、
やっぱりこれだよね、
というような思いを強く感じました。

勿論レパートリーは変わる必然性もあり、
キャリアと共に声も変わって行くのだと思いますから、
ファンとしては見守るしかないのですが、
1曲はアジリタ全開を聴きたかったな、
というのが正直なところです。

今回の楽曲の中では、
「椿姫」の2幕のテノールのアリアが、
もっと雑に力押しで歌われるのを、
さんざん聴いていたので、
シラグーザの繊細な歌で、
高音も付加して歌われると、
なるほどこれはこういう曲だったのか、
と気付かされるようなところがあって、
非常に新鮮に感じました。
彼がオペラでこの役を歌うことはないと思いますから、
こういうのもリサイタルの魅力です。

また是非オペラでの、
素晴らしい歌声も聴かせて欲しいと思います。

シラグーザの健在ぶりに、
心の浮き立つ一夜でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

マリアンナ・ピッツォラート賛 [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

色々と考えることがあり、
これからのことを思うとブルーですが、
仕方がありません。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ピッツォラート.jpg
イタリアの若手のメゾソプラノ、
マリアンナ・ピッツォラートの初リサイタルが、
先日東京で行なわれました。

これは本当に素晴らしくて、
久しぶりに本物のアジリタを聴いた、
という気がしました。

ピッツォラートはシチリア生まれの若手のメゾで、
日本には2010年に、
ロッシーニの「タンクレディ」のゲストで来日し、
今回が初リサイタルになります。

2010年の藤原歌劇団の公演は聴いていません。

現在の得意なレパートリーは、
ヘンデルやヴィヴァルディのバロックオペラの、
主に当時はカストラーテが歌っていたパートや、
ロッシーニの諸役です。

今回のリサイタルでは、
前半でヘンデルやヴィヴァルディ、
グルックやモーツァルトを歌い、
後半では得意のロッシーニの難アリアを立て続けに披露し、
アンコールでもロッシーニのチェネレントラの大アリアを、
後半はちょっと端折ったと思いますが、
ほぼ全尺で披露する、
という充実したものでした。

ビジュアルはこのプログラムの写真では、
お分かりにならないと思いますが、
予想以上にふくよかで、
舞台でオペラを歌う姿を見るのは、
かなり厳しいかな、
という感じはしました。

ただ、もう少しだけ絞り込めれば、
ルーベンスの女神のような雰囲気はあり、
声は本物で、
歌への情感の入れ方も素晴らしいので、
リサイタルで聴いている分には、
違和感はありません。

17世紀か18世紀に、
演じられたオペラの舞台に、
そのままタイムスリップしたような趣さえありました。
ロッシーニやヘンデルが生きていて、
生で彼女の歌を聴いても、
決して悪い印象は持たないよね、
と信じられる感じがするのです。

現役のメゾの技巧派の名手と言えば、
バルトリやバルチェローナ、
ジュノーなどがいますが、
最近は滅多に来日してはくれません。

そんな訳で、
今回は本当に久しぶりに、
多分10年ぶりくらいに、
本物のアジリタを聴いた、
という思いがありました。

まあ、バルトリ御大などと比較すれば、
まだまだスケール感はないな、
という気はしますし、
ヘンデルのアリアの廻しなどは、
ジュノーの方が早いな、
というようには思いますが、
こうしたベテラン勢がやや誤魔化し歌唱に、
移りつつあることを思うと、
まだ若くおそらく一番声の出る時期にあるピッツォラートには、
技巧を越えた、
のびやかな声そのものの魅力があります。

後半のロッシーニの「セミラーミデ」のアリアで、
2オクターブくらいを一気に駆け登り、
駆け下るようなところがあるのですが、
彼女は低音部も高音部も、
しっかりと前に飛ぶ声が出せるので、
物凄く心地良い、
生理的な快感があります。

こういうところはベテランになると、
もうあまりしっかりは歌わないのです。

普通は胸に落ちてしまう低音が、
しっかり前に飛んで来るのは嬉しくなりますし、
高音はソプラノ並みに出て、
前半は通常は出さない高音を付加していました。

前に飛ぶ声で裏声ではなく、
広い音域を駆け抜けるのが、
クラシックの歌唱の醍醐味なのだと、
改めて思いました。

また是非リサイタルに来て欲しいな、
と思いますし、
もう少しだけ身体を絞り込んで、
ロッシーニやヘンデルの舞台に立つ姿も、
見たいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

エヴァ・メイ リサイタル(2012) [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診ですが、
小児医療の講習会があるので、
都心の方まで出掛けます。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
エヴァ・メイ.jpg
エヴァ・メイは現役では、
世界で4番目くらいに好きなソプラノで、
生粋のイタリアの声で、
ベルカントもコロラトゥーラも歌い、
容姿も歌も整った数少ない存在です。

今回通算おそらく5回目くらいになる、
来日リサイタルを聴いて来ました。

今回のプログラムは、
イタリアのトスカーナ地方の方言による歌曲から始まる、
というイタリア生粋のソプラノならではの面白いもので、
これが結構技巧的な作品揃いで、
魅力的でした。

それからロッシーニの歌曲が続き、
後半はドニゼッティの技巧的なアリアが、
大きな盛り上がりを見せます。

いつもながらの正統派の美声で、
素晴らしかったのですが、
正直以前のリサイタルのような、
軽やかに流れる感じがなくて、
やや重く「ベテラン風」の歌唱になっていたのは、
個人的にはちょっとがっかりしました。

前半は非常に端正に、
細かい音符も綺麗に音を出していて、
ごまかしがなく感銘を受けたのですが、
休憩後の歌唱は、
特に前半は失速気味で、
声もあまり前に飛ばず、
高音も慎重策に転じたように思いました。
ラストのアリアの数曲は、
会場も盛り上がりましたが、
細かいパッセージにはごまかしの多い、
テンポも乱した、
やや力押しの歌唱で、
以前の軽やかで流れるような彼女の歌が、
耳に残っている僕には、
おや、という感じが残りました。

調子は絶好調ではなかったように思います。

歌というのは生ものなので、
なかなか難しいですね。

アンコールは、
「ラ・ボエーム」の「ムゼッタのワルツ」と、
「わたしのお父さん」で、
これは日本のソプラノリサイタルの定番ですが、
あまりにいつも同じなので、
うんざりします。

この2曲は正直誰が歌っても、
あまり違いがありませんし、
もう耳にタコで聴く気が起りません。

ただ、シュトラウスの「アモーレ」も歌ってくれたので、
これは素敵でした。
でも、矢張り少し前に聴いた、
シェーファーの方が、
この曲は分がありますね。

それではそろそろ出掛けます。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

サンドリーヌ・ピオー リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

今日は何もなければ家にいるつもりです。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
サンドリーヌ・ピオー.jpg
フランスのソプラノ、
サンドリーヌ・ピオーのリサイタルを聴いて来ました。

彼女は古楽系のソプラノで、
もうベテランですが、
日本でのリサイタルは今回が初めてです。

ただ、最近のレパートリーは、
むしろ新しい時代のものに移っているようで、
今回のプログラムは、
19世紀~20世紀に掛けてのヨーロッパの歌曲で、
フランスのフォーレから始まり、
最後はイギリスのブリテンに終わります。

彼女はこの写真の通りの容姿です。
非常に真面目な舞台姿で、
前半は硬い感じでしたが、
後半は大分場に馴染んで来て、
如何にもフランス人という感じの、
愛らしい少女の仕草も仄見えました。

柔らかい美声で、
表現力も豊かです。

ただ、高音の伸びや、声量、
細かいパッセージの正確さは、
やや峠を越した感じがあって、
もう少し以前に聴きたかったな、
という印象は持ちました。

プログラムはドイツ語が半分にフランス語が半分、
そしてブリテンだけが英語です。

僕は今年はドイツ歌曲にはまっていて、
今回のプログラムでも、
シュトラウスが一番グッと来るのですが、
矢張りリートはドイツ語圏の歌手でないと、
物足りない感じはします。

ピオーの柔らかい歌声では、
ドイツ歌曲はシャープさに欠けるような気がするのです。
ダイヤモンドがゴロゴロ転がるような、
シュトラウスの硬質な感じが、
彼女の歌には希薄です。

個人的にはもっとフランス物を、
主体にして頂いた方が、
良かったように思いました。

アンコールもさらっとした小品ばかりで、
そうした点はちょっと物足りなく感じました。

ただ、それは彼女の真面目な人柄ゆえかも知れないので、
あまりそうした感想を持つべきではないのかも知れません。

ウィーン国立歌劇場が控えてはいますし、
デセイ様の来日もまだキャンセルにはなっていませんが、
今年のクラシックは矢張り寂しい感じはします。

まあでも、
先のことは全く闇の中で分かりませんし、
ちょっとした楽しみをアクセントにしながら、
日々の生活だけに、
自分なりの努力を重ねることしかないような気がします。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

クリスティーネ・シェーファーの世界 [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は診療は通常通りですが、
土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
シェーファー.jpg
ドイツのソプラノ、クリスティーナ・シェーファーが、
8年ぶりに来日して、
日本でリート(ドイツ歌曲)のリサイタルを行ないました。

シェーファーは非常に知的なソプラノで、
コロラトゥーラも得意です。
何度か来日はしていますが、
僕の知る限りは、
オペラでの来日はなく、
いつもリートのリサイタルだったと思います。

最近僕はドイツのコロラトゥーラが好きで、
ドイツ歌曲も好きです。
同じ装飾歌唱でも、
イタリアとフランスとドイツでは、
まるで味わいが違います。
どちらが良いと一概には言えませんが、
たとえばモーツァルトがドイツ語で書いた、
「魔笛」の夜の女王のアリアは、
矢張りドイツ的に歌わないと冴えた感じになりません。
イタリア的に歌うと、
何か能天気な歌になります。
そして、
シュトラウスのアリアは、
ゲルマンの血で歌わないと、
まるで駄目で本物にはなりません。

ドイツのソプラノは、
概ねあまり日本には来てくれません。
特にオペラに関しては、
歌劇場の引っ越し公演のようなもの以外では、
どうしてかは分かりませんが、
殆ど来日はしてくれないのが実状です。

シェーファーもマリス・ペーターゼンも、
ドロテア・レッシュマンも、
あまり来てはくれませんし、
ディアナ・ダムラウはメトロポリタンで昨年来日しましたが、
次はいつになるやら分かりません。
若手のモイツァ・エルトマンも素敵でしたが、
もう少し売れれば来なくなりそうです。

シェーファーはリートも定評がありますが、
オペラの舞台も多くこなしていて、
ベルクの「ルル」のように、
極め付けの役柄も幾つかあります。
「リゴレット」のジルダなども歌っていますが、
これはあまり似合っている感じではありませんでした。

是非日本でも聴きたいなあ、
とは思いますが、
おそらく無理だと思います。

前回の8年前はデセイ様と同じ年に来日したのですが、
うっかり聴き逃したので、
今回のリサイタルは本当に楽しみにしていました。

実際に舞台姿を拝見すると、
映像で見るイメージよりは、
結構お太りになって、いかつい感じになっていて、
お年も大分召してはいるのですが、
かつてのシャープな感じを期待していると、
やや裏切られた気分になります。
でも、クール・ビューティーの面影は残っています。

衣装がまた、
上が黒いタンクトップみたいになっていて、
下はバレリーナみたいなスカートなのですが、
上半身がパツパツで、
ええっ、どうしてこんな衣装のセレクションなんだろう、
もっと似合う物を着ればいいのに、
と知的なソプラノなのに、
その知性は衣装センスには及ばないのね、
とやや悲しい気分になります。

ただ、歌は本物でした。

前半はモーツァルトから始まって、
その後がウェーべルンとベルクという、
現代に近い歌曲になり、
それから休憩後の後半は、
オール・シューベルト・プログラムで、
アンコールは3曲ありましたが、
最初がシューベルトで、
残りの2曲はシュトラウスです。

非常に硬質の声で、
それでいて微妙なニュアンスを、
繊細に奏でて行きます。
あまり無理な発声はしないのですが、
音域も高低とも安定していますし、
ピアニシモも綺麗です。
変に感情を前面に出さないのが、
如何にもドイツという感じです。

伴奏のピアニストがまた滅法上手くて、
シェーファーの声の世界を見事に盛り立てます。

モーツァルトとシューベルトの唯一の有名曲であった、
「アヴェ・マリア」は、
意外に凡庸な気がして、おや、と思いましたが、
後は文句なく超一流の歌唱でした。

最後のシュトラウスがまた素晴らしくて、
コロラトゥーラソプラノがよく歌う「アモーレ」を披露したのですが、
これは絶品で、
彼女のツェルビネッタが聴きたくなりました。

僕はシュトラウスのコロラトゥーラアリアが、
これまで誰の歌を聴いても、
どうも本物という感じがしなかったのです。

今回初めてシェーファーの歌を聴いて、
ああ、これはこういうものなのだ、
と得心した思いがしました。

シュトラウスのアリアは、
宝石箱の中から、
珠玉の宝石が、
ポロポロと零れ落ちるような感覚のもので、
その転がり落ちる宝石の耀きが、
コロラトゥーラで表現されているのですが、
本筋は宝石箱そのものにあり、
堅牢で中に耀きを湛えた、
その宝石箱を表現出来るかどうかが重要なのです。

凡百の歌手であると、
零れ落ちる宝石を歌うことで手一杯になるのですが、
シェーファーの歌は、
美しいパッセージで技巧的な旋律を紡ぎながら、
その背後にある宝石箱自体、
要するにそれは歌手そのものの存在感、
ということになるのですが、
それがしっかりと感じられるという点で、
シュトラウスの本質を、
見事に体現していたのです。

ご本人も今回はまずまずご機嫌のご様子でしたから、
次回はそれほどの間隔はなく、
来日してくれることを期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

アンドレア・ロスト リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
アンドレア・ロスト.jpg
先日フリットリと同じ時期に、
ハンガリー出身ののソプラノ、
アンドレア・ロストのリサイタルがありました。

ロストは現役のソプラノの中でも、
屈指の美形であることは間違いがなく、
その儚げな演技とも相俟って、
当代のソプラノの、
1つの理想的な姿を見せてくれます。

ファンの方からご提供して頂いた写真がこちら。
アンドレア・ロスト画像.jpg
奇麗な人ですよね。

オペラの舞台でも、
一時期は結構頻繁に来日してくれました。
彼女を抜擢したムーティがタクトを取った、
スカラ座の来日公演の2回の舞台は、
いずれも素晴らしい出来でした。
演目はヴェルディの「リゴレット」のジルダと、
「オテロ」のデスデーモナですが、
いずれも男に苛まれて、
命を落とす儚い役回りで、
ムーティのちょっと息が詰まるような、
禁欲的な作品作りの中で、
ひたすら誠実かつ繊細に、
演じ歌うロストの姿は素敵でした。

「椿姫」は日本で何度か歌っていて、
ヨーロッパの地方歌劇場のものと、
新国立劇場のものは聴きましたが、
前に出るタイプではないので、
どうしても印象は弱い感じになります。
「道を外した女で何が悪いの」
というような開き直りが、
彼女には感じられないからです。

2009年に久しぶりの来日があり、
オケをバックのリサイタルだったのですが、
この時の歌唱は非常に素晴らしくて、
ロストの藝術の幅を改めて感じられた、
非常に高レベルのリサイタルでした。

コロラトゥーラの技巧も、
もっと技巧をこれでもかと、
誇示するタイプの歌手もいるのですが、
控え目ながら充分水準を超えた、
何より品格のあるものでしたし、
歌に情感がこもっていて、
それでいて歌自体のフォルムに乱れがありません。
ベルカントも良かったし、
オペレッタのくだけた歌が、
また結構けれんみがあって良いのです。

2011年の4月にリサイタルの予定があり、
楽しみにしていたのですが、
震災の影響で流れ、
その代替公演が1年後の今回となりました。

今回はピアノ伴奏で、
前半がモーツァルトから始まって、
ドニゼッティとヴェルディ。
後半が母国のハンガリー歌曲から、
プッチーニのアリアになります。

今回は後半のプッチーニが非常に良く、
「私はミミ」の辺りはグッと来ました。
ロストのミミは僕のCDでの愛聴版です。

ただ、前半の特にコロラトゥーラのパートは、
大ベテランのような、
割と流した歌い方になっていて、
2009年の端正な歌を期待していたので、
ちょっと残念には感じました。
年末年始のハードスケジュールの疲れもあったのか、
「椿姫」の「花から花へ」は、
かなりカットしていたにも関わらず、
失速ギリギリの際どい感じがありました。
レパートリー的には、
彼女は装飾歌唱からは、
離れてゆくのかも知れません。

次回は矢張りオケ伴奏のリサイタルが良いな、
と思います。
オペラの舞台も期待はしたいのですが、
ロストの良さを引き出してくれる、
指揮や相手役と組まないと、
消化不良の出来に終わるような気がします。

今日は僕の好きな歌手の話でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
色々あって遅い更新になりました。

今日はこちら。
バルバラ・フリットリ.jpg
現在最高のソプラノの1人、
バルバラ・フリットリが現在リサイタルのため、
来日中です。

イタリアはオペラの本場ですが、
実際にはイタリア出身の現役の名ソプラノは、
それほど多くはありません。
その中でエヴァ・メイと共に僕が最も好きなのが、
このフリットリです。

初来日はかなり遅かったのですが、
その後はコンスタントに来日を繰り返し、
オペラの舞台を主体に、
常に優れた歌唱を聴かせてくれました。
勿論人間ですから調子には高低もあるのですが、
常に水準以上の舞台を提供するプロ意識は、
さすがだと思います。
こりゃ駄目だ、と思うような舞台は、
聴いたことがありません。

オペラの舞台で僕が最も素晴らしいと思ったのは、
ウィーン国立歌劇場の来日公演で、
ムーティが指揮した
「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ役で、
彼女はコロラトゥーラも歌いますし、
声の重い役は歌わないのですが、
ベルカントも素敵なのです。

最近では多くのスターがキャンセルする中で、
震災後数ヶ月のメトロポリタン歌劇場の来日公演でも、
当初のキャストを土壇場で交代しながらも、
ネトレプコの穴を埋めて見事な歌唱を聴かせてくれました。

リサイタルは2009年が最初で、
今回が2回目です。
前回のリサイタルは、
ピアノの伴奏でしたが、
正直調子は今ひとつでした。

今回はオケの伴奏で、
彼女の出来も初日を聴く限り絶好調に近く、
僕は疲れていて途中でウトウトしてしまったのが、
本当に悔やまれるのですが、
抜群の出来でした。

曲目は少ないのですが、
1曲1曲が完成度が高く、
非常に慎重な準備の元に、
今回のリサイタルが組まれていることが分かります。
プログラムの構成も非常にセンスのあるものです。

また、今回3回のリサイタルが予定されていますが、
その中で1曲もダブる曲目はなく、
一期一会の覚悟を感じるのです。

上の写真はちょっと「ふくよか」ですが、
今はもう少し身体が絞れていて、
ビジュアル的にも素敵ですし、
体調も良さそうで声の伸びも良く、
それほど高音は出ないのですが、
彼女の選択するレパートリーの中では、
全ての音域が安定しています。
東京フィルのオケも、
気合の入ったサポートで、
悪くありませんでした。

今週の水曜日にもう1回公演がありますので、
ご興味のある方は是非。

現在最高水準のソプラノの至芸が、
聴かれることは僕が保障します。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
 
(付記)
ご指摘を受け誤りを修正しました。
(2012年1月31日午後1時半修正)

ゲオルギュー様とボグダン君のこと [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

昨日は2枚半くらい書きました。

今日は休みではないのですが、
趣味の話題です。

今日はこちら。
ゲオルギューちらし.jpg
アンジェラ・ゲオルギュー様は、
公称1965年生まれのルーマニア出身のソプラノで、
テノールのロベルト・アラーニャさんとの夫婦コンビで、
一時は世界で最も売れっ子のソプラノ歌手として、
泣く子も黙る存在でした。
これは少し昔の写真だと思いますので、
今はもう少し雰囲気は違います。
何と言うのか、
失礼ですが清楚な感じは今はないのです。

30代前半の頃はともかく美形で、
押し出しに迫力があり、
そのちょっとくぐもったビロードのような声も、
なるほどこういうのが本場のソプラノの声なのね、
と納得させられるものがありました。
歌は、あれ、この曲がこんな感じでいいの?
コロラトゥーラがこんなテンポでいいの?
随分音符飛ばしてるじゃん。
えっ、ここで音を上げないで終わりにしていいの?
という感じで、ちょっと疑問が残るのですが、
女王様なんだからしょうがないのね、
という感じがあったのです。

昨年は久しぶりに来日して、
日本で当たり役の「椿姫」を歌う筈だったのですが、
家庭の事情でドタキャンになり、
アンナ・ネトレプコが1日だけ代役に立ったりもして、
女王様らしい気まぐれさで、
日本の招聘元をかき回しました。
今アメリカでは一番の売れっ子のネトレプコに、
平気で代役をさせるのだから、
さすが女王様は違うのです。

そして、今年の5月に、
テレビ朝日の主催でコンサートの企画があったのですが、
震災の影響で日本には来ず、
その振り替えのコンサートが、
今週に行われました。

会場はサントリーホールの大ホールだったのですが、
入ってみると、
お客さんが本当にまばらにしかいません。
当日は小ホールのコンサートもあったのですが、
間違いなく小ホールの方が、
お客さんの数は多いのです。

前回の2005年のリサイタルは、
まあ満員ではありませんでしたが、
そこそこの入りではあったので、
こんなことで女王様が、
どうされるのだろう。
怒ってお帰りになるのではないかしら、
と非常に心配になったのです。

非常に微妙な感じのオーケストラの演奏があり、
女王様が豹皮みたいな派手なドレスで姿を現わします。

そして、1曲目を歌った途端、
「バラバラに座ってないで、
もっと真ん中に集まりなさいよ。
寂しいじゃないの。
でないと、もう歌わずに帰るわよ」
みたいなことを肉声で言われたのです。

皆非常にびっくりしましたが、
もっともなのでその場で座席を解除して大移動が始まります。
指定席は自由席になったのです。

当日のプログラムがこちらです。
ゲオルギュー曲目.jpg
お分かりの方はお分かりになると思いますが、
なかなか渋い選曲なのです。
女王様は自分の歌は大雑把な癖に、
意外に繊細な曲が好きで、
相手役にも繊細な声のテノールを選びます。

今回当初の予定は、
マリウス・ブレンチウというテノールが相手役でしたが、
スケジュールの関係で、
振り替え公演は、
ボグダン・ミハイという若いテノールに代わりました。

彼はフェースブックやツィッターに熱心な若手で、
有望株のレジェーロです。

このボグダン君が絶好調で、
びっくりです。

いきなりロッシーニの「セビリアの理髪師」の、
伯爵の最初のアリアを歌うのですが、
これがうっとりするような流麗なアジリタの技巧で、
惚れ惚れとするような歌なのです。

その次がベッリーニの「清教徒」の第3幕、
ハイDという超高音が2回出て来る二重唱です。
高音はスカッと出る感じではないのですが、
でも楽々に歌い切り、
胸のすくような歌唱です。
それに引き摺られて、
あの手抜き歌唱の女王様も、
音を下げずに顔を真っ赤にして歌い上げたので、
二度びっくりです。

その後も快調な歌唱が続き、
女王様は2回のお色直しをされました。
アンコールは2曲の予定を1曲に縮め、
そのことを隣のオジサンは怒っていましたが、
これだけ寂しい客席で、
1曲歌ってくれただけでも感謝するべきではないでしょうか?
どうせ予定の曲目も「私のお父さん」か何かなのです。

リサイタルはもう1回、
明日日曜日に予定があります。

懐具合とお時間に、
若干の余裕のある方は、
どうかご参集頂けないでしょうか?

確かにショボい感じのリサイタルなのです。
しかし、そのショボさの責任は、
ひとえに主催側にあります。
どうして慣れないクラシックの招聘などに手を出すのでしょうか?
オケは他の選択肢はなかったのですか?
価格の設定は強気過ぎやしないでしょうか?
なんでパンフレットは無料とは言え、
ペラペラの紙1枚で歌手の経歴すら書いてないのでしょうか?
チケットが殆ど売れていないことは、
早くから分かっていた筈です。
サクラでも何でもいいですから、
動員を掛けて頂かないと、
ちょっとこれはあまりに酷い惨状です。

内容が悪ければあれなのですが、
僕はこんなに真剣に歌うゲオルギュー様を、
初めて聴きましたし、
ボグダン君の歌唱だけでも、
充分感動的で充実感があるのです。
特にゲオルギュー様の、
中音域から低音域へと滑らかに降りて行くところなど、
意外に心地良く耳に響くのです。

ゲオルギューおばさんは正直、
ソプラノよりメゾソプラノに近い音域です。
少し前に同じサントリーホールで、
グルベローヴァが満員の観客を前に、
見事な歌唱を聴かせましたが、
彼女は高音は得意ですが、
低めの音は今は全部胸に落ちてしまうので、
おばさんの安定した低音域を聴くと、
これはこれで悪くないね、と思うのです。

僕は「ルサルカ」の「月に寄せる歌」や、
「かもめ」の「ドレッタの素晴らしい夢」の辺りは、
ゲオルギューおばさんの歌が一番好きです。

5月の上海のコンサートは、
オールスタンディングの盛況だったそうですから、
ゲオルギューおばさんは余程お金に困らない限り、
日本などには二度と来ることはないでしょう。
せっかく来てくれたのに、
非常に残念です。

もしご興味の湧いた方がいらっしゃいましたら、
明日のサントリーホールに是非。
ただ、舞台は生ものですので、
明日もおばさんが頑張ってくれるかどうかは、
僕に保障の出来ることではありません。
駄目でしたらご容赦下さい。

今日はゲオルギュー様とボグダン君の話でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

「ホフマン物語」のオランピア [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日なので診療所は休診です。
windows media player をついアップデイトしたら、
media player classic が何故か消滅してしまい、
朝から、くそう、マイクロソフトめ、
と動揺してしまったので、
走りに行くのが遅れました。
夏のジャージしかないので、
さすがに寒いです。
ただ、芝生に寝転がって腹筋をしながら空を見ると、
本当に抜けるように高くて、
気分は爽快感があります。

休みの日は趣味の話題です。

今日はまたデセイ様の画像を観て頂きます。

オッフェンバッハの「ホフマン物語」は、
多くのオペレッタを残した作者の、
唯一のオペラで、彼の遺作でもあり、
初演を待つことなく亡くなったので、
決定稿のない未完の作品でもあります。

大作で、ある意味作者の集大成的な作品でありながら、
饒舌で未整理の部分を多く残し、
それがまた魅力でもある点、
プッチーニの「トゥーランドット」にも似たところがあります。

オッフェンバッハはドイツ系のユダヤ人ですが、
活躍の主な舞台はパリで、
そのため作品はフランス語です。
つまり、同じドイツの鬼才ホフマンの作品を原作としたオペラを、
異国のフランスでフランス語のオペラに仕立てたのです。

この作品はホフマン自身が主人公で、
自らの作品をオムニバス的に見せる趣向ですが、
そのうちの1つのパートに、
自動人形のオランピアが登場します。
元ネタはホフマンの「砂男」で、
そのかなり自由な翻案になっています。

オランピアは自動人形の少女で、
ホフマンが謎の眼鏡を掛けると、
その眼鏡越しに自由に動き廻ります。
出演場面は少ないのですが、
登場でコロラトゥーラのアリアを歌う場面が有名で、
コロラトゥーラソプラノの代名詞的な1曲になっています。

デセイ様は1992年以降、
パリオペラ座を皮切りに、
全世界の歌劇場を、
オランピアで廻りました。
彼女のキャリア前半の最大の当たり役の1つです。
ただ、彼女自身は数年でこの役には飽きてしまったようで、
2000年夏のフランスの野外音楽祭、
オランジュ音楽祭でのステージを最後に、
この曲は歌っていません。
これも数年ぶりの出演で、
96年以降は実際には殆ど歌っていないのです。
ではそのデセイ様最後のオランピアとなった、
オランジュ音楽祭のステージを観て頂きます。



野外なので、ちょっと雑になるのは止むを得ませんが、
それでも見事な歌唱です。
デセイ様のコケティッシュでお茶目なところが全開です。
巨大なフランス人形がバックで踊るのが、
如何にもフランスという感じです。

では次は年代ははっきりしませんが、
おそらく1993年くらいの、
ウィーン国立歌劇場(多分)の舞台を観て頂きます。
これは画質が悪いのですが、
正真正銘のライブで、
プライヴェートに撮影したもののようです。
おそらく画像の残るものの中では、
デセイ様の最高のオランピアです。



凄いでしょ。
超高音の伸びは絶好調です。
廻しも抜群に早いです。
次はごく一部ですが、
記念すべき彼女のオペラ座デビューのオランピア。
スター誕生は1992年の4月のことです。
デセイ様28歳。
その演出は映画監督のロマン・ポランスキーです。



これは実はリハーサルの映像が残っているのです。
それがこちら。



僕はポランスキーも勿論大好きで、
デセイ様とポランスキーに、
接点があったことが非常に嬉しく、
奇跡的な思いがするのですが、
残念ながらその演出は大したことはなく、
画像を観ても、
デセイ様とはあまり波長は合っていないようです。
ただ、僕の妄想の中では、
この2人の天才は常に語りあい、
真の藝術がその幻想の中に成立しているのです。

最後はちょっと珍品ですが、
1996年スカラ座のオランピア。
これはね、デセイ様が妊娠9ヶ月で歌ったものです。
びっくりですよ。



大きなお腹で倒れ掛かられて、
ホフマン役のニール・シコフが、
明らかに困っています。
声の質感には違いがあって、
妊娠中の声というのも、
ちょっと不思議な思いがします。

今日はデセイ様のオランピアを、
まとめて観て頂きました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

ジュノーとバルトリとアジリタの世界 [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝はいつものように駒沢公園で走りましたが、
どうも帰って来てから調子が出ず、
何となく遅い更新になりました。

今日はアジリタの至芸を聴いて下さい。
最初はヴィヴィカ・ジュノーが、
フランスのテレビで、
ヴィヴァルディの「グリセルダ」のアリアを歌った画像です。
凄いですよ。

彼女は藤原歌劇団のロッシーニ「チェネレントラ」と、
神奈川で1日だけ上演された、
ヴィヴァルディの「バヤゼット」で来日しました。
僕は両方聴きましたが、
特に「バヤゼット」は素晴らしく、
今でもオペラのオールタイムベストです。

この早口のヨーデルみたいな装飾歌唱を、
アジリタと呼んでいます。
こうしたアリアは、
作曲当時はカストラーテという、
去勢歌手の歌だったのです。
こんなアリアが次から次に出て来る、
歌合戦のようなものが、
当時のバロックオペラです。
これは歌手が揃えば最高ですが、
歌手がへっぽこだと辛くて上演する価値はありません。

次に当代のアジリタの代名詞のような、
チェチーリア・バルトリおばさんが、
ハイドンの「オルフェとエウリディケ」の、
アリアを歌っている画像です。
これも抜群です。

彼女はメゾソプラノですが、
最近は殆どソプラノの音域です。
数年前に来日し、
法外な値段で大顰蹙のリサイタルを開きましたが、
絶好調ではなかったもの、
それでも凄まじい歌でした。
特にモーツァルトは、
彼女が歌うと、
そうだこれこそ本物だ、
と有無を言わせず納得出来るものがあります。
ただ、2年ほど前の来日は、
条件面でトラブルがあり直前で流れていて、
招聘元に余程の腕がないと、
今後の来日は実現はしそうにありません。
ドタキャンも数知れずです。

バロックオペラは一時よく聴いていたのですが、
余程奇跡的な上演でないと、
ただ退屈なだけだと分かって、
最近はあまり行ってはいません。
へっぽこ上演を繰り返す団体もありますが、
僕の意見では落語の「寝床」のレベルです。

今日はアジリタの至芸を聴いて頂きました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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