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モイツァ・エルトマン(2016年王子ホールのリサイタル) [コロラトゥーラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はクリニックは連休のため休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
モイツァ・エルトマン.jpg
ドイツの美貌のソプラノ歌手、
モイツァ・エルトマンが銀座の王子ホールで、
歌曲のリサイタルを開きました。

彼女は一時期ジャパンアーツが、
日本でアイドル的なプロモーションを行ない、
ハンサムなハープ奏者とのデュオリサイタルが企画されたりもして、
ビジュアル優先のように誤解される面があったのですが、
リートや古楽を繊細かつ知的に歌う確かな技術を持っていて、
クリスティーネ・シェーファー辺りに、
近い藝質を持っていると思います。

シェーファーの当たり役のルルでも成功していますし、
20から21世紀に作曲された前衛的なリートも歌っています。

ジャパンアーツが企画したリサイタルは、
繊細な歌曲の途中で、
無神経な拍手が矢鱈と沸くような、
美意識の欠片もない酷いものでしたが、
その後NHK交響楽団などのゲストとして来日した際には、
持ち前の歌い回しで繊細な歌を聴かせてくれました。

今回の来日はリートのみのリサイタルでしたが、
前半はシュトラウス、モーツァルト、シューベルトと花の歌を重ね、
そこに生の息吹を象徴させると、
ラファエル前派のミレイの「オフィーリア」の連想から、
オフィーリアの歌をシュトラウスとリームという、
新旧2人の歌で締め括ります。
後半は一転して死の匂いが濃厚に漂い、
死と再生のイメージを、
これも新旧の歌曲の連鎖で綴ります。

以前のリサイタルより、
明らかに余裕と膨らみを増した歌は、
非常に心地良く、時々にその表情を微妙に変化させて、
観客を魅了します。
美しさは相変わらずなのですが、
写真で想像されるより、
冷たさはなく小動物のような愛嬌があります。

アンコールの2曲まで、
合わせ鏡のようなシンメトリーをなしていて、
考え抜かれた構成は、
まさに絶妙でした。

観客も1、2回フライングの拍手はありましたが、
基本的には演者がふっと息を抜いて拍手を誘うまでは、
こちらも息と詰めて聴き入るという姿勢で、
不用意な拍手などのない、
まずは静謐な歌の楽園が、
成立していたのは至福でした。

ドイツリートはまだその入口を、
少し覗き見た程度なのですが、
深淵でスケールの大きな世界で、
これからも長く足を運び続けようと思います。

最高でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

東京・春・音楽祭 歌曲シリーズvol17. タラ・エロート [コロラトゥーラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

本日は石原が研修会出席のため、
午前午後とも石田医師の担当となります。
受診予定の方はご注意下さい。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
タラ・エロート.jpg
東京・春・音楽祭の歌曲シリーズとして、
アイルランド出身のメゾ・ソプラノ、
タラ・エロートのリサイタルが1日のみ行なわれました。

エロートは今売り出し中の若手のメゾ・ソプラノで、
所謂ズボン役や、
ロッシーニのチェネレントラのような、
コロラトゥーラをレパートリーにしています。

今回の彼女のリサイタルは、
期待を遥かに超える素晴らしさで、
久しぶりに本物のドイツ歌曲の冷厳で豊饒な響きと、
本物のアジリタの至芸を堪能しました。

こうしたリサイタルを、
月に1回くらい聴く機会があれば、
もう芝居も映画も何もなくてもいいな、
というくらいに思ってしまいました。

このシリーズは歌手のチョイスが素晴らしく、
昨年のクールマンも絶品でしたし、
一昨年のマルリス・ペーターゼンも、
まさに待望の初来日でした。

ただ、歌曲だけのリサイタルになるので、
オペラで活躍している歌手の場合、
矢張りオペラアリアも聴いてみたいな、
という気持ちにはなるのです。

それが今回、タラ・エロートは、
ほぼオペラアリアと言って良い、
ハイドンのシェーナと共に、
プログラムのラストに、
本人が得意としている、
ロッシーニのチェネレントラのラストの大アリアを、
最初から予定に組み込んでいました。

僕の記憶では、
こうした大作のオペラアリアが、
この歌曲シリーズで歌われるのは、
今回が初めてではないかと思います。

勿論嬉しい驚きです。

それ以外はドイツ歌曲の名品が並ぶプログラムです。

彼女はドイツリートにはもってこいの、
硬質で深い響きのある美声で、
その歌い廻しも惚れ惚れとするような繊細さです。

それでいて声は強く声量もあって、
かなりダイナミックな表現も可能です。
シュトラウスも良いと思いますし、
ワーグナーも役柄によってはいけそうです。

アジリタはグルヴェローヴァやバルトリほど、
超高速という感じではないのですが、
早さや正確さも水準以上ですし、
何よりダイナミックな高揚感に満ちているのが魅力です。

チェネレントラの大アリアは、
少しダイジェストの感じはありましたが、
久しぶりにコロラトゥーラの素晴らしさを、
体感することが出来ました。

次は是非オペラの舞台で彼女の歌を聴きたいと思いますが、
なかなか実現は難しいかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

アンナ・ネトレプコ スペシャル・コンサート [コロラトゥーラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ1日のんびり過ごす予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
アンナ・ネトレプコ.jpg
ロシア出身のソプラノで、
今世界で最も売れっ子のオペラ歌手の1人である、
アンナ・ネトレプコが久しぶりに来日し、
オペラアリアのリサイタルを行いました。

ネトレプコは2000年代の初めころに頭角を表したソプラノ歌手で、
美貌の歌姫で貫禄充分なところは、
ゲオルギューの再来という感じがありました。
ただ、演技の大きさでも、
歌唱の技術的な面でも、
ゲオルギューを遥かに凌いでいると思います。

そのレパートリーは、
コロラトゥーラからベルカントまで幅広く、
力押しも出来る一方で、
そう上手くはないのですが、
コロラトゥーラのような装飾歌唱もそこそここなし、
何より演技の大きさが魅力です。

日本にはマリインスキー・オペラに同行したのが、
確か始まりで、
小澤征爾のオペラ塾でムゼッタを歌い、
2005年にはロシア歌曲主体のリサイタルを開きました。
このリサイタルは聴いていますが、
可憐な容姿と繊細な歌い廻しが素敵で、
アンコールで歌ったルチアの第一アリア(2幕)は、
確かな技術も感じさせました。

2006年にはメトロポリタンオペラの来日公演で、
「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナを歌っています。
これは非常に豪華なメンバーの公演でしたが、
もう既に堂々たる貫禄のドンナ・アンナで、
観客の人気を最も集めていました。
この時は本当に目の覚めるような美しさでした。

オペラの歌唱として、
極めて印象的だったのは、
2010年の英国ロイヤルオペラの来日公演で、
ネトレプコはマスネの「マノン」のタイトルロールを歌い、
抜群の歌唱と演技を見せると共に、
ドタキャンして来日しなかったゲオルギューの代役として、
1日のみ「椿姫」の舞台に立ちました。

この時は「マノン」が最高で、
思わず2回足を運びました。
特に3幕で男たちを引き連れて女王然として登場し、
装飾技巧を散りばめたアリアを歌うくだりなどは、
これぞプリマドンナという、
惚れ惚れとするような姿であり演技であり歌唱でした。

1日のみ代役で歌った「椿姫」は、
高音に失敗したりして、
準備不足の否めない出来でしたが、
それでもおそらく日本では唯一の機会となるであろう、
ネトレプコのヴィオレッタを堪能しました。

この時のお姿は、
正直以前よりかなりあちこちにお肉が付き、
ぽっちゃりとされていました。

そして、2011年にメトロポリタンでの来日が予定されていたのですが、
震災の影響でキャンセルとなり、
その後もなかなか来日の機会はありませんでした。

もう駄目なのかしらと思っていると、
今回、まあ昨年12月に再婚したテノール歌手、
ユシフ・エイヴァゾフさんのお披露目旅行の意味合いがあるのでしょうし、
中国公演のおまけなのかも知れませんが、
旦那さんとのデュオコンサートとしての、
来日公演が実現しました。

18日に足を運びましたが、
これは素晴らしかったです。

東京フィルのオケを従えて、
オペラアリアばかりをガンガン歌います。
プログラムもかなり聴き応えのある曲を揃えていて、
アンコールまで一切の手抜きなし、
という姿勢が嬉しいのです。

ご本人は勿論ですが、
パートナーのエイヴァゾフさんが、
アルジェリア出身ですが、
イタリア的な輝かしい美声で、
これもなかなか聴き応えがあるのです。

棒立ちで歌うのではなく、
演技も入れて、
ほぼオペラの抜粋のようにして全ての曲を歌います。

ヴェルディの「オテロ」の二重唱では、
実際に2人が接吻を交わしますし、
ラストでは「アンドレア・シェニエ」のラストを、
処刑前の緊張そのままに歌い演じます。

歌自体も冒険はしていませんし、
技巧的にはボチボチで、
それほど高音も出さないのですが、
声量もあり非常に安定感と情感があります。
「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」など、
ピンカートンの乗る船を、
その腕で強引に引き寄せてしまいそうなド迫力ですが、
それでいてラストに掛けて、
蝶々さんの狂気を、
きちんと表現している点にも感心します。

お姿はかなりボリュームが増しました。
ちょっと予想を超えていて、
「あっ…」という感じはあります。
ただ、またオペラの舞台の前には、
もう少し絞られるのではないかと思います。

ともかく、声楽のリサイタルでオペラアリアとしては、
本当に素晴らしくて、
僕はデセイ様が絶対のナンバーワンなので、
それだけは除外すれば、
最高と言っても良い出来です。
声の調子も良さそうでしたし、
もう1日、21日のリサイタルが残っていますから、
今世界最高のソプラノ歌手の歌を聴きたいと思われる方は、
是非足をお運びください。

素晴しいですよ。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル(2015年) [コロラトゥーラ]

こんにちは。
石原藤樹です。

今日は1日北品川藤クリニックの外来診療です。
どんな1日になるでしょうか?
不安もありますが、
ともかくスタッフと一緒に全力を尽くしたいと思います。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
フリットリ リサイタル2015.jpg
現役最高のソプラノ歌手の1人、
イタリアの名花バルバラ・フリットリのリサイタルが、
10月1日に東京オペラシティコンサートホールで、
行われました。

クリニック開院の初日でしたが、
診療が終わってから駆けつけました。
最初には間に合わなかったで、
6曲目が終わってからの鑑賞になりました。

バルバラ・フリットリは、
初来日は2005年と遅かったのですが、
その後は来日を繰り返していて、
毎回体調管理が素晴らしく、
安定感のある素晴らしい歌唱を聞かせてくれます。
昨年の藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」は未聴ですが、
それ以外は日本での舞台は、
概ね全て聴いています。

ベルカント歌いなのですが、
コロラトゥーラの技術もなかなかで、
今回もグノーの「ファウスト」中の所謂「宝石の歌」では、
その妙技を聴かせてくれました。

ただ、以前のようなコロラトゥーラ主体のアリアは、
最近はあまりレパートリーに入れていないようです。

オペラの舞台については、
昨年の「トスカ」も直前でキャンセルとなり、
「ラ・ボエーム」以外は日本ではあまり歌ってくれないのが、
最近の不満ではあります。

リサイタルに関しては、
曲目は少ないのですが、
昨年も非常に高度で完成された内容で素晴らしく、
今回もグノーなど、
あまり歌われることの少ないアリアを取り上げて、
名唱を聴かせてくれました。

昨年に引き続いて、
非常にレベルの高いリサイタルだったと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ヴィヴィカ・ジュノーの現在 [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は2つ目の更新でまた趣味の話題です。

バロック・オペラ「メッセニアの神託」で来日した、
ファビオ・ビオンディ率いるバロック・アンサンブル「エウローパ・ガランテ」が、
メゾ・ソプラノの名花ヴィヴィカ・ジュノーをゲストに迎えて、
東京では1日のみのリサイタルを行ないました。
それがこちら。
ジュノーのリサイタル.jpg

ヴィヴィカ・ジュノーはアラスカ出身のメゾ・ソプラノで、
アジリタという装飾歌唱を、
物凄い速さで披露する超絶技巧がトレードマークです。

その人間離れしたようにも思える見事な妙技を、
2006年にはバロック・オペラ「バヤゼット」で披露してくれました。

しかし、最近はあまり活躍の噂を聞きません。

それが久しぶりに今回、
「バヤゼット」と同じ「エウローパ・ガランテ」が演奏するオペラ、
「メッセニアの神託」の日本初演に合わせて来日し、
オペラに出演すると共に、
「エウローパ・ガランテ」のリサイタルのゲストとしても出演することになりました。

前回の記事に書きましたように、
「メッセニアの神託」でのジュノーは、
アジリタは殆ど披露せず、
どちらかと言うと演技に寄り添うような歌唱で、
役柄の要素が大きいのですが、
正直物足りないものを感じさせました。
また、声にどうも伸びがなく、
もうかつてのような超絶技巧を、
披露することは出来ないのではないか、
という危惧を感じさせました。

実際のところはどうなのでしょうか?

それが一番知りたくてリサイタルに出掛けました。

ジュノーは4曲を披露し、
そのうちの1曲は「メッセニアの神託」の中のアリアで、
もう1曲はスターバト・マーテルでした。
そして、残りの2曲が、
かつて得意とした超絶技巧のアジリタを含む、
バロック・オペラのアリアです。

ジュノーは明らかに緊張していて、
アリアの前に一旦舞台袖に引っ込むと、
そこで発声練習をしているのが、
客席にまで聴こえて来ます。

そして、一向に出て来ないので、
ビオンディさんが迎えに袖に入り、
それからまたしばらくは出て来ませんでした。

久しぶりに歌うので、
歌い切れるか不安なのではないかしら、
とこちらの方も不安になります。

漸く出て来たジュノーは、
客席よりむしろ演奏陣を気にしていて、
そちらに向かって何度も頭を下げます。

そして、意を決したように歌い始めました。

彼女はそうして2曲の超絶技巧のアリアを歌い切り、
僕は少なくともここ数年では、
一番その歌に感銘を受けました。

何と言うか、それは本当にギリギリの歌で、
歌えるかどうかのスレスレのところで、
まさに神業的に踏み止まったような歌唱でした。

かつての彼女は身体の力を抜いた棒立ちで、
何か平然とした様子で超難易度のアジリタを歌っていました。
余裕綽々といった感じがありました。

しかし、今回の彼女は、
足を踏ん張って中腰で舞台に立ち、
歌う前には何度もビオンディさんを縋るように見詰めながら、
なりふり構わずに歌うという印象でした。

声は正直2006年頃の半分も出ていない、
といった感じでしたし、
アジリタの精度も速さも、
かつてには遠く及びませんでした。
特にところどころで急に低音に行くところなどは、
声が追い付かずに、ぶら下がるような感じになっていました。

しかし、その歌から受ける感銘は、
むしろ2006年の歌唱に部分的には勝るものがありました。

歌は矢張り技巧ではなく、
それを超えた何かです。

かつて歌の女神の寵愛を受けていた彼女は、
今肉体の衰えと共に、
その寵愛を外れようとしているのですが、
今回の舞台において、
かつての女神の寵愛を受けた曲を敢えて選び、
本当に自分がもう寵愛を外れたのかどうか、
もう昔に戻ることは出来ないのかどうかを、
自らに刃のように突き付けたのです。

その覚悟を見た歌の女神は、
そこに人間に出来得るギリギリの、
熟れた果実が落ちる寸前に持つ甘味のような、
豊穣な歌の世界を与えたのではないでしょうか。

今回初めて彼女の生の歌声を聴き、
超絶技巧のように感じられた方には是非申し上げたいのですが、
彼女の昔の歌はこんなレベルのものではなく、
もっと遥かに高い山頂に、
燦然と輝く大輪の花であったのですが、
それでもその花の輝き以上のものが、
今回の彼女のある種「白鳥の歌」の如き歌唱には、
間違いなく籠っていたと思うのです。

2004年に聴いた初めての来日のデセイ様の歌にも、
こうした輝きが確かにあったのですが、
藝術というのはまさにこうしたもので、
出せる筈のない声が出て、
聴こえない筈の音が確かに聴こえる時、
その単なる肉体を超えた何かの強く希求する意思のようなものが、
全ての人に感銘を与えるのだと思います。

客席はガラガラで企画としては失敗でした。
日本のマニアの移り気さには嫌になります。
大手の招聘会社はこうした時には、
タダ券を撒いたりして帳尻を合わせるのですが、
力のないところだとこうした惨状になります。
僕はジュノーが聴けて幸せでしたが、
企画としては結果論として、
リサイタルは上演されない方がましでした。
オペラは満席でしたから、
その方が、気持ち良く帰国して頂けたと思います。
こんな客席ではジュノーの来日も、
ビオンディさんの来日も、
多分もうないと思います。

それでは次に続きます。
次は演劇です。

バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル(2014) [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から意見書など書いて、
それから今PCに向かっています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
フリットリリサイタル.jpg
現在最高のリリックソプラノの1人、
イタリアの名花バルバラ・フリットリのリサイタルが、
先日東京オペラシティで行なわれました。

フリットリは初来日は2005年と遅かったのですが、
その後はコンスタントに来日を繰り返していて、
キャンセルの相継いだ2011年6月の、
メトロポリタン歌劇場の来日公演にも参加してくれました。

日本で披露してくれたオペラのレパートリーは、
2005年のヴェルディ「ルイーザ・ミラー」のタイトルロールから始まって、
「フォルスタッフ」のアリーチェが2回、
「ラ・ボエーム」のミミが2回、
「ドン・カルロ」のエリザベッタ、
「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージと、
いずれも極めて安定感のある、
充実した舞台が続きます。
僕は全て1回以上は聴いていますが、
一度も失望したことはありません。
ミミは日本での初役です。

ただ、「トゥーランドット」のリューを1日だけ歌うと言って、
当日にキャンセルし、
昨年は「トスカ」を歌うと言って全てキャンセルし、
今回はローマ歌劇場で「シモン・ボッカネグラ」を歌う予定が、
これも直前キャンセルになりました。
結果として今回の来日は、
このリサイタルのみとなったのですが、
蓋を開けて見れば絶好調の歌唱で、
どうもオペラの舞台に関しては、
特に喉への負担の大きなものについては、
非常に慎重になっているように思いました。

日本でリサイタルも何度も行なっていますが、
今回は間違いなくこれまでのベストで、
選曲も良く、歌い廻しも緻密でドラマチックで、
珍しく上の階まで殆ど満員の観客を、
大いに沸かせました。

何となく、もう日本での舞台はこれを最後にするつもりかしら、
と、あまりの気合の入り方に、
不安を覚えたくらいでした。

間違いなく、リサイタルとしては、
今年のこれまでのベストです。

彼女の魅力はまずはその天性の声で、
美しく磨き上げられた磨りガラスのような、
ちょっとくぐもった趣のある響きです。

変に透明で味わいのない声のソプラノは多く、
その一方で喉の使い方が悪く、
ただの痛んだ声になったしまったソプラノも多いのですが、
フリットリの声はそのいずれとも違っていて、
楽器で言えば、
年輪を経たほど良く枯れたそれでいて深い味わいです。

こうしたソプラノは今はあまりいません。

技術もあってコロラトゥーラのような装飾歌唱もこなします。
僕はモーツァルトのアリアの歌い廻しなど、
アジリタはそれほど高速ではありませんが、
端正で非常に好きです。
ただ、最近はあまり好んでは歌っていません。

今回は「皇帝ティートの慈悲」にある、
矢鱈と音程を上下するアリアを1曲入れていて、
これは絶品でした。

ヴェルディやプッチーニのドラマチックなアリアが、
また非常に見事で、
他の多くのソプラノがリサイタルなどでやるように、
無意味に声を張り上げたり、
中音域の誰でも歌えるような部分を、
矢鱈と長く伸ばして熱演っぽく見せるような下品なことを、
彼女は決してやりません。

繊細な弱音に情感を籠め、
盛り上がりは声よりもむしろ情感を先に溜めて高め、
それから声が後に続くようにコントロールして、
時にそれをスパッと断ち切って、
その余韻に万感の思いを籠めます。

「トスカ」の「恋に生き、愛に生き」のアリアは、
これまでにもリサイタルで何度か聴いたのですが、
今回が最も良かったですし、
このアリア単独で言えば、
これまでに生で聴いた、
全てに勝る出来栄えと断言出来ます。

情感の盛り上がりをスッパりと断ち切った後、
その音圧の反作用のように、
身体をちょっと引くような動作があって、
彼女はこれまであまりそうした大仰なプリマドンナめいた仕草を、
むしろ控えていたように思うのですが、
今回は風格を持ってそうした仕草も堂々を演じていて、
つくづく彼女は本物の大歌手になったと、
その思いを強く感じたのです。

今年はどうも、やる気がなかったり、
実力がなかったり、
声の調子が悪くでボロボロだったり、
ただ声を張り上げるだけで、
アンコールでは疲れて尻すぼみになったりと、
ヘッポコリサイタルを山のように聴いたので、
掛け値なしの本物にようやく出逢えて、
満足の余韻のうちにホールを後にすることが出来ました。

最初の歌曲の後で拍手の起こった時は、
この間のエルトマンの悪夢を思い出して、
絶望的な気分になったのですが、
幸いその後は合間の無神経拍手もなく、
フライングの拍手も少なかったので、
まずまずホッとした思いがしました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

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モイツァ・エルトマン&グザヴィエ・ドゥ・メストレ デュオ・リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日まで診療所は連休のため休診です。
明日からはいつも通りの診療のもどります。
ちょっとブルーです。

いつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
昨日の地震は東京にいなかったので分かりませんが、
戻ってみると少し積んで合った本が、
崩れていた程度でした。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
モイツァ/エルトマン.jpg
ドイツの新進コロラトゥーラソプラノのエルトマンと、
元ウィーン・フィルのハーピストのメストレのデュオ・リサイタルが、
先日東京オペラシティで行なわれました。

これはちょっと悲しい気分になったリサイタルで、
観客とアーティストとの関係を考えさせられました。

リサイタルはシューベルトとシュトラウスの歌曲に、
オペラアリアとハープのソロが加わる、
というもので、
歌曲が基本的には主役のプログラムに、
おそらくは集客のためにアリアが追加されたように思います。

ただ、プッチーニの「私のお父さん」のような、
ベタなものがある一方で、
サリエーリのオペラのアリアのような、
滅多に生で聴く機会のないような作品も混じっていて、
エルトマンの音楽性への拘りを、
垣間見ることが出来ます。

エルトマンは新進のドイツのソプラノで、
声量はそれほどではないですが、
安定感のある透明な声質で、
コロラトゥーラの技術もまずまずです。
高音を出す時にはちょっと背伸びをするように、
身体の軸を変え、
細身の身体を上気させて絞るように声を出す感じが、
若い頃のデセイ様に、
ちょっと似たところがあります。

呼び屋のジャパンアーツさんは、
デセイ様、プティポンと、
美系のソプラノで集客を図る試みを続けていて、
彼女もその狙いで数年前に初来日しましたが、
やや地味な印象でそれほどの集客には結び付きませんでした。

その後で今年の初めには、
N響とオルフを歌い、
その格調のある歌い廻しに、
彼女の成長を感じて今回のリサイタルに期待が高まりました。

ただ、前回の歌曲主体の「正統的な」リサイタルの構成と比較すると、
およそ彼女のレパートリーとは思えない、
ベッリーニやプッチーニのベタなアリアを入れたり、
美男のハーピストに伴奏をさせたりという、
やや俗っぽい感じのする呼び屋の姿勢には、
何となく危惧も感じないではありませんでした。

始まってみると、
いつも見掛けるようなマニアの方もいる一方で、
何処から集めて来たのかしら、
と不思議に思うような方も、
割と正面真ん中に陣取っていて、
最初はシューベルトの歌曲が6曲続くのですが、
最初の曲が終わると共に盛大な拍手が響いたので、
脱力しました。

本当に何が正しいマナーなのか、
というようなことは、
個々の感じ方もありますし、
何とも言えません。

ただ、数曲の歌曲を1つの流れで歌う時には、
交響曲の楽章の間で拍手が入ると、
余韻や全体の流れが切れてしまって、
アーティストにとっても緊張が切れてしまうのと同じことで、
歌手が緊張感を持続させて歌い継いでいる時には、
拍手でそれを切らない方が、
より良いパフォーマンスに結び付くことは事実です。

それが最初から失われたことは、
非常に残念でした。

最前列付近にいたマニアの方が、
曲間の拍手を止めさせようと、
シーと声を出したり、拍手の方向を睨んだりしたのですが、
拍手をすることが礼儀と誤解した方の方が、
全体として多数だったので、
その後も曲間の拍手はむしろ多くなり、
静謐な歌曲の流れは最初からもう失われました。

僕のそばに外人の2人連れがいて、
その2人が率先して拍手をしていたので、
「外国のお方が拍手をしているのだから、
その方が正しいのだろう」
と誤解して拍手をされた方も多かったように感じました。

しかし、僕はそれほど海外でクラシックを聴いたことはありませんが、
観光スポットでもあるようなオペラハウスの観客のマナーは、
概ね日本より悪く酷いものだと思います。

オペラアリアの途中で拍手をしたり、
余韻を楽しむような場面で、
演奏が終わると同時に拍手をするようなことは、
本来は良くないマナーだと思いますが、
マリア・カラスが歌った1950年代のスカラ座のライブ録音を聴いても、
拍手のタイミングは本当に悪くて、
余韻を楽しむべき場面で、
フライングのような拍手が、
入りまくりなのには驚きます。
6代目菊五郎の録音で、
菊五郎の声よりプロンプターの声の方が、
大きく録音されていたのにもビックリしましたが、
別に観客のマナーやアーティストの姿勢が、
必ずしも昔の方が良かったとは言えないとも思います。

今回のことについても、
アーティストは、
「ああ今日の客はこんな感じなのね」と思って、
そのレベルでのパフォーマンスをするのだと思いますから、
それで良いと言えば良いのかも知れません。

ただ、リサイタルの後半にはシュトラウスの歌曲があり、
シュトラウスの短い歌曲を、
それぞれに拍手を合いの手で入れながら聴くというのは、
情緒の欠片もなくて個人的にはとても切ない思いがしました。
マニアの方も殆どあきらめていて、
ただ落胆のみしていたように思います。

僕が今回疑問に思ったのはジャパンアーツさんのスタンスで、
リサイタルやオペラを沢山企画されているのですから、
こうした結果になるのは予め分かっていたと思うのに、
もし歌曲は歌曲として、
しっかり聴いて欲しいという考えであるのなら、
知識のない方も多いのですから、
そして今回のリサイタルは、
あまり知識のない方にも気軽に聴いて頂こうという、
そうした趣旨でお客さんを呼び込み、
プログラムを決めたことが明らかなので、
せめてプログラムの記載やアナウンスで、
曲間の拍手は控えて下さい、
というような注意を出来なかったのか、
ということです。

そして、もしお客さんが何処で拍手をしようと、
それは自由なのだから制限はしない、
ということでしたら、
シュトラウスの繊細な歌曲を並べるようなプログラムは、
最初から避けてもらえれば良かったのにな、
というように思えてなりません。

今回の客層は、
概ねマニアの方や音楽好きの方が3分の1くらいで、
残りの方はそれほどのご興味は普段はない方だったように思います。

ジャパンアーツさんやNBSさんは、
集客には非常に努力をされていて、
今一つの知名度のアーティストでも、
それなりに客席を埋める点はさすがだと思います。
一方で非常にマニアックで優れた公演を、
実現されているような呼び屋さんでも、
集客力がなくて席はガラガラでアーティストも気の毒、
というようなケースもしばしばあります。

そのどちらが良いのかは非常に難しいところで、
どちらも良くない、というのが正解ではあるものの、
そんなことを言っていれば、
良い公演など殆ど成立しないことになってしまいます。

ただ、こうしたことを繰り返していれば、
ジャパンアーツさんの公演は、
フライングの拍手だけが矢鱈と入る、
やかましいものに、
いずれは全てなるのは必定で、
歌曲やリートのリサイタルというのは、
ある種の静寂を楽しむためのものなのだ、
ということが忘れられることになるのも、
もう近い将来のことになるような気がします。

凄まじいフライングの拍手をされる方が、
概ね地位もあるような壮年の方で、
好意で拍手をされているようにお見受けされるので、
尚更に文化というものの受容のあり方と、
それを共有して楽しむということの難しさ、
雰囲気という曖昧模糊としたものに、
価値を求める行為の虚しさに、
改めて思いを馳せる時間になりました。

殆ど音楽は耳に入らなかったので、
お金も時間もただの無駄でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日なので診療所は休診です。

朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ナタリーデセイ.jpg
デセイ様が2年ぶりに来日し、
今回はピアニストのカサールさんと、
歌曲中心のリサイタルを行ないました。

サントリーホールと東京芸術劇場で1回ずつで、
勿論両方とも足を運びました。

デセイ様はフランスのコロラトゥーラソプラノで、
1990年代の前半に、
超高音で速射砲のような高密度の装飾歌唱を武器に、
たちまちのうちに世界の歌劇場を席巻しました。

しかし、あまり喉をいたわらない感じの歌唱で、
何度も喉を痛めて手術を繰り返し、
引退を危ぶまれたことも数知れずでしたが、
その度に奇跡的な復活を果たしました。
ただ、さすがにこの数年は、
声にも衰えが目立ち、
昨年の秋以降は、
オペラの舞台からは引退した状態が続いています。

好不調の波が大きく、
これまで日本にはリサイタルで今回を含めて3回、
オペラで1回、演奏会形式のオペラに1回の、
都合5回来日していますが、
2回目のリサイタルでの来日時は、
切なくなるくらい不調でした。

今回のリサイタルは、
これまでで最も調子が悪く、
特にサントリーホールでの公演は、
音の高低がなめらかに移行せずにつっかかってしまい、
声のエンスト状態になって、
何度もローギアで急発進するような状態が続き、
聴いていても辛くて困りました。

高音も蚊の鳴くような感じでしか出ないのですが、
それでも無理して振り絞ろうとするので、
聴いている方がハラハラしてしまいます。

高音が前に飛ばないのは、
風邪も引いていたようで、
その影響が大きいのかな、と思いましたが、
声がエンストするのは、
それだけではなく、
何度も手術を繰り返した喉の、
微妙なコントロールの問題のようにも思いました。

2回目のリサイタルの時も、
こうした状態はあったのですが、
今回のように完全に歌えなくなるような感じではなく、
より深刻な状態になっているように感じました。

1日おいた東京芸術劇場の公演では、
少し調子は戻っていて、
高音は回復の兆しが見られました。
ただ、声のエンストはあまり変わりはありませんでした。

プログラムはかなり意欲的なもので、
通常の歌曲のリサイタルとはかなり肌合いが異なります。

サントリーホールの公演の場合、
前半はドイツ歌曲(リート)で、
後半はフランス歌曲という構成で、
東京芸術劇場の公演では、
前半はほぼ同じリートの構成ですが、
後半にはラフマニノフの「ヴォーカリーズ」と、
「ラクメ」のラストの小アリアが加わります。

譜面台は一切使用しないで、
全身を使った感情表現を含めて、
オペラアリアのように歌曲を歌います。

作品もその構成に合ったものが選択されていて、
ラストは技巧的なドビュッシーで、
クライマックスに至るように巧みに配列されています。

ただ、勿論それはデセイ様の歌が、
一定のレベルに達していた場合の話で、
今回に関しては、
デセイ様の歌はエンスト続きの中古車の風情であったので、
ドビュッシーも頭を抱えるような感じになってしまいました。

せめてもう少し高音が伸びて、
なめらかに転調が出来るくらいの状態だったらなあ、
と思うのですが、
今後調子が戻るのかどうかは、
何とも言えません。

「ラクメ」の小アリアは、
2004年の最初の来日の時に、
2回目の公演のアンコールでのみ歌ったのですが、
それ以来10年ぶりの日本での披露になりました。

この「ラクメ」と「ヴォーカリーズ」は、
デセイ様の昔からのレパートリーということもあり、
他の歌とは音色が違っていて、
今回最も感銘を受けました。
「ヴォーカリーズ」は彼女を代表するリサイタルピースの1つですが、
日本では初披露になり、
キーは下げていたと思いますが、
若干のエンストを除いては、
歌い回しも冴えていたと思います。

歌曲はシュトラウスなども、
ドイツのシェーファーなどの歌唱とは、
また別個の肌触りがあって、
非常に面白く感じましたが、
いかんせん調子が悪過ぎて、
歌としては破綻していました。

今回は非常に残念でしたし、
またの来日があるかどうかも分かりませんが、
僕にとっては絶対の女神なので、
その藝術家としての生涯には、
ファンの1人として寄り添っては行きたいと思います。

非常に面白いリサイタルなので、
これで調子が良ければ感動は間違いがありません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

東京春 歌曲シリーズ マルリス・ペーターゼン [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行ったのですが、
途中で雨に降られて引き返しました。

2008年3月30日から、
このブログを始めたので丸6年になり、
今日から7年目に入ります。

いつもお読み頂きありがとうございます。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
マルリスペーターゼン.jpg
2005年に東京オペラの森として始まった、
東京春音楽祭が今年も行なわれ、
その一環としてドイツのソプラノ、
マルリス・ペーターゼンの歌曲(リート)のリサイタルが、
昨日行なわれました。

マルリス・ペーターゼンは、
コロラトゥーラ歌いとして世界的に活躍するソプラノで、
僕の絶対一位のデセイ様が調子を崩した時などは、
2000年代の初め頃には既に代役に立ったりしていました。

数年前にメトロポリタン歌劇場で、
トーマの「ハムレット」をデセイ様のオフィーリアで企画し、
結局デセイ様が降板した時も、
ペーターゼンが代わりに歌いました。

確か4~5年くらい前に、
一度来日して武蔵野でリサイタル、という話があり、
シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」のアリアなどが、
演目として予定されていました。
しかし、結局直前でキャンセルとなり、
来日はかないませんでした。

その後怒涛の活躍になりましたから、
本当に残念に思いました。

ただ、ドイツのソプラノ歌手のリサイタルは、
殆ど歌曲のみというのが定番で、
滅多にオペラアリアのリサイタルはありませんから、
本当に実現可能な企画であったのか、
疑問にも思います。

今回は待望の初来日で歌曲のリサイタルのみです。

本当はコロラトゥーラのアリアが聴きたいのですが、
ドイツの歌手はリートのみなので仕方がありません。

映像ではちょっといかつい印象のあったペーターゼンですが、
実際の彼女はなかなかチャーミングで、
背骨のガシッと入ったような硬質のシルエットは、
若い頃のマイヤーにも似た感じです。

歌唱は非常にドラマチックで、
人間心理と自然が感応するような歌ではなく、
女性の感情を多角的に捉えたような、
情感を主体にした物語的な楽曲を多く選んでいて、
リートとアリアの中間のような印象を持ちました。

声はちょっと膨らみに欠ける感じはあるのですが、
情感を声に載せるのは上手く、
高音の飛びも魅力です。

アンコールは3曲で、
シュトラウスとシューマンに、
ラストは「さくら」をテーマにした、
即興のコロラトゥーラを披露してくれました。

今度は是非オペラの舞台を期待したいのですが、
誰か呼んでくれないでしょうか。

小ホールの小さな会場なのに、
客席は6~7分くらいの入りで、
驚きましたし、
日本の声楽ファンの層の薄さにガッカリしました。
ペーターゼンが来日するのにどうして行かないの?

ただ、それなりの盛り上がりはあり、
彼女も後半は気持ち良さそうに歌っていたので、
少しほっとした気分にもなりました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

ディミトラ・テオドッシュウ ソプラノ・リサイタル [コロラトゥーラ]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

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テオドッシュウ リサイタル.jpg
ギリシャ出身のソプラノ、
ディミトラ・テオドッシュウのソプラノリサイタルが、
先日オペラシティコンサートホールで行なわれました。

テオドッシュウはもうベテランの域に入る、
本格派のベルカントソプラノで、
迫力のある高音に、情感のこもった弱音と、
コロラトゥーラも歌える確かな技術を持っています。

これまでにオペラでは何度も来日していて、
特に「アンナ・ボレーナ」や「ノルマ」のタイトルロールは、
繊細さと力押し、魅力的な超高音を兼ね備えた、
聴き応えのある熱演でした。

ビジュアルはかなりぽっちゃりなのですが、
一昔前のオペラ歌手を彷彿とさせる雰囲気で、
その愛らしい感じは悪くありません。

今回の久しぶりのリサイタルが、
どんな感じになるのか興味がありました。

これがビックリです。

普通オペラ歌手のリサイタルでは、
途中に休憩が1回入るので、
そこで1回衣装を替えるのがスタンダードで、
海外のオペラ歌手では、
一切衣装を替えない歌手の方がむしろ多いくらいです。

森麻季さんのリサイタルに以前行った時には、
休憩での衣装替えに加えて、
前半で1回、後半にも1回衣装を替え、
更にアンコールにも衣装を替えて、
トータルに5着の衣装を着替えて見せてくれたので驚きました。

今回のリサイタルでは、
テオドッシュウおばさんは、
前半で1回、休憩で1回、
後半には2回の衣装チェンジを行ないました。

更には後半からアンコールに掛けては3回も、
客席に降りて、
通路を一周して1回の最後列まで廻りながら、
曲を聴かせてくれました。

こんなソプラノのリサイタルは、
これまで一度も聴いたことはありませんでしたから、
大変驚きました。

彼女はおそらくとても乙女の心を持った人で、
奇麗な衣装を沢山着て歌いたかったのだと思いますし、
ファンのすぐそばで歌を謳いたかったのだと思います。
その心根の純な部分が強く感じられるので、
この衣装はちょっとどうなのかしら…
と言うような感想は持つのですが、
嫌な感じはありませんし、
むしろ清々しく思えるのです。

肝心の歌については、
そのビロードのような声質と豊かな声量、
弱音の美しさは健在で、
第一声を聴いただけで、
間違いなく本物と確認出来ます。

客席に降りても、
殆どの歌手では声が飛ばなくて歌としての密度は落ちるのですが、
殆ど舞台にいるのと同じように、
全ての方向に奇麗に声が飛び声が響くのには、
非常に感心しました。

ただ、3回も客席に降りるのは、
幾らなんでも多過ぎると感じましたし、
「私の名はミミ」は大好きなので、
舞台でじっくり歌って欲しかったな、
と感じました。

演目はヴェルディとプッチーニのアリアが主体で、
コロラトゥーラの技巧が登場するものはありませんでした。
以前の彼女はこれぞと言う時に、
前にしっかりと飛ぶ声の超高音が魅力でしたが、
今回は高音は基本的にファラセットで出していて、
超高音を出すパートはありませんでした。

その点はちょっと残念に思えましたが、
年齢的にも装飾歌唱と高音は、
もう厳しいのではないかと思いました。

その一方で豊かな声量と弱音の魅力は健在で、
自信のある音域に関しては、
演技を含めた表現力も非常に豊かです。

特にヴェルディのマクベス夫人のアリアの、
凄みを全開にした演技の迫力や、
プッチーニのアリアの振幅の大きさには、
非常な感銘を受けました。

正直アンコールでは声には疲れが見え、
サービスは嬉しいのですが、
最後に疲れた声を聴いてしまうと、
良かった印象が薄れてしまうので、
サービス精神の旺盛な歌手にありがちなことですが、
スタミナが不足していたり、声が疲れたようなら、
アンコールは端折ってもらった方が、
却って良いように思いました。

またオペラでも来日はして頂きたいのですが、
どちらかと言えばリサイタルの方が、
彼女の魅力を十全に味わえるような思いもありました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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