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「飲んではいけない薬」報道とその後の処方行動について [科学検証]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は水曜日で診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談などで都内を廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
スタチンの報道の影響.jpg
今年のBritish Medical Journal誌に掲載された、
スタチンという薬の安全性についての報道と、
その後の処方の変化について分析した論文です。

最近週刊誌に毎週のように、
「飲んではいけない薬」のような特集記事が載せられ、
大きな反響を呼んでいます。

内容はさほど新味のないものなのですが、
医療にはそれほどの経験のないライターの方が、
電話取材のコメントを繋ぎ合わせて、
かなり勢いで書きなぐったというような感じの記事で、
スタチンについては、
「心筋梗塞などのリスクの高くない人は、
飲むのは慎重に考えた方がいい」
というような比較的穏当な内容なのですが、
見出しは、
「コレステロール薬は無意味」であったり、
「使い続けると後遺症の出る生活習慣病薬」であったり、
「クレストールは筋肉がとける リピトールは床ずれに」
であったりと、
100%そうなるとしか思えないような過激なものになっているので、
読んだ人は自分がスタチンを飲んでいると、
これは絶対止めよう、
と思うのは自然なことなのです。

こうした記事が掲載されてから、
患者さんからも、不安なのでスタチンを飲むのを止めたい、
というような話が複数ありました。

以前はこうした時に、
腹を立てたり、ガッカリしたり、
患者さんに説明をしようと長い時間を掛けて、
結局理解が得られなかったり、
というような、
今思うと無駄に近い努力をしたのですが、
今は柳に風と、
あまり気に留めないようにしています。

所詮医者の力などその程度のもので、
週刊誌の過激な見出しには、
どう頑張っても勝つことは出来ないのですし、
勝とうと思うことは無意味以外の何物でもないのです。

ただ、そうした「週刊誌の呪い」も、
それほど長持ちのするものではないので、
呪いの解ける時期を待ち、
こちらは自分を信用してくれる人のために、
日々誠意を尽くすことしかないと心に決めています。

スタチンという薬が、
心筋梗塞を起こした患者さんの再発予防においては、
非常に高い有効性があり、
必須の薬剤であることを否定する人は、
医療関係者ではほぼいません。

ただ、これを一次予防、
つまりまだ心筋梗塞などの病気を起こしてはいない人に、
その発症の予防のために使用することの妥当性については、
まだ議論のあるところです。

基本的な考え方は、
スタチンは動脈硬化性疾患の予防薬なので、
心筋梗塞などの病気を、
今後起こすリスクの高いような人では、
その使用に意味があるのですが、
そのリスクの低い人が使用することは、
使用することの副作用の発症などと天秤に掛けると、
どちらが良いが難しいということになるのです。

スタチンは決して副作用や有害事象の少ない薬ではありません。
しかし、その効果は慢性疾患の治療薬としては、
かなり画期的なものなので、
将来の心筋梗塞や脳卒中のリスクが高い人が、
頻度の少ない副作用を恐れて使用を控える、
という態度はあまり科学的なこととは言えません。

ただ、ここでやや歯切れが悪くなるのは、
スタチンの一次予防としての使用の基準となる、
将来の心血管疾患のリスクの計算というものが、
必ずしもクリアなものではなく、
結構時代により変化したりすることがある、
ということです。

欧米では日本よりはしっかりとした、
スタチンの使用基準が定められている、
という点は進歩しているのですが、
それでもスタチンという薬に、
何かモヤモヤとした感じを抱く人が多いことは共通しているようです。

イギリスでは、
2013年のBritish Medical Journal誌に、
軽度から中等度のリスクの患者さんに対してのスタチンの使用は、
その副作用のデメリットを上回らない可能性がある、
という論文が掲載され、
それがデフォルメされた形で一般に報道されたので、
日本の週刊誌と同じような事態となりました。

スタチンを継続して飲んでいた患者さんが、
スタチンを使用することに不安を感じ、
その使用を中断する事例が多発したのです。

上記文献においては、
臨床のデータベースを活用して、
報道の後のスタチンの中止に動いた患者さんの動向と、
その特徴を解析しています。

それによると、
スタチンに対するネガティブな報道の影響で、
特に高齢者で長期間スタチンを継続している患者さんにおいて、
スタチンの使用の中止が増加しています。
その影響は半年程度持続してからほぼ元に戻っています。
その一方で新たにスタチンを開始するような患者さんの行動は、
報道によっての影響を受けてはいません。

こうした傾向はおそらく日本でも当て嵌るものだと思います。

高齢で長く同じ薬を飲まれている患者さんは、
その使用が本当に自分にメリットのあるものかどうかに、
不安を強く抱いているので、
その不利益についてのニュースなどに非常に敏感に反応するのです。
一方で高齢者の医療費が高すぎるとか、
薬が多すぎると言われているのですから尚更です。

スタチンは飲んでいてその効果が実感出来るような薬ではなく、
何か症状があったり体調の変化があれば、
それはむしろ副作用に関するものなのです。
そして、長期間の使用においては、
医者の方も惰性になりがちで、
患者さんへの丁寧な説明や継続の必要性について、
配慮を欠くという傾向があるように思います。

スタチンの適応については、
長期使用の患者さんにおいても、
ある程度定期的な再検証が必要なのではないかと思いますし、
そうしてスタチンのその時点でのメリットとデメリットを確認することが、
悪質な報道になどに対抗するための、
唯一の手段でもあるような気がします。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

ネット医学記事の「嘘」を考える [科学検証]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
昼には老人ホームの診療には出掛ける予定です。

それでは今日の話題です。

ネットには様々な医療情報が溢れています。
そのうちの何を信じて何を信じないかは、
非常に難しいところです。
僕もあまり他人のことは言えません。
僕なりの基準を持って、
正確な記事を心がけているつもりですが、
悪口を書かれることも一再ではありません。

ですから、
他の方の書かれたものの批判は、
極力しないようにしているのですが、
今回ネットであまりに酷い記載を見付けたので、
これだけは書かないといけないと思い、
禁を破ることにしました。

それが東洋経済オンラインに2015年11月26日付で書かれた、
次のような題名の記事です。
《サプリ過剰摂取は「死亡率」を引き上げていた》

某大学の名誉教授という肩書の方が、
書かれた記事なのですが、
内容は青魚の脂として有名な、
EPA(エイコサペンタエン酸)とDHA(ドコサヘキサエン酸)で、
その過剰摂取により、
「死亡率」が引き上げられていた、
というビックリするような内容です。
その部分のみ引用します。

「外国の医学専門誌に発表された論文によると、EPAを医薬品として大量に摂取すると、死亡率が少し高くなることもわかりました(参考文献:Lancet2007;369:1090-98.)。その薬を服用した人たち(平均年齢61歳)を平均して4.6年間ほど追跡したところ、なんらかの原因で死亡した人の割合が3.1%でしたが、年齢、生活習慣、検査値などが同じで薬を飲まなかった人たちの死亡率2.8%に比べ、高い傾向が認められたのです。この論文の中では、死亡原因についての分析はなされていませんでしたが、脳出血などの副作用がわずかながら増えていたと報告されており、死亡率を高めた要因の1つだったと考えられるようです。」

これを読んで皆さんはどのように思われますか?

もっともらしい文章で書かれているので、
「そうか、EPAで死亡率が上昇した、という論文があるのだな」
と思われた方がいらっしゃるかも知れません。

しかし、実際にはそんな論文はありません。
この作者の脳内妄想中にしか存在していないのです。

こちらをご覧下さい。
JELIS.jpg
これが上記の引用の中にあるLancet誌の論文です。
僕も自分の本の中でご紹介した、
非常に有名な知見です。
日本で行われたJELIS研究と呼ばれるもので、
その根幹の部分は、
EPA(商品名エパデール1日1800ミリグラム)を、
高コレステロール血症の患者さんに、
スタチンに上乗せで使用したところ、
心血管疾患のリスクが19%有意に低下した、
というものです。
総死亡には差はついていません。
つまり、予防効果があったという結果です。

それがどうして「死亡率」の増加、
という記載になっているかと言うと、
総死亡がコントロール群では265名(2.8%)であったところ、
EPA使用群では286名(3.1%)になっていた、
ということから導いているのです。
ただ、これは統計的には全く差はなく、
Hazard ratioは1.09でp valueは0.333、
95%CIは0.92から1.28です。
これでもし記事にあるように、
「高い傾向が認められた」ということになれば、
両群で全く比率が同一でなければ、
常に「どちらかが高い傾向」と言えることになってしまいます。

専門家と称する方が、
論文を引用しながら、
こうした素人に誤った印象を持たせるような書き方をしては、
絶対にいけません。
しかも、個別の表現はそれほどの間違いはなく、
その結論と与える印象が誤っている、という点が、
「分かっていて敢えてやっている」
と想定されて、かなり悪質な感じがするのです。

有意差はないけれど、
少し高い傾向があった、
というようなことは論文の解説で書くことはあります。
ただ、その論文のメインの知見をまず説明し、
それに付け加えるような形で記載するべきだと思います。
上記の文献は誰がどう読んでも、
心血管疾患がEPAによって一定レベル予防された、
という知見がメインであるのですから、
少なくとも最初にそれを説明する必要があるのです。
それをしないで、
「ほら、大して意味はないけど、こっちが少し数字が大きいよ」
ということだけを説明する、
というのは、ミスリード以外の何物でもないのです。

そもそもこの試験は、
コレステロール値が一定レベル以上高い患者さんを対象としていて、
それほど死亡のリスクの高い方が対象ではなく、
スタチンに上乗せしての効果を見ているので、
それほどの差が付くことは、想定されていないのです。
それでも相対リスクで心血管疾患に2割の差が付いているのは、
かなり画期的なことで、
総死亡に両群で差のないのは、
ある意味当然の結果であると言って良いと思います。

これでエパデールは非常に注目されたのですが、
残念ながらその後この論文に匹敵するような、
EPAの心血管疾患予防効果を示すデータはなく、
その後のメタ解析やシステマティックレビュー的な文献の多くでは、
EPAのこうした作用には懐疑的な結論になっています。
エパデールを推奨される先生の見解では、
他の多くの同様の試験では、
サプリメントのEPAを使用していて、
純度の高い製剤を使用すれば、
また結果は変わる筈だ、
というようなことになるのですが、
実際にはその後そうした精度の高い、
エパデールに関するデータは、
存在していないと思います。

従って、
EPA製剤には心血管疾患の予防効果のある可能性があり、
スタチンが使用出来ないような患者さんにおいて、
その使用は一定の意義があるけれど、
その積極的な使用を行なうほどの、
データの蓄積には乏しい、
というくらいが、
現状のコンセンサスではないかと思います。

そして、僕の知る限り、
生命予後の悪化を含め、
明確な有害事象を示す、
精度の高いデータはないと思います。

いずれにしても、
色々な不正確でヘンテコな科学解析記事を読みましたが、
まともな論文を引用しておいて、
ここまで強引で出鱈目な解説に結び付けたものを、
読んだことは初めてです。
同じ著者が一般向けの本を出されているのですが、
怖ろしくて中身を読む気にはなれません。

どうか賢明な皆さんはこのような奇怪な情報に、
惑わされないようにして頂きたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

7月6日ブログ記事の削除とその経緯について [科学検証]

こんにちは。
石原藤樹です。

朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今年の7月6日のブログ記事において、
「4価インフルエンザワクチンの問題点」
と題する内容を同日朝にアップしました。

今年の10月からインフルエンザワクチンが、
これまでの3価から4価に変更されるのですが、
それについての情報が、
まだあまりないように感じたためです。

内容については、
ワクチンの販売をしている製薬メーカーのMRの方に、
幾つか資料を見せて頂き、
ディスカッションをした上で構成しました。

ただ、文章のニュアンスは勿論文責のある僕に起因するものです。

取り立てて反応はないまま日々は経過し、
7月14日になって、
医療系サイトのm3.から、
記事の引用を依頼されました。
ワクチンの話題は色々と意見があるので、
大丈夫なのかしら、
とチラと不安は頭を過ったのですが、
比較的気軽にOKしてしまいました。

m3.に掲載されてから2日後の16日に、
担当の方からメールが入り、
ワクチンメーカーから訂正依頼が来ているので、
修正するのか取り下げるのかを至急決定して欲しい、
という内容でした。

誤りがあるのであれば、
修正するのはやぶさかではありません。
ただ、診療の合間にブログを書いていて、
その上今は新規開業の準備などもあるので、
すぐには無理と考え、
m3.さんにもご迷惑を掛けては申し訳ないと思いましたので、
その日のうちにブログ記事は削除し、
m3.の記事も取り下げてもらうようにお願いをしました。

修正依頼の内容は4点ほどありました。

1つはWHOの抗原量の基準値に関するもので、
μg/mLとμg/doseの違いに気が付かなかったミスです。
それに基づいて、
少し批判的なコメントを付けたことが、
良くありませんでした。

2つ目は4価ワクチンの臨床試験が1回のみと記載したのですが、
実際には2回ずつ行われた、というご指摘でした、
これは資料を見る限りでは1回しか確認が出来なかったのですが、
実際には2回ずつ施行されていたようです。

3つ目は小児の臨床試験のデータはない、
と記載したのですが、
実際には三重病院の菅先生によるデータが存在している、
というご指摘を頂きました。
その解説も後日見ることが出来ました。
これは元にした文書において、
「現時点でお示しできる情報はございません」
という記載がありましたので、
ないという判断をして書いたのですが、
「存在はしているけれども示すことは出来ない」
という意味であったようです。

4つ目は現行北里のワクチンのみが、
1歳未満の接種が承認されておらず、
それを「臨床試験を北里のみ施行していない」
と書いたのですが、
「施行していない」というのは正確ではなく、
実際には施行はされたけれども、
EMA規準を満たさず、
充分な有効性が確認されなかったので、
1歳未満の適応を取り下げた、
というのが正確な事情とのご指摘でした。

以上4点を再びMRの方とディスカッションの上修正し、
修正案を再びご提示したいと思います。

勿論文責は100%僕にあります。

では次の記事をご覧下さい。

天気痛と気象痛の謎 [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

先日患者さんから、
「私の症状は天気痛ではないでしょうか?」
と唐突に言われたのですが、
その方の症状は近所の騒音で頭が痛くなって眠れない、
というようなものだったので、
あまり関連はないように思ったのですが、
その実際は、
そう言えば雨の降る前に調子の悪くなる気がする、
ということのようでした。

更に続けて、
「天気痛には風邪薬が効くと言われたんだけど、
それが耳に効果のあるものでないといけないんだって。
先生知ってる?」
と言われたのですが、
そんな不思議な話は聞いたことがありません。

確かに抗ヒスタミン剤はめまいや一部の頭痛など疼痛にも、
有効性があるという報告はありますし、
そうした用途にも使われていますから、
そのこと自体はそう不思議でもないのですが、
最近新たにそんな発見があった、
というような話は初耳でした。

聞いてみると、
僕があまり好きではない、
「ためして何チャラ」と言う番組で、
最近そうした特集があったのだそうです。

登場した「名医」の先生は、
天気痛の研究を20年以上続けていて、
その末に辿り着いた結論が、
「風邪薬を使え!」だったのだそうです。

そんな面白おかしい話があるのでしょうか?

疑問に思ったので少し調べてみました。

まず当該の番組のサイトを見ると、
確かに1月21日にそのようなテーマが放映されています。

サイトにある文章によれば、
昔から「雨が降る前には古傷が痛む」
のような天気(この場合の意味合いは気圧)の変化によって、
頭痛や腰痛、関節痛などの痛みが、
悪化することのあることは広く知られていて、
そうした症状のある方は、
これから雨が降るかどうかも、
ピタリと当てたりも出来るのですが、
そうした現象が何故起こるのか、
という点については、
あまりはっきりしたことが分かっていない。
それが最近の研究によって、
内耳に原因のあることが明らかになり、
それは気圧の低下により、
内耳にある気圧センサーが興奮し、
それが脳を混乱させると、
交感神経が緊張して痛みが生じる、
というメカニズムなのだそうです。

そして、その症状を治すには、
内耳の神経を休める働きのある、
酔い止め薬(抗ヒスタミン剤)が有効だとも書かれています。

一読色々と疑問が湧いて来ます。

気圧の低下によって痛みが生じることは、
経験的な事実としては間違いがないと思いますが、
そのメカニズムを人間で解明することは、
そう簡単なことではないと思います。

サイトの記事には書かれていませんが、
それを見た患者さんの話では、
ある先生が登場して、
20年間の研究の結果その解明に成功した、
という趣旨のことが語られていたそうです。

その先生とは一体誰で、
その研究とはどのようなものなのでしょうか?

それはその先生独自の見解なのでしょうか?
それとも、教科書に載ったり、
一流の医学誌の解説記事や総説に載るような、
そうしたほぼ事実と認定されているような事項なのでしょうか?

そんな訳で少し調べてみました。

テレビに出演された先生のお名前は、
名古屋大学動物実験支援センター教授の、
佐藤純先生で間違いがなさそうです。

この長い肩書きの意味合いは、
大学の肩書きの仕組みをご存じの方なら、
推測される通りのことのように思います。

先生はこの天気痛と気象病のことについて、
ご自分のホームページに解説のブログ記事を載せられているので、
それを読むと一通りのことが分かりました。

それからメドラインで先生のお名前で文献を検索し、
それから天気痛と気象病の英文表記である、
Weather PainsとMeteoropathyで検索を掛けました。
日本語の文献は、
そうした文献のダウンロードサイトで検索を掛けました。

その結果、概ね次のようなことが分かりました。

佐藤先生は実際に気象病の研究を、
長くされて来た研究者であることに間違いはなく、
その分野で税金の研究費を使った研究もされています。

ただ、ご経歴は専ら生理学の基礎研究の分野で、
臨床は研究を含めて、
それほどされてはいないように思います。
愛知医科大学の学際的痛みセンターで、
「天気痛」外来を担当されている、ということですが、
これは多分に研究目的のもののように思われます。

従って、
先生の検証された内容は主にネズミの動物実験で、
少なくとも英文の臨床データは発表はされていないようです。

2014年にLocomotive Pain Frontierという、
聞き慣れない日本語の雑誌に載せられた解説記事では、
臨床データについて少し触れられていますが、
まとまったものではなく、
引用文献の記載もありません。
内容は専ら動物実験のものです。

それでは、
上記のテレビの記事で語られている事項の、
裏付けとなったデータを見てみましょう。

1999年と2003年にNeuroscience Lettresという雑誌に、
論文が掲載されていて、
内容的には神経障害や関節炎のモデル動物のネズミにおいて、
減圧環境により、
痛みへの反応性が増加した、
というものです。

次に矢張りネズミを使って、
低圧環境により交感神経からのノルアドレナリンが増加し、
低圧による疼痛の増強効果は、
交感神経の遮断により消失することが確認され、
このことから、
交感神経の過緊張が、
低圧環境における疼痛の増悪の、
原因であることが示唆されます。
これは同じNeuroscience Lettersに、
2001年に掲載されています。

そして、
これは2010年のEuropean Journal of Pain誌に、
発表された文献ですが、
これも慢性疼痛のモデル動物のネズミを用いて、
内耳を薬物で破壊すると、
この低圧環境による慢性疼痛の増強効果は、
減少することが確認されました。

つまり、
この一連の研究結果から、
内耳のセンサーによって、
低圧刺激が交感神経に伝わると、
その過剰興奮が起こり、
痛覚が過敏になることによって、
慢性疼痛の悪化に繋がるという、
天気痛のメカニズムが示唆されたのです。

ただ、これは敢くまでネズミの実験で、
その通りのことが人間で成り立つということは実証されていません。
実際佐藤先生のブログ解説を読むと、
人間の場合は個体差があり、
それほどクリアな結果は出ていない、
つまり明確な統計的な有意差は出ない、
という趣旨の記載があります。

人間でのデータは、
少なくともまとまった形では発表されていないようです。

天気痛の患者さんでは、
そうでない患者さんと比較して、
内耳刺激に対する反応が3倍強かった、
というような意味のことが、
番組のサイトには記載されていますが、
そのデータが一般に発表されたものなのかどうかは、
判断が出来ませんでした。

また、検索した範囲では、
このデータを補強するような、
別個のグループによる追試や、
同様の研究結果は、
あまり存在はしていないようです。

この天気痛のメカニズムの仮説は、
非常に興味深いものですが、
何故気圧が下がると交感神経が過緊張するのか、
という点については、
あまり明確な説明にはなっていないような気がします。

唯一テレビ番組のサイトの説明では、
気圧が低下すると、
内耳の気圧センサーが興奮し、
リンパ液が身体が傾いていないのに流れを感じるので、
その食い違いに脳が混乱して、
そのストレスが交感神経を緊張させるのだ、
という他にはあまり書かれていないことが書かれています。

このちょっと不思議な記載の根拠が、
どの辺りにあるのかは、
よく分かりませんでした。

少なくとも「脳が混乱してストレスになり交感神経を興奮させてしまう」
というようなやや非科学的な記載は、
佐藤先生自身の書かれたものには、
ないように思います。

テレビ番組の後半においては、
この天気痛の治療として、
内耳の神経を鎮静させる作用のある、
トラベルミンなどの酔い止めが、
有効であることが紹介されています。

迷路反応抑制効果がこうした抗ヒスタミン剤にあることは、
以前から知られている知見で、
そのためにめまい止めとして、
こうした薬は使用されています。

上記のネズミによるメカニズムが事実とすると、
気圧低下時のセンサーである内耳を、
鎮静させる抗ヒスタミン剤が、
一定の効果のあることは想定されるところです。

ただ、個別の事例で効果のあった、
というようなことはあるのかも知れませんが、
こうした治療がまとまった形で報告された、
ということは、
僕の調べた範囲では見当たりませんでした。

佐藤先生の研究自体は興味深いものだと思います。

ただ、それを取り上げた当該の番組の姿勢には、
大きな問題があるように思います。

まず、天気痛のメカニズムが、
あたかも全て解明されたもののように説明がされています。

しかし、実際にはそうではありません。

こうした研究は佐藤先生以外の手によっては、
殆ど行われていないので、
まだ仮説の域を出ないものだと思いますし、
その多くはネズミの実験で、
人間の臨床データは、
まとまったものは殆ど存在していません。

1つの仮説として紹介するのであれば良いと思いますが、
この番組のような、
「素人に専門家が事実を教える」
と思えるような演出で、
取り上げるべき内容ではないと思います。

もう1つ問題と思うのは、
「酔い止めの薬が天気痛に効く」
という表現で、
市販の薬を使うのだから良いだろう、
という趣旨なのだと思いますが、
敢くまで適応のある医薬品であることは間違いがなく、
適応外の使用について、
それがどのような根拠があるのかも不明のままに、
推奨するような映像表現は、
不適切なもののように思います。

当該の番組は非常に影響力が大きく、
放映の翌日には必ず複数の患者さんから、
その点についてのご質問を受けます。

多くの方が、
偉い先生が出演されているのだから、
その内容は事実である、
という理解で番組を見て、
その影響を受けています。

それは、自分が天気痛だと自己判断された多くの方が、
仮に抗ヒスタミン剤が禁忌のご病気をお持ちでも、
平気で酔い止めを飲むことに結び付く、
ということを意味しています。

僕が番組の制作者の方に是非言いたいことは、
その影響力の大きさを、
本当の意味で皆さんは理解しているのだろうか、
理解されているのであれば、
たとえ番組のインパクトは少し減じることがあっても、
もう少し検証された事実のみを伝え、
仮説は仮説として、
もっと紹介の仕方を工夫するべきではないか、
ということです。

以上の内容は、
僕の調べられる範囲で正確を期したつもりですが、
ひょっとしたら不勉強による誤りがあるかも知れません。
お気付きになられましたら、
「優しく」ご指摘頂ければ幸いです。

また、佐藤先生始め、
天気痛の研究に携わっておられる研究者の方を、
揶揄するような気持ちはサラサラなく、
僕が今日こうした記事を書いたのは、
こうした研究の真価を、
一般の方に本当の意味で理解して頂くためにも、
当該の番組のような、
「唯一の真実」のような伝え方は、
却って誤解を招くもののように思ったからだということを、
是非ご理解の上お読み頂ければと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

デキストロメトルファン(メジコン)の多様な作用について [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
メジコンの気管支拡張作用.jpg
今年のPLOS ONE誌に掲載された、
本邦では咳止めとして使用されている、
デキストロメトルファンという古い薬の、
新しい気管支拡張作用のメカニズムについての論文です。

デキストロメトルファン(商品名メジコンなど)は、
咳中枢に作用するタイプの咳止めで、
風邪に伴う咳症状に対して、
一般の臨床で頻用される薬です。

1958年には既にアメリカで承認されていますから、
非常に古い薬です。

一方で、このデキストロメトルファンは、
CYP2D6という酵素により代謝され、
デキストロルファンになるのですが、
この代謝産物が、
NMDAと呼ばれるアスパラギン酸の受容体の拮抗薬として作用する、
ということが比較的最近明らかになりました。
この作用のため、
デキストロメトルファンを使用することにより、
神経伝達物質のグルタミン酸の遊離が促進されます。

NMDA受容体の拮抗薬には、
他に麻酔薬の一種のケタミンや、
インフルエンザとパーキンソン病に使用されるアマンタジン、
認知症の治療薬のメマンチン(メマリー)などがあります。

これらの薬剤には、
いずれも通常のオピオイドとは異なるメカニズムによる、
中枢性の鎮静鎮痛作用があり、
更には脳の伝達物質の作用を、
部分的に増強するような働きもあります。

ケタミンのケースでは、
これが幾つかのシナプス内の物質を短時間で活性化させ、
そのことにより、
シナプスはその機能を回復させ、
うつ病の症状を短期間で改善した、
というデータも存在しています。

現状このデキストロメトルファンの脳機能改善作用が、
臨床に応用されているのは、
神経疾患や脳損傷などによる神経障害の一種である、
仮性球情動(Pseudobulbar affect)の治療で、
日本では保険適応はありませんが、
アメリカでは2010年にそのための製剤が認可されています。

仮性球情動というのは、
笑いや泣き叫びなどの感情表出が、
コントロール出来ずに生じる、という状態で、
これまで有効な治療が存在しなかったのですが、
デキストロメトルファンの有効性が確認され、
認可に至ったのです。

ただ、アメリカで認可された製剤は、
デキストロメトルファン単独ではなく、
この薬剤20ミリグラムとキニジン10ミリグラムの合剤です。
キニジンが添加されているのは、
代謝酵素CYP2D6がキニジンにより阻害されるので、
デキストロメトルファンの作用が、
より持続することを期待したためです。

この薬は日本では発売はされていません。

別箇にその有用性が報告されているものとしては、
神経障害性疼痛(帯状疱疹後の神経痛など)の、
痛みの緩和であったり、
バルプロ酸との併用で、
双極性障害の症状の安定化であったり、
モルヒネの耐性に拮抗する作用があることから、
その離脱症状の緩和などが報告されています。
使用は単独で行なわれることもあり、
前述のようにキニジンとの合剤もあり、
また同様のメカニズムを持つメマンチンとの併用なども、
試みられています。

どちらかと言えば、
単独での使用よりも、
付加的に使用して、
相乗効果を期待した報告が多いようです。

上記の文献は以上とはまた別箇の作用によるものです。

実はデキストロメトルファンには、
舌の苦味の受容体を刺激するような作用があり、
苦味受容体と相同の受容体が、
気管支平滑筋に存在していて、
刺激によりその拡張に働きます。
更には抗酸化作用も持っています。

この苦味受容体に結合する薬物を複数試験したところ、
最もその刺激作用が強いのが、
デキストロメトルファンであることが、
動物及び人間の培養細胞を用いた実験で、
確認をされたと記載されています。

つまり、慢性気管支炎や喘息において、
咳症状の緩和のために、
デキストロメトルファンが使用されることがあり、
通常はこれはあまり病態にとって、
良い処方ではないとされていますが、
意外に病態を改善するような効果も、
期待出来る可能性があるのです。

ここまでは良いこと尽くめのようなデキストロメトルファンですが、
勿論注意すべき点もあります。

その第一はこの薬がCYP2D6で代謝され、
パロキセチン(パキシル)のように、
抗うつ剤の系統には、
この酵素の阻害作用のあるものが多いので、
併用によりセロトニンが急上昇し、
セロトニン症候群のような症状を呈する可能性があることです。
実際にそうした事例も複数報告されています。

前述のキニジンとの併用のように、
わざわざそれを期待したような使用もあるのですが、
基本的に抗うつ剤などの併用には、
充分な注意が必要です。

また、鎮静作用のあることから、
この薬への依存も、
市販薬などでの報告があり、
漫然とした長期使用には注意が必要です。

いずれにしても、
大変興味深い作用の薬であることは間違いがなく、
今後も研究の蓄積と、
有用な活用の指針の作成を、
期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





たけしの家庭の医学にある情報とその根拠を考える(マイオカイン編) [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

「たけしの家庭の医学」という番組があり、
5月20日の放送で、
筋肉から出るホルモンの話が取り上げられていました。

アウトラインはこんな感じです。

消化器内科の先生が登場して、
肝臓に脂肪が溜まる脂肪肝では、
糖尿病を合併していることが多く、
そうした人では痩せていても糖尿病になることがある、
というような話をします。

そこから実は筋肉から出る脂肪を分解するホルモンがあって、
そのホルモンの出が良い人は、
肝臓の脂肪が分解されるので、
脂肪肝や糖尿病にはならないけれど、
その筋肉由来のホルモンの出が悪い人は、
脂肪が分解されずに血糖も上昇するので、
痩せていても糖尿病になってしまう、
と言うのです。

この筋肉から出る「若返り」のホルモンを、
マイオカインと呼んでいて、
これは20種類以上のホルモンの総称だ、
と言う話になります。

実はこのマイオカインを沢山出すためには、
運動することが一番有効で、
そのための運動の方法を、
今度は同じ大学の整形外科の先生がレクチャーします。

あるタレントは運動の前後で測定したマイオカインの数値が、
運動後に上昇しなかったのですが、
先生の指導による運動をしたところ、
マイオカインの数値が上昇した、
と説明されました。

まあこのような感じの内容です。

僕は実際の放映は見ていませんが、
アウトラインを読んで幾つか不思議に感じました。

マイオカイン(myokine)というのは、
筋肉から分泌されて、
他の臓器に働く物質の総称です。
意味合いは要するに筋肉から出る物質、
というだけのことです。
ホルモン産生臓器というのは、
膵臓や下垂体など、
特定のものだけと長く考えられて来たのですが、
実は脂肪細胞や筋肉も、
多くのホルモンと言って良い物質を、
刺激により分泌していることが、
近年明らかになったのです。

その中には炎症性サイトカインでもある、
IL6(インターロイキン6)なども含まれていて、
最もその中での注目株は、
アイリシン(イリシン irisin)という物質です。

IL6は炎症性のサイトカインですから、
脂肪はどちらかと言えば分解に働きますが、
基本的には別に血糖を下げる作用もなく、
むしろインスリン抵抗性は高めます。
一部で代謝に良い影響を与えるという報告もありますが、
アイリシンの発見後はあまり重要視はされていません。
研究によって結構相反する結果が見られているのです。
その一方でアイリシンは、
脂肪を溜め込む白色脂肪細胞を、
熱産生細胞で脂肪をエネルギーに変え易い、
褐色脂肪細胞様に、
変化させる作用があると考えられています。

このアイリシンを発見してその名前を付けたのが、
以下の文献の著者です。
筋肉からのイリシンと脂肪の関連論文.jpg
2012年1月のNature詩に掲載された、
世界的に注目を集めた論文がこれです。

この内容については、
過去に記事にしています。
http://blog.so-net.ne.jp/rokushin/2012-05-09
2012年の5月の記事で、
この頃にこの話題がピークで盛り上がったのです。
でも、僕の記事に対しては、
殆ど反応はありませんでした。

アイリシンはマイオカインの1つです。

ただ、番組では20数種類のマイオカインがある、
と説明されていましたが、
運動すなわち筋肉の収縮によって、
その分泌が刺激されるのはそのうちのごく僅かで、
しかも、脂肪細胞と明確な関連があり、
糖尿病などの抑止効果があるのでは、
という報告があるのは、
アイリシンなど数種類に過ぎません。

番組での「若返りホルモン」というような主張は、
主にこのアイリシンのことを指していると思われますが、
わざわざそれを明瞭には示していません。
(ただ、番組に出て来た先生の、
認知症や骨粗鬆症に効く、と言うような話は、
古いIL6の知見を意識したようにも思えます。)

タレントのマイオカイン濃度を測定したという部分がありますが、
それは一体何を測っているのでしょうか?

マイオカインというのは様々な物質の総称ですから、
それに特定の濃度が存在する筈はありません。

従って、アイリシンの濃度を測っているのか、
それともアイリシンが発見される前は、
マイオカインの代表として測定されることの多かった、
IL6を測っているのかも知れません。

数値的には2.5pgとかと書かれていて、
それほどの上昇が運動後も見られていないので、
これはおそらくアイリシンではなく、
IL6を測っているだけのように思います。
通常アイリシンの測定はng/mLオーダーになるからです。

こう考えてみると、
何故アイリシンというホルモンが発見され注目されているにも関わらず、
敢えてそれには触れず、
マイオカインという1990年代から使われている、
漠然として言い方をしているのかの裏が透けて見えて来ます。

それは実際にはアイリシンを測定していないからなのです。

運動前後のIL6の濃度を測って、
それで身体の若返り云々を議論するとは、
臍が茶を沸かすような酷い話ですが、
こうした番組を制作する方には、
馬鹿を騙すにはこの程度でいいだろう、
というくらいの認識しかないのかも知れません。

そもそもこの番組におけるマイオカインと言う言葉は、
非常に取って付けたような響きがあります。

それで、登場する某九州地方の大学の先生の業績を見てみると、
最初の消化器内科の先生は、
脂肪肝の栄養療法などがご専門で、
PubMedなどで検索しても、
日本の文献や学会報告を検索しても、
マイオカインのマの字も出て来ません。

次に登場する整形外科の先生は、
ハイブリッドエクササイズなどと称される、
オリジナルの運動療法や、電気刺激による筋肉の維持向上、
などがご専門のようで、
これまた文献検索をしても、
マイオカインやアイリシンとはあまり関係はなさそうです。

推測するに、
製作サイドでマイオカインを「若返りホルモン」として、
扇情的に紹介したい、
と言う意図があり、
協力してくれそうな目立ちたがりの「専門家」を探したものの、
あまり良いターゲットが見付からなかったので、
2人のあまり関連のない専門家を、
強引にマイオカインに結び付けて、
こうした番組をでっち上げたのではないでしょうか?

運動により筋肉から分泌される物質が、
肝臓や脂肪細胞に影響して、
身体の代謝のバランスを取るような仕組みが、
存在することは確かです。

しかし、個々の物質の役割には、
まだ不明の点が多く、
単純に1つの物質が「若返りホルモン」で、
上手く運動すればその効果で糖尿病にもならないで済む、
というような面白話が証明されている訳ではありません。

こういうものがあたかも事実であるかのように拡散され、
無批判にネットなどで引用され拡大されてゆくのは、
甚だしく有害なことのように、
僕には思えます。

そもそもの本丸であるアイリシンについても、
まだその「善玉ホルモン」としての作用には、
疑義が呈せられています。

こちらをご覧下さい。
イリシンについての懐疑レビュー.jpg
今年のJournal of Endocrinology誌のレビューですが、
これまでのアイリシンについての文献をまとめ、
その内容を批判的に検証したものです。

最初のNature誌の論文では、
ネズミに運動をさせることにより、
著明にアイリシンは上昇し、
白色細胞が褐色細胞様の変化を示し、
アイリシンを注射することにより、
肥満のネズミは正常に戻っています。
人間においても同様の結論が示唆されています。

しかし、その後の多くの追試においては、
あまり明瞭な結果が確認されていません。
アイリシンの運動による上昇幅も、
最初の論文よりずっと少ないものに留まっていますし、
何より白色細胞の褐色細胞様変化という、
根幹の部分が明瞭に証明されません。
そうした変化があるとしても、
人間においてはどうやら極一部の脂肪細胞のみに、
起こる変化なのではないか、
というような推論が現状の考えのようです。

アイリシン測定用のキットは既に複数販売されているので、
それをジャンジャン測って病気と結び付けるような論文が、
これも山のように発表されていますが、
上記レビューによれば、
そもそもアイリシンと称して測られている物質が、
均質のものであるという根拠が乏しく、
その数値もキット毎に安定していないので、
現状でのデータの信頼性は低いと記載されています。

Natureの論文は、
オボカタ的と断定するのは失礼ですが、
割烹着程度のお化粧は、
施されていた可能性が濃厚なのです。
「若返りホルモン」というような話は、
夢物語に終わりそうです。

マイオカインは非常に魅力的ですが、
まだそのうちのどの物質が、
どのような影響を身体に及ぼしているのかの研究は、
道半ばなのであり、
現時点で一部の知見を針小棒大に取り上げ、
多くの一般の方に刷り込むような番組作りは、
大概にして頂きたいなと思いますし、
仮にも最高学府の教授様は、
もう少し慎重に出演される番組は選んで頂きたいな、
と思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

いつもの追伸です。
5月15日よりブログ内容を元にした書籍が発売中です。
「たけしの家庭の医学」の記事や本を読んで、
なるほどためになるな、と思われた方は、
是非ちょこっと読み比べて頂ければと思います。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
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  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





人間ドック学会の唐突な発表とその波紋について [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から書類など書いて、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

先日概ね次のような内容の報道が、
新聞テレビなどで一斉になされ、
特に高血圧や高脂血症で治療中の患者さんに、
大きな影響を与えました。

【健康診断に新基準を提言、正常値「緩めるべき」と専門家委員会】
人間ドックの検査で「健康」とされる基準について、人間ドック学会などが作る専門家委員会は4月4日、現在の基準で正常とされている数値の範囲を、大幅に緩めるべきだとする調査結果を発表した。
従来は130未満を「異常なし」としていた収縮期血圧は、147でも健康だった。肥満度をみる体格指数「BMI]も、男性で「18.5~27.7」、女性は「16.8~26.1」の範囲におさまれば健康だった。現行は25以上は肥満とされている。
コレステロール値については性別、女性は年齢によって健康な人の幅ば大きく変わるとして、それぞれに分けることにした。現行の基準では特に閉経後の女性は高脂血症と診断されやすくなっていた。

この記事を読んだ多くの方が、
日本の血圧やコレステロールの基準値が、
大幅に改定されたと理解されました。

「専門家委員会」が発表した、という言い回しですから、
そう理解しても不思議ではありません。

しかし、高血圧には日本高血圧学会がガイドラインを策定していて、
その2014年版もつい最近出たばかりです。
それで血圧の基準値が引き上げられたという話も聞きませんし、
実際そんなことはありません。
上が130で下が85という血圧の数値も、
そもそも欧米のガイドラインに準拠したものです。
更には厚労省はメタボ検診を行なっていて、
そこで使用されているのも上が130、下が85という基準値で、
悪名高い検診ではありますが、
それが今のところ改定された、
という話もありません。

上記の記事を鵜呑みにすると、
「人間ドック学会などが作る専門家委員会」が、
それとは別箇の基準を発表し、
それが確定したかのような印象です。

しかし、人間ドック学会というのは、
厚労省よりも日本高血圧学会よりも、
高血圧の基準値の設定において、
影響力があり権威のある組織なのでしょうか?

そもそも「人間ドック学会などが作る専門家委員会」とは、
どのような専門家の集団なのでしょうか?

考えれば考えるほど謎は深まるばかりです。

人間ドック学会というのは、
あくまで人間ドックや健診の関係者主体の、
それほどメジャーとは言えない学会です。
(関係者の方失礼をお許し下さい)

その学会が独自に血圧の基準値やコレステロールの基準値を、
設定するようなことが出来るのでしょうか?

勿論それは禁止されている訳ではないので、
いけないということはないのです。

ただ、たとえば血圧の基準値ということになると、
それをどのように設定するべきか、
というのは非常に厄介です。

病気のない全く健康と見える方を抽出して、
そうした方の血圧の数値の平均とばらつきとを割り出せば、
それは1つの指標とはなります。

しかし、日本の高血圧学会や、
海外の循環器や高血圧関連の学会が決めている基準値というのは、
敢くまで将来的な心筋梗塞や脳卒中を予防するために、
その値以下であることが望ましい、
という趣旨の数値です。

これはそれぞれの血圧の人を、
時系列で観察しないと分からない事項です。

現状の高血圧ガイドラインでは、
収縮期が120未満、拡張期が80未満を、
「至適血圧」として規定していますが、
これは健康な日本人の正常値がこれである、
という意味ではなく、
この数値を目標とすることで、
将来的な病気の患者さんを減らすことが出来る、
という意味合いでの目標値なのです。

厚労省はメタボの検診基準の作成において、
収縮期が130未満で拡張期が85未満という血圧を、
メタボ判定の1つの基準としていますが、
これは日本のガイドラインでは「正常高値血圧」という括りになり、
欧米のガイドラインにおける目標血圧をほぼ示しています。

これもですから、
全ての病気のない人の血圧が、
この基準を満たしている、
というような数値ではありません。

昔のWHOの基準値であった、
収縮期が140以上で拡張期が90以上というのは、
概ねそれを超えれば「高血圧」という病気である、
という意味でした。

ある線を引いて、
病気と病気でない人とを2つに分ける、
という考え方です。

しかし、高血圧や糖尿病、脂質異常症などの診断基準においては、
今はそういう考えは取っていないのです。

ある線より上が急に「病気」になり、
治療が必要となる、ということではなく、
かなり幅広く「病気ではないけれど高め」
という範囲を取り、そこに位置する人に対して、
適切な介入をすることによって、
将来的に「病気」になる人を減らそう、
という考え方が重視されているのです。

そこを理解していないと、
基準値というものの捉え方が人によってまちまちになる、
という危険が生じてしまいます。

現行使用されている人間ドックや健診の基準値は、
実際には規定されたものがある訳ではありませんが、
人間ドック学会では収縮期130未満拡張期85未満を取っていました。
これを超えるとB判定(わずかな異常)になり、
以前の高血圧の基準であった収縮期140、拡張期90を超えると、
C判定(要経過観察)という扱いになります。

この基準は基本的にはメタボ検診に合わせている訳です。
そして、140と90のラインは、
ガイドライン上の病気としての「軽度高血圧」を示しています。

ですから、
現行この基準値を用いている、というのは、
厚労省のメタボ検診や日本高血圧学会のガイドラインに準拠している、
という意味で、
誤りとは言えない訳です。

それを今回人間ドック学会は、
上が147で下が88に改訂すると言うのです。
この意味合いはこの数値以下の血圧は、
人間ドックにおいてはA判定(異常なし」にする、
という意味です。

極めて大幅で大胆な改定です。

そこにはどのような根拠があり、
唐突にこのような報道が一斉に行われた背景には、
一体何があるのでしょうか?

僕の調べた範囲での事実関係はこうです。

人間ドックというのは日本独特のシステムで、
毎年全身の検査を行なって、
それが本当に健康増進や将来の病気の予防に結び付くのか、
というような点に関して、
明確な有効性のデータは存在していません。

その一方で、
毎年人間ドックをやっていたのに、
その1か月後に手遅れの癌が見付かった、
というような事例があり、
人間ドックの有効性に疑問を投げ掛ける声があります。

従って、
人間ドック学会としては、
人間ドックの有効性を自ら証明する必要があるのです。

学会の内部文書によれば、
人間ドックの公的な有効性を示せ、
という行政の要請があり、
それへの対応の一環として、
健康保険組合連合会との合同で、
人間ドック受診者150万人を対象とした、
疫学研究が始められた、
というのが今回の発端です。

これはまず膨大な受診者のデータから、
一定の基準を設けて「健常者」を割り出し、
新たな基準値を設定。
それに合わせて時系列で経過を観察し、
最終的には人間ドックの受診により、
病気の予防などの有効性を検証し確認する、
という流れになっています。

これを「日本人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディ」
と命名しています。

上記の記事に「専門家委員会」という表現がありますが、
これは要するに人間ドック学会と健保連の委員会、
という意味です。
それ以上でも以下でもないのです。

何故健保連と人間ドック学会が組んでこのような研究をするのだろう、
という点は少し引っ掛かります。
何の思惑もなく健保連がこんなことに協力することはない筈で、
何かの企みがあるのでしょうが、
それはちょっと読めません。
まあ、健常者を増やして、
薬物治療をするような患者さんを減らし、
医療費を削減しよう、
ということなのかも知れません。
(でも、そんな健全なことだけではなさそうですね)

研究はまず、
150万人の平成25年の単年度のデータから、
病気での薬の使用や喫煙などのない人を、
健康人として選び、
その約1万から1万5千人のデータから、
健常人の基準値と思われるものを設定しています。

ただ、元の健康人の条件には、
血圧が130/85未満でBMIが25未満というのが含まれていて、
血圧とBMIの基準値のみはその条件を外して解析しています。

これは統計的には問題はないのかも知れませんが、
元々の健康人の条件というものが、
喫煙なし、飲酒1日1合未満、程度のものなので、
かなり意図的に健常人を設定しているように僕には思えます。

結果としてこの単年の結果を絞り込んで解析すると、
血圧は上が147、下は94までは健常人の絞り込みに合致し、
BMIについては、
女性では16.8から26.1、
男性では18.5から27.7までが基準値として設定された、
ということになっています。

これは勿論単年の解析で、
そのまま意味を持つものではないのです。

内部文書によれば複数年の解析を行なって、
同様の傾向が常に見られるかを解析した上で、
5年間程度の経過観察を行ない、
この「健常人」の設定の範囲にある人が、
その後「健康」であったかどうかを解析する訳です。

5年というのはこうした解析では短すぎると思いますが、
その間にこれまでの基準値を用いた場合と比較して、
新しい基準値を用いた方が、
対象者の予後に関連性が深いかどうか、
と言う点が、
一番のポイントとなるのです。

今回のデータは従って、
まだ単年の解析の段階であって、
「仮の正常値」を設定する、
という作業になるのです。

その「仮の正常値」が、
本当に人間ドックの正常値として適切であるかどうかは、
今後の検証を待たなければならない事項です。

更にはお分かりのように、
これは敢くまで「人間ドックの正常値」の話なのです。

人間ドックという特殊な健診を施行するに当たって、
どのような基準値を設定するのが、
本当の意味で受診される対象者の方の健康に寄与するのか、
と言う点を目的とした調査なのです。

そもそも本当の意味での健常者の数値を、
設定しようと考えるなら、
人間ドックの対象者のデータを用いることは、
適切なこととは言えないのです。

人間ドックを受ける人は、
健保組合の補助などで、
それなりに守られた立場にある人で、
そうでなければ金銭的な余裕があり、
また健康に対して高い意識を持っている人です。
更には年齢毎の解析が行なわれていますが、
年齢層は敢くまで現役世代が中心で、
リタイアされた後に人間ドックを受ける、
と言う方は極少数だと思います。

そうなると、
今回のデータでは、
比較的高齢層も選択されていますが、
年齢毎にかなりのバイアスのあることは、
想定しなければなりません。

しかし、そんなことはこの研究をされた方々には、
当然分かっていることなのです。

これは敢くまで人間ドックの受診者では、
どのような基準値を設定するのが最も合理的か、
という目的のための研究であって、
それがそのまま一般の方の正常値になる、
というものではないからです。

ただ、一般論から考えて、
通常の予防や治療のための基準値と、
人間ドックの判定のための基準値が、
大きく違っていれば一般の方には混乱の元で、
良いことが1つもありませんから、
その点は診療の携わる学会や専門家、
行政の担当者も加わっても検討や摺合せが必要になるのです。

今回報道された内容は、
従って人間ドック学会の内部の調査の、
中間報告に過ぎないものです。

それがあたかも専門家が協議した上での決定事項のように、
報道された点に大きな問題があるのです。

こんなことがなされて良い筈がありません。

僕が経緯を調べた限り、
最も責任が大きいのは人間ドック学会と健保連です。

彼らは、まだただの中間報告であり、
叩き台のデータに過ぎないものを、
内部文書によれば、
人間ドック学会の学会員にも報告する前に、
厚労省と報道機関に向けてのみ、
同時に公表しているのです。

その意図は間違いなく、
この数値が決定事項のように報道されることを狙ったものです。

ただ、発表された4月4日の3日後の4月7日に、
人間ドック学会と健保連の連名で、
学会員宛てに文書が配布され、
それには弁解めいた記載と共に、

「現在のデータは単年の結果であり、今後数年間データを追跡して結論を出していくことになります。従いまして今すぐ学会判定基準を変更するものではなく、厚生労働省には特定健診の保健指導基準が性別、年齢別によって数値が違うものがあるという事実をご報告した段階であることをご理解いただきたいと考えております。」(下線は原文の通り)

という記載があります。
つまり、文面から推し量る限り、
厚労省との摺り合わせも、
全くないままに今回の報道機関への発表が、
行なわれたのだと思われます。

次に責任が大きいのは、
厚労省や関連学会への確認をすることもなく、
決定事項のように大々的に記事にした報道機関だと思いますが、
これはいつものことなので、
怒るだけ無駄なのだと思います。

いずれにしても、
この問題については、
末端の臨床医の立場としても、
毎日患者さんから説明を求められ、
「数値が変わったんだからもう治療は必要ない」
と独断で治療を中断される方も複数いらっしゃるので、
その影響は非常に大きく、
対応に苦慮していることを、
それだけは声を大にして訴えたいと思います。

人間ドック学会と健保連の見識と倫理観を強く疑い、
心の底からの憤りを感じます。

この混乱の責任を取って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

チェルノブイリ原発事故後甲状腺癌の長期予後について [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
チェルノブイリ後25年の甲状腺癌の予後.jpg
今年の4月のJ Clin Endocrin Metab誌に掲載された、
チェルノブイリ原発事故後の小児甲状腺癌の、
長期予後についての文献です。

ドイツとベラルーシの研究者による論文で、
主にベラルーシで甲状腺の手術を受け、
その後ドイツで放射性ヨードによるアブレーションの治療を受けた、
トータル234名の患者さんが対象となっています。

1986年のチェルノブイリの原発事故後に、
事故当時お子さんであった年齢の方に、
放射性ヨードが原因と思われる、
分化型甲状腺癌の増加が起こりました。

その殆どは甲状腺乳頭癌というタイプのもので、
それ以外に少数の濾胞癌が含まれています。

原発事故後約5年からその増加は始まり、
チェルノブイリ周辺地域において、
1991年から2005年の間に、
5127例の14歳以下の甲状腺癌が診断されました。

1995年までの統計で、
周辺地域の10歳以下発症の分化型甲状腺癌は、
年間人口100万人当たり40人の頻度となり、
これはアメリカの同種の統計の8から40倍に達しました。

今回対象となっているのは、
ベラルーシで診断された小児及び思春期の甲状腺癌で、
放射線誘発癌の可能性が高く、
診断の時点で周辺の組織への侵潤があったり、
リンパ節や他の臓器への転移のあった、
進行癌の事例です。
こうした進行した甲状腺癌の標準的な治療は、
甲状腺を全て切除し、
その後に大量の放射性ヨードを投与して、
全身の甲状腺由来の組織を、
根こそぎ死滅させる、
放射性ヨードのアブレーションという手技を行なうことです。

日本の場合、
局所の浸潤や周辺のリンパ腺の転移に留まるものは、
放射性ヨードのアブレーションは、
行なわないことが多いのですが、
欧米ではアブレーションをセットで行なうのが、
現行のスタンダードです。

この標準治療を受けた小児及び思春期甲状腺癌の患者さん、
トータル234名の予後を、
今回の文献では平均で11.3年の経過観察を行なっています。

チェルノブイリ事故時の年齢は平均で1.6歳、
最も年長で10.9歳で、
手術時の年齢は平均で12.4歳です。
組織は甲状腺乳頭癌が99.1%で、
残りの2例のみが濾胞癌です。

その結果…

234名中229名の患者さんの追跡を行ない、
64.2%に当たる147名は完全寛解となっています。
これは観察期間において、
再発はなく甲状腺組織の残存が、
検査上認められていないケースです。
具体的にはヨードシンチでヨードの取り込みがなく、
TSHで刺激して測定したサイログロブリンの数値が、
感度以下のものです。
残りのうち30.1%に当たる69例は、
シンチの取り込みはないものの、
サイログロブリンの数値が測定可能なものです。
これは臨床的には寛解と変わりはありません。
4.8%に当たる11例は、
シンチの取り込みのある組織は存在するけれど、
悪化の傾向なく推移しているもので、
0.9%に当たる2例のみが再発の事例です。
再発事例には再度のヨード治療が行なわれています。

観察期間中、甲状腺癌に起因する死亡事例はありません。

ただ、5例の患者さんに放射線障害に由来する、
肺線維症が発症し、
そのために1例の患者さんが亡くなっています。

これは多発肺転移のある患者さんの場合、
その転移巣に放射性ヨードが大量に取り込まれるため、
周辺組織を障害して発症したものと考えられます。
多発転移の患者さんが69名で、
そのうちの7.2%に肺線維症が起こっています。

放射性ヨードによる二次発癌は、
観察期間中には発症していません。
ただ、これはまだ観察期間が10年程度ですから、
今後更に長期の経過を見ないと、
起こらないとは言い切れません。

このように、チェルノブイリの後の甲状腺癌の予後は、
標準治療後には進行癌であっても非常に良好です。

特に全身に多発転移のあるような患者さんでは、
複数回の放射性ヨード治療が奏功しています。
これは放射線によらない成人の同種の事例と比較すると、
明らかに良好な治療反応性です。
ただ、それが単純に年齢による相違なのか、
放射線誘発性の小児甲状腺癌自体の特徴であるのかは、
明確ではありません。

肺転移のある事例では、
放射性ヨード治療後の肺線維症が、
合併症として問題となります。
これは肺転移が多発していなければ、
問題にはならないので、
早期診断が重要だ、ということになります。

この文献の最初と最後には福島原発事故が触れられていて、
チェルノブイリと比較すると被ばく線量は少なく、
事故後の対応も食品や乳製品の管理など、
より迅速であったので、
その影響はより軽微に留まる可能性が高く、
その後の甲状腺のスクリーニングにより、
仮に同様の甲状腺癌の増加が出現するとしても、
より早期に発見される可能性が高い、
という記述になっています。

心配をし過ぎる必要はないよ、
という海外の専門家からのある種のメッセージですが、
勿論今後の状況を楽観はすることなく、
過剰検査の弊害に陥らないようにしつつ、
検査を継続してゆくことが、
重要なのだと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

癌検診の有効性と「癌」という言葉の問題 [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
癌もどきをどう考えるか?.jpg
先月のJAMA誌の解説記事です。

他の識者の方も取り上げていますが、
非常に興味深い内容なので、
ご紹介をさせて頂きます。

「癌」という言葉は、
現代においては一種特別な意味合いを持っています。

死に結び付く病気の代名詞のように語られ、
「癌と戦う」という行為が英雄的に語られたこともあり、
逆に「癌と闘うな」というフレーズが、
医療への不信の代名詞のように語られることもあります。

かつての名作映画、黒澤明の「生きる」では、
胃癌であるという宣告が、
「死」そのものの代名詞のように、
ある種の記号として語られていました。

ただ、実際には、
一口に胃癌と言っても、
その内容は千差万別ですし、
放っておいても何ら問題のないものから、
仮に早期に診断がなされても、
死を避け難いような深刻なものまであります。

胃癌においてすらそうなのですから、
身体に生じる全ての悪性の腫瘍を一括りにして、
「癌」と名付けるような行為は、
本来はあまり妥当なものではないように思います。

これは決して日本だけの傾向ではなく、
上記の論説の記載の中にも、
Cancerという言葉が、
矢張り不吉で死に結び付く概念として、
英語圏の人々の心にも、
強い印象を残していることが書かれています。

さて、
癌というものが実際に存在する以上、
それに対して医療は対応策を練ります。

それは1つには手術や抗癌剤、
放射線、遺伝子治療などの、
治療法の進歩であり、
もう1つはなるべく早期に発見し診断するという、
診断技術の進歩です。

癌はその癌の持つ性質により、
それぞれの速度で大きさを増して、
ある地点に達した時に、
人間の身体に害をなします。

従って、
よりその癌が小さいうちに、
癌を発見し治療を行なえば、
治癒率は上昇し、
要するに癌で亡くなる人は少なくなる、
と予想されました。

そして、
癌が小さなうちに、
時にはまだ癌になる前の段階で、
発見するための手段として、
30年以上前から積極的に行なわれた方法が、
「癌検診」です。

癌検診というのは、
通常その特定の癌のリスクが高い対象者に対して、
特定の検査を行ない、
より早期の癌を発見して、
治療に結び付けよう、
という手法のことです。

当初の想定としては、
癌検診を導入することにより、
発見の比率が増加するので、
癌の患者さんは一時的には増えますが、
より早期のうちに癌が見付かるので、
進行した癌は減少し、
その結果として、
癌の死亡率も減少すると考えられました。

しかし、
皆さんも概ねご存じのように、
現実はそのようにはなっていません。

何故そうならないのかと言うと、
癌検診には過剰診断という問題があるからです。

こちらをご覧下さい。
癌検診の有効性の表.jpg
上記の解説記事に付せられた図表です。

癌検診の有効性を、
その癌の性質毎に整理したものです。

人口当たりの癌の発生率が、
1975年と2010年とでどのように変化したのかという点と、
その癌の死亡率が、
これも1975年と2010年とでどのように変化したのかを、
それぞれ比較検討しています。

仮に理想的な癌検診が30年続けられたとすれば、
癌の発症率も癌の死亡率も、
いずれも低下している筈です。

そうして見てみると、
真ん中の大腸癌と子宮頚癌に関しては、
そうした効果が表れていることが分かります。

1975年と比較して、
2010年においては、
大腸癌と子宮頚癌の発症頻度はいずれも減少し、
その死亡率も明確に減少しています。

これはつまり、
適切な癌検診を行なうことにより、
早期の癌が見付かるようになり、
その癌が治療されることによって、
進行した癌が減ったので、
死亡率が減少した、
と考えることが出来ます。

大腸癌も子宮頚癌も、
その癌の発症の過程が分かっています。
子宮頚癌はヒトパピローマウイルスの感染等を誘因として、
細胞の異形成の変化が、癌へと進行し、
大腸癌は腺種性のポリープが、
遺伝子変異を連鎖させて、
癌に進行することが分かっています。

つまり、
前癌状態が明確で、
それが高率で癌化することが分かっていて、
しかもその進行は、
それほど早いものではなく、
かと言ってその人の生涯よりはずっと短い期間で、
癌になるのです。

こうした「ある種都合の良い癌」では、
前癌状態で処置をすることにより、
癌の発症自体を、
減らすことが可能となるのです。

非常に癌検診向きの癌で、
こうした癌では検診は、
期待通りの効果を挙げるのです。

その一方で、
上段の癌はまるで事情が違います。

乳癌も前立腺癌も、
1975年と比較して2010年では増加していますが、
その死亡率は低下しています。

30年間以上検診をしても、
癌の発症が増えている、ということは、
放っておいても生涯何の影響も与えず、
命に関わることはなかった癌を、
多く発見している、
という現象を示唆しています。

ただ、死亡率が減っているという事実は、
一定の比率の患者さんは、
適切な時期に治療を受けることにより、
死亡を回避しているという効果があった、
ということを示唆していますし、
この間の治療の進歩も反映しています。

肺癌では発症率は変化していませんが、
実際には早期癌の発見が増えている一方、
進行癌はそれほど減ってはいません。

癌検診は無効ではありませんが、
その効率はあまり良いものではなく、
治療の必要な癌を発見する一方で、
より多くの治療の必要ではない「癌」を、
過剰に診断し過剰に治療している、
ということを示しています。

つまり、
効率の良い検診とは言えません。

下段の甲状腺癌と皮膚癌は、
検診により格段に発症率は増加していますが、
死亡率には差がないか、
むしろ増加しています。

勿論癌の発症率は検診のみで変わる訳ではなく、
生活習慣や環境要因などの影響も、
当然考えられる訳ですが、
これだけ著明な変化は、
矢張り検診の影響を示唆するものですし、
30年以上の検診で実際には予後は改善せず発症も減らないとすれば、
検診があまり意味を成していない、
ということは明らかです。

そこでポイントは、
有効な検診をする、
ということです。

有効な検診とは、
それを続けることにより、
進行した癌の患者さんが減り、
結果として癌の死亡率が減少するような、
効果のある検診、ということです。

そのためにはまず、
癌検診の有効な癌を選んで検診を行なう、
という選択が大切です。

放っておいても一生命には関わらない癌を、
発見することは過剰診断ですし、
それを治療することは過剰な治療です。

そうした診断や治療が実際には、
肺癌においても乳癌においても、
前立腺癌においても甲状腺癌においても、
行なわれているのです。

前癌病変の中には、
それほどの高率には癌にならないものもありますし、
組織は癌であっても、
その人の生涯に影響を与えないような、
大人しい性質のものもあります。

現状はそうした病変と、
進行する病変とを、
厳密に見分ける方法はあまりありませんが、
そうした試みは甲状腺癌においても乳癌においても、
色々と行なわれていますし、
一定の成果を挙げつつあるものもあります。

将来的にはそうした大人しい癌や前癌病変を、
診断しない、見付けない、治療しない、
ということが、癌検診の有効性を高める上で、
不可欠の視点になります。

上記解説の提言の中では、
今後はそうした大人しい癌については、
もう癌という言葉自体を使わないようにしよう、
というような見解も述べられています。

その一方で現時点で早期に発見しても、
その治療効果が期待出来ないような、
悪性度の高い癌については、
これも癌検診の対象からは外す、
という思い切りが必要です。

治療効果が上がり、死亡率が明確に減少することが期待され、
早期に発見することにより、
進行癌の比率が減少することが予想される検診のみが、
施行する意味のある検診である、
という考え方です。

一部の方が言われるように、
全ての癌検診が無駄、ということはありませんし、
検査はすればするほど有用性が増す、
というものでもありません。

個人の立場に立てば、
検診という自費の検査のジャンルであれば、
一定の理解の下に、
どのような検査をすることも自由だと思いますが、
本来治療の必要のない病変を発見して、
その不安に怯えたり、
不必要な治療をすることは、
かなり大きな身体的精神的ダメージを蒙ることであり、
その点もよく理解した上で、
検診は受ける必要があると思いますし、
どのような検診が有用性が高く、
どのような検診がそうではないのか、
と言う点については、
医療者は常に理解を深め、
一般の方にご説明する義務があるように思います。

いずれにしても、
全ての癌検診を一括りにして、
それが「無駄」であるとか、
逆に「有効」であるというような言説や、
慎重に読めばそうは書かれてはいなくても、
そういう印象を与えるように、
意図されているような言説については、
それこそが有害無益であり、
非科学的なものだということは、
最後に強調しておきたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

風疹ワクチン接種後の避妊期間について [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日で診療は午前中で終わり、
午後は産業医の面談に廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日も風疹ワクチン関連の話です。

風疹ワクチンを接種した後、
適齢の女性の場合、
一定期間は避妊をすることが求められます。

これは勿論、
風疹ワクチンに使用されているウイルス株は、
弱毒化はされていますが、
基本的にはウイルスと同じ生ワクチンなので、
そのワクチンによる感染が、
身体にいるお子さんに、
影響を与える可能性を危惧してのものです。

昨日ご説明しましたように、
現時点でワクチン接種後に、
胎児に顕性の感染を起こしたり、
先天性風疹症候群を発症した、
という事例はありません。

しかし、
その可能性自体は否定されたものではありませんし、
数%はお子さんへの不顕性感染は生じる、
という海外データもありますから、
リスクは取らないに越したことはありません。

接種後の避妊期間は、
日本においては2か月と記載されていますが、
現行のアメリカCDCの記載では、
1か月となっています。

しかし、
手元にある2000年に刊行された、
「予防接種Q&A」には、
CDCの推奨は3ヶ月となっている、
と明記されています。

この辺りがちょっと混乱を招く部分です。

日本の基準は以前から、
接種後2か月は避妊する、
というものだったようですが、
アメリカの基準は2000年代前半までは、
3ヶ月の避妊ということになっていて、
その後2000年代の中頃からは、
1か月(30日)の避妊という記載に、
期間が短縮されているようです。

詳細は分かりませんが、
1990年代に妊娠中に風疹ワクチンを接種した胎児の調査があり、
不顕性感染は数%に生じることと、
ワクチン株によってかなりの差があること
(株によっては20%で胎児への感染が認められたという記載があります)、
実際には事例はありませんが、
理論的には1.3~1.6%程度、
先天性風疹症候群の起こるリスクが否定出来ない、
というような知見から、
3ヶ月という長い避妊期間が設定されたのではないか、
と推測されます。

それが、
リスクの高いワクチン株は、
その後使用されなくなったことと、
抗体価の測定法の進歩などによって、
接種後1か月が経過すれば、
ほぼ100%胎児への感染は回避出来る、
という知見が蓄積されたので、
避妊期間が短縮されたのではないかと思います。

ただ、
そうは言っても期間というのは水物ですから、
倍掛けにして2か月にする、
という日本の現行の方針は、
そこまで考えて決めたものであるかは分かりませんが、
中庸を取っていて、
適切なもののように思います。

今日は風疹ワクチン接種後の、
避妊期間についての話でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。