「PLAN 75」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は院長の石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新進気鋭の早川千絵監督による社会派映画で、
カンヌ国際映画祭でも注目された作品の、
日本公開の初日に足を運びました。
倍賞千恵子さんが主演を務め、
75歳以上で安楽死を選べる制度が施行された世界を描きます。
これは確かに凄い映画で、
ただならぬ映像表現と役者の熱演が、
凡百のドラマにはない密度と緊張感で画面を覆い、
やや開かれた感じのあるラストのみ、
「おやっ」という感じはあるのですが、
そこまでは強烈な密度で走り抜けます。
ただ、何と言うのか、
物凄く冷徹で冷酷な感じのする作品なんですね。
良くも悪くも作り手の「非情さ」のようなものを強く感じました。
「日本なんてもう手遅れだよ。このまま滅んで行くのさ」
と淡々と感情なく言われているような感じがするのですね。
この映画には日本と対比する形で、
フィリピンのコミュニティーが描かれていて、
そちらはもう素晴らしい、大絶賛という感じなんですね。
でも、実際はそんな単純なものなのかしら?
両方に良いところと悪いところがあるのではないかしら?
その割り切り方と言うのか、あまりに冷徹な姿勢には、
正直モヤモヤするものを感じてしまいました。
これ、1人で生きざるを得なかった女性が高齢になって、
頼る者もなく1人で生きることが徐々に困難になって、
死に追い詰められてゆく、
という話なんですね。
そのままでリアルに成立するお話なのですが、
あまりに絶望的で救いがないので、
そのままでは観ていて息が詰まってしまうんですね。
そこに国が75歳以上の安楽死を制度として運用する、
という虚構を1つ入れることによって、
突っ込みどころを作ることによって、
フィクションとしてのバランスを取っているんですね。
この辺りの計算は本当に巧みだなあ、
という気がします。
映画館は8割くらいは、
劇中で安楽死の対象となる年齢の観客だったんですね。
皆真剣にスクリーンを見詰めていて、
それを暗い中で見まわすと、
ちょっとそれだけで息が詰まるような気持ちになります。
スクリーンの中にある風景と、
そのまま地続きで客席が広がっている感じなんですね。
怖いですよね。
でも多分、作り手は、
そうなることを想定してこの映画を作っているんですね。
主役が倍賞千恵子さんというのがまた意味があるんですよ。
観客と同世代で映画の黄金期を生き、
寅さんの永遠の妹であった銀幕のスターが、
スクリーンの中で絶望的な孤独に喘いでいる、
というのが虚構を超えた感銘を持って胸に迫るのです。
これは絶対にDVDや配信では感じられない空気感でしょ。
劇場での映画というものが、
高いレベルで成立しているんですね。
これぞ映画だ、という感慨がある一方で、
その強い終末観のようなものを、
果たして単純に娯楽として鑑賞して良いものなのかどうか、
そんなことすら考えてしまいました。
これは映像で語るタイプの映画ですね。
俳優の言葉より映像で演出するというスタイル。
色々な映像技巧を駆使していますよね。
オープニングは室内の長回しでフォーカスをぼかして、
床を何かが擦る音だけで見せるんですね。
これ、ヨーロッパ映画みたいなセンスですね。
すぐにヴィスコンティを想起しました。
ホテルの清掃の女性が仕事中に倒れるのも、
ホテルの部屋のみを映した長回しで、
何かが倒れる音で表現するのは、
一時期黒沢清監督が得意にした手法ですよね。
老人がこちらを向いて手を振るのは、
小津安二郎にもある日本映画の古典的な構図ですね。
座った後ろ姿だけで感情を見せるのは、
山中貞雄の有名なカットでしょ。
この映画はそれ以外にも、
「人情紙風船」を彷彿とさせるところがありますし、
後半で叔父と甥とが車で道行に至るのは、
明らかに「楢山節考」をなぞっているんですね。
それでラストは、
「太陽が俯瞰でバーン、後ろ姿で歌で音楽」という、
河瀨直美さん的エンディングが用意されています。
途中で演技していた河合優実さんが、
急に訴えるように正面を向く、
という禁じ手も使っています。
ともかく非常に盛沢山でシネフィル全開なのですが、
それが統一感を持って1つの映像表現として完成している、
という点がこの映画の高度なところです。
ただ、俳優さんは皆素晴らしくて、
特に倍賞千恵子さんはそのキャリアの中でも、
代表作と言っても良い名演技を見せているので、
もう少し嘘っぽくても良いので、
演技で盛り上げるところがあっても良かったのに、
というようには思いました。
この映画においては、
映像の構図の方が、
役者の演技より遥かに雄弁で、
大切なことは俳優には喋らせないで映像に語らせる、
というスタイルであるからです。
そんな訳で、
ラスト以外は殆ど寸分の隙もなく構成された、
映像表現としてはとてつもなく高度な傑作で、
俳優陣の熱演も見事な映画です。
ただ、河瀨直美監督に似たところがありながら、
数段冷酷無比なその作り手の肌触りは、
僕にはちょっと苦手な部分がありました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は院長の石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新進気鋭の早川千絵監督による社会派映画で、
カンヌ国際映画祭でも注目された作品の、
日本公開の初日に足を運びました。
倍賞千恵子さんが主演を務め、
75歳以上で安楽死を選べる制度が施行された世界を描きます。
これは確かに凄い映画で、
ただならぬ映像表現と役者の熱演が、
凡百のドラマにはない密度と緊張感で画面を覆い、
やや開かれた感じのあるラストのみ、
「おやっ」という感じはあるのですが、
そこまでは強烈な密度で走り抜けます。
ただ、何と言うのか、
物凄く冷徹で冷酷な感じのする作品なんですね。
良くも悪くも作り手の「非情さ」のようなものを強く感じました。
「日本なんてもう手遅れだよ。このまま滅んで行くのさ」
と淡々と感情なく言われているような感じがするのですね。
この映画には日本と対比する形で、
フィリピンのコミュニティーが描かれていて、
そちらはもう素晴らしい、大絶賛という感じなんですね。
でも、実際はそんな単純なものなのかしら?
両方に良いところと悪いところがあるのではないかしら?
その割り切り方と言うのか、あまりに冷徹な姿勢には、
正直モヤモヤするものを感じてしまいました。
これ、1人で生きざるを得なかった女性が高齢になって、
頼る者もなく1人で生きることが徐々に困難になって、
死に追い詰められてゆく、
という話なんですね。
そのままでリアルに成立するお話なのですが、
あまりに絶望的で救いがないので、
そのままでは観ていて息が詰まってしまうんですね。
そこに国が75歳以上の安楽死を制度として運用する、
という虚構を1つ入れることによって、
突っ込みどころを作ることによって、
フィクションとしてのバランスを取っているんですね。
この辺りの計算は本当に巧みだなあ、
という気がします。
映画館は8割くらいは、
劇中で安楽死の対象となる年齢の観客だったんですね。
皆真剣にスクリーンを見詰めていて、
それを暗い中で見まわすと、
ちょっとそれだけで息が詰まるような気持ちになります。
スクリーンの中にある風景と、
そのまま地続きで客席が広がっている感じなんですね。
怖いですよね。
でも多分、作り手は、
そうなることを想定してこの映画を作っているんですね。
主役が倍賞千恵子さんというのがまた意味があるんですよ。
観客と同世代で映画の黄金期を生き、
寅さんの永遠の妹であった銀幕のスターが、
スクリーンの中で絶望的な孤独に喘いでいる、
というのが虚構を超えた感銘を持って胸に迫るのです。
これは絶対にDVDや配信では感じられない空気感でしょ。
劇場での映画というものが、
高いレベルで成立しているんですね。
これぞ映画だ、という感慨がある一方で、
その強い終末観のようなものを、
果たして単純に娯楽として鑑賞して良いものなのかどうか、
そんなことすら考えてしまいました。
これは映像で語るタイプの映画ですね。
俳優の言葉より映像で演出するというスタイル。
色々な映像技巧を駆使していますよね。
オープニングは室内の長回しでフォーカスをぼかして、
床を何かが擦る音だけで見せるんですね。
これ、ヨーロッパ映画みたいなセンスですね。
すぐにヴィスコンティを想起しました。
ホテルの清掃の女性が仕事中に倒れるのも、
ホテルの部屋のみを映した長回しで、
何かが倒れる音で表現するのは、
一時期黒沢清監督が得意にした手法ですよね。
老人がこちらを向いて手を振るのは、
小津安二郎にもある日本映画の古典的な構図ですね。
座った後ろ姿だけで感情を見せるのは、
山中貞雄の有名なカットでしょ。
この映画はそれ以外にも、
「人情紙風船」を彷彿とさせるところがありますし、
後半で叔父と甥とが車で道行に至るのは、
明らかに「楢山節考」をなぞっているんですね。
それでラストは、
「太陽が俯瞰でバーン、後ろ姿で歌で音楽」という、
河瀨直美さん的エンディングが用意されています。
途中で演技していた河合優実さんが、
急に訴えるように正面を向く、
という禁じ手も使っています。
ともかく非常に盛沢山でシネフィル全開なのですが、
それが統一感を持って1つの映像表現として完成している、
という点がこの映画の高度なところです。
ただ、俳優さんは皆素晴らしくて、
特に倍賞千恵子さんはそのキャリアの中でも、
代表作と言っても良い名演技を見せているので、
もう少し嘘っぽくても良いので、
演技で盛り上げるところがあっても良かったのに、
というようには思いました。
この映画においては、
映像の構図の方が、
役者の演技より遥かに雄弁で、
大切なことは俳優には喋らせないで映像に語らせる、
というスタイルであるからです。
そんな訳で、
ラスト以外は殆ど寸分の隙もなく構成された、
映像表現としてはとてつもなく高度な傑作で、
俳優陣の熱演も見事な映画です。
ただ、河瀨直美監督に似たところがありながら、
数段冷酷無比なその作り手の肌触りは、
僕にはちょっと苦手な部分がありました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。