「シン・ウルトラマン」(ネタばれ注意) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

「シン・ゴジラ」に続くシリーズ(?)、
と言って良いのかどうか分かりませんが、
庵野秀明さんによる過去の偉大な特撮アイコンの、
リニューアル映画第二弾として、
「シン・ウルトラマン」が今公開されています。
これは期待半分、不安半分で観に行ったのですが、
正直微妙な感じでした。
前半20分くらいは抜群なんですよね。
ただ、そこで期待が膨らみすぎるので、
途中から停滞気味になりオヤオヤという感じで、
後半になるとCGが科学の解説動画レベルでしょ、
それで嗚呼…と脱力するような感じになって、
何かモヤモヤしたまま終わってしまいました。
以下、若干のネタばれを含みますので、
鑑賞予定の方はご注意下さい。
これ、前半は抜群ですし、ビックリもするので、
後半はガックリとしますが、
予備知識なく鑑賞することをお勧めします。
よろしいでしょうか?
それでは先に進みます。
前半のダイジェストは凄いですし、
ウルトラマン登場までの段取りも凄いですよね。
ただ、ザラブ星人の辺りから、
特殊効果もかなりチープになりますし、
物語的にも青臭い議論調になって、
勿論それがかつての円谷特撮ドラマであった訳ですが、
ちょっとそれをそのままやられてもな、
というようなつらさがあるのですね。
ラストはゼットンが宇宙空間に最終兵器として出現するのですが、
もうモロに解説動画のレベルなのですね。
あれは、映画として公開出来るレベルじゃないのではないかしら。
後半は正直「もう止めて」という感じで、
薄目で見ているしかありませんでした。
総じてちょっと無理があったんですね。
「シン・ゴジラ」の良さは、
ほぼ全てを役所の会議だけで構成して、
CGカットも徹底して切り詰めたのが良かったんですね。
内容も一種の災害シュミレーションなので、
そうした構成で無理がなかったんですね。
それがウルトラマンになると、
どうしてもドラマがないといけないし、
ヒーロー物なので、
ヒーローの葛藤がないといけなくなるでしょ。
そうなると「シン・ゴジラ」の手口は使えなくなるんですね。
最後は「人類は滅ぼすべき存在なのか?」
と言う議論になるんですね。
勿論昔からそうで、
「いや違う、人間には生きる値打ちがあるのだ」
ということになるのですが、
僕は小さい頃に見ていた時も、
その時からあまり賛同出来なかったんですね。
だって、神様や地球外生物や高次元の世界から見れば、
人間みたいな生き物は酷いことばかりするし、
絶滅させた方が良いと思うのが当然でしょ。
それが嫌だと思うのは、
自分もその愚劣な人間の1人なので、
自分や自分の周りの世界が、
絶滅するのが嫌だ、怖い、というだけのことでしょ。
映画では「光の国」が地球を無くしてしまおうとして、
最終兵器のゼットンを宇宙空間に解き放つのですね。
それをウルトラマンは、
「いや、人間は生かすべき存在だと私は信じる」とかと言って、
それに抗うのですが、
この映画はシュミレーションと議論だけでドラマがないので、
そこに説得力が全くないのですね。
マーベルの「エターナルズ」という映画が昨年あって、
高次の存在の異星人みたいなものが、
最終兵器を覚醒させて人間を滅ぼそうとするのですね。
それを元々異星人の仲間のヒーローが、
阻止しようとするグループと、
上司に従って滅ぼそうとするグループに分かれて戦うので、
モロ今回の「シン・ウルトラマン」と構造は同じなのですが、
そこでの「人間を救おう」というロジックは、
人間を愛するようになったので、その人を救うために戦う、
というような非常に個人主義的なものなんですね。
でも、それが割と説得力を持って感じられるのは、
そこにドラマがあるからなんですね。
勿論CGのレベルも全然違うのですが、
何よりドラマの熱量が違うんですね。
結局こうしたお話は、
こうでないと成立しないんですね。
論理で言うと、
「人間は滅ぼされて当然」ということに、
どう考えてもなってしまうので、
それを乗り越えるには、
ドラマのパッションと熱量しかないんですね。
でも、「シン・ウルトラマン」は技巧的に、
ドラマを封印している作品なので、
余程斬新なロジックがないと、
とても成立しないと思うのですが、
それがないままに禁じ手のドラマに突っ込んで、
見事に玉砕してしまった、
というのが今回の作品であったように思います。
そんな訳で個人的にはかなりガッカリの作品だったのですが、
もう少し時間を掛けて、
出来れば後半のCGカットは作り直し、
ロジックも一捻りした、
完全版を作って欲しいと無理は承知で願っています。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

「シン・ゴジラ」に続くシリーズ(?)、
と言って良いのかどうか分かりませんが、
庵野秀明さんによる過去の偉大な特撮アイコンの、
リニューアル映画第二弾として、
「シン・ウルトラマン」が今公開されています。
これは期待半分、不安半分で観に行ったのですが、
正直微妙な感じでした。
前半20分くらいは抜群なんですよね。
ただ、そこで期待が膨らみすぎるので、
途中から停滞気味になりオヤオヤという感じで、
後半になるとCGが科学の解説動画レベルでしょ、
それで嗚呼…と脱力するような感じになって、
何かモヤモヤしたまま終わってしまいました。
以下、若干のネタばれを含みますので、
鑑賞予定の方はご注意下さい。
これ、前半は抜群ですし、ビックリもするので、
後半はガックリとしますが、
予備知識なく鑑賞することをお勧めします。
よろしいでしょうか?
それでは先に進みます。
前半のダイジェストは凄いですし、
ウルトラマン登場までの段取りも凄いですよね。
ただ、ザラブ星人の辺りから、
特殊効果もかなりチープになりますし、
物語的にも青臭い議論調になって、
勿論それがかつての円谷特撮ドラマであった訳ですが、
ちょっとそれをそのままやられてもな、
というようなつらさがあるのですね。
ラストはゼットンが宇宙空間に最終兵器として出現するのですが、
もうモロに解説動画のレベルなのですね。
あれは、映画として公開出来るレベルじゃないのではないかしら。
後半は正直「もう止めて」という感じで、
薄目で見ているしかありませんでした。
総じてちょっと無理があったんですね。
「シン・ゴジラ」の良さは、
ほぼ全てを役所の会議だけで構成して、
CGカットも徹底して切り詰めたのが良かったんですね。
内容も一種の災害シュミレーションなので、
そうした構成で無理がなかったんですね。
それがウルトラマンになると、
どうしてもドラマがないといけないし、
ヒーロー物なので、
ヒーローの葛藤がないといけなくなるでしょ。
そうなると「シン・ゴジラ」の手口は使えなくなるんですね。
最後は「人類は滅ぼすべき存在なのか?」
と言う議論になるんですね。
勿論昔からそうで、
「いや違う、人間には生きる値打ちがあるのだ」
ということになるのですが、
僕は小さい頃に見ていた時も、
その時からあまり賛同出来なかったんですね。
だって、神様や地球外生物や高次元の世界から見れば、
人間みたいな生き物は酷いことばかりするし、
絶滅させた方が良いと思うのが当然でしょ。
それが嫌だと思うのは、
自分もその愚劣な人間の1人なので、
自分や自分の周りの世界が、
絶滅するのが嫌だ、怖い、というだけのことでしょ。
映画では「光の国」が地球を無くしてしまおうとして、
最終兵器のゼットンを宇宙空間に解き放つのですね。
それをウルトラマンは、
「いや、人間は生かすべき存在だと私は信じる」とかと言って、
それに抗うのですが、
この映画はシュミレーションと議論だけでドラマがないので、
そこに説得力が全くないのですね。
マーベルの「エターナルズ」という映画が昨年あって、
高次の存在の異星人みたいなものが、
最終兵器を覚醒させて人間を滅ぼそうとするのですね。
それを元々異星人の仲間のヒーローが、
阻止しようとするグループと、
上司に従って滅ぼそうとするグループに分かれて戦うので、
モロ今回の「シン・ウルトラマン」と構造は同じなのですが、
そこでの「人間を救おう」というロジックは、
人間を愛するようになったので、その人を救うために戦う、
というような非常に個人主義的なものなんですね。
でも、それが割と説得力を持って感じられるのは、
そこにドラマがあるからなんですね。
勿論CGのレベルも全然違うのですが、
何よりドラマの熱量が違うんですね。
結局こうしたお話は、
こうでないと成立しないんですね。
論理で言うと、
「人間は滅ぼされて当然」ということに、
どう考えてもなってしまうので、
それを乗り越えるには、
ドラマのパッションと熱量しかないんですね。
でも、「シン・ウルトラマン」は技巧的に、
ドラマを封印している作品なので、
余程斬新なロジックがないと、
とても成立しないと思うのですが、
それがないままに禁じ手のドラマに突っ込んで、
見事に玉砕してしまった、
というのが今回の作品であったように思います。
そんな訳で個人的にはかなりガッカリの作品だったのですが、
もう少し時間を掛けて、
出来れば後半のCGカットは作り直し、
ロジックも一捻りした、
完全版を作って欲しいと無理は承知で願っています。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。