マーティン・マクドナー「ピローマン」(2022年演劇集団円上演版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
僕の大好きなアイルランド出身の劇作家で映画監督、
マーティン・マクドナーの「ピローマン」が、
本日まで演劇集団円の公演として、
六本木の俳優座劇場で上演されています。
マクドナーは現役の劇作家としては最も好きな1人で、
その作風は日本で言えば松尾スズキさんや赤堀雅秋さん、
長塚圭史さんなどに近いのですが、
その完成度は数段上で、
その衝撃性も際だっています。
最初に観たのは、
長塚圭史さん演出による「ウィー・トーマス」で、
あれは凄かったよね。
その後も長塚さんの演出作品は全て観ています。
それ以外に「イニシュマン島のビリー」も凄い芝居でしたし、
「スポケーンの左手」もさすがの手触りでした。
「ピローマン」は2003年の作品ですが、
パルコ劇場で長塚圭史さんが翻訳上演していて、
その時の舞台は観ているのですが、
その時の体調が万全でないこともあって、
集中力も切れ気味になり、
その真価が分からないままになっていました。
この円の舞台は寺十吾さんの演出で、
僕は寺十さんのアングラ演出が大好きなので、
これは期待出来ると思い昨年の5月に予約したのですが、
昨年の舞台は緊急事態宣言で流れてしまいました。
今回は満を持しての再上演で、
なんとか予定をやりくりして、
滑り込んだという感じで、
俳優座劇場に足を運びました。
これは中島らもさんに似た話がありましたよね。
子供が虐待されるような残酷な童話を書いている中年男がいて、
その筋の通りに子供が殺されるという事件が起こるので、
警察に捕まって尋問を受けるのです。
彼には学習障害の兄がいて、
その兄にも同時に殺人の疑いが掛かっています。
果たして連続小児殺人事件と兄弟との間には、
どんな関係があるのでしょうか?
こうしたプロローグからは、
どんでん返しのあるサイコスリラーのようなものを、
僕としてはどうしても想定してしまいますし、
パルコ劇場の上演の時も、
そうしたものを期待していたので、
落胆してしまったという部分があったのですが、
この作品は全くそうしたものではないのですね。
現実とフィクション、創作との関わりのようなものを、
根源的な意味で追求している作品なのです。
残酷な物語というのは世の中には沢山あって、
その評価も様々ですよね。
実際に創作に影響されて犯罪を犯すということもありますし、
現実の残酷さに対抗するために、
創作の力を信じるという立場もあります。
この物語においては、
両親のある種の実験的な子育てによって、
兄が虐待を受けることを見続けて来た弟が、
兄に対してなすべきことは何なのかを、
童話を書くという形で追求し続け、
最後には物凄く残酷で刹那的な形で、
物語の奇蹟が起こる、
という壮絶なプロローグに至ります。
舞台には動きが少なく、
童話を原則語りで見せるという様式なので、
鑑賞にはかなりきつい部分はある芝居なのですが、
色々な解釈な可能な力作で、
傑作であることは間違いがありません。
寺十さんの演出は、
さすがのアングラ演出が冴えていて、
もう少し遊びがあっても良いかな、
という感じはしましたが、
まずは安定した仕上がりでした。
戯曲で気になったのは、
パルコ劇場版では見せ場の1つになっていた、
刑事が語る寓話の部分が、
バッサリカットされていたことで、
色々なバージョンがあるのかも知れませんが、
少し釈然としませんでした。
キャストも概ね好演でしたが、
主人公の渡辺譲さんはガナる場面で台詞が聞き取り難く、
弟役の玉置祐也さんは、
時々素に戻るような感じがあるところが気に掛かりました。
いずれにしてもマクドナー作品を、
上質な演技と演出で観ることが出来るのは至福の時間で、
これからも是非是非マクドナー作品の上演をお願いします。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
僕の大好きなアイルランド出身の劇作家で映画監督、
マーティン・マクドナーの「ピローマン」が、
本日まで演劇集団円の公演として、
六本木の俳優座劇場で上演されています。
マクドナーは現役の劇作家としては最も好きな1人で、
その作風は日本で言えば松尾スズキさんや赤堀雅秋さん、
長塚圭史さんなどに近いのですが、
その完成度は数段上で、
その衝撃性も際だっています。
最初に観たのは、
長塚圭史さん演出による「ウィー・トーマス」で、
あれは凄かったよね。
その後も長塚さんの演出作品は全て観ています。
それ以外に「イニシュマン島のビリー」も凄い芝居でしたし、
「スポケーンの左手」もさすがの手触りでした。
「ピローマン」は2003年の作品ですが、
パルコ劇場で長塚圭史さんが翻訳上演していて、
その時の舞台は観ているのですが、
その時の体調が万全でないこともあって、
集中力も切れ気味になり、
その真価が分からないままになっていました。
この円の舞台は寺十吾さんの演出で、
僕は寺十さんのアングラ演出が大好きなので、
これは期待出来ると思い昨年の5月に予約したのですが、
昨年の舞台は緊急事態宣言で流れてしまいました。
今回は満を持しての再上演で、
なんとか予定をやりくりして、
滑り込んだという感じで、
俳優座劇場に足を運びました。
これは中島らもさんに似た話がありましたよね。
子供が虐待されるような残酷な童話を書いている中年男がいて、
その筋の通りに子供が殺されるという事件が起こるので、
警察に捕まって尋問を受けるのです。
彼には学習障害の兄がいて、
その兄にも同時に殺人の疑いが掛かっています。
果たして連続小児殺人事件と兄弟との間には、
どんな関係があるのでしょうか?
こうしたプロローグからは、
どんでん返しのあるサイコスリラーのようなものを、
僕としてはどうしても想定してしまいますし、
パルコ劇場の上演の時も、
そうしたものを期待していたので、
落胆してしまったという部分があったのですが、
この作品は全くそうしたものではないのですね。
現実とフィクション、創作との関わりのようなものを、
根源的な意味で追求している作品なのです。
残酷な物語というのは世の中には沢山あって、
その評価も様々ですよね。
実際に創作に影響されて犯罪を犯すということもありますし、
現実の残酷さに対抗するために、
創作の力を信じるという立場もあります。
この物語においては、
両親のある種の実験的な子育てによって、
兄が虐待を受けることを見続けて来た弟が、
兄に対してなすべきことは何なのかを、
童話を書くという形で追求し続け、
最後には物凄く残酷で刹那的な形で、
物語の奇蹟が起こる、
という壮絶なプロローグに至ります。
舞台には動きが少なく、
童話を原則語りで見せるという様式なので、
鑑賞にはかなりきつい部分はある芝居なのですが、
色々な解釈な可能な力作で、
傑作であることは間違いがありません。
寺十さんの演出は、
さすがのアングラ演出が冴えていて、
もう少し遊びがあっても良いかな、
という感じはしましたが、
まずは安定した仕上がりでした。
戯曲で気になったのは、
パルコ劇場版では見せ場の1つになっていた、
刑事が語る寓話の部分が、
バッサリカットされていたことで、
色々なバージョンがあるのかも知れませんが、
少し釈然としませんでした。
キャストも概ね好演でしたが、
主人公の渡辺譲さんはガナる場面で台詞が聞き取り難く、
弟役の玉置祐也さんは、
時々素に戻るような感じがあるところが気に掛かりました。
いずれにしてもマクドナー作品を、
上質な演技と演出で観ることが出来るのは至福の時間で、
これからも是非是非マクドナー作品の上演をお願いします。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。