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安部公房「友達」(台本・演出 加藤拓也) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
友達.jpg
安部公房の戯曲の中でも傑作と言われる「友達」が、
新進気鋭の演出家、加藤拓也さんの台本・演出、
有村架純さん、林遣都さん、鈴木浩介さんなど、
映像でも活躍する人気者を揃えた豪華なキャストで、
今新国立劇場小劇場で上演されています。

これ原作を結構変えているんですね。
戯曲もそのままではないのです。
演出もね、何もない素舞台の床面の中央に、
扉が1つ設置されていて、
そこを開けて地下から人間が入ってくる、
という趣向になっています。
主人公がわざわざスマホをいじったりもしていて、
戯曲の設定を現代に置き換えた、
という主張のように見えますが、
それでいて主人公の家に押し掛ける「家族」や町の人は、
戯曲が書かれた1967年と、
それほど変わらない雰囲気で描かれています。

ははあ、作品に描かれた異様な世界を、
今の日本に通底するものと考えて、
その時代の闖入者が、
時間の闇を超えて現代の青年の元に、
這い上って来るということなのかしら、
というようには思いましたが
僕は個人的にはこうした演出が好きではありません。

はっきり言えば大嫌いです。

原作は矢張り、その書かれた時代の空気と、
強く結びついているものだと思いますし、
僕の個人的な考えは、
今この芝居を上演するにしても、
その空気感を再現することを、
大切にして欲しいと思うからです。

確かに1人暮らしの若者のところに、
ある日突然友達を名乗る家族が集団で訪れて、
若者の暮しを乗っ取ってしまう、
という不気味なドラマは、
今の社会にも通じる部分を持っていますが、
その不気味さの背後にあるものは、
1967年と現在では間違いなく異なっているので、
それが同じであるかのような表現は、
少なくとも安部公房作としてこの作品を上演するのであれば、
誤っているように個人的には思うのです。

こうしたことをやりたいのであれば、
「友達」にインスパイアされた現代の物語を、
今の劇作家に書いてもらって、
それを上演することの方が正しいあり方ではないでしょうか?

最近は昔の名作の再演ということで劇場に足を運ぶと、
こうした原作が初演当時まとっていた「空気感」を、
完全に無視したような作品であることが多く、
絶望的な気分になってしまうことが多いのです。

役者は林遣都さんの不気味な感じとか、
新鮮な部分もあったのですが、
トータルには無駄に豪華、という感じで、
この作品の「無名な不気味さ」に、
相応しい座組とはあまり思えませんでした。
特に浅野和之さんなどは、
僕は大好きな役者さんですし、
物凄く上手い方だと思いますが、
殆ど見せ場のない端役でとても残念でした。

そんな訳でとても残念な気分での観劇だったのですが、
これはもう誰が悪いということではなく、
「1967年の安部公房が見たい!」という僕の希望が、
今の演劇状況とは合致していない、
というだけのことなのだと思います。

小劇場や新劇の戦後の旧作の再演は、
もう別物の新作と考えて観なければいけないようです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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