「首切り王子と愚かな女」(蓬莱竜太新作) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
パルコ劇場のプロデュース公演として、
蓬莱竜太さんの新作が、
今パルコ劇場で上演されています。
今最も脂が乗っていて、
現代と真正面から対峙している劇作家と言えば、
赤堀雅秋さんと並んで双璧と言えるのが、
蓬莱竜太さんだと思います。
ただ、お2人ともかなり作品の出来にはムラがあって、
素晴らしい作品が多くある一方で、
時間を無駄にした、としか思えないような、
観る値打ちを到底見いだせないような作品も、
少なからずあるのが特徴です。
今回は申し訳ないのですが、
その後者の部類であったように感じました。
最初から、これはちょっと駄目なパターンだな、
という感じがあって、
なんでこんなお話をこのレベルで作ろうと思ったの?
と疑問符ばかりが頭に浮かび、
後半になるとほぼほぼ展開も読めてしまって、
そのまま予定調和的に、
脱力系のラストに至り、
盛り上がるような場面も殆どありませんでした。
これね、何処か分からない王国を舞台にした、
純然たるファンタジーなんですよね。
お芝居でこうした素材を取り上げる時には、
そのまま上演しても、ハリウッドの映画みたいなものには、
リアリティの面でとても敵わないですよね。
それで、
通常はそれを描いている作者と作品世界とが交錯するようにしたり、
実はそれはゲームで、
それをプレイしている現実の登場人物が登場したり、
誰かの脳内妄想であったりと、
そうした仕掛けによって、
現実との接点を作って多視点で誤魔化すことが多いでしょ。
今回の作品は、そうしたことは全くしていないんですね。
ある意味王道のフィクションです。
でも、そうであれば、
もっと作品世界の構造が強固で、
観客をその世界に呑み込むような、
虚構としてのリアリティがないといけないと思うんですね。
でも、この作品はそういうものはないんですね。
首切り王子という名前の通り、
マザコンの王子が民衆を適当な罪状で死刑にしまくって、
それで恨みをかって暴動が起こるというだけの筋立てです。
周辺のキャラクターもそれなりに愛憎劇が盛り込まれてはいますが、
特に印象に残るものはありませんでした。
舞台がまた、具象的な装置なしで、
ただの稽古場でやる、という感じなんですね。
キャストは全員常に舞台上にいて、
楽屋みたいなブースに陣取るという設定です。
こういうのも本当に今更という感じでしょ。
野田秀樹さんはこうした演出の大家で、
最初は本当に稽古場みたいなセットなんですが、
ある瞬間に、それが別のリアルな虚構に見えるような、
「変貌の瞬間」が用意されているんですね。
今回の作品はそれがないんですよ。
だからただの予算削減の手抜きにしか見えないのです。
多分、予算を掛けられないとか色々な事情もあって、
こうした結果になったのだと思うのですが、
企画公演には時々こうしたことがありますよね。
とても残念な観劇でした。
キャストも主役級はともかくとして、
6人くらいのコロス的役割の人達が、
状況説明の台詞を喋るのですが、
それがとても質が低くて、
台詞を聞き取れなくて閉口しました。
でも蓬莱さんが現代を代表する劇作家であることは間違いがないので、
また次の傑作の出現を心待ちにしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
パルコ劇場のプロデュース公演として、
蓬莱竜太さんの新作が、
今パルコ劇場で上演されています。
今最も脂が乗っていて、
現代と真正面から対峙している劇作家と言えば、
赤堀雅秋さんと並んで双璧と言えるのが、
蓬莱竜太さんだと思います。
ただ、お2人ともかなり作品の出来にはムラがあって、
素晴らしい作品が多くある一方で、
時間を無駄にした、としか思えないような、
観る値打ちを到底見いだせないような作品も、
少なからずあるのが特徴です。
今回は申し訳ないのですが、
その後者の部類であったように感じました。
最初から、これはちょっと駄目なパターンだな、
という感じがあって、
なんでこんなお話をこのレベルで作ろうと思ったの?
と疑問符ばかりが頭に浮かび、
後半になるとほぼほぼ展開も読めてしまって、
そのまま予定調和的に、
脱力系のラストに至り、
盛り上がるような場面も殆どありませんでした。
これね、何処か分からない王国を舞台にした、
純然たるファンタジーなんですよね。
お芝居でこうした素材を取り上げる時には、
そのまま上演しても、ハリウッドの映画みたいなものには、
リアリティの面でとても敵わないですよね。
それで、
通常はそれを描いている作者と作品世界とが交錯するようにしたり、
実はそれはゲームで、
それをプレイしている現実の登場人物が登場したり、
誰かの脳内妄想であったりと、
そうした仕掛けによって、
現実との接点を作って多視点で誤魔化すことが多いでしょ。
今回の作品は、そうしたことは全くしていないんですね。
ある意味王道のフィクションです。
でも、そうであれば、
もっと作品世界の構造が強固で、
観客をその世界に呑み込むような、
虚構としてのリアリティがないといけないと思うんですね。
でも、この作品はそういうものはないんですね。
首切り王子という名前の通り、
マザコンの王子が民衆を適当な罪状で死刑にしまくって、
それで恨みをかって暴動が起こるというだけの筋立てです。
周辺のキャラクターもそれなりに愛憎劇が盛り込まれてはいますが、
特に印象に残るものはありませんでした。
舞台がまた、具象的な装置なしで、
ただの稽古場でやる、という感じなんですね。
キャストは全員常に舞台上にいて、
楽屋みたいなブースに陣取るという設定です。
こういうのも本当に今更という感じでしょ。
野田秀樹さんはこうした演出の大家で、
最初は本当に稽古場みたいなセットなんですが、
ある瞬間に、それが別のリアルな虚構に見えるような、
「変貌の瞬間」が用意されているんですね。
今回の作品はそれがないんですよ。
だからただの予算削減の手抜きにしか見えないのです。
多分、予算を掛けられないとか色々な事情もあって、
こうした結果になったのだと思うのですが、
企画公演には時々こうしたことがありますよね。
とても残念な観劇でした。
キャストも主役級はともかくとして、
6人くらいのコロス的役割の人達が、
状況説明の台詞を喋るのですが、
それがとても質が低くて、
台詞を聞き取れなくて閉口しました。
でも蓬莱さんが現代を代表する劇作家であることは間違いがないので、
また次の傑作の出現を心待ちにしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。