チャイコフスキー「イオランタ」(2021年新国立劇場上演版) [オペラ]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場で、
2本の短いオペラを同時上演する、
ダブルビルの試みが行われています。
今回上演されたのは、
ストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」と、
チャイコフスキーの「イオランタ」で、
どちらも有名な作品ではありますが、
実際に国内で上演される頻度は、
決して多くはありません。
元々は海外から招聘された歌手が、
メインの役柄にキャスティングされていましたが、
コロナ禍で来日は適わず、
ほぼ国内キャストの布陣での上演です。
これね、それほど期待せずに足を運んだのですが、
チャイコフスキーの「イオランタ」が絶妙に面白くて、
ちょっと感動的でオペラには珍しく少し泣いてしまいましたし、
もっと上演して欲しいなと思いました。
これはチャイコフスキーの晩年のオペラで、
全1幕95分ほどの短い作品なのですが、
物語もとてもユニークで面白いですし、
曲も得意のドラマチックな盛り上げまくりで充実しています。
途中の長大な二重唱はワーグナーみたいですし、
最後にはロッシーニみたいなフィナーレが付いているでしょ。
オペラの色々な魅力がぎゅっと詰まっていて、
途中は感動しますしラストは盛り上がって、
それでいて短いのですから言うことがありません。
お話はね、フランスのプロヴァンスのお姫様が、
絶世の美女だけれど盲目、という設定なんですね。
生まれついて目が見えないのですが、
それを周囲の臣下の人達がサポートして、
不自由なく暮らせるような「秘密の国」を作っているんですね。
面白いのはお姫様に、
見るという行為などはなくて、
人間は触れて感じるのが当然、
と信じ込ませているのです。
だから、そこでは「見る」とか「見える」とか、
「色」というのは禁句なんですね。
そこに青年貴族がやって来て、
何も知らずに「君目が見えないの?」とかと言ってしまうので、
さあ大変、という展開になります。
丁度世界的名医という人がやって来て、
王様に「お姫様の治療をしたい」と言うのですが、
そのためには本人が自分が目が見えていない、
ということを認めて治療を強く希望しないといけない、
と言うので、
王様は「今更そんなことを告げて、ショックを与える訳にはいかない」
と拒否するのです。
そんなときに娘が真実を知ってしまうので、
結果的にお姫様は治療を受け入れ、
目が見えるようになったお姫様は貴族と結婚して、
祝祭的なエンディングになります。
これね、
「光が見えないことは神に近づけないことだ」
みたいな台詞もあるので、
昔の話だし、
ちょっと差別的ではあるのですね。
ただ、テーマ的にはそうしたことではなくて、
貴族は王様に、
「娘さんの目が見えても見えなくても、私は彼女を愛する」
と言うんですね。
それで最終的には王様も治療を決断するのです。
要するに、
困難から目を背けて、
それがないことにして良しとしていても、
それでは絶対に解決はしない、
ということを言っているんですね。
それを認めた上でリスクを取ることにより、
未来は開けるのだ、と言っているんですね。
今の感覚から言うと、
その困難の例として視覚障害を取り上げるのは、
不適切ではあるのですが、
それは昔の話なので仕方がないのです。
本質はそれに意味を強く置いているということではないのですね。
その意味でとても今日的なテーマでもあると感じました。
キャストは王様のベテラン妻屋秀和さんと、
主人公のイオランタ役の大隅智佳子さんが良かったですね。
特に大隅さんは抜群の歌唱で引込まれました。
先日の「ワルキューレ」でも、
ジークリンデとブリュンヒルデは良かったですし、
日本のドラマチックソプラノは、
とてもレベルが高いなあ、と感心しました。
今回の大隅さんの歌唱は、
海外のスター歌手と比較しても、
全然遜色はないと思いました。
一方でテノールは弱いですよね。
「ワルキューレ」の時もこれじゃなあ、と感じましたし、
今回もあ「あれれっ」という感じでしたね。
それでもこうした事態を逆手にとって、
「日本のオペラ」が成熟することを期待したいと思いますし、
今回はとても感銘を受けた公演でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場で、
2本の短いオペラを同時上演する、
ダブルビルの試みが行われています。
今回上演されたのは、
ストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」と、
チャイコフスキーの「イオランタ」で、
どちらも有名な作品ではありますが、
実際に国内で上演される頻度は、
決して多くはありません。
元々は海外から招聘された歌手が、
メインの役柄にキャスティングされていましたが、
コロナ禍で来日は適わず、
ほぼ国内キャストの布陣での上演です。
これね、それほど期待せずに足を運んだのですが、
チャイコフスキーの「イオランタ」が絶妙に面白くて、
ちょっと感動的でオペラには珍しく少し泣いてしまいましたし、
もっと上演して欲しいなと思いました。
これはチャイコフスキーの晩年のオペラで、
全1幕95分ほどの短い作品なのですが、
物語もとてもユニークで面白いですし、
曲も得意のドラマチックな盛り上げまくりで充実しています。
途中の長大な二重唱はワーグナーみたいですし、
最後にはロッシーニみたいなフィナーレが付いているでしょ。
オペラの色々な魅力がぎゅっと詰まっていて、
途中は感動しますしラストは盛り上がって、
それでいて短いのですから言うことがありません。
お話はね、フランスのプロヴァンスのお姫様が、
絶世の美女だけれど盲目、という設定なんですね。
生まれついて目が見えないのですが、
それを周囲の臣下の人達がサポートして、
不自由なく暮らせるような「秘密の国」を作っているんですね。
面白いのはお姫様に、
見るという行為などはなくて、
人間は触れて感じるのが当然、
と信じ込ませているのです。
だから、そこでは「見る」とか「見える」とか、
「色」というのは禁句なんですね。
そこに青年貴族がやって来て、
何も知らずに「君目が見えないの?」とかと言ってしまうので、
さあ大変、という展開になります。
丁度世界的名医という人がやって来て、
王様に「お姫様の治療をしたい」と言うのですが、
そのためには本人が自分が目が見えていない、
ということを認めて治療を強く希望しないといけない、
と言うので、
王様は「今更そんなことを告げて、ショックを与える訳にはいかない」
と拒否するのです。
そんなときに娘が真実を知ってしまうので、
結果的にお姫様は治療を受け入れ、
目が見えるようになったお姫様は貴族と結婚して、
祝祭的なエンディングになります。
これね、
「光が見えないことは神に近づけないことだ」
みたいな台詞もあるので、
昔の話だし、
ちょっと差別的ではあるのですね。
ただ、テーマ的にはそうしたことではなくて、
貴族は王様に、
「娘さんの目が見えても見えなくても、私は彼女を愛する」
と言うんですね。
それで最終的には王様も治療を決断するのです。
要するに、
困難から目を背けて、
それがないことにして良しとしていても、
それでは絶対に解決はしない、
ということを言っているんですね。
それを認めた上でリスクを取ることにより、
未来は開けるのだ、と言っているんですね。
今の感覚から言うと、
その困難の例として視覚障害を取り上げるのは、
不適切ではあるのですが、
それは昔の話なので仕方がないのです。
本質はそれに意味を強く置いているということではないのですね。
その意味でとても今日的なテーマでもあると感じました。
キャストは王様のベテラン妻屋秀和さんと、
主人公のイオランタ役の大隅智佳子さんが良かったですね。
特に大隅さんは抜群の歌唱で引込まれました。
先日の「ワルキューレ」でも、
ジークリンデとブリュンヒルデは良かったですし、
日本のドラマチックソプラノは、
とてもレベルが高いなあ、と感心しました。
今回の大隅さんの歌唱は、
海外のスター歌手と比較しても、
全然遜色はないと思いました。
一方でテノールは弱いですよね。
「ワルキューレ」の時もこれじゃなあ、と感じましたし、
今回もあ「あれれっ」という感じでしたね。
それでもこうした事態を逆手にとって、
「日本のオペラ」が成熟することを期待したいと思いますし、
今回はとても感銘を受けた公演でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。