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「1986年:メビウスの輪」(福島三部作第二部 TPAM2021年再演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
福島三部作.jpg
谷賢一さんが綿密な取材を元に、
福島原発事故に至る福島の軌跡を、
三部作としてそれぞれ2時間ほどの3本の芝居にまとめ、
2018年に第一作が発表され、
2019年には東京でも3部作の一挙上演が行われました。

僕は第一部はアゴラ劇場での初演を観て、
第三部は池袋芸術劇場での公演を観ましたが、
第二部のみは観ることが出来ませんでした。

特に第三部には非常な感銘を受けたので、
第二部を観られていないことが悔やまれてなりませんでした。

今回国際舞台芸術ミーティング in 横浜2021の一環として、
再演が行われたので、
これは是非、と思い劇場に駆けつけました。

この三部作は、
第一部が原発誘致を決めた1961年を、
第二部がチェルノブイリの事故が起きた1986年を、
そして第三部が福島原発事故の2011年を舞台にしています。
それを双葉町の町長を務めた人物の一家の、
年代記的に構成した構成がなかなかユニークで、
3作とも異なったスタイルが取られています。

このうち第三部は敢えて事故が少し落ち着いた、
2011年の暮れ頃を舞台にして、
双葉町周辺の多くの生の「声」を、
詩集のようにまとめた最もシリアスな作風で、
第一部は犬が喋ったりダンスを踊るような、
児童劇的手法も取りながら、
まだ原発が「科学の夢」であった時代の、
牧歌的な世界と将来の悲劇の落差を描いています。
そして、この第二部は、
RCサクセションの「サマータイム・ブルース」をテーマ曲として、
そこで揶揄された「原発は安全だ」の発言をした町長の、
そこに至った道程を、
やや戯画的に描いています。

これはテーマ的には一番重いもので、
原発反対の活動家であった主人公が、
町長選挙に「原発賛成派」として立候補して当選する、
という「変節」の奥にあるものを描いています。
その後すぐにチェルノブイリの事故が起こるので、
自分が最もそれまで軽蔑していた筈の行為を、
「原発は安全だ」と旗振りをする行為をするに至るのです。

日本の演劇史上を振り返っても、
これ以上に興味深く魅力的な人物像はなく、
そこには人間の持つ業のようなものが、
刻印されているように思えます。

特にラストで主人公が語ることの出来なかった思いを、
妻を前にして語ろうとする瞬間に、
孫が出来たという知らせが届いて、
その「家族の幸せ」の前に、
「福島の将来」が葬り去られてしまうという苦さは、
この三部作の中で最も深く心を抉る場面です。

このように非常に深く魅力的なテーマを持つ本作ですが、
その演劇としての見せ方というか、演出方針というか、
その点についてはかなり疑問を持ちます。

演技はかなりカリカチュアされていて、
リアルさは乏しく、
死んだ犬が語り手になって、
ダンスを踊ったりするのは、
個人的にはあまり作品の内容に合った演出とは思えません。

「サマータイム・ブルース」は、
確かに内容を象徴するような楽曲ではありますが、
音楽としての力が強すぎるので、
それが大音響で流れた瞬間に、
主人公の心理のような繊細な描写は、
全て観客の頭からは消えてしまいます。

記者会見の前に主人公が隈取りの化粧をする、
という趣向はどうでしょうか?
意図は勿論分かりますが、
これも内容の繊細さを、
大雑把な演出で消してしまう行為であったように、
個人的には思いました。

この作品はシリアスな会話劇としても、
充分そのままで成立する芝居だと思うので、
これはこれとして、
また別個の演出とキャストで、
是非上演を続けて欲しいと思いました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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