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「異端の鳥」(2020年日本公開映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
異端の鳥.jpg
アメリカに渡ったポーランド人作家が、
1965年に発表した小説「The Painted Bird」を、
チェコ出身のパーツラフ・マルホウル監督が、
11年という歳月を掛けて映画化したという執念の力作が、
今日本でロードショー公開されています。

これは今年公開の作品の中で、
「ミッド・サマー」に匹敵するカルトです。

内容は、東欧のある架空の地域を舞台にして、
ナチスの迫害のため親戚の元に預けられた少年が、
ユダヤ人であることと、
黒い目と黒髪のために「悪魔の手先」として迫害を受け、
家族との再会を目指して、
長い苦難の旅をする、という物語です。

ユリシーズのような、
苦難の旅路を描いた叙事詩的な物語なのですが、
暴力と偏見に満ちた異常な人物が、
フリークスのように次々と登場し、
少年を迫害するというエピソードが、
串団子のようにこれでもか、これでもか、
と続いてゆきます。
長くても数年の第二次大戦中の物語の筈ですが、
意図的に歴史を俯瞰するような表現がなされていて、
前半には女呪術師や、
鳥追いの男など、
中世的な人物が登場し、
後半はソ連軍とドイツ軍が入り混じる、
戦争の世界が描かれます。

ラストのテーマ曲を除けば音楽はなく、
モノクロームでシネスコの画面に、
堂々たるタッチで綴られる物語は、
たとえば1940年代の映画として観ても、
違和感のないような仕上がりです。
鼠の群れに人間を落として殺したり、
スプーンで眼球を抉りだすような残酷描写や、
獣姦趣味の美女などの異様な人物造形は、
突飛にも思われますが、
古い映画は結構こうした理知から外れた異常な描写を、
得意にしていたものなのです。

その一方で、
原題を象徴する、
鳥の群れが塗料を塗られた鳥を迫害し、
殺して落としてしまう場面などは、
CGの進歩した現代でなければ可能ではない表現ですし、
臨場感に溢れた音響効果は、
これも今の技術をもってしか、
なしえないものです。

東欧で撮影された生粋の東欧の映画で、
その独特の空気感がいいですね。
前半はタルコフスキーやドライヤーみたいな、
神秘主義の雰囲気もありますし、
後半の戦闘シーンは、
ワイダ監督の初期の戦争映画を彷彿とさせます。
村を襲うコサックとソ連軍の戦闘シーンなど、
その生身の凄まじさは、
今の映画にはあまりないものでした。

内容的にはね、
物議をかもすというか、
観る人によっては拒否感を覚えるようなところがあるんですね。

主人公の少年は、
最初は「両親と再会したい」という思いがあって、
それで苦難の旅に出たのですが、
「悪魔の手先」と言われて迫害されているうちに、
そんな感情はもうなくなってしまうんですね。
良識的な人が、
「人間性」と言ったり「心」や「精神」と言ったりするものを、
全て失ってしまうんですね。
欧米的には精神の象徴は「言葉」なので、
言葉も失ってしまうのです。
もう人間ではなくなってしまうので、
自分が暴行を受けると、
他人にもそれをするのですね。
老人を暴行してそれで平気だったりするので、
「人間性」みたいなものを信じて映画を観ている人は、
拒否感を覚えるのだと思うのです。

でも、これはそうしたことではないのですね。
この作品の思想においては、
「精神」などというものは一切存在はしていなくて、
周囲の社会や環境がそれを作る、というだけなんですね。
だから、主人公はロシア兵が「目には目を」と復讐すると、
自分も平気で同じことをするのです。

この徹底したニヒリズムのようなものを、
容認出来るかどうかが、
この作品を受け入れられるかどうかの、
分かれ目であるように思います。

僕個人としては、
そこまでニヒリズムでもありませんが、
これはこれでありかな、とは思うので、
変な人間賛歌の映画よりも、
素直に納得して観ることが出来ました。

娯楽映画ではありませんが、
ジュリアン・サンズとかハーヴェイ・カイテルとか、
結構馴染みの名優の競演も楽しいですし、
監督の執念の感じられる堂々たる大作で、
それでいて石井輝男監督の残酷時代劇のようなエグ味もあり、
万人向けではありませんが、
こうしたもののお好きな方であれば、
充実した3時間を味わえることは間違いがありません。

嫌いな方や受け付けない方はいても、
無視出来る映画ではない、
そうした作品で、
個人的には今年最も集中して観ることの出来た1本です。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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