ブリテン「夏の夜の夢」(2020新国立劇場) [オペラ]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場がしばらくぶりにオペラ公演を再開しました。
前シーズンの後半はコロナ禍で全滅となり、
今回がシーズンオープニングということになります。
ただ、チケットの売り出しの際には、
外国人キャストの名前があったのですが、
渡航制限のため結果としてはオール日本人キャストとなっています。
勿論そんなことだろうな、
と思ってはいたのですが、
チケットを売っておいてから変更するというのは、
ほぼほぼ来日はない話なのですから、
ちょっと詐欺的だな、という気はします。
次回は「アルマゲドンの夢」と「こうもり」が11月に予定されていて、
今月変則的に「こうもり」から発売となり、
一応来日キャストも記載はされていますが、
多分無理ですよね。
色々契約の問題などでややこしいことになっているのかな、
と推察はされますが、
聴きに行く方としては、
何やらモヤモヤとしてしまいます。
今回は客席を半分にしてのスタートです。
ただ、同じグループは隣合わせもOKのようです。
最前列の3列はお客さんは入れていません。
ロビーの売店はプログラム販売のみで、
コーヒーも飲めません。
最初に連絡先や氏名を書かされる長い列が出来ていて、
それをしないと会場に入れないという感じです。
その後はまた熱を測定するために長蛇の列になっています。
あまりスマートな感じではなく、
結果として密になっているので、
もう少し考えた方が良いのではないでしょうか?
チケットは客が自分でもぎって半券を箱に入れるよう指示されるのですが、
日時の確認などは時間が掛かり、
結構執拗な感じで行われるので、
これも結果としては時間が掛かって列が長くなりますし、
何かもっと効率的な方法があっても良さそうです。
演目はブリテンの「夏の夜の夢」で、
生で聴くのは初めてです。
シェイクスピアの原作を適度に圧縮した上で、
ほぼ原作通りにオペラ化しています。
「夏の夜の夢」の原作の方は、
シェイクスピアの中でも日本での上演頻度は高い作品で、
原作通りの上演もありますし、
大幅に設定を入れ替えたり、
時代を入れ替えたような舞台も多く上演されています。
僕はこの作品はあまり好きではありません。
何が良いんですかね?
雰囲気かしら?
人間世界と妖精の世界を対比させて、
妖精の世界から人間がイマジネーションを得るみたいな、
藝術の本質を描いたところが良いのかも知れませんね。
ただ、妖精の悪戯による恋愛喜劇という部分が、
大したドタバタにならないで、
格別面白くないですよね。
それで劇中劇がダラダラと長いでしょ。
その部分はいつも退屈で、
途中で帰りたい誘惑にさらされます。
結構色々な上演を観ているのですが、
本家のイギリスの舞台もゲンナリの感じでしたし、
翻訳劇を分かりやすく上演することでは天才的な蜷川演出も、
この作品に関しては声と肉体を分離したり小細工をして、
あまり面白い仕上がりにはならなかった、
という印象があります。
歌舞伎もあったしミュージカルもありましたね。
小劇場版みたいなものも幾つか観ましたが、
変えている割に原作の核の部分の詰まらなさはそのままなので、
面白いと感じたことはありません。
唯一野田秀樹さんがリライトしたヴァージョンは、
パック以外にメフィストフェレスという悪の妖精を付け足して、
ラストは少女の内面世界にまで切り込んだ、
野田さんらしい才気に溢れた傑作でした。
ただ、原作を大きく変えているので、
野田さんのオリジナルとして、
評価した方が良いようにも思います。
今回の演出は名手マクヴィカーのものが元になっているので、
屋根裏部屋から妄想が広がるという、
趣味の良いものになっています。
ただ、こうした引っ越し演出の常で、
せっかく舞台機構の優れた新国立劇場での上演なのに、
動きのない地味なセットでその点は物足りなく感じます。
妖精の王オーべロンを、
カウンターテナーに歌わせるという構想が面白く、
パックは歌手が演じていますが、
歌はなく動きと台詞のみです。
キャストとしてもオーべロンの藤木大地さんが、
スケールの大きなカウンターテナーで魅力的でした。
全体に小粒な舞台でしたが、
アンサンブルが良く安定感のある点は長所で、
これからしばらくは、
新国立劇場はこうした舞台が続くことになるようです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場がしばらくぶりにオペラ公演を再開しました。
前シーズンの後半はコロナ禍で全滅となり、
今回がシーズンオープニングということになります。
ただ、チケットの売り出しの際には、
外国人キャストの名前があったのですが、
渡航制限のため結果としてはオール日本人キャストとなっています。
勿論そんなことだろうな、
と思ってはいたのですが、
チケットを売っておいてから変更するというのは、
ほぼほぼ来日はない話なのですから、
ちょっと詐欺的だな、という気はします。
次回は「アルマゲドンの夢」と「こうもり」が11月に予定されていて、
今月変則的に「こうもり」から発売となり、
一応来日キャストも記載はされていますが、
多分無理ですよね。
色々契約の問題などでややこしいことになっているのかな、
と推察はされますが、
聴きに行く方としては、
何やらモヤモヤとしてしまいます。
今回は客席を半分にしてのスタートです。
ただ、同じグループは隣合わせもOKのようです。
最前列の3列はお客さんは入れていません。
ロビーの売店はプログラム販売のみで、
コーヒーも飲めません。
最初に連絡先や氏名を書かされる長い列が出来ていて、
それをしないと会場に入れないという感じです。
その後はまた熱を測定するために長蛇の列になっています。
あまりスマートな感じではなく、
結果として密になっているので、
もう少し考えた方が良いのではないでしょうか?
チケットは客が自分でもぎって半券を箱に入れるよう指示されるのですが、
日時の確認などは時間が掛かり、
結構執拗な感じで行われるので、
これも結果としては時間が掛かって列が長くなりますし、
何かもっと効率的な方法があっても良さそうです。
演目はブリテンの「夏の夜の夢」で、
生で聴くのは初めてです。
シェイクスピアの原作を適度に圧縮した上で、
ほぼ原作通りにオペラ化しています。
「夏の夜の夢」の原作の方は、
シェイクスピアの中でも日本での上演頻度は高い作品で、
原作通りの上演もありますし、
大幅に設定を入れ替えたり、
時代を入れ替えたような舞台も多く上演されています。
僕はこの作品はあまり好きではありません。
何が良いんですかね?
雰囲気かしら?
人間世界と妖精の世界を対比させて、
妖精の世界から人間がイマジネーションを得るみたいな、
藝術の本質を描いたところが良いのかも知れませんね。
ただ、妖精の悪戯による恋愛喜劇という部分が、
大したドタバタにならないで、
格別面白くないですよね。
それで劇中劇がダラダラと長いでしょ。
その部分はいつも退屈で、
途中で帰りたい誘惑にさらされます。
結構色々な上演を観ているのですが、
本家のイギリスの舞台もゲンナリの感じでしたし、
翻訳劇を分かりやすく上演することでは天才的な蜷川演出も、
この作品に関しては声と肉体を分離したり小細工をして、
あまり面白い仕上がりにはならなかった、
という印象があります。
歌舞伎もあったしミュージカルもありましたね。
小劇場版みたいなものも幾つか観ましたが、
変えている割に原作の核の部分の詰まらなさはそのままなので、
面白いと感じたことはありません。
唯一野田秀樹さんがリライトしたヴァージョンは、
パック以外にメフィストフェレスという悪の妖精を付け足して、
ラストは少女の内面世界にまで切り込んだ、
野田さんらしい才気に溢れた傑作でした。
ただ、原作を大きく変えているので、
野田さんのオリジナルとして、
評価した方が良いようにも思います。
今回の演出は名手マクヴィカーのものが元になっているので、
屋根裏部屋から妄想が広がるという、
趣味の良いものになっています。
ただ、こうした引っ越し演出の常で、
せっかく舞台機構の優れた新国立劇場での上演なのに、
動きのない地味なセットでその点は物足りなく感じます。
妖精の王オーべロンを、
カウンターテナーに歌わせるという構想が面白く、
パックは歌手が演じていますが、
歌はなく動きと台詞のみです。
キャストとしてもオーべロンの藤木大地さんが、
スケールの大きなカウンターテナーで魅力的でした。
全体に小粒な舞台でしたが、
アンサンブルが良く安定感のある点は長所で、
これからしばらくは、
新国立劇場はこうした舞台が続くことになるようです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。