「浅田家!」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
実在の写真家をモデルにした、
大好きな中野量太監督の新作がロードショー公開されました。
あまりの豪華キャストに、
ちょっと心配しながら初日の映画館に足を運びました。
これは結構お勧めです。
素材にこの豪華キャストはちょっと合わないなあ、
この内容ならもっと地味なキャストの方が、
作品の真価は伝わるのではないかしら、
というようには思うのですが、
それは色々大人の事情があるのでしょうし、
これはこれで悪くないと思います。
中野監督と言うと、
処女長編の「湯を沸かすほどの熱い愛」が、
大傑作でカルトという稀有な映画で、
これはもう一目ぼれをしたという感じでした。
第二作の「長いお別れ」は期待したのですが、
認知症というあまり成功例のない、
難しい素材を扱い、
原作もので、
その原作というのがかなり癖のある作品だったので、
はっきり言えば失敗作に終わりました。
ラストがヘンテコで話題になりましたが、
あれは原作通りなんですよね。
お気の毒という感じもしました。
そして三作目の今回は、
「実話」にチャレンジしています。
それも、まだ本人も家族も生きていて、
色々と配慮しないといけないという、
今回もかなり難しい素材です。
ただ、映画を観るとなるほど、という感じがします。
この映画はね、
震災のような災害に対して、
市井の藝術家に何が出来るのか、
という難しいテーマを扱っています。
それを「家族写真」を媒介とした家族の復活、
というユニークな視点でやり遂げようとしているのですね。
この発想を劇映画として成立させるには、
純粋なフィクションでは、
ただの「美談」に終わってしまうので、
成功は難しいのです。
それで、1人の写真家の経験を軸にすることで、
実話とフィクションとのスレスレの部分を狙っているのですね。
まあ、基本的にはフィクションの作りなんですね。
「事実を元にしたお話し(フィクション)」なのです。
ただ、震災という大きな事実と向かい合うために、
そこに「実在の写真家の物語」を介在させることによって、
観客の拒否感を軽減して、
作者の意図を受け入れやすくしているんですね。
この辺り、相当真剣に考えたのだろなあ、
と感じます。
主人公の写真家は、
まず自分の家族の写真をコスプレで撮って、
ある意味自分の家族を出汁にして成功するんですね。
そこにはある意味利己的な感情しかないのですが、
そこから他の家族の写真を撮るようになり、
家族の幅が広がってゆくのですね。
そこに震災が起こって、
今度は崩壊した家族を、
写真で再生するという方向に進むのです。
ある意味とても単純な人物として主人公を描いていて、
最初は自分の家族しか考えていなかったのに、
それが次第に普遍的な家族を考える、
という人物に深化してゆくのです。
主人公が単純である分、
観客は自然にその心理に入り込み、
追体験するようにして共に成長してゆくことになるのです。
なかなか考え抜かれていると感心しました。
これ、主人公の描き方に、
ちょっと失礼な部分があると思うのですね。
それに対するお詫びが、
多分この豪華キャストで、
二宮和也さんに演じてもらえば、
文句はないでしょ、ということにしているのです。
これが多分、
この無意味に豪華なキャストの意味なのだと、
個人的には思います。
監督自身による台本は今回も素晴らしいと思います。
特に前半の父親の年賀状の写真が、
後半の海辺の家族再生につながるあたり、
とてもとてもクレヴァ―だと思います。
絵作りはちょっと黒澤明監督みたいでしたね。
それも「赤ひげ」以降のやや説明過多の黒澤映画、
「どですかでん」みたいな感じです。
後半の少女と主人公の交流とか、
もろ「赤ひげ」でしょ。
ヒューマニズムの表現の仕方が似ているんですね。
それと凝りに凝った構図。
シネスコの画面を縦横無尽に、
幾何学的に使っているでしょ。
防波堤を黒木華さんが決然と歩くところとか、
素敵ですよね。ゾクゾクします。
前半の白眉が白血病の少年の虹の家族写真で、
とても素敵で感銘を受けますよね。
その後震災になるのですが、
富山で自分の展覧会の会場の下見に来ていて、
白い背景の中で微かにだけ揺れを感じるとか、
そのセンスに痺れます。
後半が説明過多になるのは、
ちょっと評価の分かれる部分で、
多分監督としては100人いれば100人に分かる、
という映画を目指したのだと思うのですね。
ただ、海辺の写真での死んだ父親のカットは、
さすがに余計だとは感じました。
ナレーションもくどいですね。
いずれにしても堂々たる力作であることは確かで、
素直に感動できる素敵な映画なので、
誰にでも素直にお勧め出来ます。
是非映画館に足をお運びください。
最後に1つだけ…
週刊新潮の映画評を見たら、
「S」という方が、
「後半が、美談の押し売りで残念」と書かれていて、
勿論個々の人によって感想はそれぞれと思いますが、
とても酷いな、と感じました。
これを読んだら、中野監督、
切ないのじゃないかな。
勿論何故こうした書き方をしたのかは、
何となくは分かるのです。
前述の海辺のカットなど、
説明がちょっと過剰なので、
醒めてしまうようなところが少しあるのですね。
でもね、ここまで震災と藝術との関係に、
真摯にかつ真剣に取り組んだ力作に対して、
そんな小馬鹿にしたような書き方はないのじゃないかな。
この「S」という人の心の中の非人間性のようなものに、
慄然とするような気分になったのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
実在の写真家をモデルにした、
大好きな中野量太監督の新作がロードショー公開されました。
あまりの豪華キャストに、
ちょっと心配しながら初日の映画館に足を運びました。
これは結構お勧めです。
素材にこの豪華キャストはちょっと合わないなあ、
この内容ならもっと地味なキャストの方が、
作品の真価は伝わるのではないかしら、
というようには思うのですが、
それは色々大人の事情があるのでしょうし、
これはこれで悪くないと思います。
中野監督と言うと、
処女長編の「湯を沸かすほどの熱い愛」が、
大傑作でカルトという稀有な映画で、
これはもう一目ぼれをしたという感じでした。
第二作の「長いお別れ」は期待したのですが、
認知症というあまり成功例のない、
難しい素材を扱い、
原作もので、
その原作というのがかなり癖のある作品だったので、
はっきり言えば失敗作に終わりました。
ラストがヘンテコで話題になりましたが、
あれは原作通りなんですよね。
お気の毒という感じもしました。
そして三作目の今回は、
「実話」にチャレンジしています。
それも、まだ本人も家族も生きていて、
色々と配慮しないといけないという、
今回もかなり難しい素材です。
ただ、映画を観るとなるほど、という感じがします。
この映画はね、
震災のような災害に対して、
市井の藝術家に何が出来るのか、
という難しいテーマを扱っています。
それを「家族写真」を媒介とした家族の復活、
というユニークな視点でやり遂げようとしているのですね。
この発想を劇映画として成立させるには、
純粋なフィクションでは、
ただの「美談」に終わってしまうので、
成功は難しいのです。
それで、1人の写真家の経験を軸にすることで、
実話とフィクションとのスレスレの部分を狙っているのですね。
まあ、基本的にはフィクションの作りなんですね。
「事実を元にしたお話し(フィクション)」なのです。
ただ、震災という大きな事実と向かい合うために、
そこに「実在の写真家の物語」を介在させることによって、
観客の拒否感を軽減して、
作者の意図を受け入れやすくしているんですね。
この辺り、相当真剣に考えたのだろなあ、
と感じます。
主人公の写真家は、
まず自分の家族の写真をコスプレで撮って、
ある意味自分の家族を出汁にして成功するんですね。
そこにはある意味利己的な感情しかないのですが、
そこから他の家族の写真を撮るようになり、
家族の幅が広がってゆくのですね。
そこに震災が起こって、
今度は崩壊した家族を、
写真で再生するという方向に進むのです。
ある意味とても単純な人物として主人公を描いていて、
最初は自分の家族しか考えていなかったのに、
それが次第に普遍的な家族を考える、
という人物に深化してゆくのです。
主人公が単純である分、
観客は自然にその心理に入り込み、
追体験するようにして共に成長してゆくことになるのです。
なかなか考え抜かれていると感心しました。
これ、主人公の描き方に、
ちょっと失礼な部分があると思うのですね。
それに対するお詫びが、
多分この豪華キャストで、
二宮和也さんに演じてもらえば、
文句はないでしょ、ということにしているのです。
これが多分、
この無意味に豪華なキャストの意味なのだと、
個人的には思います。
監督自身による台本は今回も素晴らしいと思います。
特に前半の父親の年賀状の写真が、
後半の海辺の家族再生につながるあたり、
とてもとてもクレヴァ―だと思います。
絵作りはちょっと黒澤明監督みたいでしたね。
それも「赤ひげ」以降のやや説明過多の黒澤映画、
「どですかでん」みたいな感じです。
後半の少女と主人公の交流とか、
もろ「赤ひげ」でしょ。
ヒューマニズムの表現の仕方が似ているんですね。
それと凝りに凝った構図。
シネスコの画面を縦横無尽に、
幾何学的に使っているでしょ。
防波堤を黒木華さんが決然と歩くところとか、
素敵ですよね。ゾクゾクします。
前半の白眉が白血病の少年の虹の家族写真で、
とても素敵で感銘を受けますよね。
その後震災になるのですが、
富山で自分の展覧会の会場の下見に来ていて、
白い背景の中で微かにだけ揺れを感じるとか、
そのセンスに痺れます。
後半が説明過多になるのは、
ちょっと評価の分かれる部分で、
多分監督としては100人いれば100人に分かる、
という映画を目指したのだと思うのですね。
ただ、海辺の写真での死んだ父親のカットは、
さすがに余計だとは感じました。
ナレーションもくどいですね。
いずれにしても堂々たる力作であることは確かで、
素直に感動できる素敵な映画なので、
誰にでも素直にお勧め出来ます。
是非映画館に足をお運びください。
最後に1つだけ…
週刊新潮の映画評を見たら、
「S」という方が、
「後半が、美談の押し売りで残念」と書かれていて、
勿論個々の人によって感想はそれぞれと思いますが、
とても酷いな、と感じました。
これを読んだら、中野監督、
切ないのじゃないかな。
勿論何故こうした書き方をしたのかは、
何となくは分かるのです。
前述の海辺のカットなど、
説明がちょっと過剰なので、
醒めてしまうようなところが少しあるのですね。
でもね、ここまで震災と藝術との関係に、
真摯にかつ真剣に取り組んだ力作に対して、
そんな小馬鹿にしたような書き方はないのじゃないかな。
この「S」という人の心の中の非人間性のようなものに、
慄然とするような気分になったのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。