三谷幸喜「大地」(ウェブ配信版観劇) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
朝からレセプト作業をして、
午後から演劇のライブ配信を観ました。
こちらです。
三谷幸喜さんの新作「大地」が、
客席を減らしたソーシャルディスタンス版として、
今上演されています。
もともと人気なのに席数を減らしているので、
僕も抽選には応募しましたが撃沈しました。
それで仕方なく配信版を観たのですが、
結論的には配信で充分かな、
というように感じました。
作品は「第17捕虜収容所」みたいな収容所の群像劇ですが、
収容されているのが全員役者というのがミソで、
ある種の役者論と観客論のようになります。
ラストはかなりビターで、
小細工のような笑いの要素は希薄です。
悪いということではないのですが、
三谷さんとしては、
かつての新劇を意識した作風の1つで、
如何にも古めかしく、
僕にはあまり好みではない世界でした。
最近の作品には割とそうしたものが多いのですが、
これなど井上ひさし作品そのものという感じでしょ。
舞台面も非常に地味で動きが少なく、
申し訳ないですが、
実際に劇場に足を運んでいたら、
覚醒したまま観劇することは、
難しかったと思います。
ただ、勿論さすが三谷幸喜というところもあって、
決め手となるラストの台詞と共に、
不在の1つの椅子がスポットに照らされた時には、
ちょっと鳥肌の立つような思いがありました。
なるほど、これがやりたかったのね、
という感じです。
幕間でおちゃらけもありましたが、
この作品は基本的に大泉洋さんのための芝居ですね。
彼のラストの芝居のためにあるような戯曲ですし、
大泉さんもいつもの遊びを相当封印して、
ラストを計算しつつ緻密かつ熱の籠った芝居をしていたと思います。
他のキャストは正直少し地味ですよね。
この役この人でなくていいのに、
というようなキャスティングが多くて、
「お友達人事」みたいな感じもありましたよね。
辻萬長さんのお芝居を、
役者演技の理想形として提示したり、
浅野和之さんを世界的なパントマイムの名手にして、
そのマイムを延々と演じさせたり、
こういうものを誰が期待しているのかしら、
それは結局身内受けを期待しているもので、
一般の観客向けのサービスではないのじゃないのかな、
というようには感じました。
クドカンとか演劇人の方は挙って絶賛されていて、
まあ、ラストまで観ると、
身内の方は絶賛するしかないですよね。
それ以外に言葉はない、という感じ。
ただ、そうでなくてもいつもプレミアチケットなのに、
今回は席数も少なくてより特権的な観客しか劇場に足を運べないので、
それを3000円払ってスマホで観ている自分は何なかな、
これで済むなら結局ライブなんてなくてもいいじゃん、
と複雑な思いにも捉われてしまいます。
要するに「劇場に足を運ぶことは素晴らしい」
ということを言っているのに、
実際には足を運ぶことはとても難しくて、
身内の方しか出来ない訳でしょ。
「観客賛歌」というのがテーマである筈なのに、
実際の観客は選ばれた少数の人と身内だけでしょ。
この辺りに、ライブという形態の難しさがあるように、
このようなコロナ禍の現在では特に感じました。
役者同士の距離を取って、
感染防御に努めたような説明があったのですが、
配信で舞台を観る限りは、
それほどそうした配慮や新しい舞台作り、
という印象は希薄でした。
役者の位置関係など気を遣っていることは分かりますが、
でも役者の1人が感染していれば、
絶対に集団感染にはなりますよね。
誤解ないように言いますが、
それが悪いと言っている訳ではないのです。
いつものことで日本人は「安全神話」を求めますが、
そんなものはない、ということを言いたいのです。
こうしたライブは感染するのです。
それは仕方のないことで、
問題はその上でどのレベルで社会がこうした状況を許容するのか、
という1点にしかない、
というような気がします。
観んなで飲んだくれて大騒ぎしたい、
大声で歌を歌いたい、唾の掛かるような芝居を観たい、
そうした欲望はあって良いのです。
それを全て否定はできないけれど、
感染のリスクは勿論ありますよ、
ということなのです。
ステッカーを貼っただけで、
それが「安全」になる訳はないのです。
あんな自己申告の「お札」に意味はないでしょ。
感染しないような方法には限界があり、
絶対に「安全」にはならないので、
何処までの危険を許容して、
実際に感染が起こった時に、
どのようにしてそれを最小に封じ込めるのか、
問題はその点に尽きるように考えます。
まあでも、今後はこうした配信が、
演劇においても主体となってゆくことは間違いがなく、
そこで「ライブ」というものの意味が、
今後は根底から問われることになるのではないでしょうか?
そのうちに、
「お前は知らないだろうけれど、昔はこういう演劇というものを、
配信ではなく劇場で実際に観ていたんだよ」
とお父さんが言うと、息子が、
「お父さん達はどうしてそんな感染リスクのある危険なことをしていたの?」
と聞かれるような時代になるのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
下記書籍発売中です。
よろしくお願いします。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
朝からレセプト作業をして、
午後から演劇のライブ配信を観ました。
こちらです。
三谷幸喜さんの新作「大地」が、
客席を減らしたソーシャルディスタンス版として、
今上演されています。
もともと人気なのに席数を減らしているので、
僕も抽選には応募しましたが撃沈しました。
それで仕方なく配信版を観たのですが、
結論的には配信で充分かな、
というように感じました。
作品は「第17捕虜収容所」みたいな収容所の群像劇ですが、
収容されているのが全員役者というのがミソで、
ある種の役者論と観客論のようになります。
ラストはかなりビターで、
小細工のような笑いの要素は希薄です。
悪いということではないのですが、
三谷さんとしては、
かつての新劇を意識した作風の1つで、
如何にも古めかしく、
僕にはあまり好みではない世界でした。
最近の作品には割とそうしたものが多いのですが、
これなど井上ひさし作品そのものという感じでしょ。
舞台面も非常に地味で動きが少なく、
申し訳ないですが、
実際に劇場に足を運んでいたら、
覚醒したまま観劇することは、
難しかったと思います。
ただ、勿論さすが三谷幸喜というところもあって、
決め手となるラストの台詞と共に、
不在の1つの椅子がスポットに照らされた時には、
ちょっと鳥肌の立つような思いがありました。
なるほど、これがやりたかったのね、
という感じです。
幕間でおちゃらけもありましたが、
この作品は基本的に大泉洋さんのための芝居ですね。
彼のラストの芝居のためにあるような戯曲ですし、
大泉さんもいつもの遊びを相当封印して、
ラストを計算しつつ緻密かつ熱の籠った芝居をしていたと思います。
他のキャストは正直少し地味ですよね。
この役この人でなくていいのに、
というようなキャスティングが多くて、
「お友達人事」みたいな感じもありましたよね。
辻萬長さんのお芝居を、
役者演技の理想形として提示したり、
浅野和之さんを世界的なパントマイムの名手にして、
そのマイムを延々と演じさせたり、
こういうものを誰が期待しているのかしら、
それは結局身内受けを期待しているもので、
一般の観客向けのサービスではないのじゃないのかな、
というようには感じました。
クドカンとか演劇人の方は挙って絶賛されていて、
まあ、ラストまで観ると、
身内の方は絶賛するしかないですよね。
それ以外に言葉はない、という感じ。
ただ、そうでなくてもいつもプレミアチケットなのに、
今回は席数も少なくてより特権的な観客しか劇場に足を運べないので、
それを3000円払ってスマホで観ている自分は何なかな、
これで済むなら結局ライブなんてなくてもいいじゃん、
と複雑な思いにも捉われてしまいます。
要するに「劇場に足を運ぶことは素晴らしい」
ということを言っているのに、
実際には足を運ぶことはとても難しくて、
身内の方しか出来ない訳でしょ。
「観客賛歌」というのがテーマである筈なのに、
実際の観客は選ばれた少数の人と身内だけでしょ。
この辺りに、ライブという形態の難しさがあるように、
このようなコロナ禍の現在では特に感じました。
役者同士の距離を取って、
感染防御に努めたような説明があったのですが、
配信で舞台を観る限りは、
それほどそうした配慮や新しい舞台作り、
という印象は希薄でした。
役者の位置関係など気を遣っていることは分かりますが、
でも役者の1人が感染していれば、
絶対に集団感染にはなりますよね。
誤解ないように言いますが、
それが悪いと言っている訳ではないのです。
いつものことで日本人は「安全神話」を求めますが、
そんなものはない、ということを言いたいのです。
こうしたライブは感染するのです。
それは仕方のないことで、
問題はその上でどのレベルで社会がこうした状況を許容するのか、
という1点にしかない、
というような気がします。
観んなで飲んだくれて大騒ぎしたい、
大声で歌を歌いたい、唾の掛かるような芝居を観たい、
そうした欲望はあって良いのです。
それを全て否定はできないけれど、
感染のリスクは勿論ありますよ、
ということなのです。
ステッカーを貼っただけで、
それが「安全」になる訳はないのです。
あんな自己申告の「お札」に意味はないでしょ。
感染しないような方法には限界があり、
絶対に「安全」にはならないので、
何処までの危険を許容して、
実際に感染が起こった時に、
どのようにしてそれを最小に封じ込めるのか、
問題はその点に尽きるように考えます。
まあでも、今後はこうした配信が、
演劇においても主体となってゆくことは間違いがなく、
そこで「ライブ」というものの意味が、
今後は根底から問われることになるのではないでしょうか?
そのうちに、
「お前は知らないだろうけれど、昔はこういう演劇というものを、
配信ではなく劇場で実際に観ていたんだよ」
とお父さんが言うと、息子が、
「お父さん達はどうしてそんな感染リスクのある危険なことをしていたの?」
と聞かれるような時代になるのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
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