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新型コロナウイルスの発症前感染リスクについて [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
コロナウイルスの感染解析論文.jpg
Nature Medicine誌に2020年4月15日にウェブ掲載された、
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染の仕方を分析した論文です。

中国の研究者によるもので、
77組の感染経路の明確な感染者のペアを解析して、
発症前後どのくらいの時期に、
その人から人への感染が起こるのかを数理的に解析しています。

これまでにも同様の研究は複数あるのですが、
さすがネイチャー・クオリティというのか、
例数も多く分析も緻密かつ的確で、
この問題はほぼこれで解決したと言って良いようです。

新型コロナウイルス感染症(SARS-CoV-2)は、
その名称の通りSARSコロナウイルスに、
遺伝子レベルでの相同性が高く、
その性質も同様なのではないかと、
そのウイルス同定当時には考えられていました。

それでは、SARS原因ウイルスの感染様式は、
どのようなものなのでしょうか?
こちらをご覧下さい。
コロナウイルス感染様式SARSとインフルエンザ.jpg
これは上記文献にある図ですが、
上半分はSARSの感染様式を示し、
下半分は季節性インフルエンザの感染様式を示しています。

よく潜伏期(latent period)という言い方をします。
これはある患者さんが感染してから、
熱などの症状が出るまでの時間ですが、
ここでは2つの指標が重要視されています。
serial interval とincubation periodです。
これはあまり良い日本語がないのですが、
serial intervalというのはある患者さんが熱などの症状を出してから、
その患者さんから感染した別の患者さんの症状が、
出るまでの時間のことで、
incubation periodというのは、
感染が起こってから症状が出るまでの時間のことです。

上の図のSARSのケースでは、
incubation periodが4から5日であるのに対して、
serial intervalは10から11日です。
要するにSARSの場合、
人から人に感染するのは、
発熱などの症状が出てからのことで、
それも症状が発症してから10日目くらいがピークになります。
感染力がなくなるには14日くらいは待たないといけません。
従って、SARSの封じ込めは、
症状が発生したら隔離する、
という対応で問題がないのです。

一方で下のインフルエンザのケースを見ると、
incubation periodが2日であるのに対して、
serial intervalは2から4日です。
これはどういうことかと言うと、
インフルエンザは患者さんに熱などの症状が発症する、
2日くらい前には既に感染力があり、
熱の出た初日くらいが周囲に感染し易いピークで、
6から8日くらいで感染はしなくなります。

それでは、今回の新型コロナウイルスの場合はどうだったのでしょうか?
こちらをご覧下さい。
コロナウイルス感染様式の仮定図.jpg
これは今回の新型コロナウイルス感染症の感染様式について、
3つのケースを想定したものです。
真ん中の2はSARSに近いパターンで、
当初想定されていたものです。
一番下の3はインフルエンザに近いパターンです。
そして一番上の1はその中間くらいのパターンです。

そして、実際の事例を解析した結果、
実際の感染パターンはこの図の3に近く、
incubation periodが5.2日であるのに対して、
serial intervalは平均で5.8日です。
感染は症状の出現する2.3日(95%CI:0.8から3.0)前から始まり、
ピークは症状出現0.7日前(95%CI:0.2から2.0)にあります。
二次感染の44%は症状出現前に起こっていることも推測されました。

これはもう結果論となってしまいますが、
今回の新型コロナウイルス感染が世界中に広がった一因は、
感染拡大当初に、
無症候の患者からの感染はあるとしても少ない、
という考えから、
症状出現後の患者の追跡や隔離に重点をおいてしまったことで、
実際にはその感染のピークは症状出現前にあり、
そのため多く感染が、
見えないところで拡大してしまったのです。

こうした状況になってしまうと、
有効な治療薬や予防薬、
ワクチンなどが利用可能となるまでは、
症状のあるなしに関わらず一定期間、
人間同士の接触を避けるという対策以外に、
一旦広がってしまった感染を収束に向かわせるのに有効な方法は、
存在しないというのが現実なのです。

これね、ここまで明確なことが分かっているのに、
今日本の保健所の対応は、
全てそうかは分かりませんが、
肺炎が確定しているか、
それが強く疑われないとPCR検査には廻さない、
という方針なんですよね。
昨日もはっきりそう言われたんですよね。

それはもうケースバイケースじゃないかしら。

自宅待機して様子を見られる状態の人ならそれでもいいですよ。
患者さんにも個別にそう説明してますよ。
「今の方針はこうなっているので、
申し訳ないのですが様子をみてもらうしかないんです」
と言っていますよ。
それで何か変化があれば、
すぐにクリニックに連絡をもらうように対応してますよ。

でも、
お願いしているのは施設に入所している認知症の高齢者で、
それも緊急ショートなので、
強制的に入所になったんですよ。
デイケアとか全て中止しているのに、
行政の指示で入所になった人なんです。
それが入所の翌日から発熱しているのですから、
それはもう困るでしょ。
主治医もいないんですよ。
施設に感染が広がったら一大事なので、
それで早期の検査を、とお願いしているのに、
それでも「駄目だ」と言うのですよ。

何故ですか?

ここまでされると、
もう本当に感染を広げたいのかしら、
というくらいに思ってしまいます。

すいません。愚痴でした。

それでは今日はこのくらいで。

1日も早くこの状況が収束に向かいますように。

石原がお送りしました。
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「潜水服は蝶の夢を見る」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
今日は1日家に籠る予定です。

休みの日は趣味の話題です。
映画館も休みで新しい映画は観ていないので、
僕の好きな映画についての話です。
今日はこちら。
潜水服は蝶の夢を見る.jpg
今日ご紹介するのは、
2007年製作のフランス・アメリカ映画「潜水服は蝶の夢を見る」です。

この間の「コンティジョン」と同じく、
医療系のサイトに書いた記事をアレンジしています。
その記事はこちら。
https://epilogi.dr-10.com/articles/4440/

脳卒中の後遺症で、
左目以外の全ての体の自由を失った男性が、
瞬きだけで他人に意志を伝え、
自分の生活や思いを綴った
「潜水服は蝶の夢を見る」というエッセイを完成させる、
という実話の映画化です。

日本でも有名なフランスのファッション誌
「ELLE」の編集長であった、
ジャン・ドミニク・ボビーは、
43歳であった1995年に脳幹卒中に受傷し、
一命は取り留めたものの、
左の瞼と眼球運動以外の全身の筋肉が麻痺し、
それでいて意識は清明という、
閉じ込め症候群と呼ばれる状態になります。

しかし、
左目の瞬きと眼球の動きだけで文章を綴り、
1997年に自伝的エッセイを出版。
同年にはフランスのテレビでドキュメンタリーが放映され、
非常な評判となります。

そして、
彼は本の出版からほどなく、
肺炎のためその生涯を終えたのです。

映画はその自伝的エッセイの記載を元にしながら、
ボビーが昏睡から目覚めた瞬間から、
本が完成するまでを、
詩的にかつ繊細に表現してゆきます。

映画化は非常に困難な題材ですが、
感性豊かなスタッフの手によって、
これまでに類例のない作品になっています。

この映画は閉じ込め症候群に陥った主人公の視点から、
全ての場面が構成されています。
主人公は左目以外の視界はないのですから、
それを画面に映すしかない訳です。
果たしてどうすれば、
それを一般の観客が観る映画として、
成立させることが出来るのでしょうか?

非常に無謀な企てのように普通は思います。
実際にはどうかと言うと、
始まりから30分くらいまでは、
確かにその通りに展開されます。

主人公のぼんやりした視界が表現された映像が、
本人のナレーションと共に延々と画面に映し出されるのです。

しかし、
主人公が「自分には想像力と記憶が残されている」
と自覚した時点から、
通常の映画のように,
主人公を外から撮影した場面が挿入されるようになります。

つまり、
主人公が想像している現実と、
記憶の中の過去の風景が、
一緒に映像化されているのです。

多視点の場面が交互に連携し、
魔術的な編集で、
いつの間にか観客は主人公の意識と一体化して、
その心の世界を共有することになる訳です。

以前「ジョニーは戦場に行った」という映画があり、
戦争の犠牲になって同じような境遇になった兵士の視点で、
物語が展開されていました。
ただ、実際には今回のように、
主人公の視点が一貫している、
という感じではなく、
通常の映画に時々一人称がインサートされている、
といった感じでした。

こうした試みが一貫されている商業映画というのは、
これまでには類がないものだと思います。

主人公を演じているのは、
フランスの演技派マチュー・アマルリックで、
特殊メイクも相俟って、
事故後の姿は極めてリアルに表現されています。

販売されているこの映画のDVDには、
元になったドキュメンタリーが収録されているのですが、
ほぼほぼ実物と見まごうばかりに、
主人公が再現されていることに驚きます。

この作品の主人公は女性遍歴も華々しいプレイボーイで、
必ずしも模範的な人格ではありません。
事故後の動かない体においても、
献身的なかつてのパートナーで自分の子供の母親よりも、
お見舞いにも来ない恋人の方に愛情を持ち、
それを隠さず吐露するようなところもあります。
左目しか動かないのに、
その視線は女性の胸元やスカートの中を追いかけています。
ただ、
そうした姿を赤裸々に見せることで、
この映画はきれい事ではない人間の生というものを、
リアルに捉えることに成功しているのです。

お手本になっているのはフェリーニの「8 1/2」で、
そっくりなぞっているような場面もあります。

僕はこの映画の感性のようなものが好きで、
主人公がエッセイを書き始めて、
その朗読のナレーションに、
主人公の意識の流れが被ってゆくところなど、
そのリズムの心地良さに陶然としますし、
本当に生の深淵というものを、
死と生のギリギリの被膜のような部分を、
覗き込んだような気分にさせてくれるのが好きです。

監督は昨年ゴッホの映画など公開されましたが、
あまり出来は良くなく、
左程評判にもなりませんでした。

監督にとってもこの作品は、
一期一会という感じのテーマであったのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「まぼろしの市街戦」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
まぼろしの市街戦.jpg
「まぼろしの市街戦」は、
1967年公開のフランス・イタリア合作映画で、
昔から結構偏愛する方の多い作品です。

日本公開は同じ1967年ですが、
かなり頻繁にテレビで流れ、
東京圏では東京12チャンネルの、
お昼の時間帯の常連作品でした。

僕も小学生の頃、
風邪で学校を休んだ時などに、
熱に浮かされたような状態で、
何度もこの作品を観ました。

ちょっとトラウマ的な強烈さがあって、
その時の印象は今でも僕の人生観に、
ある種の影響を与えています。

最近4K修復版でリバイバルもされたようなので、
その時に観られた方もいるかと思います。

これはただ、
学校をずる休みして観るような感じの映画ですね。

「ずる休みしていいよ。休んじゃいなよ」
と言ってくれてるようなところがあるでしょ。

個人的には映画館で座って観るような映画じゃないな、
というように思っています。
モンティパイソンのテレビ放送が始まったのと、
同じころにテレビで見たのですが、
ちょっと似たテイストがあるでしょ。
また声優陣が同じだったので、
余計にそんな気分で見たのだと思います。

物語は第一次大戦下のフランスの田舎町が舞台で、
ドイツ軍が時限爆弾を仕掛けて撤退した後に、
出来損ないと軍隊でもいじめにあっていた、
冴えない通信兵が、
たった一人で爆弾の解除を命じられて、
町に潜入するのです。

町の住人は爆弾のことを知って、
全て逃げ出してしまうのですが、
サーカスの動物と、
精神病院の患者さん達が、
取り残されてしまいます。

患者さん達は門を出て、
これ幸いと町の住人に成りすまします。
動物が町に放たれ、
着飾ったどの時代とも知れない扮装の、
患者さん達が町に溢れ、
町は奇跡的なユートピアのような空間に変貌します。

そこに入った通信兵は、
偽の町の人達に、
自分達の国王として崇められ、
どうにか仕掛けられた爆弾を解除しようと、
奮闘することになるのです。

爆弾は何とか解除されるのですが、
敵対する軍隊が、
町に潜入し、
互いに戦って両者全滅してしまいます。
その光景を見た患者さん達は、
「何て馬鹿馬鹿しい」と衣装を投げ捨て、
再び精神病院の中に戻ってしまいます。

白日夢のような町の情景が美しく、
子供心にも、
人生とは何だろう、と考えてしまう、
魅力的な作品です。

ただ、精神疾患の患者さんを、
一種の被差別者の象徴として使っているので、
今ではちょっと微妙で、
成立はし難い作品です。
この作品の中の精神病院の患者さんというのは、
現実の世界とは別種の世界に生きている人達、
という意味合いで、
現在の精神疾患の患者さん、
という意味合いとは違うのですが、
それが混同して捉えられてしまう危険が、
今では生じてしまうからです。

作品の中段に象徴的な場面があって、
もう爆弾の解除は無理と考えた通信兵が、
町の患者さんを救おうと、
自ら自分が王だと名乗り、
王の命令で町の人を外に逃がそうとするのですが、
住人達は町の門から外に出ようとしません。

それで通信兵は、
「お前らは○○○○だから分からないんだ」
みたいに公爵と呼ばれる患者さんをなじると、
公爵は真顔になって、
「それなら人殺しの世界に戻りなさい」
と言うのです。

本来はこうした台詞があると、
戦争が馬鹿馬鹿しいので、
○○○○を装っていた、
ということになり、
設定の面白さが崩れてしまうのですが、
作り手としては、
矢張り批評的な台詞をちょっと挿んだ方が、
作品の意図が伝わり易い、
という判断があったのではないかと思います。

深読みをする評論家めいた観客に対して、
少しサービスをして見せた訳です。

その証拠に、
こうした場面は映画の中では、
この一瞬しか存在しません。

今観返すと「蛇足だなあ」という感じがするのですが、
子供の頃に観た時には、
こういうところが胸に刺さるんですね。
純真というのとはちょっと違うと思うのですが、
まあ子供は騙され易いということの裏返しなのかも知れません。

それはともかく…

僕は小学校の低学年の時に、
最初にこの作品を観て、
その時は○○○○はそのまま発声されていました。
それが高学年の時に観ると、
同じ台詞は消えていて、
無音で口がパクパクしているだけの、
なんだか訳の分からない吹き替えになっていました。

後年購入したDVDに収録されている吹き替え音声は、
昭和49年の物と書かれていて、
僕の聞いたものと同じだと思いますが、
もう当該部位は消音されているパターンでした。
要するに元の音源から、
既に消去されてしまったのだと思います。

言葉が消される、という事実に、
非常に子供心にショックを受けたのですが、
この頃からそうした修正が、
行なわれるようになったのです。

勿論仕方のないことだと思いますし、
同じテーマを扱うのにも、
今後は別個の表現が必要とされるのだと思いますが、
何やら切ない気分のすることも事実です。

微妙な問題なので、
今日はこれ以上は触れません。

この作品では冴えない下っ端の兵士が、
幻想の町で王になるのですが、
こうした構造は多くの物語で、
一種の原型のような構造となっています。

デヴィット・リーンの「アラビアのロレンス」は、
僕の大好きな映画ですが、
史実を下敷きにしたようでいて、
実際にはイギリスでは冴えない変わり者の軍人であったロレンスが、
「野蛮人」の国の王になり、
最後はその王位から転落する、
という物語です。

ネバー・エンディング・ストーリーに典型的なファンタジーも、
苛められる冴えない少年が、
異世界ではヒーローになり、
怪物を自分に従わせる物語です。

つまり、
これは構造的には、
被差別の立場にある主人公が、
自分が優位に立てる世界で、
自分とは異質の他者を支配し、
差別する物語です。

僕は別に、
こうした話が良くないと言っている訳ではありません。
人間にとっての娯楽というのは、
良かれ悪しかれそうしたものなのです。
その構造をそのまま描くと、
「差別は良くない」というお行儀の良い理性に反するので、
ファンタジーにしたり、
これこれの時代背景があるので仕方がない、
などと、
色々な言い訳を用意して、
その本質をカモフラージュするのです。

ただ、「まぼろしの市街戦」では、
主人公の兵士は、
○○達のある種の温情によって、
王にしてもらうのです。
それはたちまちに反転してしまう脆いごっこ遊びで、
しかしそうした「遊び」をもってしか、
人間同士の殺し合いという現実に、
立ち向かう方法が存在しないのです。
つまり、現実世界の差別被差別の関係と、
幻想の町での反転した関係とは、
構造自体が異なっている訳で、
映画のフェイクの世界こそが、
真のユートピアを提示出来るのだ、
という作り手の矜持のようなものを、
感じることが出来るのです。

そこにこの作品の色褪せない新しさがあると思います。

今日は僕の好きな映画の話でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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新型コロナウイルス感染症に対するアビガンの効果 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

昨日日本全国に緊急事態宣言が出されました。
ゴールデンウイークが近いことを深刻に捉え、
極力長距離の移動を抑えよう、という趣旨であると思います。
(これは後で読み返した時のためのメモ的記載です)

本日は金曜日でクリニックは休診です。
老人ホームとグループホームの診療には往復し、
戻ったら家に籠もる予定です。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
アビガンの臨床試験.jpg
もうお馴染みの査読前の論文を保存するサーバー、
medRxivに2020年3月27日に投稿された、
インフルエンザ治療薬アビガン(ファビピラビル)の、
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する効果を、
同じくインフルエンザ用に開発されたアルビドール(ウミフェノビル)と、
1対1で比較した臨床試験の論文です。

現状新型コロナウイルス感染症に確実に有効という薬剤はなく、
初期に使用するべきか、
悪化してから使用するべきか、
予防的に使用するべきか、
といった点についての現時点の方針も、
明確にはなっていません。

今度またまとめて記事にしたいと思っていますが、
現状世界的に最も評価され期待されている薬は、
レムデシビルとクロロキン(ヒドロキシクロロキンを含む)で、
アビガンの評価は日本以外ではそこまでではありません。

それは決して根拠のないことではなくて、
培養細胞に新型コロナウイルスを感染させた基礎実験において、
抗ウイルス効果の1つの指標であるEC50
(これはウイルスの増殖を50%抑制する濃度という意味です)
という数値が、
これは低いほど有効性が高いことになるのですが、
レムデシビルが0.77μM、クロロキンが1.13μMであったのに対して、
同じ実験系ではアビガンは61.88μMであったことにも起因しています。

ただ、これはあくまで基礎実験ですから、
臨床的効果はこれとは異なる、
という可能性も勿論あります。

今回の臨床試験は中国で行われたもので、
アビガンと比較されているアルビドールは、
ロシアで開発された抗ウイルス剤で、
現行ロシアと中国のみで使用されています。

薬のメカニズムとしては、
アビガンはRNAポリメラーゼ阻害剤と言って、
感染した細胞の中でウイルスが増殖すること自体を、
ブロックするような仕組みの薬です。
一方のアルビドールはウイルス粒子の突起が、
組織のACE2に結合することを阻害し、
感染の際のウイルス被膜と細胞膜の融合も阻止する、
というユニークな効果を持っています。

どちらもインフルエンザ用に開発され、
新型コロナウイルスにも有効な可能性はあるものの、
現時点までに臨床的なデータは乏しい、
という点では同じです。

今回の臨床試験は中国の3つの病院において、
新型コロナウイルス肺炎と診断された18歳以上の240名を、
くじ引きで2つの群に割り付け、
一方はアビガンを使用し、もう一方はアルビドールを使用して、
7日間の治療後の回復率を比較しています。
この回復というのは、
臨床的に平熱で咳や低酸素血症などが改善している、
という臨床的回復のことを指しています。
その結果、アビガン群での回復率は61.20%であったのに対して、
アルビドール群の回復率は51.67%で、
両者に明確な差は認められませんでした。
発熱や咳の症状に関しては、
アビガン群でやや早く回復する傾向は認められました。

アビガンの有害事象は、
尿酸値の上昇が多く、
それ以外には精神症状や吐き気などの胃腸症状が、
アルビドールより多く認められました。

アビガンについてはもう1つ中国の臨床試験データがあり、
軽症例での一定の改善が認められたというものでしたが、
現在は論文自体が取り下げられています。

日本では症例報告は複数発表されていて、
概ね「改善した」というものですが、
実際には多くの薬剤と併用されているので、
比較対照はなく、臨床試験としての価値のあるものは、
現時点ではまだないようです。

日本の病院では、
「この病院ではこの治療」というような割り付けが、
ある程度行われているように漏れ聞いているので、
アビガンの有効性がある程度まとまった形で、
近い将来に報告されることを期待したいのですが、
現行はこのようなデータしかなく、
手探りで使用をしているのが実際であるようです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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新型コロナウイルス感染症とインフルエンザ肺炎の違いについて [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
コロナウイルスとインフルエンザ肺炎の比較.jpg
Chest誌に2020年4月11日ウェブ掲載された、
重症化してARDSを来した、
新型コロナウイルス肺炎と、
インフルエンザ肺炎の特徴を比較した論文です。

新型コロナウイルス肺炎が報告され始めた頃、
同じ時期に流行していたインフルエンザと比較して、
肺炎になった時の重症度や予後は、
インフルエンザの方が重い、
というような指摘がありました。

新型コロナウイルス肺炎も、
流行性感冒の一種だ、
というニュアンスがあったのですが、
その後新型コロナウイルス感染症が、
世界的なパンデミックになるに至って、
「インフルエンザより軽い」というような意見は影を潜めました。

しかし、以前は新型コロナウイルス感染症が、
実際より軽く見られがちであった反面、
今は重く考えられすぎている、
というきらいもなくはありません。

この2つの感染症の重症型を、
直接比較してみるとどのような違いがあるのでしょうか?

今回の研究は中国の2つの病院において、
急性呼吸窮迫症候群(ARDS)という重症の呼吸不全を発症した、
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)肺炎の患者73名と、
同じくARDSを来した季節性インフルエンザ(H1N1)肺炎の患者75名を、
比較検証しています。

その肺炎像にはそれなりの違いがあります。
こちらをご覧下さい。
コロナウイルス肺炎CT.jpg
こちらは新型コロナウイルス肺炎の患者さんのCT画像です。
上のAは60歳の男性患者で、
典型的なすりガラス様の病変が、
両肺に複数認められています。
下のB(画像のクレジットが誤っている)は75歳の男性患者で、
すりガラス様の変化が肺全体に及んでいます。

次に季節性インフルエンザ肺炎の画像です。
こちらをご覧下さい。
インフル肺炎のCT画像.jpg
上のCは46歳の女性患者で、
内部に気管支の透亮像のある浸潤性陰影が、
比較的広い範囲に認められています。
陰影はすりガラス様陰影より濃くクッキリとしています。
少し肺の間に水も溜まっています。
下のDは66歳の男性患者で、
こちらはすりガラス様の陰影が主体ですが、
一部に胸水の貯留も認められます。

このように、
新型コロナウイルス肺炎ではすりガラス様陰影が、
インフルエンザ肺炎では浸潤性陰影が、
比較的その特徴で、
新型コロナウイルス肺炎では94.5%にすりガラス様陰影が見られ、
インフルエンザ肺炎では45.3%に留まっているのに対して、
浸潤性陰影はインフルエンザ肺炎で多くなっていました。
ただ、勿論画像のDのように、
インフルエンザ肺炎なのに画像の特徴は新型コロナウイルス肺炎様、
ということもあるのです。

症状として新型コロナウイルス肺炎では、
乾いた痰の絡まない咳が多く、だるさが強く、
下痢などの消化器症状も多い、
という特徴が見られます。
その一方でインフルエンザ肺炎では、
痰がらみが強いという特徴があります。

そのARDSでの予後については、
意外にもインフルエンザ肺炎の方が生命予後が悪く、
新型コロナウイルス肺炎での死亡率が28.8%であるのに対して、
インフルエンザ肺炎の入院中の死亡率は34.7%でした。

臓器障害の重症度を示すSOFAスコアは、
新型コロナウイルス肺炎よりインフルエンザ肺炎でより高く、
インフルエンザ肺炎の方が臓器の合併症がより重くなっていました。

この臓器障害のスコアを補正しても、
新型コロナウイルス肺炎より、
その重症度はインフルエンザ肺炎の方が高くなっていました。

今回のデータは条件を合せた適正な比較とは言い難いものですが、
インフルエンザ肺炎が重症化した場合と比較して、
その生命予後は必ずしも新型コロナウイルスでより高い、
ということはなく、
新型コロナウイルスへの恐怖感から、
多くの人はインフルエンザより重い病気と捉えがちですが、
その肺炎の重症度に関しては、
むしろインフルエンザより軽い可能性もあるという知見は、
今だからこそ押さえておいた方が良いように思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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新型コロナウイルスはペットに感染するのか? [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は水曜日で診療は午前中で終わり、
午後は溜まった仕事を整理するつもりです。
産業医や学校医、園医などの活動は、
現時点では全て中止や延期となっています。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
コロナウイルスはペットに感染するのか?.jpg
これは2020年4月10日(多分)にmedRxivに掲載された査読前の論文です。
medRxivというのはまだ査読前の論文を保存しているサーバーで、
今回のものはその重要性から、
その時点で公開されているものです。

査読を受けてチェックされた論文ではないので、
その内容の信頼性は、
現時点ではそれほど高いものではない、
という点には注意が必要です。

皆さんもその点はよくご理解の上お読み下さい。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染が、
人間以外にも成立するのか、と言う点については、
先日Science誌に興味深い論文が掲載されました。

猫、犬、フェレット(いたち)、鶏、豚、七面鳥、
に実験的に新型コロナウイルスを感染させたところ、
猫とフェレットの体内ではウイルスが増殖し、
特に猫では肺炎に繋がる下気道感染や、
猫から猫への空気(飛沫核)感染も認められた、
という結果でした。

この結果をみると、
猫から人への感染の可能性や、
猫で広がった感染が人に影響する、
という可能性も否定は出来ません。

ただ、これは敢くまで実験的な条件なので、
実際にそうしたことが起こっているとは言い切れません。

そこで今回の研究ではフランスにおいて、
20名の獣医学部の学生のコミュニティ(クラス?)で、
2名の新型コロナウイルス感染症の事例がPCRで確認され、
残りの18名の学生のうち11名にも発熱などの症状がある、
という状態で、
その学生が世話をしている猫9匹と犬12匹に、
新型コロナウイルスが感染するかどうかを、
鼻腔と便の検体でのPCR検査と、
血液の抗体価の測定により検証しています。

その結果、
一部のペットが感染の兆候は示したものの、
PCR検査は全て陰性で、
抗体価の上昇も認められませんでした。

つまり、今回のクラスターにおいては、
濃厚接触したと思われる犬や猫への感染は、
起こりませんでした。

これは前述のScience誌の知見とは、
ややかけ離れた感じのする知見で、
それ以外に中国の疫学データでは、
ペットの猫の14.7%で抗体の上昇が認められた、
というものもあります。

従って、
どうやら常に人間のウイルスが猫に感染する、
ということではなさそうですが、
実験的な環境では感染は成立していることから、
この問題については今後も慎重な検証が、
必要であるように思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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新型コロナウイルスと血液型との関係 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
コロナウイルスと血液型.jpg
これは2020年4月11日にmedRxivに掲載された査読前の論文です。
medRxivというのはまだ査読前の論文を保存しているサーバーで、
今回のものはその重要性から、
その時点で公開されているものです。

査読を受けてチェックされた論文ではないので、
その内容の信頼性は、
現時点ではそれほど高いものではない、
という点には注意が必要です。

皆さんもその点はよくご理解の上お読み下さい。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の疫学には、
男性にやや多く発症しているなど、
まだ明確な理由の分かっていない臨床上の特徴があります。
そのうちの1つが、
血液型と発症リスクとの関連についての知見です。

ウイルス感染と血液型と言うと、
ノロウイルス感染症が有名です。
ノロウイルスは腸管の血液型抗原に結合するので、
非分泌型では感染しにくいという性質があり、
またそのタイプによっては、
特定の血液型で感染しやすさに差があります。

今回の新型コロナウイルスに関しては、
3月27付のmedRxivに中国での疫学データの解析結果が報告されていて、
それによると血液型がA型であると、
感染が起こり易く、
O型では起こり難い、
という結果になっていました。

今回の研究はニューヨークにおいて、
1559件の新型コロナウイルスPCR検査データ(陽性682件)を、
血液型毎に解析して、その傾向をみているものです。

その結果、
血液型がA型であると、そうでないより感染のリスクは、
1.338倍(95%CI: 1.072から1.672)有意に高く、
血液型がO型であると、そうでないより感染のリスクは、
20%(0.804;95%CI: 0.654から0.987)有意に低くなっていました。
これはいずれもRh陽性のみで成り立つ所見でした。

一般住民の分布と比較して、
新型コロナウイルス感染症の患者は、
A型とB型は多く、O型は少なくなっていました。

ただ、血液型と病気の重症度や死亡リスクとの間には、
有意な関連はありませんでした。

このように、
中国のみならずニューヨークの解析でも、
新型コロナウイルス感染症がA型に多く、
O型に少ないという傾向は認められていて、
その理由は現時点では不明ですが、
そうした現象のあること自体は、
ほぼ事実と言って良いようです。

今後感染メカニズムなどの知見がより蓄積されれば、
その原因もまた明らかになるかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ヒドロキシクロロキンの新型コロナウイルスへの有効性(中国での単独施設臨床試験) [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
コロナウイルスに対するヒドロキシクロロキンの効果.jpg
これは2020年3月22日にmedRxivに掲載された査読前の論文です。
medRxivというのはまだ査読前の論文を保存しているサーバーで、
今回のものはその重要性から、
その時点で公開されているものです。

今1日に100本以上の新型コロナウイルス関連の論文が、
世界中からこのサーバーにじゃんじゃん蓄積されています。

その集合知が少しでもこの難局の打開に繋がればと思います。

日本発の論文もちょこっとあるのですが、
ほぼ疫学や公衆衛生的なもののみですね。
臨床や基礎実験のデータを、
是非出して欲しいと思います。

ただ、これは査読を受けてチェックされた論文ではないので、
その内容の信頼性は、
現時点ではそれほど高いものではない、
という点には注意が必要です。

皆さんもその点はよくご理解の上お読み下さい。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の治療には、
多くの薬剤が試みられていますが、
その中でも世界的にその有効性が期待され、
一定の臨床データも存在しているのが、
リン酸クロロキンとヒドロキシクロロキン硫酸塩です。

クロロキンはマラリアの治療薬として合成されたもので、
マラリアに有効性がある一方、
心臓への毒性やクロロキン網膜症と呼ばれる、
失明に結び付くこともある目の有害事象があり、
その使用は慎重に行う必要のある薬です。

ヒドロキシクロロキンはクロロキンの代謝産物で、
マラリアの診療に使用されると共に、
関節リウマチやSLEなどの膠原病の治療にもその有効性が確認され、
使用が行われています。
日本ではもっぱらこのヒドロキシクロロキンが、
膠原病の治療薬として保険適応されて使用されています。
その有害事象は基本的にはクロロキンと同一ですが、
その用量設定はマラリア治療よりずっと少なく、
有害事象も用量を守って適応のある患者さんが使用する範囲において、
クロロキン網膜症以外の有害事象は少ない、
というように判断されています。

クロロキンが膠原病に効果があるのは、
免疫系の活性化を抑えて、
免疫を調整するような作用によると考えられています。

言わば免疫調整剤的な効果です。

新型コロナウイルスが重症化する時、
その引き金を引いている要素の1つが、
免疫系の過剰な活性化(サイトカインストーム)である、
というように考えられています。

仮にそうであれば、
適切なタイミングでクロロキンを使用することにより、
新型コロナウイルス肺炎の重症化を、
防ぐことが出来るのではないでしょうか?

その着眼点から、
クロロキンを単独もしくは、
同じように免疫調整作用を持つとされる、
マクロライド系抗菌薬との併用で、
新型コロナウイルス感染症による肺炎に、
試験的な投与が行われているのです。

上記文献の著者らによれば、
病院の長期ヒドロキシクロロキン使用中の80名のSLEの患者さんのうち、
新型コロナウイルス感染症と診断されたり、
それを疑わせるような症状が認められた人は、
1人もいなかったとのことです。
更にその病院で新型コロナウイルス肺炎と診断された178名の患者さんのうち、
ヒドロキシクロロキンを使用継続している人は、
こちらも1人も居ませんでした。

こうした観察を元に、
今回の研究では、
中国の単独施設において、
CTにて肺炎像が確認されている新型コロナウイルス肺炎の患者さん、
トータル62名をくじ引きで2群に分けると、
一方は通常の治療(抗ウイルス剤、ステロイド剤、抗菌剤、酸素療法など)
に加えて、
ヒドロキシクロロキンを1日400mg5日間使用し、
もう一方は未使用として、
使用終了翌日での評価を行っています。

その結果、
体温解熱や咳の改善までに掛かる時間は、
ヒドロキシクロロキン群で2日程度短縮し、
CTにおける治療前と比較した肺炎の改善率は、
ヒドロキシクロロキン使用群で80.6%に対して、
未使用群では54.8%で、
ヒドロキシクロロキンの使用により、
短期間で肺炎が改善することが示唆されました。

これは少数例の短期の成績で、
患者さんの予後自体が改善したとは言い切れないので、
まだヒドロキシクロロキンの有効性は推測の域に留まっています。

4月10日にはクロロキンと抗菌剤のアジスロマイシンを併用した、
臨床試験の報告もあり、
その結果はアジスロマイシンの併用では、
心血管疾患や不整脈のリスクが増加した、
というものになっていました。

また4月11日に報告された、
ブラジルでのクロロキンを使用した、
第二相(Ⅱb)臨床試験の結果では、
トータル量で12グラムと27グラム使用され、
27グラムの高用量では予後が悪かったとされています。

アメリカのFDAは緊急医薬品として、
新型コロナウイルス感染症に対する、
クロロキンの使用を許可しており、
複数の臨床試験も進行中です。

日本でも報告は数例レベルのものしかありませんが、
試験的な使用は行われています。
有効とされたものもありますが、
いずれにしても他の複数の薬剤が併用されているので、
その評価はなかなか難しいところです。

ヒドロキシクロロキンに関しては、
少なくとも単独の使用であれば、
その使用量も現時点でSLEに使用されているものと違いはなく、
その意味では一定の安全性は確立していると思います。

その最も有効性の高い使用のタイミングや適応の選択を含め、
今後の知見の蓄積に期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「ハウス HOUSE」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

大林宜彦監督が亡くなられました。
お悔やみ申し上げます。

大林宣彦の映画は、
色々な意味で一時期は僕の青春でした。

1977年の劇場映画処女作がこちら。
ハウス.jpg
これは封切りで観ました。
僕は中学生で、
1人で映画館に行き始めた頃です。

山口百恵の映画と2本立てだったのですが、
百恵映画は見ませんでした。

その時点で大林宣彦の名前を、
知っていた訳ではありません。
ただ、他の映画を観に行った時にやっていた、
この映画の予告編が、
あまりに奇抜で衝撃的だったので、
これは観なければ、と思ったのです。

実際に観てみると、
ずっと予告編を続けて見ているようで、
いつになったら本編に入るのかな、
と思っていると、
その落ち着かないテンポのまま、
1時間ちょっとの短さで、
映画は終わってしまいました。

納得の行かない気分のまま、
映画館を後にしました。

これは当時流行っていた、
ホラーのパロディのような作品で、
怨霊の取り付いた屋敷に遊びにやってきた、
少女達のグループが、
家に食べられてしまう話です。

ホラーではあるのですが、
脈絡のない短い場面が、
次々と理解する前に流れて行くだけで、
ちっとも怖くはありません。

しかし、、
目まぐるしく旋回し続けるような、
色彩と安っぽいガジェット、
笑えない変なギャグ、
脈絡のない台詞、
そうした中に時々垣間見える、
叙情的な煌きのようなものに、
胸騒ぎのような魅力を感じました。

特にラスト近く、
唯一生き残った大場久美子が、
血が文字通り海になった中を戸板に乗って渡り、
そこで池上季実子演じる怨霊の化身の少女と、
ひしと抱き合う場面には、
理屈を超えた感情の高まりを感じました。

映画を観て、
こんな気分になったことは初めてでした。

映画を観て、
こんな気分になるのだ、
というのがとても不思議でした。

その後、「金田一耕介の冒険」という、
また極めて変な映画があって、
面白いとはとても言えない代物でしたが、
それでもそのラスト近くには、
ちゃんと胸騒ぎのするような場面が用意されていました。

監督が化けたのは、
勿論1982年の尾道物第一作の「転校生」ですが、
これは僕は封切りでは観ていません。

1985年の「さびしんぼう」を、
これはビデオで観て、
もう大学生になってからです。
下宿していたアパートで、
忘れもしませんが早朝の4時から観始めて、
終わった時には胸騒ぎどころではなく感動していました。
それはもう胸をわしづかみにして引き回されるような感じ。
それから多分20回くらいは観たと思います。

これは女性には概ね受けない映画で、
僕は女性から良い感想を聞いたことはありません。
まあ、ネタを割るといけないのでぼかした表現になりますが、
マザコン趣味の極致と、
言えないこともないので、
その女性の描き方に、
反感を覚えるのかも知れません。

総じて大林映画はフェミニズムの対極のようなところがあって、
女性には概ね他の作品も評判が悪いですね。
でも、そうした映画もあって良いかな、
というようには思います。

それから「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の3部作を、
ある年の大晦日に名画座でまとめて観ました。
「時かけ」も好きでしたが、
「転校生」はその時が初見で、
期待が大き過ぎたのか、
それほどに感じませんでした。

「時かけ」はね、大スクリーンで観ると、
テレビとは印象がまるで違う映画なんですよね。
とてもうっとりしますし、
高揚感もあるのです。

「転校生」「野ゆき山ゆき海辺ゆき」「廃市」の辺りは、
あまりに禁欲的で遊びが少ないので、
逆に物足りなく感じるのかも知れません。
監督は正攻法で観客を納得させられるタイプではなく、
「あっ、またやっちゃったな」
と思えるようなやり過ぎが何処かにないと、
その本領が発揮出来ないタイプなのだと思います。

ただ、素晴らしい作品のある一方で、
「ねらわれた学園」とか「漂流教室」とか、
どういう神経で作ったのかわからないような、
超絶的に詰まらない作品が紛れているでしょ。
これが困りますね。

「はるか、ノスタルジィ」という作品が、
あまりに酷くて、何かそれまでの作品へのイメージを、
根底から覆すようなものがあったので、
その後は怖くて観るのを止めました。
「これはあまりに異常だ」と感じたのです。

昨年久しぶりに「花筐」という作品を観て、
昔の「いつか見たドラキュラ」みたいな映画なんですよね。
あれがいい、という方もいるのですが、
正直「本気でそう思っているんですか?」
と尋ねたいような気分になります。
映像がまたビットレートの低いDVDみたいな粗悪さでした。
あれを「映画」と言って良いのかしら。

最近「ハウス」を観直すと、
処女作に監督の全てが凝集されていることに、
改めて驚かされます。
これはまあ、名作と言っていいんですよね。
当時はとてもついていけない感じがしたテンポも、
今観るとむしろ心地良いくらいです。
無駄なカットが1つもないし、
女優さんがともかく魅力的ですよね。
この映画の池上季実子さんは、
今でも僕の夢には時々登場されています。
これは内緒ですけど、
僕の夢に出て来る女性の双璧は、
「ハウス」の池上季実子さんと、
シフォンの歌姫スティーヴィー・ニックスです。

大林映画の僕の好みは、
「ハウス」に「さびしんぼう」、
そしてこれも怪作の「日本殉情伝おかしなふたり」
でベスト3、
番外で「時をかける少女」
といったところです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「戦争と人間 第一部運命の序曲」(山本薩夫監督映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
戦争と人間.jpg
山本薩夫監督の「戦争と人間」は、
五味川純平の長編小説を、
ロマンポルノ路線に舵を切る前の日活が、
その総力を挙げて製作した大作で、
「指輪物語」みたいに3部に分けて製作されました。

今日ご紹介するのはその1作目で、
公開は1970年。
2作目が1971年で、3作目が1973年です。

山本薩夫監督は、バリバリの左翼監督で、
非常に思想性の強い映画を作っていたのですが、
1960年代から娯楽映画の大作に方針転換。
1966年の「白い巨塔」が大ヒットして、
それからそれから立て続けに、
「不毛地帯」、「金環蝕」、「華麗なる一族」などの、
ケレン味に溢れた大作を、
次々と発表します。

僕はこの辺りの映画が以前は凄く好きで、
僕の成長過程にも、
少なからず影響を与えたような気もします。
ただ、最近観直すと、
如何にもの強引なアジテーションがちょっとね、
鼻白む思いはします。
まあ、メディアも含めて当時は、
こうしたアジテーションが、
まっとうに思えた時代だったのです。

僕はただ、今観てもこの「戦争と人間」の第一部だけは、
非常に好きで、殆どのカットを空で言えるくらい、
何度もこの映画を観ています。

実際には、大画面で観たことはありません。

最初に観たのが小学生の時で、
確か第三部の公開に合わせて、
テレビで放映されたのです。

その後テレビで何度か観て、
ビデオが出たのでそれを観て、
それからDVDが出たのでそれを買い、
wowow で放送したものも録画しました。
wowow 版は高画質を期待したのですが、
DVDの原版をただハイビジョン用にしただけのもののようで、
画質はDVDと全く変わりはありませんでした。

この映画は昭和3年に始まり、
同年に起こった張作霖暗殺事件が前半のクライマックスで、
後半は昭和6年の柳条湖事件から、
日中戦争突入までを描きます。
陰謀と夢が渦巻く満州と、日本国内とを対比させながら、
架空の新興財閥伍代家の人々の群像劇が、
様々な階層の人々を対比させつつ展開されます。

主人公は伍代家の次男坊で、
そのおぼっちゃまが、
虐げられた人々との交流を経て、
次第に財閥と軍部が支配する世の中に、
疑問を抱いてゆく訳です。
この主人公の少年時代を、
かつての勘三郎が名子役として演じ、
第二部以降は北大路欣也が引き継ぎます。

ただ、この映画の魅力はその部分ではなく、
悪の魅力を放つ、
伍代家と軍部の面々です。

満州の伍代産業の社長に芦田伸介が扮し、
その配下に三国連太郎がいるのですが、
この2人は本当に素晴らしくて、
今観直してもワクワクします。
芦田伸介の愛人に岸田今日子で、
これも非常に気分です。

僕も勿論戦時中のことなどは知りませんが、
ある程度リアルにこの時代のことが再現出来たのは、
おそらくこの映画くらいが最後だと思います。
(この映画でも第三部はかなり怪しい感じです)
芦田伸介は実際に、
ノモンハン事件に出兵しているんですよ。

古い時代を舞台にした作品は、
もう新たには作っては欲しくないな、
というのが、僕の希望です。

今日は僕の好きな映画の話でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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