「ロマンスドール」(映画版) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
鬼才タナダユキさんが過去に発表した小説を、
自らの脚本で監督も務めて映画化しました。
ラブドールの職人の男性と、
その乳房の型取りのモデルとして知り合った女性との、
性愛の顛末を描くというかなりマニアックな素材です。
主人公の男性に高橋一生さん、
モデルの女性に蒼井優さんというキャストで、
果たしてどのような映画になるのかしら、
と興味が沸きます。
昔日活ロマンポルノの斜陽期には、
こうしたポルノのような藝術のような、
変な映画が沢山ありましたね。
小劇場演劇でも好んで題材になりそうなお話です。
これね、ピエール瀧さんが逮捕前に出演されていて、
ラブドールの会社の社長という大事な役どころを演じているんですよね。
しかも、猥褻絡みで劇中でも逮捕されるのです。
そのためにお蔵入りになりかかったのだと思うのですが、
年も変わってある意味ほとぼりも冷め、
めでたくオリジナルのままに、
公開の運びとなったようです。
感想としては、
ちょっと掘り下げが甘いというか、
ぼんやりとした印象のある映画で、
口当りは悪くなく面白く観ることは出来るのですが、
昔の突き詰めたような性愛映画と比較すると、
淡泊で物足りない印象はありました。
蒼井優さんは素晴らしいんですよね。
当代随一の演技派女優と言って間違いはありませんし、
監督も分かっているので、
執拗に蒼井さんのアップを長回しで撮るんですよね。
それはそれでとても良いのですが、
性愛がテーマの映画であるのに、
蒼井さんはヌードにはなりません。
まあ、彼女的にNGなんですね。
でもね、この映画は蒼井さんの登場シーンで、
工場のシャッターがゆっくり上がってゆくと、
見えなかった顔がゆっくりと見えてくる、
という演出をしているんです。
「隠されたものが露になる」という、
とてもワクワクするカットです。
その後で乳房の型取りをする、
という話になり、
恥じらいながら着替えをして、
ワンピースの胸元をゆっくりと下ろすと、
顔が見えるのと同じ呼吸で、
乳房が姿を現すという構成になっています。
なかなかのセンスですよね。
でも、勿論乳房はNGなので、
そこで画面は蒼井さんの後ろ姿に、
切り替わってしまうんですね。
これはありなのかしら?
かなり疑問に感じます。
映画の後半は繰り返しセックスの場面があるのですが、
その部分も露出は基本的にないのです。
別に蒼井優さんのヌードが見たい、
ということではないのです。
ただ、この映画ではヌードになる必然性があるでしょ。
彼女生き写しのラブドールまで登場しているのに、
本物が裸にならないというのは、
映画として成立しないという気がするんですよね。
レートもPG12でしょ。
ラブドールがバンバン出て来て、
性愛がテーマの映画なのに、
家族同伴なら小学生もOKというのは、
ちょっと何か考え方が根本的に誤っているように、
個人的には思いました。
このままの設定なら、
ヌードがNGでない蒼井さん以外のキャストにするか、
逆に蒼井さんを使うなら物語自体を他の設定に変えるか、
その二択ではなかったかと思うのです。
そんな訳で、これで本当に良かったのかしら、
ラブドールを何か芸術品のように捉えて、
様式的なセックスシーンのみで、
普通の恋愛を描くことに意味があったのかなあ、
これならもっと普通の設定にして、
家具職人や日本酒職人にしても、
成立してしまうのではないかしら、
とそんな風に思ってしまいました。
台本も演出もやや凡庸でしたよね。
良い映画というのは、
1つの場面で2つ以上の意味を持たせるでしょ。
この映画にはそうしたところがないんですよね。
たとえば、高橋さんが部下と居酒屋で飲んでいる場面がありますが、
「ただ飲んでいるだけ」という意味しか、
そのシーンにはないんですよね。
これじゃまずいのではないかな、
というように思いました。
そんな訳で、
意外に拾い物なのではないかしら、
と思って観に行ったのですが、
うーん、見なくても良かったかな、
というくらいの印象でした。
勿論以上は完全に個人的な感想ですので、
作品自体を貶めるつもりはありません。
どんな作品も映画である限り僕は好きです。
その点はご理解の上お読み頂ければ幸いです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
鬼才タナダユキさんが過去に発表した小説を、
自らの脚本で監督も務めて映画化しました。
ラブドールの職人の男性と、
その乳房の型取りのモデルとして知り合った女性との、
性愛の顛末を描くというかなりマニアックな素材です。
主人公の男性に高橋一生さん、
モデルの女性に蒼井優さんというキャストで、
果たしてどのような映画になるのかしら、
と興味が沸きます。
昔日活ロマンポルノの斜陽期には、
こうしたポルノのような藝術のような、
変な映画が沢山ありましたね。
小劇場演劇でも好んで題材になりそうなお話です。
これね、ピエール瀧さんが逮捕前に出演されていて、
ラブドールの会社の社長という大事な役どころを演じているんですよね。
しかも、猥褻絡みで劇中でも逮捕されるのです。
そのためにお蔵入りになりかかったのだと思うのですが、
年も変わってある意味ほとぼりも冷め、
めでたくオリジナルのままに、
公開の運びとなったようです。
感想としては、
ちょっと掘り下げが甘いというか、
ぼんやりとした印象のある映画で、
口当りは悪くなく面白く観ることは出来るのですが、
昔の突き詰めたような性愛映画と比較すると、
淡泊で物足りない印象はありました。
蒼井優さんは素晴らしいんですよね。
当代随一の演技派女優と言って間違いはありませんし、
監督も分かっているので、
執拗に蒼井さんのアップを長回しで撮るんですよね。
それはそれでとても良いのですが、
性愛がテーマの映画であるのに、
蒼井さんはヌードにはなりません。
まあ、彼女的にNGなんですね。
でもね、この映画は蒼井さんの登場シーンで、
工場のシャッターがゆっくり上がってゆくと、
見えなかった顔がゆっくりと見えてくる、
という演出をしているんです。
「隠されたものが露になる」という、
とてもワクワクするカットです。
その後で乳房の型取りをする、
という話になり、
恥じらいながら着替えをして、
ワンピースの胸元をゆっくりと下ろすと、
顔が見えるのと同じ呼吸で、
乳房が姿を現すという構成になっています。
なかなかのセンスですよね。
でも、勿論乳房はNGなので、
そこで画面は蒼井さんの後ろ姿に、
切り替わってしまうんですね。
これはありなのかしら?
かなり疑問に感じます。
映画の後半は繰り返しセックスの場面があるのですが、
その部分も露出は基本的にないのです。
別に蒼井優さんのヌードが見たい、
ということではないのです。
ただ、この映画ではヌードになる必然性があるでしょ。
彼女生き写しのラブドールまで登場しているのに、
本物が裸にならないというのは、
映画として成立しないという気がするんですよね。
レートもPG12でしょ。
ラブドールがバンバン出て来て、
性愛がテーマの映画なのに、
家族同伴なら小学生もOKというのは、
ちょっと何か考え方が根本的に誤っているように、
個人的には思いました。
このままの設定なら、
ヌードがNGでない蒼井さん以外のキャストにするか、
逆に蒼井さんを使うなら物語自体を他の設定に変えるか、
その二択ではなかったかと思うのです。
そんな訳で、これで本当に良かったのかしら、
ラブドールを何か芸術品のように捉えて、
様式的なセックスシーンのみで、
普通の恋愛を描くことに意味があったのかなあ、
これならもっと普通の設定にして、
家具職人や日本酒職人にしても、
成立してしまうのではないかしら、
とそんな風に思ってしまいました。
台本も演出もやや凡庸でしたよね。
良い映画というのは、
1つの場面で2つ以上の意味を持たせるでしょ。
この映画にはそうしたところがないんですよね。
たとえば、高橋さんが部下と居酒屋で飲んでいる場面がありますが、
「ただ飲んでいるだけ」という意味しか、
そのシーンにはないんですよね。
これじゃまずいのではないかな、
というように思いました。
そんな訳で、
意外に拾い物なのではないかしら、
と思って観に行ったのですが、
うーん、見なくても良かったかな、
というくらいの印象でした。
勿論以上は完全に個人的な感想ですので、
作品自体を貶めるつもりはありません。
どんな作品も映画である限り僕は好きです。
その点はご理解の上お読み頂ければ幸いです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。