「ジョジョ・ラビット」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
第二次世界大戦末期に、
ドイツでヒットラーを崇拝していた10歳の少年が、
自宅に匿われていたユダヤ人の少女と交流する、
というひねった設定の映画です。
ニュージーランドの新鋭タイカ・ワイティティが、
監督、脚本、そしてヒットラー役でキャストも演じ、
脇にはスカーレット・ヨハンソン、
サム・ロックウェルという人気者が揃っています。
原作はクリスティン・ルーネンズの未訳の小説で、
感想などを読む限りかなりシリアスな内容ですが、
それを大きくコメディに振って、
ちょっとモンティパイソンのような雰囲気で映像化しています。
原作はオーストリアが舞台のようですが、
映画は明確にクレジットはないものの、
「ドイツの何処か」が舞台のようです。
これは個人的にはかなりガッカリで、
眠気と戦いながらの鑑賞になってしまいました。
これね、オープニングは非常にポップで、
実際のナチの映像がコラージュされたり、
音楽もビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語版が掛かるんですね。
ラストはデビット・ボウイの「ヒーローズ」の、
これもドイツ語版が掛かります。
そこまでしているのに、
主人公を含めて全員が英語を喋っている、
というのがかなり違和感があります。
それもドイツ語っぽい英語を、
話しているようなところもありますよね。
勿論昔の映画ではこれが当たり前で、
あらゆる時代のあらゆる場所で、
英語で話しているのが普通だったのですけれど、
今はちょっとそれでは通用しないのじゃないかな。
ファンタジーだから、コメディだから、
という言い訳は出来ると思うんですが、
その辺もこの映画は振り切れていない、
という感じがするんですね。
監督本人が少年の妄想の中でのヒットラー役で、
出演しているんですが、
これがただチョビ髭を付けているだけで、
ちっとも似ていないんですよね。
現実のヒットラーの写真や絵も登場するだけに、
ひょっとしたら似せると逆にまずいのかも知れませんが、
正直もうちょっと似せて欲しかったですね。
でないととても不自然です。
また、このヒットラーが全然面白くないんですよね。
これなら出てこない方がましだな、
と思ってしまうくらい。
つまり、ヒットラーの登場によって、
物語が弾む、ということが全くないんです。
それを含めてこの映画は、
台本が良くないと思います。
前半少年がけがをするまでは、
物語に動きがあるのですが、
それ以降は殆どが家の中でもユダヤ人少女との交流になって、
お話が動いていかないのがかなり致命的で、
ラストも戦争が終わって外に出るだけでは、
ちっとも盛り上がりません。
勿論原作がそういう作品だ、
ということはあるのですが、
オープニングをドタバタコメディ的にしてしまっているので、
観客はどうしてもその要素の持続を、
期待してしまうんですよね。
それでずっと家の中で少女と話しているだけ、
というのでは、
とても映画として成立しないのではないでしょうか?
もともと「禁じられた遊び」みたいなお話なんですよ。
それを無理矢理モンテパイソンにしたのが無理があった、
というように思うんです。
これは第二次大戦末期の、
ドイツの敗色濃厚な時から始まって、
どんどん戦況は悪くなって、
最後は町で戦闘になって戦争が終わるのですが、
その時代背景や時間が移るという雰囲気が、
全く描出されていません。
急に爆弾が落ちて、急に戦争になって、
でも戦争が終わると町は元通り、
という感じです。
たとえば、ホロドフスキーの「リアリティのダンス」とか、
全然リアルではない書き割りみたいなセットなのに、
様式的な演出なのに、
それでも確実に時代の気分を感じさせるし、
時代の移ろいも感じさせるでしょ。
それこそが映画の魔法だと思うんですが、
そうした魅力が微塵もない、
というのがこの映画が詰まらない、
大きな理由であるように思えます。
そんな訳で今年一番の落胆映画で、
これは誰にもお勧めする気分にはなりませんでした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
第二次世界大戦末期に、
ドイツでヒットラーを崇拝していた10歳の少年が、
自宅に匿われていたユダヤ人の少女と交流する、
というひねった設定の映画です。
ニュージーランドの新鋭タイカ・ワイティティが、
監督、脚本、そしてヒットラー役でキャストも演じ、
脇にはスカーレット・ヨハンソン、
サム・ロックウェルという人気者が揃っています。
原作はクリスティン・ルーネンズの未訳の小説で、
感想などを読む限りかなりシリアスな内容ですが、
それを大きくコメディに振って、
ちょっとモンティパイソンのような雰囲気で映像化しています。
原作はオーストリアが舞台のようですが、
映画は明確にクレジットはないものの、
「ドイツの何処か」が舞台のようです。
これは個人的にはかなりガッカリで、
眠気と戦いながらの鑑賞になってしまいました。
これね、オープニングは非常にポップで、
実際のナチの映像がコラージュされたり、
音楽もビートルズの「抱きしめたい」のドイツ語版が掛かるんですね。
ラストはデビット・ボウイの「ヒーローズ」の、
これもドイツ語版が掛かります。
そこまでしているのに、
主人公を含めて全員が英語を喋っている、
というのがかなり違和感があります。
それもドイツ語っぽい英語を、
話しているようなところもありますよね。
勿論昔の映画ではこれが当たり前で、
あらゆる時代のあらゆる場所で、
英語で話しているのが普通だったのですけれど、
今はちょっとそれでは通用しないのじゃないかな。
ファンタジーだから、コメディだから、
という言い訳は出来ると思うんですが、
その辺もこの映画は振り切れていない、
という感じがするんですね。
監督本人が少年の妄想の中でのヒットラー役で、
出演しているんですが、
これがただチョビ髭を付けているだけで、
ちっとも似ていないんですよね。
現実のヒットラーの写真や絵も登場するだけに、
ひょっとしたら似せると逆にまずいのかも知れませんが、
正直もうちょっと似せて欲しかったですね。
でないととても不自然です。
また、このヒットラーが全然面白くないんですよね。
これなら出てこない方がましだな、
と思ってしまうくらい。
つまり、ヒットラーの登場によって、
物語が弾む、ということが全くないんです。
それを含めてこの映画は、
台本が良くないと思います。
前半少年がけがをするまでは、
物語に動きがあるのですが、
それ以降は殆どが家の中でもユダヤ人少女との交流になって、
お話が動いていかないのがかなり致命的で、
ラストも戦争が終わって外に出るだけでは、
ちっとも盛り上がりません。
勿論原作がそういう作品だ、
ということはあるのですが、
オープニングをドタバタコメディ的にしてしまっているので、
観客はどうしてもその要素の持続を、
期待してしまうんですよね。
それでずっと家の中で少女と話しているだけ、
というのでは、
とても映画として成立しないのではないでしょうか?
もともと「禁じられた遊び」みたいなお話なんですよ。
それを無理矢理モンテパイソンにしたのが無理があった、
というように思うんです。
これは第二次大戦末期の、
ドイツの敗色濃厚な時から始まって、
どんどん戦況は悪くなって、
最後は町で戦闘になって戦争が終わるのですが、
その時代背景や時間が移るという雰囲気が、
全く描出されていません。
急に爆弾が落ちて、急に戦争になって、
でも戦争が終わると町は元通り、
という感じです。
たとえば、ホロドフスキーの「リアリティのダンス」とか、
全然リアルではない書き割りみたいなセットなのに、
様式的な演出なのに、
それでも確実に時代の気分を感じさせるし、
時代の移ろいも感じさせるでしょ。
それこそが映画の魔法だと思うんですが、
そうした魅力が微塵もない、
というのがこの映画が詰まらない、
大きな理由であるように思えます。
そんな訳で今年一番の落胆映画で、
これは誰にもお勧めする気分にはなりませんでした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。