夕日観音再訪(2019年8月定点観測) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは明日14日まで休診です。
15日木曜日は通常通りの診療になります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
毎年のことで妻と一緒に奈良に行って、
今帰って来たところです。
今日は奈良を訪れる度に一度はお参りをしている、
最も偏愛する石の仏様を観て頂きます。
こちらです。
柳生街道の滝坂道の街道沿いの岩に刻まれた、
通称「夕日観音」と呼ばれている磨崖仏のお姿です。
平安後期から鎌倉前期のものと思われます。
石仏の場合正確な年代判定というのは、
非常に困難ですが、
室町時代の前期くらいまでのものと、
それ以降特に戦国時代以降のものでは、
全く意味合いは変わっていて、
戦国時代以降は石仏の工房のようなものがあり、
亡くなった武士の供養の側面もあったのでしょう、
同じフォルムのお地蔵様や観音様などが量産され、
一種の大量生産品として流通するようになります。
作品としては安定する一方で、
藝術性はかなり後退していますし、
その仏様に対する思いというようなものも、
あまり強いものではなくなっている、という気がします。
ご覧頂いたこちらは、
正真正銘の古仏の風格のあるものです。
もう1枚近景のお姿を観て頂きます。
こちらです。
素晴らしいでしょ。
今回誰かは存じませんが、
表面を丁寧に洗ってくれた方がいたようで、
遠方からでも金色に近く仏様のお姿が輝いていました。
とても奇特なことです。
ただ、この岩自体はいつ崩落してもおかしくはないもので、
実際この場所の少し下で、
昨年の大雨で土砂崩れが発生していました。
最近の異常気象の影響は恐るべきもので、
柳生街道の始まりの場所にある2駆の石灯籠のうちの1つも、
災害後には崩れ落ちてしまっていました。
この夕日観音と同じ岩の別の側面にある、
こちらも素晴らしいフォルムの地蔵磨崖仏のお姿は、
今回はもう立木に紛れて、
完全に見えなくなっていました。
このようにとても儚く、
消滅していつかは無に帰す宿命であるからこそ、
何よりも美しく心に迫るのが、
石仏の魅力なのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは明日14日まで休診です。
15日木曜日は通常通りの診療になります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
毎年のことで妻と一緒に奈良に行って、
今帰って来たところです。
今日は奈良を訪れる度に一度はお参りをしている、
最も偏愛する石の仏様を観て頂きます。
こちらです。
柳生街道の滝坂道の街道沿いの岩に刻まれた、
通称「夕日観音」と呼ばれている磨崖仏のお姿です。
平安後期から鎌倉前期のものと思われます。
石仏の場合正確な年代判定というのは、
非常に困難ですが、
室町時代の前期くらいまでのものと、
それ以降特に戦国時代以降のものでは、
全く意味合いは変わっていて、
戦国時代以降は石仏の工房のようなものがあり、
亡くなった武士の供養の側面もあったのでしょう、
同じフォルムのお地蔵様や観音様などが量産され、
一種の大量生産品として流通するようになります。
作品としては安定する一方で、
藝術性はかなり後退していますし、
その仏様に対する思いというようなものも、
あまり強いものではなくなっている、という気がします。
ご覧頂いたこちらは、
正真正銘の古仏の風格のあるものです。
もう1枚近景のお姿を観て頂きます。
こちらです。
素晴らしいでしょ。
今回誰かは存じませんが、
表面を丁寧に洗ってくれた方がいたようで、
遠方からでも金色に近く仏様のお姿が輝いていました。
とても奇特なことです。
ただ、この岩自体はいつ崩落してもおかしくはないもので、
実際この場所の少し下で、
昨年の大雨で土砂崩れが発生していました。
最近の異常気象の影響は恐るべきもので、
柳生街道の始まりの場所にある2駆の石灯籠のうちの1つも、
災害後には崩れ落ちてしまっていました。
この夕日観音と同じ岩の別の側面にある、
こちらも素晴らしいフォルムの地蔵磨崖仏のお姿は、
今回はもう立木に紛れて、
完全に見えなくなっていました。
このようにとても儚く、
消滅していつかは無に帰す宿命であるからこそ、
何よりも美しく心に迫るのが、
石仏の魅力なのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。