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「長いお別れ」(2019年中野量太監督作品) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
長いお別れ.jpg
傑作「湯を沸かすほどの熱い愛」の中野量太監督が、
今度は認知症をテーマにした新作映画を作りました。
前回はオリジナル脚本でしたが、
今回は同題の原作があります。

これは絶対に観なければ、
と最初から思っていたのですが、
なかなか予定が合わず、
ようやく先週に滑り込みで観ることが出来ました。

「湯を沸かすほどの熱い愛」は末期癌を主軸に据えたドラマでしたが、
今回の「長いお別れ」は認知症を扱ったドラマです。

中島京子さんの原作は、
連作短編の形式で、
認知症の老人を中心として家族模様を、
多角的に人物スケッチ風に描いたものですが、
今回の映画はその中の幾つかのエピソードは、
そのままで活かしながらも、
蒼井優さんと竹内結子さんという、
2人の娘の人生に主にスポットが当てられ、
7年間の年代記的に物語は展開されています。

蒼井優さんのパートはほぼ原作にはないオリジナルで、
起業を夢見ながらフリーターと試行錯誤を繰り返していて、
恋も実らないという、
「寅さん」的な役柄になっていますが、
原作はフードコーディネーターとして成功している、
という設定でそうした人間ドラマは描かれていません。
また、竹内結子さん演じる女性は、
研究者の夫と海外で暮らしているという設定自体は、
原作にもあるのですが、
夫との葛藤であるとか、
家族との「積み木崩し」めいた葛藤の部分は、
これも原作にはないオリジナルです。

端的に言えば、
原作はインテリの家庭の生活スケッチなんですよね。
そのふんわりとしてとぼけた面白さは残しながらも、
中野監督としては、
もっと庶民的な活力のあるドラマ、
もう少しきれいごとを排した、
ドロドロしたドラマにしたかったのだと思います。

原作のエピソードのうち、
ほぼそのまま使われているのは、
メリーゴーランドの件と、
母親の網膜剥離の手術の件、
柔道部のかつての友達の葬儀に参列し、
とぼけた対応をしてしまうところ、
そしてラストのアメリカでの校長先生と生徒の対話です。

震災の話は原作にもあるのですが、
時間経過ははっきりしていません。
それを映画は2007年からのドラマにして、
間に挟み込む格好にしています。

多分、メリーゴーランドがやりたかったのだと思うのですね。

とても面白くファンタスティックでグッと来るエピソードで、
映画ではそれをオープニングと中段に分けて配置することで、
映画の骨格を作っています。
ただ、子供と遊園地の係員との対話などは映画のオリジナルで、
中野監督の良さがとても活きた場面だと思います。

このパートを含めて、
巻頭の辺りは本当に素晴らしいですよね。
台詞の1つ1つが絶妙で、
時間的空間的に遠く離れた何かが繋がるという、
映画のテーマを巻頭10分くらいで全て見せていて、
それと同時に人物紹介まで済ませています。
この鮮やかな技巧の冴えは、
さすが中野監督という感じがします。

ただ、認知症は矢張り難しいですね。

山崎努さんは勿論名演だとは思うのです。

でも、僕も毎日認知症の方とは仕事で接しているので、
やっぱり違うよなあ、という感じが強くあって、
中段からはあまり物語の中には入り込めませんでした。

途中で誤嚥するのを見せたりするでしょ。
熱演しているのですけれどちょっとね。
こういうものは、矢張りフィクションで見せる、
演技で見せる、という性質のものはないと思います。

つらくなりますよね。

途中で万引きを見せるでしょ。
あれもいらないよね。
原作には勿論ないのです。

また、前回の「湯を沸かすほどの熱い愛」でも思ったのですが、
医療監修はひどいよね。

途中で父親が入院するのですが、
モニターがね、心電図だけを表示しているんです。
血圧も酸素飽和度も何もなし。
有り得ないでしょ。
2人部屋だけど、必ず1人しかいないし、
重症になると特別室みたいな個室に移されているし。
普通はナースステーションの隣くらいになるでしょ。
目配りの出来ない個室になるなんて、
有り得ないですよね。

ただ、今回は確信犯なのかな、
というようにも感じました。

原作にはね、
もっと治療のこととか、
薬のこととか、診断のこととか、
施設入所の話やケアマネの話とか、
リアルな診療の実際が、
結構出て来るんですよ。
最後に延命治療について考えるところも、
もっとリアルに書かれているし、
病名も違っているのです。
それを、バッサリ全部切っていて、
治療もせず、全部妻が介護している、
みたいな感じにしているのでしょ。
わざわざこうしているんですよね。

監督はそんなに医療が嫌いなのかしら?

ちょっとモヤモヤしてしまいました。

今回の場合、
そうした医療無視の改変が、
あまり成功しているようには思えないんですよね。

後半で重症のお父さんのために、
誕生日会を開く(これも原作にはない設定)のですが、
帽子をかぶせるために、
身体を無理に引っ張って移動させるんですよね。
ちょっとひどいよね、
これを何かユーモアとしてやっている感じなのがね、
違うんじゃないかな、という気持ちを強く持ちました。

医療とは違いますが、
竹内結子さんの役は、
7年もアメリカで暮らしていて、
全く英語がしゃべれないという設定なんですよね。

有り得ないでしょ。

夫と息子の3人家族であまり家族の交流もない、
という設定で、
日常会話くらいは出来ないと、
生きていけないじゃないですか。

原作は勿論、
「英語は下手で自信がない」というくらいの設定なのです。
それを「全くしゃべれない」にしているんですよね。
こういうところも、
趣旨は分かるのですが、
リアリティを全く無視するほどの効果が、
果たしてあったのかと思うと、
これも極めて疑問です。
むしろあれですよね。
今流行りの翻訳ソフトを常に使っている、
というような設定なら面白かったかも知れません。

面白いところも勿論あるんですよね。

アメリカで竹内結子さんの息子が、
腐女子のアメリカ少女と、
英語で会話してAKBを踊ったりとか、
成功かどうかはともかくとして、
あまり見たことのない映像表現でしょ。

ラストは戸惑われた方が多かったと思うのですが、
これはほぼ原作通りなんですよね。
原作でも分かりにくい表現ですが、
日本で校長先生の祖父が死んで、
それをアメリカで校長先生に話をする、
その2つが時空を超えて、
微かにつながる、ということだと思うのですが、
微妙で不思議なセンスですよね。
映画では2人の校長先生が同じ仕草をする、
という原作にないディテールを付け加えて、
よりその意図を鮮明化していました。

成功はしていなかったと思いますが、
僕はこれは嫌いではありません。

関係ないけど、山崎努の縁側の後ろ姿で見せるところ、
あれ川島雄三ですよね。

そんな訳でさすが中野監督というところは多々あったのですが、
トータルは「湯を沸かすほどの熱い愛」ほどはのめり込めず、
モヤモヤした気分で劇場を後にしました。

でもこの映画も嫌いではありません。

中野監督の、
ちょっとブラックな部分、
普通と倫理観のややずれたような部分に、
若干の危惧はもちながらも、
その絶妙な映画技巧と構成力、
押しつけではない感動の醸成には、
今後も最上級の期待持って、
次作を待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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