イプセン「民衆の敵」(2018年ジョナサン・マンビィ演出版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日ですが、
午前中は区民健診の当番日なので診療の予定です。
日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ノルウェーの劇作家イプセンの「民衆の敵」は、
これまでにも何度も国内で上演されていますが、
今イギリスの演出家の演出で、
堤真一さんの主演で上演されています。
イプセンの生の舞台は、
これまでに「民衆の敵」、「ヘッダ・ガブラー」、「幽霊」、
「人形の家」を観ています。
どれも一筋縄ではいかない戯曲で、
ある種異常で変態的でとてもとても面白いのです。
イプセンは異常な天才で、
極めつきの変態です。
現代のような病んだ時代には、
従って非常にマッチしていて、
最近ではチェホフよりイプセンがお気に入りで、
イプセン劇の上演は、
なるべく足を運ぶようにしています。
この「民衆の敵」も、
社会派台詞劇の代表のように言われ、
水俣病訴訟などを持ち出して批評をされるような方が、
非常に多いのですが、
勿論そうした部分もないことはないのですが、
トータルにはもっと破格で異常な作品で、
社会の正義自体を否定しているような部分もある怪作です。
堤真一演じる主人公の医師は、
自分で町に温泉を見つけてそれがきっかけとなり、
温泉はその町の健康資源の目玉になります。
ところが温泉保養が定着しつつあった時期になって、
主人公は水質検査によって、
温泉が工場の排液で汚染されていることを発見、
それを「民衆の声」という新聞に公表しようとします。
主人公の兄は市長で、
妻の父親は汚染に関わる工場の経営者です。
「民衆の声」の関係者も、
民衆の多数の声こそ正義と主張はしていますが、
その内面は決して表の顔と同じではありません。
市長は最初から汚染のもみ消しを図り、
進歩的な新聞は最初は面白がって、
主人公の正義をもてはやしますが、
実際には主人公の言う通りを実行すると、
温泉に頼る町の経済は破綻し、
民衆も重税にあえぐことになることを知ると、
手のひらを反して主人公を攻撃します。
そして、直接町の住民を前に演説をした主人公は、
自分こそ正義で、
一般の住民はただの馬鹿だと、
身もふたもないことを平然と言い放つので、
その場で主人公は「民衆の敵」であると宣言されてしまいます。
通常常識的なストーリーでは、
主人公の正義は市長のような権力者に迫害されても、
最後は一般の大衆の支持を得て、
正義が実現する、というようになって良い筈ですが、
イプセンは悪魔のようなひねくれものなので、
決してそうはならないのです。
最初は観客も主人公に共鳴し、
温泉の不正をただそうとする主人公の正義に、
共感して舞台を見ているのですが、
主人公があまりに空気の読めない身勝手な人物で、
平然と一般の大衆を馬鹿にしたようなことを言うので、
だんだん違和感を感じるようになります。
つまりはこの演説は観客に向けられているもので、
この芝居は独善的な正義の主人公が、
観客という一般市民を愚弄して馬鹿にする、
というひねくれたお芝居なのです。
主人公は「民衆の敵」となりますが、
皮肉なことにその立場は、
彼を影響力のある一種の権力者に仕立てます。
主人公は職を失い、家も追われる四面楚歌の状態ですが、
それでも奇妙なほどに明るく未来を語り、
最後は誰よりも幸せな家族のようにすら見えるのです。
異様で奇妙で、
そして胸騒ぎのするようなラストです。
あらすじを書いただけでもお分かりのように、
イプセンは今の時代に見事にフィットするような物語を、
ずっと昔に書いているのです。
これが天才の天才たる所以です。
この物語の主人公は正義を主張し、
その信念を曲げずに生きていますが、
それは周囲の軋轢や多くの犠牲を生むことなので、
人間社会の中では、
正義であると同時に迷惑行為でもあります。
温泉の汚染を主張するのは良いとして、
その温泉の効能自体、
元々は彼が広めたものだからです。
彼は自分だけが正しく、
自分に賛同しない全ての人間は馬鹿の能無しだと公言するので、
当然のごとく民衆の嫌われ者になりますが、
それは有名人になることでもあるので、
有名であることが価値を持つ世界では、
その「炎上商法」は決して損にはならないのです。
ねっ、今のネット社会とうり二つのような世界でしょ。
ここにこの物語の現代性があります。
元々の発想としては主人公はキリストなんですよね。
真実を話すことによって、
皆に石を投げられるのですが、
それが大衆の心を映す鏡にもなるのです。
凄い俗物のキリストを用意して、
その受難を描くというのがこの物語の裏テーマです。
このように作品は傑作なのですが、
今回の演出は僕は駄目でした。
何か、幕間の部分でエキストラが群舞みたいなことをして、
その動作でテーマを表現しようとしているのですね。
そういうわざとらしい演出が僕は大嫌いです。
不自然ですし、説明過多で嫌らしいですよね。
「俺は演出しているぞ!」というような態度が俗物根性丸出しで、
イプセンの思想の対極にあると感じました。
こんな演出したら駄目ですよ。
また、舞台を少し奥においていて、
演説の場面でも客席と距離があるのがまた駄目ですよね。
あの場面は直接観客に語りかけるというイメージがないと駄目でしょ。
本当に分かっていないな、と感じました。
キャストはまずますで、
特に主役を演じた堤真一さんが、
抜群に良かったと思います。
この役は堤さんのトリックスター的な部分と、
良くフィットしていますよね。
堤さんにはまた別の演出で、
是非この作品を演じて欲しいと思います。
この作品は少し前に森新太郎さんも演出していて、
未見なのでとても残念に思いました。
絶対もっとよかったですよね。
イプセンはまた是非上演して欲しいと思います。
凄いです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日ですが、
午前中は区民健診の当番日なので診療の予定です。
日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ノルウェーの劇作家イプセンの「民衆の敵」は、
これまでにも何度も国内で上演されていますが、
今イギリスの演出家の演出で、
堤真一さんの主演で上演されています。
イプセンの生の舞台は、
これまでに「民衆の敵」、「ヘッダ・ガブラー」、「幽霊」、
「人形の家」を観ています。
どれも一筋縄ではいかない戯曲で、
ある種異常で変態的でとてもとても面白いのです。
イプセンは異常な天才で、
極めつきの変態です。
現代のような病んだ時代には、
従って非常にマッチしていて、
最近ではチェホフよりイプセンがお気に入りで、
イプセン劇の上演は、
なるべく足を運ぶようにしています。
この「民衆の敵」も、
社会派台詞劇の代表のように言われ、
水俣病訴訟などを持ち出して批評をされるような方が、
非常に多いのですが、
勿論そうした部分もないことはないのですが、
トータルにはもっと破格で異常な作品で、
社会の正義自体を否定しているような部分もある怪作です。
堤真一演じる主人公の医師は、
自分で町に温泉を見つけてそれがきっかけとなり、
温泉はその町の健康資源の目玉になります。
ところが温泉保養が定着しつつあった時期になって、
主人公は水質検査によって、
温泉が工場の排液で汚染されていることを発見、
それを「民衆の声」という新聞に公表しようとします。
主人公の兄は市長で、
妻の父親は汚染に関わる工場の経営者です。
「民衆の声」の関係者も、
民衆の多数の声こそ正義と主張はしていますが、
その内面は決して表の顔と同じではありません。
市長は最初から汚染のもみ消しを図り、
進歩的な新聞は最初は面白がって、
主人公の正義をもてはやしますが、
実際には主人公の言う通りを実行すると、
温泉に頼る町の経済は破綻し、
民衆も重税にあえぐことになることを知ると、
手のひらを反して主人公を攻撃します。
そして、直接町の住民を前に演説をした主人公は、
自分こそ正義で、
一般の住民はただの馬鹿だと、
身もふたもないことを平然と言い放つので、
その場で主人公は「民衆の敵」であると宣言されてしまいます。
通常常識的なストーリーでは、
主人公の正義は市長のような権力者に迫害されても、
最後は一般の大衆の支持を得て、
正義が実現する、というようになって良い筈ですが、
イプセンは悪魔のようなひねくれものなので、
決してそうはならないのです。
最初は観客も主人公に共鳴し、
温泉の不正をただそうとする主人公の正義に、
共感して舞台を見ているのですが、
主人公があまりに空気の読めない身勝手な人物で、
平然と一般の大衆を馬鹿にしたようなことを言うので、
だんだん違和感を感じるようになります。
つまりはこの演説は観客に向けられているもので、
この芝居は独善的な正義の主人公が、
観客という一般市民を愚弄して馬鹿にする、
というひねくれたお芝居なのです。
主人公は「民衆の敵」となりますが、
皮肉なことにその立場は、
彼を影響力のある一種の権力者に仕立てます。
主人公は職を失い、家も追われる四面楚歌の状態ですが、
それでも奇妙なほどに明るく未来を語り、
最後は誰よりも幸せな家族のようにすら見えるのです。
異様で奇妙で、
そして胸騒ぎのするようなラストです。
あらすじを書いただけでもお分かりのように、
イプセンは今の時代に見事にフィットするような物語を、
ずっと昔に書いているのです。
これが天才の天才たる所以です。
この物語の主人公は正義を主張し、
その信念を曲げずに生きていますが、
それは周囲の軋轢や多くの犠牲を生むことなので、
人間社会の中では、
正義であると同時に迷惑行為でもあります。
温泉の汚染を主張するのは良いとして、
その温泉の効能自体、
元々は彼が広めたものだからです。
彼は自分だけが正しく、
自分に賛同しない全ての人間は馬鹿の能無しだと公言するので、
当然のごとく民衆の嫌われ者になりますが、
それは有名人になることでもあるので、
有名であることが価値を持つ世界では、
その「炎上商法」は決して損にはならないのです。
ねっ、今のネット社会とうり二つのような世界でしょ。
ここにこの物語の現代性があります。
元々の発想としては主人公はキリストなんですよね。
真実を話すことによって、
皆に石を投げられるのですが、
それが大衆の心を映す鏡にもなるのです。
凄い俗物のキリストを用意して、
その受難を描くというのがこの物語の裏テーマです。
このように作品は傑作なのですが、
今回の演出は僕は駄目でした。
何か、幕間の部分でエキストラが群舞みたいなことをして、
その動作でテーマを表現しようとしているのですね。
そういうわざとらしい演出が僕は大嫌いです。
不自然ですし、説明過多で嫌らしいですよね。
「俺は演出しているぞ!」というような態度が俗物根性丸出しで、
イプセンの思想の対極にあると感じました。
こんな演出したら駄目ですよ。
また、舞台を少し奥においていて、
演説の場面でも客席と距離があるのがまた駄目ですよね。
あの場面は直接観客に語りかけるというイメージがないと駄目でしょ。
本当に分かっていないな、と感じました。
キャストはまずますで、
特に主役を演じた堤真一さんが、
抜群に良かったと思います。
この役は堤さんのトリックスター的な部分と、
良くフィットしていますよね。
堤さんにはまた別の演出で、
是非この作品を演じて欲しいと思います。
この作品は少し前に森新太郎さんも演出していて、
未見なのでとても残念に思いました。
絶対もっとよかったですよね。
イプセンはまた是非上演して欲しいと思います。
凄いです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。