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野田秀樹「贋作 桜の森の満開の下」(2018年NODA・MAP第22回公演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
桜の森の満開の下.jpg
NODA・MAPの第22回公演として、
遊眠社時代の後期に初演された、
「贋作 桜の森の満開の下」が再演されました。

この作品は坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を原作に、
国造りの神話を描いたもので、
「野田版国性爺合戦」と共に、
野田さんの世界が歴史物に近い世界に変化してゆく、
きっかけともなったお芝居です。
坂口安吾作品と共に、
手塚治虫の「火の鳥鳳凰編」の影響が顕著で、
両腕を切り落とされる火の鳥の主人公の仏師と、
耳男とが合体した時に、
この作品の骨組みが誕生したように推察されます。

初演とその2年後の再演では、
毬谷友子さんが客演していて、
基本的には毬谷さんが夜長姫のイメージとなっています。
2001年に新国立劇場で再演されていて、
この時は今回と同じ深津絵里さんが、
夜長姫を演じています。

その後歌舞伎版が作られて上演され、
今回がオリジナルの17年ぶりの再演、
ということになります。

この作品は初演の時から、
遊眠社のメインキャストは出演していないなど、
プロデュース公演に近い感じの作品でした。
ヒロインが客演の毬谷さんですから、
それほど動ける人ではないので、
いつものドタバタとは一線を画していて、
今にして思うと、
NODA・MAP時代を先触れしていたようにも思います。

正邪2つの顔を持つヒロインに、
主人公の異能の男が翻弄されるという筋立ては、
「走れメルス」にも共通していて、
その屈折と鬼女と化したヒロインを殺してしまう、
という瞬間の静寂が、
野田さんの劇作のおそらく根幹にある感情的な本質です。

ただ、この作品の弱点は、
大和朝廷誕生の政治的な物語と、
主人公2人の屈折した恋愛模様とが、
必ずしも一体化して進行していないことで、
明確な対立関係や段取りなしに、
主人公2人が森を逃げて終わりというのが、
何となく物足りなく感じられます。
「走れメルス」では多重世界の崩壊の引き金が、
少女の嘘と下着泥棒の屈折によって引き起こされるので、
その点はがっちりリンクしていたのですが、
この芝居の王朝絵巻は、
耳男と夜長姫の背景にしか過ぎないものになっているからです。
「桜の森」とは何だったのでしょうか?
それが耳男の心の中でしか意味を持っていない、
と言う点が作品を弱くしているように思うのです。

今回の上演は花吹雪の中での鬼女と耳男の対決など、
ビジュアルの美しさは圧倒的に素晴らしかったのですが、
物語の語り口がゴタゴタしていて、
せっかく明晰なストーリーが、
しっかりと観客に届かないきらいがありました。
最初の耳男と名人のやり取りの切り返しの面白さなど、
かつての遊眠社的なメリハリが皆無であったことは、
仕方のないこととは言え残念には感じました

耳男は今回は妻夫木聡さんでしたが、
この役は野田さん以外の役者さんが演じると、
元々分裂症的なので、
一貫した人格として感じられないのが欠点です。
深津絵里さんは勿論抜群ですが、
正直2001年版の方が凄みがあったように思います。
マナコに古田新太さん、オオアマに天海祐希さんと、
とても豪華なキャストですが、
天海さんはさすがにこの役では、
勿体ないと感じました。
秋山菜津子さんのハンニャや門脇麦さんの早寝姫というのも、
とても勿体ない感じで、
もう少し適材適所であったも良かったように感じました。
豪華であれば良いというものではないからです。

そんな訳で個人的にはそれほど乗れなかったのですが、
野田さんの代表作の1つで、
その細部のクオリティの高さを含めて、
一度観ておかないのはとても勿体ないと、
そう言って間違いのないお芝居ではあります。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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