「旧燈明寺蔵 五観音像」 [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
11月2日から奈良に行っていて、
今戻って来たところです。
今日はそんな訳で奈良・京都の話題です。
奈良では興福寺の中金堂が再建され、
一般拝観も始まっています。
真新しく無機的な感じで、
緑も多く伐採されて消えましたから、
あまり良い印象はありませんが、
1つの方向性として、
仕方のないことなのかも知れません。
お寺というのは昔は近代建築の都市であった訳で、
自然とはむしろ拮抗する存在であった部分も、
特に興福寺のような大寺ではあったので、
それが長い年月の中で次第に朽ちて、
自然と一体化したような雰囲気を、
僕達はかつての昭和の時代に興福寺において、
愛していたのですが、
お寺さんとしてはかつてのような「都市」に、
復活させたいというようなお気持ちを持つのも、
それもまあ無理からぬところなのかな、
というようには思います。
しかし、かつてのような政治や文化の中心には、
勿論なり得ないのですから、
あの昭和の懐かしい雰囲気が、
ほぼ一掃されたような今の興福寺を観るのは、
切ない思いがするのもまた確かなことなのです。
中金堂には少し前まで南円堂に安置されていた、
運慶の工房によると思われる見事な四天王像が、
1つの目玉として安置されています。
この仏様は僕は大好きで、
鎌倉期の四天王像としては、
仏像としても藝術作品としても技術的にも、
最高の仏様と思っているのですが、
明るい日差しの中で細部まで観られるのは嬉しい反面、
この無機的な空間にはあまりに場違いな感じがすることと、
須弥壇に配置されてしまうと、
後方の2駆の仏様が見づらくなってしまうので、
今回は少し残念に感じました。
まあこの興福寺の「薬師寺化」は、
もうストップは利かないものなのだと思いますから、
なるべく良い点に目を向けるようにして、
あまりにつらい感じになれば、
足を向けなければ良いのかな、
というようには思います。
さて、今日の話題は極めて地味な仏様です。
京都南方、奈良北方の木津川流域、南山城と呼ばれる地域には、
多くの人知れぬ社寺があり、
国宝から全く無名の地方仏まで、
仏像の宝庫のような場所です。
毎年秋には秘宝秘仏特別開扉という企画が、
木津川市の肝いりで行われていて、
多くの社寺がその時だけ、
文化財や仏様の一般拝観を許しています。
今回はその中から、
旧燈明寺の観音様を観て頂きます。
燈明寺(東明寺)は奈良時代に開山されたと伝わる古寺ですが、
紆余曲折を経て昭和27年に廃寺となっています。
本堂と三重塔が横浜の三渓園に移築されていて、
5駆の観音様の仏像(いずれも鎌倉期)が、
本堂跡に建てられた収蔵庫に保管されています。
ただ、通常の一般公開はされていません。
今のところ今回のような特別拝観時のみに、
周辺の方々の協力で公開されているようです。
こちらをご覧下さい。
こちらが旧燈明寺の本尊であったとされる、
鎌倉時代後期の千手観音様のお姿です。
収蔵庫の前で売られていた、
ブロマイド(絵はがき)の画像です。
この仏様のみ金箔が貼られていて、
特別だということが分かります。
当時の水準作という感じで、
文化財指定を受けてもおかしくはない出来映えですが、
かなり補修が入っていて、
しかもかなり適当な補修であるようなので、
そうならないのが地方仏の悲しさでもあり、
魅力でもあります。
「人知れぬ美」というようなものです。
次にこちらをご覧下さい。
こちらは不空羂索観音のお姿です。
こちらは如何にも地方仏というスタイルで、
金箔はなく木の素地を活かした仏像です。
画像はお示ししませんが、
他の3駆の観音様も同じスタイルです。
完成度はそう高いものではないのですが、
素朴な良さが地方仏の魅力です。
こうした地味な(失礼)仏様が、
地方でしっかり守られているのが、
日本の仏教美術の素晴らしさなのです。
今日はあまり話題にされることのない、
珍しい地方仏を観て頂きました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
11月2日から奈良に行っていて、
今戻って来たところです。
今日はそんな訳で奈良・京都の話題です。
奈良では興福寺の中金堂が再建され、
一般拝観も始まっています。
真新しく無機的な感じで、
緑も多く伐採されて消えましたから、
あまり良い印象はありませんが、
1つの方向性として、
仕方のないことなのかも知れません。
お寺というのは昔は近代建築の都市であった訳で、
自然とはむしろ拮抗する存在であった部分も、
特に興福寺のような大寺ではあったので、
それが長い年月の中で次第に朽ちて、
自然と一体化したような雰囲気を、
僕達はかつての昭和の時代に興福寺において、
愛していたのですが、
お寺さんとしてはかつてのような「都市」に、
復活させたいというようなお気持ちを持つのも、
それもまあ無理からぬところなのかな、
というようには思います。
しかし、かつてのような政治や文化の中心には、
勿論なり得ないのですから、
あの昭和の懐かしい雰囲気が、
ほぼ一掃されたような今の興福寺を観るのは、
切ない思いがするのもまた確かなことなのです。
中金堂には少し前まで南円堂に安置されていた、
運慶の工房によると思われる見事な四天王像が、
1つの目玉として安置されています。
この仏様は僕は大好きで、
鎌倉期の四天王像としては、
仏像としても藝術作品としても技術的にも、
最高の仏様と思っているのですが、
明るい日差しの中で細部まで観られるのは嬉しい反面、
この無機的な空間にはあまりに場違いな感じがすることと、
須弥壇に配置されてしまうと、
後方の2駆の仏様が見づらくなってしまうので、
今回は少し残念に感じました。
まあこの興福寺の「薬師寺化」は、
もうストップは利かないものなのだと思いますから、
なるべく良い点に目を向けるようにして、
あまりにつらい感じになれば、
足を向けなければ良いのかな、
というようには思います。
さて、今日の話題は極めて地味な仏様です。
京都南方、奈良北方の木津川流域、南山城と呼ばれる地域には、
多くの人知れぬ社寺があり、
国宝から全く無名の地方仏まで、
仏像の宝庫のような場所です。
毎年秋には秘宝秘仏特別開扉という企画が、
木津川市の肝いりで行われていて、
多くの社寺がその時だけ、
文化財や仏様の一般拝観を許しています。
今回はその中から、
旧燈明寺の観音様を観て頂きます。
燈明寺(東明寺)は奈良時代に開山されたと伝わる古寺ですが、
紆余曲折を経て昭和27年に廃寺となっています。
本堂と三重塔が横浜の三渓園に移築されていて、
5駆の観音様の仏像(いずれも鎌倉期)が、
本堂跡に建てられた収蔵庫に保管されています。
ただ、通常の一般公開はされていません。
今のところ今回のような特別拝観時のみに、
周辺の方々の協力で公開されているようです。
こちらをご覧下さい。
こちらが旧燈明寺の本尊であったとされる、
鎌倉時代後期の千手観音様のお姿です。
収蔵庫の前で売られていた、
ブロマイド(絵はがき)の画像です。
この仏様のみ金箔が貼られていて、
特別だということが分かります。
当時の水準作という感じで、
文化財指定を受けてもおかしくはない出来映えですが、
かなり補修が入っていて、
しかもかなり適当な補修であるようなので、
そうならないのが地方仏の悲しさでもあり、
魅力でもあります。
「人知れぬ美」というようなものです。
次にこちらをご覧下さい。
こちらは不空羂索観音のお姿です。
こちらは如何にも地方仏というスタイルで、
金箔はなく木の素地を活かした仏像です。
画像はお示ししませんが、
他の3駆の観音様も同じスタイルです。
完成度はそう高いものではないのですが、
素朴な良さが地方仏の魅力です。
こうした地味な(失礼)仏様が、
地方でしっかり守られているのが、
日本の仏教美術の素晴らしさなのです。
今日はあまり話題にされることのない、
珍しい地方仏を観て頂きました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。