カミュ「誤解」(新国立劇場レパートリー) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場の演劇のレパートリーとして、
カミュの「誤解」が上演されています。
その舞台に足を運びました。
これはちょっと困りました。
文学作品としては確かに名作とは思うのです。
ただ、その作品の書かれた時代背景というものもありますし、
今まともに上演して、
面白いと思える作品にするのは、
非常に難しいという感じがします。
そして、結果として、
面白い舞台にはなっていませんでした。
内容はある暗い国の宿屋に母親と娘がいて、
明るい別の国へ行く旅費を貯めるために、
宿泊客を殺して金を奪うことを繰り返しているのですが、
ある時殺してしまった青年は、
実は20年前に生き別れた娘の兄で母親の息子だったのです。
それを知って母親は自分も自死しますが、
生き残った娘は青年の妻に呪いの言葉を投げかけ、
何処かに去って行きます。
もう1人何も言わない召使いの老人が登場するのですが、
ラストで救いを求める青年の妻に対して、
一言「駄目だ!」と言い放ちます。
それでお終い。
ストーリーは非常に古典的な因縁話です。
日本であれば歌舞伎を思い出しますし、
鬼子母神のお話なども想起されます。
欧米ではギリシャ悲劇を連想するところで、
知らないで父親を殺し、母親と寝る、
というような悲劇の焼き直しです。
最後に一言しか発しない老召使いは、
勿論神様の比喩になっています。
ただ、勿論カミュがこの作品を戦時中に執筆した意味は、
ギリシャ悲劇そのものがやりたかったのではなく、
暗い国で登場人物が皆、
それぞれにやり方で必死に生き、
幸福を求めていながら、
それが全て最悪の結果に至る、
という現代に通底する不毛さを、
そうした構造で浮かび上がらせたかったのだと思います。
現在でも勿論、
そうした不条理は形を変えて、
今の人間を苦しめているとは思います。
ただ、それはおそらく、
この物語に描かれているような形ではないので、
この作品を現代に響く物にすることは、
そうたやすい作業ではないように思います。
そこで演出ということになるのですが、
個人的には落第点と感じました。
この新国立劇場の小劇場は、
キャパの割に舞台は大きくて、
今回はそれを大きな戸板を並べた素舞台にしています。
そこに緞帳のようにも見え、巨大な船の帆のようにも見える、
大きな白い布を装置として配して、
ある時はそれが部屋の壁になり、
ある時は翻って海を表現します。
装置はそれ以外に椅子とベッドがあるだけです。
原作は3幕でそれも複数の場に分かれていますが、
この上演では布の装置と照明の変化を付けるだけで、
幕間はなく連続して上演しています。
物語が抽象的なので舞台を抽象化した、
という意図は分かります。
しかし、これでは全体があまりに単調に流れてしまいますし、
原作では被害者を海に沈めるような場面は描かれておらず、
登場人物が部屋を去るだけであるのに、
この演出では布が翻り、
青い照明が海を表現して、
そこに人物が去って行く、という描かれ方をしているので、
逆に何が起こったのかが分かりません。
青年も母親も娘も、
同じように去って行くので、
その違いが分からないというのが、
この演出の最大の欠点です。
そもそもこうした抽象的な物語であるからこそ、
舞台装置はリアルで即物的な方が、
その効果を挙げるには有効なのではないでしょうか?
素舞台で朗々と登場人物が恨み節の独白を続けるのでは、
ギリシャ悲劇と何ら変わらないことになってしまいます。
抽象を具象にしたのが作品の本質なのに、
それを抽象に戻しては意味がないのではないでしょうか?
典型的な頭でっかちの駄目演出と感じました。
役者さんの演技も、
原田美枝子さんにしても、
小島聖さんにしても、
もっとリアルで肉感的な芝居の出来る人なのに、
変な絶叫を交えた、
ギリシャ悲劇もどきの演技をさせて、
その個性を奪っている感じがしたのが、
これも演出の凡庸さを示していると思います。
思えばこうした欧米の前衛劇を、
鮮やかに日本の土壌に移し替えたのが別役実さんで、
彼の「病気」という作品では、
この「誤解」と全く同じように、
最後に唐突に神が出現して、
主人公を一言罵倒して終わり、
というラストに至ります。
この作品を観て思うことは、
確かにお勉強としては、
こうした作品を上演することにも、
一定の学術的意味があると思いますが、
その意味するところを現代の観客に伝えるには、
別役さんの芝居を上演した方が、
100倍良く伝わるように感じました。
カミュの原作を深く知ることが出来たのは良かったのですが、
観劇自体は残念ながら時間の無駄でした。
関係各位には失礼な言い方をお許し頂きたいのですが、
これが正直な感想です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場の演劇のレパートリーとして、
カミュの「誤解」が上演されています。
その舞台に足を運びました。
これはちょっと困りました。
文学作品としては確かに名作とは思うのです。
ただ、その作品の書かれた時代背景というものもありますし、
今まともに上演して、
面白いと思える作品にするのは、
非常に難しいという感じがします。
そして、結果として、
面白い舞台にはなっていませんでした。
内容はある暗い国の宿屋に母親と娘がいて、
明るい別の国へ行く旅費を貯めるために、
宿泊客を殺して金を奪うことを繰り返しているのですが、
ある時殺してしまった青年は、
実は20年前に生き別れた娘の兄で母親の息子だったのです。
それを知って母親は自分も自死しますが、
生き残った娘は青年の妻に呪いの言葉を投げかけ、
何処かに去って行きます。
もう1人何も言わない召使いの老人が登場するのですが、
ラストで救いを求める青年の妻に対して、
一言「駄目だ!」と言い放ちます。
それでお終い。
ストーリーは非常に古典的な因縁話です。
日本であれば歌舞伎を思い出しますし、
鬼子母神のお話なども想起されます。
欧米ではギリシャ悲劇を連想するところで、
知らないで父親を殺し、母親と寝る、
というような悲劇の焼き直しです。
最後に一言しか発しない老召使いは、
勿論神様の比喩になっています。
ただ、勿論カミュがこの作品を戦時中に執筆した意味は、
ギリシャ悲劇そのものがやりたかったのではなく、
暗い国で登場人物が皆、
それぞれにやり方で必死に生き、
幸福を求めていながら、
それが全て最悪の結果に至る、
という現代に通底する不毛さを、
そうした構造で浮かび上がらせたかったのだと思います。
現在でも勿論、
そうした不条理は形を変えて、
今の人間を苦しめているとは思います。
ただ、それはおそらく、
この物語に描かれているような形ではないので、
この作品を現代に響く物にすることは、
そうたやすい作業ではないように思います。
そこで演出ということになるのですが、
個人的には落第点と感じました。
この新国立劇場の小劇場は、
キャパの割に舞台は大きくて、
今回はそれを大きな戸板を並べた素舞台にしています。
そこに緞帳のようにも見え、巨大な船の帆のようにも見える、
大きな白い布を装置として配して、
ある時はそれが部屋の壁になり、
ある時は翻って海を表現します。
装置はそれ以外に椅子とベッドがあるだけです。
原作は3幕でそれも複数の場に分かれていますが、
この上演では布の装置と照明の変化を付けるだけで、
幕間はなく連続して上演しています。
物語が抽象的なので舞台を抽象化した、
という意図は分かります。
しかし、これでは全体があまりに単調に流れてしまいますし、
原作では被害者を海に沈めるような場面は描かれておらず、
登場人物が部屋を去るだけであるのに、
この演出では布が翻り、
青い照明が海を表現して、
そこに人物が去って行く、という描かれ方をしているので、
逆に何が起こったのかが分かりません。
青年も母親も娘も、
同じように去って行くので、
その違いが分からないというのが、
この演出の最大の欠点です。
そもそもこうした抽象的な物語であるからこそ、
舞台装置はリアルで即物的な方が、
その効果を挙げるには有効なのではないでしょうか?
素舞台で朗々と登場人物が恨み節の独白を続けるのでは、
ギリシャ悲劇と何ら変わらないことになってしまいます。
抽象を具象にしたのが作品の本質なのに、
それを抽象に戻しては意味がないのではないでしょうか?
典型的な頭でっかちの駄目演出と感じました。
役者さんの演技も、
原田美枝子さんにしても、
小島聖さんにしても、
もっとリアルで肉感的な芝居の出来る人なのに、
変な絶叫を交えた、
ギリシャ悲劇もどきの演技をさせて、
その個性を奪っている感じがしたのが、
これも演出の凡庸さを示していると思います。
思えばこうした欧米の前衛劇を、
鮮やかに日本の土壌に移し替えたのが別役実さんで、
彼の「病気」という作品では、
この「誤解」と全く同じように、
最後に唐突に神が出現して、
主人公を一言罵倒して終わり、
というラストに至ります。
この作品を観て思うことは、
確かにお勉強としては、
こうした作品を上演することにも、
一定の学術的意味があると思いますが、
その意味するところを現代の観客に伝えるには、
別役さんの芝居を上演した方が、
100倍良く伝わるように感じました。
カミュの原作を深く知ることが出来たのは良かったのですが、
観劇自体は残念ながら時間の無駄でした。
関係各位には失礼な言い方をお許し頂きたいのですが、
これが正直な感想です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。