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「PHOTOGRAPH51(フォトグラフ51)」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は色々あって遅い更新になりました。
午後の診療の合間に書いています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
フォトグラフ51.jpg
アメリカ人の劇作家により2008年に発表され、
2015年にイギリスで、
ニコール・キッドマン主演で初演されて、
大きな話題となった舞台が、
今板谷由夏さんの主演で上演されています。

何か批評家的な方が酷評をされていたので、
ああ、いつもの外国人演出家の失敗作という感じなのかな、
日本語のニュアンスが分からない変梃演出になってしまったのかな、
とあまり期待をしないで足を運んだのですが、
予想に反して非常に素晴らしい舞台で、
勿論物足りないところや、
日本語のニュアンスがぎくしゃくしたところはあるのですが、
知的で繊細で陰影に富んだ、
滋味のある素晴らしい戯曲だと思いましたし、
演出も的確かつ繊細でなかなかの技量です。
役者さんも皆頑張っていたと思います。
日本人の劇作家には、
はぼ書くことが出来ないタイプの戯曲で、
それだけでも日本で上演する値打ちはあったと思いました。

「取り返しのつかない過去」の象徴として、
シェイクスピアの「冬物語」が重要な役割で登場するのですが、
その批評家らしき方は、
引用がマッチしていない、と批判されていたのですが、
そんなことは全くないと思いますし、
それ以外は科学用語で埋め尽くされた台詞の中で、
叙情的な場面としてしっかり機能していましたし、
その深みのある対比にも感銘を受けたので、
まあ、感じ方は様々だなあ、と改めて思いました。

これは科学の歴史に興味のある方ならどなたもご存じの、
ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見にまつわる、
女性研究者のデータの不正入手スキャンダルを、
ほぼ史実に則って描いた作品です。

X線による物質の構造解析のエキスパートであった、
女性研究者ロザリンド・フランクリンの撮った、
遺伝子の構造に関わる画像とデータを、
ワトソンとクリックが「不正に」入手して、
それを元にして二重らせん構造の発見という業績に結び付きます。
ロザリンドはその発見に重要な貢献を、
彼女の意志とは無関係に、
科学の歴史においてはしているのですが、
その貢献は全く評価されることなく、
自身は研究による放射線被曝の影響も疑われる、
卵巣癌のために37歳で生涯を閉じます。

非常にドラマチックで陰影に富んだ実話で、
ワトソン博士がまあ悪役という感じにはなるのですが、
彼のこともギラギラとした出世欲が、
決して否定的にばかり描かれてはいませんし、
主人公のロザリンドも悲劇のヒロインという扱いではなく、
その他人を容易に寄せ付けず、
周囲に反感ばかりを募らせる人格も描きながら、
それでも魅力的な1人の女性として、
複雑な性格を合わせ鏡のように描いていました。

物語は主人公のロザリンドが、
研究のパートナーでもあり異性の上司でもある、
ウィルキンズ博士と、
お互いにひかれ合う気持ちはありながら、
仕事のパートナーとしても、
個人的な関係としても、
結果的に良い関係を持つことが出来ず、
何ら実際的な交流を持つことなく人生の別れを迎える、
という2人の関係を縦軸として、
ノーベル賞に向けて仁義なき競争に明け暮れる、
研究という修羅場がリアルに描かれます。

僕も以前は大学で研究をしていて、
留学した先輩などから、
ノーベル賞に向け最先端の研究者が、
何でもありの激しい競争に身をおいている様は、
聞いて知ってはいたので、
かなりリアルにその辺りのやり取りが、
説得力を持って描かれていることに感心しました。

こうした点はただ、
知らない人には分かりにくいかも知れません。

戯曲の言葉はかなりの翻訳調の文体で、
最初は確かにそのことに違和感があるのですが、
耳慣れて来ると、
文学的なニュアンスを大切にするために、
敢えてそうした手法をの取ったのだと理解出来ました。
こうした戯曲の言葉は、
必ずしも自然な口語の方が良いという訳ではなく、
より詩的なニュアンスが必要なのです。

演出は非常に繊細で質の高いものでした。
シンプルなセットですが、
研究機器や構造モデルなどの小道具はリアルなものを用意して、
場の変化が巧みに表現されていましたし、
主人公の他者に対して固く閉ざされた心の一番奥のところに、
幼少期の両親と登った登山の情景と、
自然の形に対する憧憬、
更にはそこに親への切ないくらいの情愛が、
潜んでいるのですが、
抽象的な舞台がその情景を、
これも巧みに具現化していました。
抑制的な表現ですが、
後半の「冬物語」の部分には、
静かな感動があったと思います。

キャストもなかなか頑張っていました。
初演のロザリンドがニコール・キッドマンですから、
これはさぞかし「氷の女」の風情で素晴らしかったろう、
登場するだけで舞台の空気は一変しただろう、
などと誰でも考えてしまうので、
板谷由夏さんもさぞかしプレッシャーだったろうと思いますが、
なかなかどうして、
キッドマンとは全く違う形で、
彼女なりのロザリンド像を造形していて見応えがありました。
支える男性キャストも、
役を掘り下げて芝居をしていることが分かるので、
技巧的には差はあっても、
良いアンサンブルを奏でていたと思います。

そんな訳で翻訳劇の舞台としては、
今年最も感心した1本で、
題材が特殊なので入り込めない方もいると思うのですが、
個人的にはとても楽しめる舞台でした。

お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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