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「メッセージ」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日3本目も映画の記事になります。

それがこちら。
メッセージ.jpg
SF作家テッド・チャンの短編を原作とした、
SF映画「メッセージ」を観て来ました。

これはゼメキスの「コンタクト」に近いタイプの、
じんわりと感動するSF映画で、
僕は「コンタクト」は大好きなので、
この作品もとても楽しめました。

中国が「実は気のいい乱暴者」として、
かつてのアメリカのように描かれていて、
そうしたところに時代を感じさせます。
現実にもほぼそうなのでしょうが、
ハリウッド映画の世界では、
もう既に世界は中国が支配しているようです。

余談でした。

原作は娘を山の事故で失って離婚した失意の女性科学者が、
宇宙からの来訪者との「コンタクト」を通じて、
時間についての新しい観念を得て、
過去の悲劇を新しい目で眺めるようになる、
という話です。

そこで分かる時間の新しい観念というのは、
カート・ヴォネガットが「スローターハウス5」で提示したものと、
基本的には同じで、
時間とは前も後もない連なる山脈のようなものだ、
というものです。
「スローターハウス5」にはとても感動したのですが、
この短編はその焼き直しなので、
その点にはあまり感心しませんでした。

後は全くコミュニケーション体系の異なる異星人を相手に、
どのようにして対話を成立させるのか、
相手の言語体系をどのようにして認識するか、
という辺りが原作のSFとしての読みどころになっています。

原作を読むと正直これを映画にして、
何の面白みがあるのだろうか、
というように感じてしまうのですが、
映画は原作のアウトラインとテーマには一応沿いながら、
昔からある時間テーマの泣かせのパターンに、
原作を落とし込む形で映画化しています。

そのため、
原作を読んでいる人の方が、
映画の仕掛けに引っ掛かるという、
ちょっと面白い結果になっています。

正直地味な映画なのですが、
割と綺麗にクライマックスが仕組まれていて、
ご都合趣味の極致と言えば言えるのですが、
軍の指導者を主人公が説得する辺りはワクワクしますし、
ラストの詩情にも、
とても清々しく感動することが出来ます。
この後味の良さは、
なかなか出来ることではありません。

原作では異星人は異なる文明のリサーチのために来た、
ということのようですが、
映画ではその辺りはぼかされていて、
何のために来たのかは分からないけれど、
結果としては時間についての真実を、
主人公に伝えて去って行った、
ということのようです。

これだけの話を手間暇掛けて堂々とやる、
という辺りが余程の自信がないと出来ないことで、
寝不足の時にはお薦め出来ないのですが、
じっくり雰囲気に浸り、
クライマックスで「あっ、そういうことなのか」
と目を覚まし、
ラストで静かに余韻に浸るには良い映画だと思います。

静かにお薦めします。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

「カフェ・ソサエティ」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日2本目の記事は映画の話題です。

それがこちら。
カフェ・ソサエティ.jpg
80歳を過ぎても精力的に新作を発表し続けている、
ウディ・アレンの脚本・監督による新作に足を運びました。
短期間でしたが、足場の良い新宿で、
公開してくれたのが良かったです。

ウディ・アレンはニューヨークを代表する映画作家の1人で、
コメディアンからスタートして、
オリジナルのコメディ映画で頭角を現し、
「アニー・ホール」でウィットに富むセンスのある人間ドラマを確立すると、
その後は映画の楽しさを満喫させる、
多くのアレン映画を生み出しました。

僕は昔テレビで何度もやっていた、
初期のコメディの「バナナ」が大好きで、
文字通り腹を抱えて笑いました。

その後「アニー・ホール」から、
78年の「インテリア」、79年の「マンハッタン」、
80年の「スターダストメモリー」。
82年の「サマーナイト」辺りは封切りで観て、
「スターダストメモリー」と「サマーナイト」という、
彼がスランプの変な藝術映画にはうんざりしましたが、
その後持ち直して独自のアレン映画を確立。
特に85年の「カイロの紫のバラ」、
86年の「ハンナとその姉妹」には、
非常な感銘を受けました。

今回の作品は95年の「ブロードウェイと銃弾」に通じるような、
1930年代のハリウッドとニューヨークを舞台にした、
映画と舞台への愛に満ちた物語で、
気弱なくせに意外に野心家のユダヤ人の青年を主人公に、
気難しく妻の尻に敷かれた学者や、
暴力的だが気の良いギャング、
妻に離婚を切り出せない辣腕のプロデューサーなど、
いつもの懐かしいアレン印の登場人物達が活躍し、
美しい美術とキャメラも相俟って、
映画の至福を観る者に感じさせます。

昨年の「教授の奇妙な妄想殺人」はやや変化球でしたが、
今回の祝祭劇はアレンの世界そのものです。

ドラマとしては、
それぞれ別の相手を伴侶に選んだかつての恋人が、
苦い再会をして相手に思いを馳せるという、
定番のラブロマンスで、
1時間半程度の上映時間の中に、
人生の様々な情感を盛り込んで、
過不足なく1つのドラマに仕上げる辺りに、
アレンの職人芸は健在という思いがしました。

充実度から言えば、
矢張り80年代半ばくらいがアレンのピークで、
当時の作品と比較すると、
その人間ドラマとしての奥行には、
不満の残る部分はあるのですが、
酸いも甘いも心得た人生と恋愛の達人ウディ・アレンの、
力の抜けた人生スケッチとして、
しばし贅沢な気分に酔うことが出来ました。

アレンの映画はいつもすぐに終わってしまうのですが、
こうしてコンスタントに公開されるのは、
とても嬉しいことだと思います。

お薦めです。

それでは次も映画の話題です。

劇団チョコレートケーキ「60’s エレジー」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日は何本かの記事をアップする予定です。

まずはこちら。
60年代エレジー.jpg
新宿のサンモールスタジオで、
5月21日まで劇団チョコレートケーキの新作公演が行われました。

これは日本の1960年代の、
学生運動や東京オリンピック、
高度成長の歴史と、
その年代を希望に燃えた若者として過ごした、
1人の青年の末路を描くことで、
より下の世代が60年代の日本の総括に挑んでいます。

作品は現在の東京で孤独死を遂げた老人が、
残した手記を読み解くという経過で行われます。
そこで描かれるのは、
端的に言えば高度成長の全否定の物語です。

舞台は蚊帳の工場で、
地方から就職のために上京した少年は、
工場の2代目社長の好意で、
住み込みで働くと共に夜間の大学にも通えるように、
学費の援助も受けています。

しかし、高度成長と共に日本人の生活は大きく変わり、
蚊帳の需要は急激に減少してゆきます。
社長は時代に変化に合わせて仕事を変えることは出来ず、
まず社長の実の弟の首を切り、
次にはベテランの職人の首を切って、
工場と少年だけは守ろうとします。

しかし、少年は大学で学生運動にのめり込み、
親代わりの社長夫婦の心を思いやろうとはしません。
工場は閉鎖され、その後にアパートが建つと、
退職して天涯孤独の老人となったかつての少年は、
そこが取り壊される直前に自ら命を絶つのです。

劇団チョコレートケーキ面目躍如の感のある力作で、
個人的には新作としては2014年の「サラエヴォの黒い手」以来で、
最も気に入りました。

話はやや単純化され過ぎていて、
経営に苦しくなってリストラをするという段取りが、
何度も繰り返されるのがやや単調に感じますが、
団塊の世代へのエレジー(挽歌)として、
その筆法は力強く、
高度成長それ自体を切って捨てるような過激さは、
ちょっとより上の世代には不可能な作劇だと感じました。

役者は劇団員の3人がそれぞれの芝居を、
熟成感を持って演じていて味わいがありました。
ただ、3人とも役作りは素晴らしいのですが、
長い年月のドラマとしては、
演技の振り幅がやや小さく、
観続けていると単調に感じるきらいはありました。
ただ、これは劇の構造自体にも通じる問題であったように思います。

舞台装置も小空間に緻密に作り込まれていて見応えがありました。
ただ、これも小物を含めて、
数年が経っても何1つ変化がないので、
その点はやや不満に感じました。

総じて、一種の年代記として観るには、
その変化が見えにくく、
繰り返しが多い、という欠点はあったように思います。

今回の成功は矢張り会場が小さかったことで、
劇団チョコレートケーキは、
シアター・イースト(ウェスト?)やシアタートラムなど、
もう少し大きな空間での公演もありましたが、
密度の点で矢張り少し問題があったように感じました。
駅前劇場やサンモールスタジオくらいのキャパになると、
その凝集度が高まって、
凄みのあるような迫力を生むのです。
ただ、今後この集団がより大きくなるには、
もう少し大きな劇場での舞台を、
どのように高密度に保つかが、
大きな課題ではないかと感じました。

頑張って下さい。

それでは映画の話題に続きます。