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岩木一麻「がん消滅の罠 完全寛解の謎」(ネタバレ注意) [ミステリー]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は別件の仕事で都内を廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
がん消滅の罠.jpg
医療系の研究者の前歴のある著者による医療ミステリーで、
第15回の「このミステリーがすごい!」大賞受賞作です。

「余命半年の宣告を受けたがん患者が、生命保険の生前給付金を受け取ると、その直後、病巣がきれいに消え去ってしまうー」
という現象が繰り返し起こるという、
人間消失ならぬ、がん消失という怪事件を推理する、
という話です。

選考委員が「まったく見当のつかない真相」
「史上最高の医療本格ミステリー」
などと真顔で公言しているので、
一体この謎がどのように解かれるのだろうと、
どうせ大したことではないのではないか、
と少しは思いながらも、
凡人の性で何となく気になってしまいます。

これはまあ、2つの謎があるのです。
いずれもがんが消えたり、するのですが、
設定は少し違います。

1つは肺腺癌が全身に転移していて、
それ自体は専門の医療機関で確認されているのです。
余命半年という宣告で保険金が下りるのですが、
標準治療の抗がん剤を使用して、
余命の少しの延長しか期待は出来ない筈なのに、
数か月でがんは全て縮小して消えてしまいます。

これが1つ。

もう1つは何か謎の病院があって、
特別な免疫治療をしているらしいのです。
ある人が人間ドックで初期の肺がんが見つかり、
それが早期なので切除すると、
しばらくして全身の転移が見つかり、
それがその病院の画期的な治療で、
みるみる縮小して消えてしまったり、
治療をやめると悪化したりするというのです。

これがもう1つの謎です。

本を読む前にそれだけの情報で、
どのようなトリックなのか考えてみました。
別に僕でなくても医学をちょっとかじった人なら、
誰でもそう考えると思うのですが、
本物の癌が急に消える訳はないと思うのです。
それがあれば純然たるSFで、
医学ミステリーという枠からは大きくはみ出してしまいます。
そうなると、
消えたのは「〇〇」ではない、
ということになり、
要するにこうしてこうしたのではないかしら、
と何となく答えは1つしかないという気がします。

でも、それだけのことでは、
さすがに素人でもすぐ分かってしまうのではないかしら、
そんなものを「空前のトリック」などと言うのかしら、
と疑問に思って、
悔しい気はしたのですが、
真面目に買って本を読んでみました。

読むと結局はほぼ想像の通りでした。

このように理屈で1方向で考えると、
すぐに1つの可能性しか残らなくなってしまうのは、
所謂「不可能犯罪」のトリックとしては上出来とは言えないと思います。

しかし、一方で多くの人は、
医療というものに一種の呪術性のようなものを期待し、
「私があなたの癌を100%治します」
などと言われれば、
明らかなインチキでも思考停止して信じてしまうようなところがあるので、
そこを上手く突いているという点は、
読者に受けるところがあるようにも思います。

同じような奇跡は実際にはゴロゴロ転がっていて、
有名芸能人の進行癌の報道などに対しては、
絶対に治る筈がないのに、
「奇跡を信じます」と言わないと非難を浴び、
真顔で皆が非論理的で非科学的な奇跡を、
信じて疑わないようなところがあるからです。

従って、そうした先入観や思い込みを、
一種のミスディレクションとして活用していると考えると、
満更低レベルのトリックとも言い切れません。

この作品はトリックはそんな感じのものなのですが、
小説としてはなかなか良く出来ていて、
かなり加筆されて手が入っていると思うのですが、
ミステリー的な小ネタの使い方が上手く、
全体に何かもやもやした不気味な感じというか、
グロテスクな感じがすることも悪くありません。

以下少しネタバレを含む感想です。
必ず本編読了後にお読みください。

必ずよろしくお願いします。

これはフーマンチューもののバリエーションのような作品で、
狂気に満ちた癌研究の第一人者の研究者が、
自分の知識を悪用して、
日本の重要人物に癌を作ってそれをコントロールすることにより、
彼らを強迫して理想の政治を実現しようとする、
というような話です。

本人の癌細胞に自死(アポトーシス)を誘導するような仕掛けをして、
それを大きくしたり小さくしたりする、
というような趣向です。
ただ、末期癌の恐怖を味合わせてから、
それを縮小させるようなことをするのですが、
それは成立しないという気がしました。

癌でもう悪液質のような状態が生じているとすると、
そこで慌てて癌細胞に自死の指令を出しても、
身体全体としてはもう手遅れの可能性が高いように思うからです。

自死させるような遺伝子に組み込んだ仕掛けとは何?、
というのが1つのポイントですが、
そこは昆虫から抽出した毒素みたいなことで、
適当に胡麻化している、という印象です。

それとは別に、
最初に免疫抑制剤をアレルギーの薬と嘘を吐いて飲ませておいて、
他人由来の癌を植え込み、
癌を消したい時にはその免疫抑制剤を中止すると、
拒絶反応で癌が消滅する、
という方法も使われています。
ただ、これも大分無理があって、
他人の癌細胞が生着するような強力な免疫抑制をしておいて、
それが他の医療機関でバレないというのも不自然ですし、
本人はそれを全く知らないのですから、
感染症などで体調を悪くする可能性も高そうです。
また肺癌の細胞をただ注射しただけなのに、
それが原発性の肺癌が全身に転移したのと同じに見えるような広がりで、
うまい具合に生着するというのも随分と不自然に思います。

著者は動物実験の知識はあるので、
癌の動物実験をそのまま人間に適応している訳です。
それはそれでグロテスクな趣きがあるので、
趣向としては成功していると言って良いのですが、
人間の患者さんの実際は、
多分あまりご存じがないのだと思うので、
「とんでもトリック」という感じのものになっています。

ただ、この作品はそのトリック以外の部分に、
そのミステリ―としての妙味があって、
最初は如何にも探偵役に見えた変人研究者が、
事件の根幹に関わっていたり、
勧善懲悪にはならずに、
ラストは次のステップに入るというような捻りも良いのです。

人物もあまり細かく書き込まないことがむしろ成功していて、
ステレオタイプな人物しか出て来ないのに、
何か生々しい感じを出しているのも面白いと思います。

このくらいなら…
という思いもありましたし、
くやしい感じも強くしたので、
眠っていた意欲に、
少し火が点いた感じもしたのです。

ちょっと頑張ります。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。