「箱男」(2024年映画版) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
大好きな石井岳龍さんが、
安部公房さんの「箱男」を、
1970年代風のアングラ映画として監督しました。
評判がとても悪いので、
「大丈夫かしら」と思ったのですが、
なかなかどうして、アングラ映画としては、
決して悪くありませんでした。
これはもう本当に、
1960年代から1970年代のATG映画みたいな感じなんですよね。
そこに紛れて上映しても分からないくらいの雰囲気です。
なので、ATG映画が好きな人には、
お勧めの出来る作品ですが、
ああいう、理屈っぽくて、観念的で、
意味不明で暗い映画は嫌だ、
という向きには拒絶反応を起こすのでダメです。
人によって感想は大きく変わると思うので、
出来ればおひとりでの鑑賞をお勧めします。
友達や恋人と一緒に行って、
感想が同じという可能性はかなり低く、
鑑賞をきっかけとして、
人間関係に亀裂が生じる可能性があるからです。
安部公房さんの映画というと、
中学生の時に「おとし穴」と「砂の女」の2本立てを名画座で観て、
確か池袋の文芸座か日比谷の日劇文化だったと思います。
どちらかと言うと、
名作とされる「砂の女」が目的であったのですが、
「砂の女」の方はあまりピンと来なくて、
「おとし穴」の方が衝撃的で印象に残りました。
舞台となる炭鉱町の雰囲気の異様さ、
それから田中邦衛さんの不気味さも出色でした。
今思うと「砂の女」はエロスがテーマで、
あれはもう中学生に分かる感じのエロスではないのですね。
「箱男」については、
高校1年の時の課外活動で、
読書の感想を言い合うような機会があったのですが、
その時にある同級生が、
「箱男」の話を黒板に絵を描きながらしてくれたのを、
何故か今でも良く覚えています。
その説明の大部分は、
小説の最初に書かれている、
「箱男の箱の作り方」で、
それ以外の説明は殆どありませんでした。
「箱男」は手記の体裁を取りながら、
その執筆者の人格は後半に至って、
かなり頻繁に入れ替わり、
それが同一人による創作であるのか、
複数の人間が書いたものの集合体であるのか、
最後まで判然とはしない、
という趣向の小説です。
ラストに描かれるのは、
寂れた医院を1つの箱に見立てて暗室化し、
その中で誰とも知れぬ男性と、
ヒロインの女性が闇の中で裸で愛し合う、
という「砂の女」に通底するエロスになります。
こんなものを高校1年生の男子生徒が完全に理解したり、
共感を覚えたりしたら余程のことですが、
多分今思うと最初の部分しか、
この同級生は読んではいなかったのではないかと、
個人的には思っています。
石井岳龍さんは、
「蜜のあはれ」にしても「パンク侍…」にしても、
難解な原作を徹底して読み込んだ上で、
映像的な1つの解釈と理解の姿を、
極めて明晰に提示してくれる映画作家です。
これは演劇では蜷川幸雄さんのスタンスに近いもので、
蜷川さんの芝居も、
その解釈は極めて明晰で、
村上春樹さんの「海辺のカフカ」も、
死んだ兄弟と共に、
「父」の罪を清算しようという話であることに、
初めて気づいた思いがしましたし
(今うろ覚えなのでこの解釈は間違いかも知れません)、
「ゴドーを待ちながら」も、
蜷川版で初めて得心が入った、
という感じがしました。
今回の石井監督も、
原作の「箱男」を徹底して読み込んでいて、
箱の覗き窓をシネスコサイズにして、
映画のスクリーンと一体化させ、
そこに数人の自我が浮かぶ様を見せたり、
箱が向きを変えるというアクションを梃子にして、
画面にリズムを生み出すような技巧を駆使して、
この原作の正統的解釈を示すと共に、
如何にもアングラ芝居的なラストのオチや、
原作の書かれた1973年と、
映画の舞台となった2023年を、
地続きの時空として設定した工夫などによって、
間違いなく石井岳龍映画としても成立させている点がさすがです。
特に箱同士がぶつかる、
舞踏の愚行にも似た格闘のビジュアルは、
奇妙な興奮と快感を呼ぶ名シーンだったと思います。
この作品を貶す人は、
「独白が多くて説明過剰」であったり、
ラストのメタ映画的オチが、
「想定可能で幼稚」であったり、
箱同士がぶつかり合って格闘するのが、
「何が面白いのか分からない」
と批判しているのですが、
これはもうシンプルなアングラ否定に過ぎないのですね。
アングラとは説明過剰で観念的なものですし、
そのラストは観客参加型のものは、
往々にして想定可能で幼稚で恥ずかしい感じのもので、
恥を捨てて幼稚な世界を楽しむ、
という姿勢が必要とされるものですし、
滑稽で愚かでそれでいてエネルギッシュで妙に切なくもあるアクションが、
その見せ場の大きな部分を占めているのです。
それが嫌ならもうアングラが嫌い、
ということなので、
僕が言うことは特にないのですが、
唯一言いたいことは、
「一旦のめり込むと、これ以上沼る娯楽はないよ」
という事実だけなのです。
そんな訳でまずまず楽しめた「箱男」だったのですが、
正直石井監督には、
もう少し予算を掛けて、
「パンク侍…」みたいな映画をまた撮って欲しいな、
あの知恵のある猿が登場した時の異様な光景など、
あれ以上の映画におけるアングラ的風景はない、
と思うくらいの感銘を受けたからです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
大好きな石井岳龍さんが、
安部公房さんの「箱男」を、
1970年代風のアングラ映画として監督しました。
評判がとても悪いので、
「大丈夫かしら」と思ったのですが、
なかなかどうして、アングラ映画としては、
決して悪くありませんでした。
これはもう本当に、
1960年代から1970年代のATG映画みたいな感じなんですよね。
そこに紛れて上映しても分からないくらいの雰囲気です。
なので、ATG映画が好きな人には、
お勧めの出来る作品ですが、
ああいう、理屈っぽくて、観念的で、
意味不明で暗い映画は嫌だ、
という向きには拒絶反応を起こすのでダメです。
人によって感想は大きく変わると思うので、
出来ればおひとりでの鑑賞をお勧めします。
友達や恋人と一緒に行って、
感想が同じという可能性はかなり低く、
鑑賞をきっかけとして、
人間関係に亀裂が生じる可能性があるからです。
安部公房さんの映画というと、
中学生の時に「おとし穴」と「砂の女」の2本立てを名画座で観て、
確か池袋の文芸座か日比谷の日劇文化だったと思います。
どちらかと言うと、
名作とされる「砂の女」が目的であったのですが、
「砂の女」の方はあまりピンと来なくて、
「おとし穴」の方が衝撃的で印象に残りました。
舞台となる炭鉱町の雰囲気の異様さ、
それから田中邦衛さんの不気味さも出色でした。
今思うと「砂の女」はエロスがテーマで、
あれはもう中学生に分かる感じのエロスではないのですね。
「箱男」については、
高校1年の時の課外活動で、
読書の感想を言い合うような機会があったのですが、
その時にある同級生が、
「箱男」の話を黒板に絵を描きながらしてくれたのを、
何故か今でも良く覚えています。
その説明の大部分は、
小説の最初に書かれている、
「箱男の箱の作り方」で、
それ以外の説明は殆どありませんでした。
「箱男」は手記の体裁を取りながら、
その執筆者の人格は後半に至って、
かなり頻繁に入れ替わり、
それが同一人による創作であるのか、
複数の人間が書いたものの集合体であるのか、
最後まで判然とはしない、
という趣向の小説です。
ラストに描かれるのは、
寂れた医院を1つの箱に見立てて暗室化し、
その中で誰とも知れぬ男性と、
ヒロインの女性が闇の中で裸で愛し合う、
という「砂の女」に通底するエロスになります。
こんなものを高校1年生の男子生徒が完全に理解したり、
共感を覚えたりしたら余程のことですが、
多分今思うと最初の部分しか、
この同級生は読んではいなかったのではないかと、
個人的には思っています。
石井岳龍さんは、
「蜜のあはれ」にしても「パンク侍…」にしても、
難解な原作を徹底して読み込んだ上で、
映像的な1つの解釈と理解の姿を、
極めて明晰に提示してくれる映画作家です。
これは演劇では蜷川幸雄さんのスタンスに近いもので、
蜷川さんの芝居も、
その解釈は極めて明晰で、
村上春樹さんの「海辺のカフカ」も、
死んだ兄弟と共に、
「父」の罪を清算しようという話であることに、
初めて気づいた思いがしましたし
(今うろ覚えなのでこの解釈は間違いかも知れません)、
「ゴドーを待ちながら」も、
蜷川版で初めて得心が入った、
という感じがしました。
今回の石井監督も、
原作の「箱男」を徹底して読み込んでいて、
箱の覗き窓をシネスコサイズにして、
映画のスクリーンと一体化させ、
そこに数人の自我が浮かぶ様を見せたり、
箱が向きを変えるというアクションを梃子にして、
画面にリズムを生み出すような技巧を駆使して、
この原作の正統的解釈を示すと共に、
如何にもアングラ芝居的なラストのオチや、
原作の書かれた1973年と、
映画の舞台となった2023年を、
地続きの時空として設定した工夫などによって、
間違いなく石井岳龍映画としても成立させている点がさすがです。
特に箱同士がぶつかる、
舞踏の愚行にも似た格闘のビジュアルは、
奇妙な興奮と快感を呼ぶ名シーンだったと思います。
この作品を貶す人は、
「独白が多くて説明過剰」であったり、
ラストのメタ映画的オチが、
「想定可能で幼稚」であったり、
箱同士がぶつかり合って格闘するのが、
「何が面白いのか分からない」
と批判しているのですが、
これはもうシンプルなアングラ否定に過ぎないのですね。
アングラとは説明過剰で観念的なものですし、
そのラストは観客参加型のものは、
往々にして想定可能で幼稚で恥ずかしい感じのもので、
恥を捨てて幼稚な世界を楽しむ、
という姿勢が必要とされるものですし、
滑稽で愚かでそれでいてエネルギッシュで妙に切なくもあるアクションが、
その見せ場の大きな部分を占めているのです。
それが嫌ならもうアングラが嫌い、
ということなので、
僕が言うことは特にないのですが、
唯一言いたいことは、
「一旦のめり込むと、これ以上沼る娯楽はないよ」
という事実だけなのです。
そんな訳でまずまず楽しめた「箱男」だったのですが、
正直石井監督には、
もう少し予算を掛けて、
「パンク侍…」みたいな映画をまた撮って欲しいな、
あの知恵のある猿が登場した時の異様な光景など、
あれ以上の映画におけるアングラ的風景はない、
と思うくらいの感銘を受けたからです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2024-09-14 07:58
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