彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」(2022年吉田鋼太郎演出) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
もともと蜷川幸雄さんの演出により、
シェイクスピアの全作品上演を予定していた、
彩の国のシェイクスピア・シリーズですが、
蜷川さんが亡くなったため、
それを引き継いだ吉田鋼太郎さんの演出で、
2020年に予定されるも、
新型コロナのため中止となった作品「ジョン王」が、
今装いも新たに、
シアターコクーンで上演されています。
ジョン王役は横田栄司さんが当初予定されていましたが、
病気のため降板となり、
映画「ヘルドックス」の怪演も印象的だった、
吉原光夫さんに交代。
ジョン王の副官的な謎めいた男を小栗旬さん、
敵対するフランス王に吉田鋼太郎さん、
という布陣です。
これはかなりの問題作というか、
吉田鋼太郎さんの趣味爆発の怪作で、
ラストなどはかなり呆然としてしまいました。
シェイクスピアの原作の骨格はそのままながら、
昔懐かしいアングラ演出を臆面もなくやりまくり、
ミュージカル仕立てで過去のポップスなどを熱唱するという、
おかしなサービスまで付いています。
もし万一まともなシェイクスピア劇を期待して、
劇場に足を運ぶ予定の観客があるとすれば、
そんなものではありませんよ、
と力の限りお止めしたいと思います。
これはそんな作品ではありません。
以下ネタバレを含む感想です。
最初後ろの搬入口が開いていて、
これを演出に使い始めたのは、
蜷川さんの「身毒丸」の初演が最初だと思いますが、
外の渋谷の町の駐車場から、
私服姿の小栗旬さんが歩いて来て、、
アーサー王の扮装の子役が登場して水たまりで転び、
それを写メしようと向かい合うところでストップモーションすると、
巨大なオレンジ色の月が上がり、
一気にシェイクスピアの世界に時間が移ります。
本来戯曲の主人公はジョン王の筈で、
小栗旬さん演じる先王の私生児を名乗る男は、
イアーゴ的な脇役ですが、
王室に入り込む異物と言う設定を膨らませて、
それを1人だけ現代の衣装で演じることで、
現代とシェイクスピアの時代を繋ぎ合わせ、
舞台となった13世紀の血塗られた戦争の時代が、
沖縄戦やウクライナ戦争と重ね合わされます。
オープニングの辺りは、
ちょっとやり過ぎの感もあるけれど、
このくらいの解釈から入っても、
悪くはないのではないかと思って観ていたのですが、
前半の終わりで「涙そうそう」が大音量で流れ、
血まみれの悪趣味なマネキンが無数に宙吊りになる背景の中、
アーサー王の母親が狂乱して舞踏的に踊り狂う、
という場面には、
さすがにこれをシェイクスピア原作と謳うのは、
ちょっと違うのではないかと思い始めました。
後半になると、
その歌謡ショー的な側面は露骨になり、
小栗旬さんはザ・バンドの名曲「アイ・シャル・ビー・リリースト」を、
訳詞で歌い上げ、
ラストはカーテンコールでも1人静止したままの小栗旬さんの前に、
機関銃を持ったコマンドが登場し、
その前で衣装を脱ぎ捨てて最初に戻った小栗さんは、
そのまま渋谷の町に退場し、
コマンドが客席に銃口を向けると、
フォークソングが大音量で鳴り響き、
背後の門には巨大な菊の御紋が浮かび上がって暗転します。
こういうのは確かに昔は沢山あったのですよね。
蜷川さんも清水邦夫さんの戯曲の演出などで、
こうした観客を巻き込んだアングラ演出を多用していましたが、
その後商業演劇にその場を移してからは、
確かに「王女メディア」のラストに、
現代の戦争の音響を重ねるような、
「匂わせ演出」はあるものの、
基本的には観客の望むものを、
丁寧かつ親切に提供する、
という姿勢を第一にしていたと思います。
要はTPOの問題だと思うのです。
僕はアングラ芝居は大好きなのですが、
彩の国シェイクスピア・シリーズで、
滅多に上演されることのない、
マイナーなシェイクスピア作品を上演するという試みなのですから、
作品の真価を味わえるような、
まっとうな上演を期待した観客が、
大多数であったと思うのですね。
それでこのようなアングラばりばりの舞台を上演するのは、
どのような意図があったとしても、
矢張りやるべきではなかったように、
僕には思えてなりません。
そんな訳で開けてびっくりのヘンテコ上演でしたが、
演技派の競演には見どころも多く、
吉田さんには次は内容と演出との方向性がマッチした、
現代に牙を剥く先鋭的な芝居を期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
もともと蜷川幸雄さんの演出により、
シェイクスピアの全作品上演を予定していた、
彩の国のシェイクスピア・シリーズですが、
蜷川さんが亡くなったため、
それを引き継いだ吉田鋼太郎さんの演出で、
2020年に予定されるも、
新型コロナのため中止となった作品「ジョン王」が、
今装いも新たに、
シアターコクーンで上演されています。
ジョン王役は横田栄司さんが当初予定されていましたが、
病気のため降板となり、
映画「ヘルドックス」の怪演も印象的だった、
吉原光夫さんに交代。
ジョン王の副官的な謎めいた男を小栗旬さん、
敵対するフランス王に吉田鋼太郎さん、
という布陣です。
これはかなりの問題作というか、
吉田鋼太郎さんの趣味爆発の怪作で、
ラストなどはかなり呆然としてしまいました。
シェイクスピアの原作の骨格はそのままながら、
昔懐かしいアングラ演出を臆面もなくやりまくり、
ミュージカル仕立てで過去のポップスなどを熱唱するという、
おかしなサービスまで付いています。
もし万一まともなシェイクスピア劇を期待して、
劇場に足を運ぶ予定の観客があるとすれば、
そんなものではありませんよ、
と力の限りお止めしたいと思います。
これはそんな作品ではありません。
以下ネタバレを含む感想です。
最初後ろの搬入口が開いていて、
これを演出に使い始めたのは、
蜷川さんの「身毒丸」の初演が最初だと思いますが、
外の渋谷の町の駐車場から、
私服姿の小栗旬さんが歩いて来て、、
アーサー王の扮装の子役が登場して水たまりで転び、
それを写メしようと向かい合うところでストップモーションすると、
巨大なオレンジ色の月が上がり、
一気にシェイクスピアの世界に時間が移ります。
本来戯曲の主人公はジョン王の筈で、
小栗旬さん演じる先王の私生児を名乗る男は、
イアーゴ的な脇役ですが、
王室に入り込む異物と言う設定を膨らませて、
それを1人だけ現代の衣装で演じることで、
現代とシェイクスピアの時代を繋ぎ合わせ、
舞台となった13世紀の血塗られた戦争の時代が、
沖縄戦やウクライナ戦争と重ね合わされます。
オープニングの辺りは、
ちょっとやり過ぎの感もあるけれど、
このくらいの解釈から入っても、
悪くはないのではないかと思って観ていたのですが、
前半の終わりで「涙そうそう」が大音量で流れ、
血まみれの悪趣味なマネキンが無数に宙吊りになる背景の中、
アーサー王の母親が狂乱して舞踏的に踊り狂う、
という場面には、
さすがにこれをシェイクスピア原作と謳うのは、
ちょっと違うのではないかと思い始めました。
後半になると、
その歌謡ショー的な側面は露骨になり、
小栗旬さんはザ・バンドの名曲「アイ・シャル・ビー・リリースト」を、
訳詞で歌い上げ、
ラストはカーテンコールでも1人静止したままの小栗旬さんの前に、
機関銃を持ったコマンドが登場し、
その前で衣装を脱ぎ捨てて最初に戻った小栗さんは、
そのまま渋谷の町に退場し、
コマンドが客席に銃口を向けると、
フォークソングが大音量で鳴り響き、
背後の門には巨大な菊の御紋が浮かび上がって暗転します。
こういうのは確かに昔は沢山あったのですよね。
蜷川さんも清水邦夫さんの戯曲の演出などで、
こうした観客を巻き込んだアングラ演出を多用していましたが、
その後商業演劇にその場を移してからは、
確かに「王女メディア」のラストに、
現代の戦争の音響を重ねるような、
「匂わせ演出」はあるものの、
基本的には観客の望むものを、
丁寧かつ親切に提供する、
という姿勢を第一にしていたと思います。
要はTPOの問題だと思うのです。
僕はアングラ芝居は大好きなのですが、
彩の国シェイクスピア・シリーズで、
滅多に上演されることのない、
マイナーなシェイクスピア作品を上演するという試みなのですから、
作品の真価を味わえるような、
まっとうな上演を期待した観客が、
大多数であったと思うのですね。
それでこのようなアングラばりばりの舞台を上演するのは、
どのような意図があったとしても、
矢張りやるべきではなかったように、
僕には思えてなりません。
そんな訳で開けてびっくりのヘンテコ上演でしたが、
演技派の競演には見どころも多く、
吉田さんには次は内容と演出との方向性がマッチした、
現代に牙を剥く先鋭的な芝居を期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2023-01-14 08:21
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