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アラバール「建築家とアッシリア皇帝」(2022年生田みゆき演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
建築家とアッシリア皇帝.jpg
アラバールが1967年に初演した、
2人芝居の名作「建築家とアッシリア皇帝」が、
文学座の生田みゆきさんの演出、
岡本健一さんと成河さんという実力派のキャストで、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。

この戯曲には個人的にとても思い入れがあります。

最初に大学に入学した年に、
演劇好きの友人の影響もあって、
演劇の魅力に取り憑かれ、
最初に買った戯曲がこれでした。

何度も何度も口に出して台詞を読んで、
ははあ、これが不条理演劇というものなのね、
と分かったような分からないような気持ちになり、
抜粋を大学の行動前の広場で、
即席で演じたりもしました。

これは多分「星の王子さま」のパロディなんですね。
孤島に飛行機が墜落して、
アッシリアの皇帝と称する男が降りて来ると、
孤島で暮らしていた、たった1人の建築家という謎の男に会うんですね。

2人は多くの役柄を演じながら、
演劇という名の遊びとしての生を活きるのですが、
アッシリアの皇帝は自分の母親を、
愛するが故に殺して犬に食わせてしまっていて、
ゲームを繰り返しながら、
次第に建築家はそのアッシリア皇帝の秘密に近づいてゆきます。

最終的には建築家が検事となって、
裁判でアッシリア皇帝を追い詰めるという展開になり、
皇帝や母親殺しを自白することにより、
建築家により裁かれて死刑になり、
建築家は皇帝に請われて、皇帝を殺してしまいます。

建築家はアッシリア皇帝の死体を食べて2人は一体化し、
最後はまた別のアッシリア皇帝が現れます。

登場人物は2人だけですし、
非常に色々な捉え方の出来るドラマです。

2人の妄想性障害の患者が、
病室で対話しているだけの物語のようにも取れますし、
マザコンの息子が母親を殺して狂気に陥り、
自分を裁く建築家という架空の人物を、
作り出して1人芝居をしているだけ、
というようにも思えます。

建築家というのは造物主のことで、
人間が何人も何人もの皇帝を殺して食べて一体化し、
それを繰り返して人間ならざる存在となった、
というようにも思えます。

複雑な解釈の余地を残す物語で、
結局最初の設定以上に、
ラストに至っても明らかになる点は殆どないのですが、
近親相姦と親殺しとカニバリズムという、
タブーの合わせ技のような強烈さと、
演じるということ自体をテーマにした(当時のとしての)斬新さ、
そして円環構造にした構成の巧みさが、
不条理劇の典型にして古典の風格を醸しています。

この戯曲は日本の小劇場の劇作家に、
大きな影響を与えていて、
特に「孤島のカニバリズム」という部分は、
野田秀樹さんの劇作の幾つかの、
母体となっているという気がします。

今回の上演は、
設定自体はオーソドックスに残しながら、
台詞には現代的な要素も取り入れた台本にセンスを感じました。
演出は非常に緻密に考え抜かれていて、
途中で巨大な目が空から見つめているという場面があり、
その目自体は登場しないので、
「これは登場させないといけないのではないかしら」
と思っていると、
カーテンコールで書割の太陽の中心に目が描かれていて、
「なるほど」と感心しました。
段ボールを活用したセットなど、
ちょっと野田秀樹さんの演出を彷彿とさせるところがありました。
ただ、野田さんの演出では、
最初はただの段ボールに見えたものが、
別の「何か」に鮮やかに変貌したりするのですが、
今回の演出にはそうした部分はないのが、
少し物足りなくは感じました。
トータルに優等生的な演出で、
この芝居の持つもっと狂騒的な感じや、
ショッキングな感じを、
生々しく伝えるような場面や演出が、
あって欲しかったなあ、というようには感じました。

今回の上演はキャストの熱演も含めて、
この古典的な戯曲の現在の上演としては、
かなりレベルの高いものになっていたと思います。
色々な意味でもう一押し過激に振って欲しかったな、
という思いはあるのですが、
この不条理演劇の名作の素晴らしさに、
しばし酔うことが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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