加藤拓也「ドードーが落下する」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
加藤拓也さんの作・演出による、
「劇団た組。」の新作公演が、
今横浜のKAATで上演されています。
加藤拓也さんのお芝居は、
今年の「もはやしずか」で遅ればせながらとても感銘を受け、
その文体の新しさにも痺れました。
それで今回もとても楽しみにして劇場に足を運びました。
今回も非常に意欲的な素材で、
魅力的な台詞劇でした。
ただ、青春群像劇のようなスタイルで、
加藤さんの実体験も反映されているような作品なので、
ちょっとテーマと作者の距離感が近過ぎるような感じ、
饒舌に走ってやや散漫になった感じが抜けませんでした。
「もはやしずか」の冷徹で研ぎ澄まされた、
結晶体のようなお芝居とはまた肌合いが違います。
夏目という、
ある特異なパーソナリティを持ち、
精神的に危うい部分のある、
若手のお笑い芸人と、
彼の仕事のパートナーでもあり、
友人でもある信也という人物との、
微妙な交流をテーマにした作品です。
これは前作でも感じたのですが、
この信也のような人物の描き方が、
加藤さんの戯曲の一番の特徴なんですね。
真面目で誠実なのですが、
相手とはちょっと距離を持って接していて、
相手の立場に立って物を考えるということは、
基本的にしないし、
何に対してもあまり当事者意識はないんですね。
この作品でも夏目を助けようと、
その都度色々な行動をするのですが、
それが相手を考えてのことでというより、
自分のアイデンティティを守るためなんですね。
それで繊細な夏目から、
そのことを強く責められるのですね。
普通徹底して詰められ責められれば、
もっとショックを受けても良いし、
夏目を逆に憎んでも良いと思うのですが、
次の場面では、
「少し前に気まずくなったんだよね」
くらいの軽い反応しかしていないのです。
面白いですよね。
こういうキャラというのは、
あまり演劇で描かれることがなかったし、
描かれても成功はしていなかったと思うのですね。
「もはやしずか」ではこうしたキャラの主人公が、
人格崩壊するような作品だったんですね。
それが今回は、
誰も夏目のことを理解は出来ず、
理解出来ないから離れて行くのですが、
信也だけはそうではなく、
親身にはならずに絶妙の距離感で接し続けるので、
結果としてラストで、
最早会話ですらない、
シュールなギャグという名の、
全く別個のコミュニケーションツールを使って、
交信することにおそらく成功するのです。
非常に微妙で繊細で、
感動的なラストだったと思います。
夏目が象形文字の話をするでしょ。
あれも意味があるんですよね。
言葉を超えたもの、
不可能なコミュニケーションを成立させる何か、
というのがそこに象徴されていて、
それがこの作品のテーマなのです。
ただ、今回の作品はちょっと集約感には乏しいのですね。
台詞が非常に美しいのに、
それをしっかり聴かせるという演出ではなくて、
やや散漫に多くの場面が流れて行きますし、
KAATの寒々とした空間が、
その空虚さをより強くしているような感じがありました。
僕は個人的にはあまりこうした空間が好きではないですね。
この劇場で観た芝居は、
演劇の魅力が正直2割減、くらいになっているような気がします。
また一部の役者に2役をさせているのですが、
それがあまり良い方向に機能していない、
という印象がありました。
この芝居は1人1役で、
やるべきではなかったでしょうか。
そんな訳でちょっとモヤモヤする感じはあり、
加藤さんの真骨頂と言う感じのお芝居ではなかったのですが、
加藤拓也さんが今の演劇界を代表する天才であることは、
これはもう間違いがないと確信しましたし、
これからもその作品には、
何を置いても駆けつけたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
加藤拓也さんの作・演出による、
「劇団た組。」の新作公演が、
今横浜のKAATで上演されています。
加藤拓也さんのお芝居は、
今年の「もはやしずか」で遅ればせながらとても感銘を受け、
その文体の新しさにも痺れました。
それで今回もとても楽しみにして劇場に足を運びました。
今回も非常に意欲的な素材で、
魅力的な台詞劇でした。
ただ、青春群像劇のようなスタイルで、
加藤さんの実体験も反映されているような作品なので、
ちょっとテーマと作者の距離感が近過ぎるような感じ、
饒舌に走ってやや散漫になった感じが抜けませんでした。
「もはやしずか」の冷徹で研ぎ澄まされた、
結晶体のようなお芝居とはまた肌合いが違います。
夏目という、
ある特異なパーソナリティを持ち、
精神的に危うい部分のある、
若手のお笑い芸人と、
彼の仕事のパートナーでもあり、
友人でもある信也という人物との、
微妙な交流をテーマにした作品です。
これは前作でも感じたのですが、
この信也のような人物の描き方が、
加藤さんの戯曲の一番の特徴なんですね。
真面目で誠実なのですが、
相手とはちょっと距離を持って接していて、
相手の立場に立って物を考えるということは、
基本的にしないし、
何に対してもあまり当事者意識はないんですね。
この作品でも夏目を助けようと、
その都度色々な行動をするのですが、
それが相手を考えてのことでというより、
自分のアイデンティティを守るためなんですね。
それで繊細な夏目から、
そのことを強く責められるのですね。
普通徹底して詰められ責められれば、
もっとショックを受けても良いし、
夏目を逆に憎んでも良いと思うのですが、
次の場面では、
「少し前に気まずくなったんだよね」
くらいの軽い反応しかしていないのです。
面白いですよね。
こういうキャラというのは、
あまり演劇で描かれることがなかったし、
描かれても成功はしていなかったと思うのですね。
「もはやしずか」ではこうしたキャラの主人公が、
人格崩壊するような作品だったんですね。
それが今回は、
誰も夏目のことを理解は出来ず、
理解出来ないから離れて行くのですが、
信也だけはそうではなく、
親身にはならずに絶妙の距離感で接し続けるので、
結果としてラストで、
最早会話ですらない、
シュールなギャグという名の、
全く別個のコミュニケーションツールを使って、
交信することにおそらく成功するのです。
非常に微妙で繊細で、
感動的なラストだったと思います。
夏目が象形文字の話をするでしょ。
あれも意味があるんですよね。
言葉を超えたもの、
不可能なコミュニケーションを成立させる何か、
というのがそこに象徴されていて、
それがこの作品のテーマなのです。
ただ、今回の作品はちょっと集約感には乏しいのですね。
台詞が非常に美しいのに、
それをしっかり聴かせるという演出ではなくて、
やや散漫に多くの場面が流れて行きますし、
KAATの寒々とした空間が、
その空虚さをより強くしているような感じがありました。
僕は個人的にはあまりこうした空間が好きではないですね。
この劇場で観た芝居は、
演劇の魅力が正直2割減、くらいになっているような気がします。
また一部の役者に2役をさせているのですが、
それがあまり良い方向に機能していない、
という印象がありました。
この芝居は1人1役で、
やるべきではなかったでしょうか。
そんな訳でちょっとモヤモヤする感じはあり、
加藤さんの真骨頂と言う感じのお芝居ではなかったのですが、
加藤拓也さんが今の演劇界を代表する天才であることは、
これはもう間違いがないと確信しましたし、
これからもその作品には、
何を置いても駆けつけたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2022-09-23 07:18
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