SSブログ

「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ドライブマイカー.jpg
村上春樹さんの短編「ドライブ・マイ・カー」を原作として、
「寝ても覚めても」の濱口竜介監督が3時間の長編映画を完成。
カンヌ映画祭に正式出品されて、
脚本賞などに輝きました。

村上春樹さんの作品はエッセイなどを含めて、
単行本化されたものの95%くらいは読んでいますし、
最近の作品は如何なものかなあ、
とは思いますが、
「羊をめぐる冒険」などは今読んでも大傑作だと思いますし、
好きな作家であることは間違いがありません。

この映画の原作の短編集も勿論読んでいるのですが、
正直あまり上出来なものではないんですね。
結構最近の作品なのに、
いきなり「女性の車の運転というものは…」
というような決め付けから始まるのです。
それ、昔はそれで良かったけど、
今は性別の特徴を露骨に比較するのは、
もうNGに近い感じでしょ。
それだけで、あーあ、駄目じゃん、
という感じがするんですね。
それで急死した妻に男がいたのが許せないと、
悶々とするだけの話でしょ。
どうでもいいじゃん、そんなこと、
と醒めた気分になってしまいました。

これをどうやって3時間の映画にするのかしら、
と頭を捻っても想像がつきません。

ただ、濱口監督というのはかなりの曲者で、
「寝ても覚めても」はロードショーで観ていますが、
かなり変梃りんな映画だったな、
という印象があります。
原作は読んだのですが、
雰囲気としては全然違う話になっているんですよね。

今回はどうなのだろう、長いなあ…
などと思いながら、
何度か鑑賞の機会を逃し、
ようやく日比谷の映画館で観ることが出来ました。

うーん。
矢張りちょっと一筋縄ではいかない感じですね。

3時間を長いとは感じないんですね。
結構するっと観ることが出来る映画です。

世界で賞を取ることを、
きちんと計算して狙っている映画なんですね。
原作は世界的に知名度のある村上春樹さんですし、
原作にも登場はするのですが、
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を使っていて、
こちらは原作とは無関係ですが、
最初のところでベケットの「ゴドーを待ちながら」を、
使っているんですね。
どちらも世界中で知られている作品で、
一部でも流せば、あああれね、
と世界中で通用するんですね。
それを多国籍の多言語で演出するというのも、
如何にも世界で受けそうな趣向です。
映像も日本の四季折々の風景を美しく撮っていて、
台詞も最小限度に切り詰められています。

演出はちょっと独特で、
「寝ても覚めても」の東出昌大さんの時もそうだったのですが、
主役にあまり演技の上手くない役者さんを配して、
徹底した棒読みをさせるのですね。
今回は西島秀俊さんが主役なのですが、
基本的には東出昌大さんと同じタイプですよね。
肉体の存在感は抜群にあるのですが、
台詞は不自然で下手くそでしょ。
通常はそれを上手く役柄や編集で胡麻化そうとするのですが、
濱口監督はそれを逆手に取って、
わざわざ徹底した棒読みをさせるのですね。

そうして全体に漂う不自然で人工的な感じを、
1つの雰囲気として活用しています。

今回はその西島さんが演劇の演出家で、
役者に棒読みの演出をさせるのですね。
棒読みの多重構造という、
かなり特殊で奇妙な世界が展開されています。

ただ、今回に関してはその試みが、
村上春樹さんの世界を映像化するには、
意外に効果的に機能していると感じました。

最初に主人公の奥さんが、
村上さんの同じ短編集の別の話(「シェラザード」)の中にある、
夢の話を物語るのですが、
それも棒読みで、
セックスをしながら西島さんが、
棒読みで台詞を返すというのが、
リズム的になかなか良いのですね。
村上さんの台詞自体がとても人工的で平板な感じがあるでしょ。
原作のその雰囲気が、
極めて巧みに再現されているんですね。
これはうまいことを考えたな、
とちょっと感心しました。

ただ、中段になって演劇のお稽古の場面になると、
棒読みの繰り返しがかなり鼻につく感じになるんですね。
後半はどうも乗れない感じになりましたし、
色々と事情はあるのでしょうが、
ラストが唐突に韓国になって終わるというのも、
何か違和感がありました。
日本の場面はマスクをしている人は1人もいないのに、
ラストの韓国では全員マスクをしているんですよね。
変でしょ。

それ以外にもディテールで納得のいかないところがあるんですね。
結果的に上演される「ワーニャ伯父さん」が、
演劇として上出来とはとても思えないんですね。
「寝ても覚めても」でも、
とても変梃りんな演劇シーンがありましたよね。
その辺りの演出センスは許せない感じがあるんですね。
舞台上演のラストで最後の台詞が終わると、
その瞬間に盛大な拍手になるでしょ。
「ワーニャ伯父さん」のラストで、あれはないよね。
ここは静寂があって、
明かりが点いてカーテンコールになってから、
拍手になるのが正しいあり方ですよね。
凡庸にしか思えない舞台の美術や演出を含めて、
演劇ファンとしては承服しがたいのです。

それから喫煙を礼賛しているような感じの場面があるんですよね。
車の中で2人で無言でタバコを吸って、
外に灰を捨てる感じの場面を、
結構長く映すんですよね。
それも抒情的で明らかに肯定的な描写なんですね。
無口な女性ドライバーがお母さんの死んだ場所に行って、
雪に吸っていたタバコを刺して、
お線香の代わりにするのですね。
別に映画の喫煙シーンが全て駄目、
というようには思わないのですが、
現代が舞台と思える設定で、
これはさすがにないだろう、
というように思いました。

それから主人公は急に女性ドライバーに、
広島から北海道まで行けと命じるんですね。
それも不眠不休で行かせるのです。
それがね、何か緊急事態であったり、
殺人鬼に追われていたりするのであれば、
それはフィクションとしてありだと思うのですが、
そういう設定ではないのですね。
ただ、主人公が舞台上演の存続を迷っていて、
その迷いを解決するために行くというだけなんですね。
それで不眠不休で運転させるというのは、
さすがに設定として無茶だし、
運転マナー的にも問題があるように感じました。

このように何かモヤモヤする感じの作品で、
素直に良いとか悪いとかと言いにくいのですが、
村上春樹さんの作品の映像化としては、
その方法論はユニークであったと思いますし、
オープニングの抑制的な雰囲気の情感や、
日本の風景を映したキャメラの美しさ、
韓国手話を取り入れるような企画の斬新さを含めて、
色々と欠点はありながらも、
トータルにはなかなかの「日本映画」に、
仕上がっていたように感じました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(4)  コメント(0) 

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。