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「フェイクスピア」(NODA・MAP第24回公演)(ネタばれ注意) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フェイクスピア.jpg
NODA・MAPの第24回公演として、
野田秀樹さんの新作「フェイクスピア」が、
今池袋の東京芸術劇場プレイハウスで上演されています。

これは素晴らしいですよ。

この20年くらいの野田さんの作品の中では、
間違いなく一番良かったですし、
野田さんの芝居を観て泣いたのは、
多分「赤鬼」の初演以来だと思います。

久しぶりに芝居を観られて至福の時間を過ごしました。

控え目に言って必見です。

以下少しネタばれがあります。

この作品は先入観なく観て頂いた方が絶対に良いので、
鑑賞予定の方は、
必ず鑑賞後にお読み下さい。

よろしいですか?

絶対ですよ。

それでは続けます。

これね、
1985年の日本航空123便墜落事故をテーマにしたお芝居なんですね。

例の御巣鷹山のあれです。

何を今更、という感じがあるでしょ。

この事件はこれまでにも多くのフィクションで、
取り上げられていますよね。
小説では「沈まぬ太陽」や「クライマーズ・ハイ」がありますし、
演劇では劇団離風霊船の「赤い鳥逃げた…」が、
ラストに茶の間が一瞬で事故現場に変わる、
という一種の衝撃的屋台崩しで話題になりました。
ナイロン100℃の「ナイス・エイジ」も、
事件に1つの幸福な時代の終わりを重ねた、
叙情的な力作でした。

海外の芝居ですが日本でも燐光群が2002年から2003年に上演した、
「CVR チャーリー・ビクター・ロメオ」というお芝居は、
複数の事件のボイスレコーダーの音声を、
そのままコックピットを舞台にしたドラマに構成する、
という斬新な趣向の傑作でした。
その中にはこの事件も含まれています。
事故になった瞬間、強烈な爆裂音と共に暗転するんですね。
あそこまでショッキングな暗転というのは、
他にはまず体験したことがありません。
何度か墜落事件が続いて、
その後で奇跡的に助かる事例があるんですね。
「本当に助かって良かった!」という気持ちに観ていてなるのです。
面白いことを考えるものだととても感心しました。

多くの作家がこの事件に衝撃を受けるのは、
一瞬にして失われた多くの命のドラマに、
フィクションではとても太刀打ち出来ない、
という無力感を感じるからですね。
それもコックピットの音声がブラックボックスの中の、
ボイスレコーダーに残っているんですね。
間違いのない「最後の声」が、
そこに「真実」として存在している、
そのドラマにどのようにしてフィクションが立ち向かえるのか、
というのが創作者にとっての大きな壁なのです。

1985年は野田さんは劇団夢の遊眠社の人気のピークで、
神話に材を取った壮大な3部作を創作し、
大規模な会場での上演も行われていました。
ただ、その後は目立った新作は少なく、
再演や原作ものが主体となって、
そのまま遊眠社は解散に向かうのです。

この変化の1つの要因として、
御巣鷹山の事故があったと考えると、
少し腑に落ちる感じがします。

野田さんのお芝居は、
「走れメルス」のオープニングなどから既に、
「声」に対する偏愛のようなものがあって、
そこにNODA・MAPの時代以降は、
より新しいニュアンスが加わっているように思います。
おそらくその背景にも、
ボイスレコーダーの音声の存在があったのではないか、
それをいつか自分なりにフィクションに取り込んで、
その現実に一矢報いるような作品を作ろう、
というような思いが秘められているのではないか、
というようにも今回の作品を観て感じました。

これね、高橋一生さんが死んだ機長で、
35年後に橋爪功さん演じる自分の息子に、
その思いを伝えるために戻って来るというお話なんですね。
死んだ機長はブラックボックスの中にある最後の言葉を、
自分の息子に伝えるために持って来るのですが、
それはフィクションの世界に「死」をもたらすものなので、
「演劇の神」であるシェイクスピアが奪おうと狙っているのです。

最初に白石加代子さんがイタコの見習いとしてとして出て来て、
ダブルブッキングしたという高橋さんと橋爪さんが出逢うのですね。
親子の感動的な出逢いが最初にあるのですが、
通行人同士のようにしか見えない、
という辺りが面白いですよね。
橋爪さんがシェイクスピアの4大悲劇を、
次々と演じると、
そのヒロインが憑依した高橋さんと掛け合いをする、
という発想も冴えていますし、
そこに見習いイタコの白石さんが絡むのですから、
これはもう演劇好きには、
野田さんと併せて至福のカルテットです。
そこから野田さん演じるシェイクスピアと、
その息子のフェイクスピアが召喚され、
白石さんの母親の伝説のイタコとして、
前田敦子さんが召喚されると、
年齢が逆の親子関係が重層的に構成される、
ということになります。

神々の世界と人間世界の対立というのは、
野田さんの東大駒場小劇場時代からのお得意の構図ですが、
それが現実と虚構(フィクション)との対立という構図になり、
しいては現実の観客と劇作者である野田秀樹の対決になる、
という辺りがこの作品の巧妙さで、
それをアングラの女王であった白石加代子さんの口寄せを媒介とさせ、
「新劇の巨人」である橋爪功さんを主役に据えて、
そこに野田秀樹さんがシェイクスピア役で対立の軸になる、
という念には念の入った虚実ない交ぜの構成がこの作品の超絶的な凄みです。

この作品は如何にも野田芝居的と言うか、
遊眠社的な演出や趣向を多く取り入れ、
前半は野田芝居の総集編的な感覚があるのですが、
クライマックスはボイスレコーダーを忠実に再現した、
事故の再現になります。
こうした趣向は以前にも東南アジアの虐殺の再現など、
試みられたことはあったのですが、
それまでの野田芝居のレトリックに溢れた雰囲気とマッチせず、
あまり成功とは言えませんでした。

しかし、今回は違いました。
それまでの構成も非常に巧みにその場面に繋がっていて、
群舞的と言葉による演出も良く、
何より高橋一生さんと橋爪功さんのお芝居が素晴らしくて、
心が打ち震えるような衝撃と感動がありました。
この場面で航空機の尾翼に、
シェイクスピアと星の王子様がしがみつくのですが、
この破綻ギリギリの構図こそが、
最もこのお芝居の、
野田秀樹さんらしい瞬間であったと感じました。

星の王子様は初期の遊眠社のお芝居にも、
どれかは忘れましたが登場していたと思います。
ピーターパンなどと並んで、
野田さん幼少期のおもちゃ箱のヒロインで、
永遠の少年というのが初期野田芝居のアイコンでした。
シェイクスピアも、
野田さん自身何度も題材にし、
「野田版真夏の夜の夢」などの傑作を生み出した、
言わば「演劇の神様」です。
その2人の神様が壮絶な現実の尻尾にしがみついて、
必死で虚構に現実を絡め取ろうとする姿こそ、
野田さんの生涯の姿勢なのであり、
それがこの名シーンを生み出したのです。

キャストはともかく、
高橋一生さん、白石加代子さん、橋爪功さんのトリオが抜群で、
高橋さんも本当にいい役者になったと思います。
橋爪功さんも今回の芝居は一球入魂の新劇の奇跡で、
白石さんは以前は違和感を感じた「抜いた芝居」が、
今回は作品世界に膨らみを与えていました。
唯一違和感があったのは、
野田芝居初期の典型的キャラクターを演じた前田敦子さんですが、
多分野田さんは前田さんのことが好きなのですね。
そう言えば、昔の大竹しのぶさんに、
ちょっと似た雰囲気があります。

そんな訳でこの作品については、
語りたいことは沢山あって、
こうして書いていると幾ら時間があっても終わらないのですが、
野田秀樹さんの多くの仕事の中でも、
間違いなく代表作の1本になる大きな仕事で、
今年のベストともう既に断言してもいい、
演劇の素晴らしさに満ちた傑作だったと思います。

皆さんも是非。

ただ、観劇の際はかなり密な状況ですので、
感染対策にはご注意下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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