井上ひさし「父と暮せば」(2021年こまつ座上演版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
井上ひさしさんが1994年に、
すまけいさんと梅沢昌代さんの2人芝居として書き下ろした、
井上さんの後期代表作の1つ「父と暮せば」が、
初演と同じ鵜山仁さんの演出、
山崎一さんと伊勢佳代さんの出演で、
新宿サザンシアターで上演中です。
これは4場構成1時間半弱くらいの短いお芝居で、
井上さんは「化粧」など、
こうした小品の傑作を幾つか残しています。
生者と死者との対話と言うと、
井上さんには「頭痛肩こり樋口一葉」という名作がありますが、
この「父と暮せば」はそのテーマをシンプルに煮詰めたような作品で、
普通こうした構成だと、
最初は生きていると思った父親が、
途中で実は死んでいた、ということが分かる、
というような構成にしがちですが、
この作品では最初から父親は死者であることが、
かなり明確に示されていて、
無念に死んだ父親が、
無為に生きている娘に、生きる希望を与える、
死者から生者への命のリレー、
という1点で物語が構成されています。
これはハッピーエンド、というのがいいんですね。
非常に悲惨な背景がある訳ですし、
安易にハッピーエンドにすると、
そんな簡単に解決していいのか、
と言われそうでしょ。
それをね、「悲しくて沢山泣いた後は、何故か少し爽やかな気分になる」
という人間の心理で解決しているんですね。
3場以降で悲惨な独白で観客の涙を絞るでしょ、
これ以上はもういいよ、というところで、
巧みにそれを反転させて、
「死者の後押しを受けて前向きに生きるという幸福」
というラストに繋げてゆくのですね。
この一歩間違えると、
説教臭くて耐えられなくなりそうなところを、
スレスレで回避するような匙加減が、
井上ひさしさんの円熟した時期の境地なのだと思います。
凄いですよね。
この作品では生者と死者とが、
何の区別も境界もなく、
同じ空間で対話をするのですが、
これは2人芝居だからこそ可能なのですね。
1人だと、ただの妄想や独り言になってしまうでしょ。
3人いると、
今度はその3人目にとっての「現実」というのが、
問題となってしまうのです。
こうした設定は、2人芝居だからこそなんですね。
実際には舞台に登場しない人物として、
娘に恋をする学者の青年がいますよね。
これはまあ、井上さん自身が投影されている人物ですね。
でも、多分変わり者で嫌な奴ですよね。
行動は自分勝手ですし、
被ばく者の心情を無視して、
原爆関連の資料の収集をしているんですよね。
この人物を舞台に登場させない、
というのがこの作品の一番の肝なんですね。
これは簡単に3人芝居に出来る素材でしょ。
実際に映画版では青年を登場させている訳ですよね。
でも、演劇としてはそれじゃ駄目なんですね。
見えないからこそ観客は、
その人物を都合の良いように作り変えて、
主人公の娘の幸せを想像することが出来るんですね。
実際に登場したらね、
多分その幸福を信じることが出来なくなってしまうんです。
現実は所詮無残で冷徹なものだからです。
幸福は結局人間の頭の中にしかないんですね。
井上さんはそう思っているからこそ、
このお話を2人芝居に構成して、
主人公の幸せに不可欠なもう1人を登場させていないのです。
だから、厳密に言うとこの作品は、
映像で青年を登場させると台無しですし、
朗読劇や1人芝居に構成するのも不可なんですね。
2人の肉体が生者と死者を演じて同じ舞台で向かい合う、
という地点で、
ギリギリ成立するように書かれているからです。
この芝居は初演から演出は鵜山仁さんです。
井上ひさしさんの作品の演出は、
初期は新劇やプロデュース公演への書き下ろしですから、
色々な人が担当して、
こまつ座が井上さんの芝居のホームグランドになってからは、
もっぱら木村光一さんが演出を担当。
井上演出の1つの定型とでも言うべきものを作り上げました。
ただ、井上さんが亡くなられた後、
木村演出を見直す動きがあり、
現状は多くの井上作品が、
鵜山仁さんもしくは栗山民也さんの演出で、
上演されるようになっています。
僕は個人的には鵜山さんと栗山さんの演出が苦手です。
色彩感に乏しくて地味でしょ。
あのモノトーンの暗い感じが、
僕はどうも好きになれません。
ただ、木村演出も経年劣化みたいな状態で、
「藪原検校」などはとても上演に堪えないような酷さでしたから、
演出をリニューアルすること自体は反対ではないのですが、
これじゃねえ、というのが正直なところです。
この「父と暮せば」は、
もともと初演から鵜山演出ですから、
今回の上演でも、
いい意味で古めかしさがあり、
1つの定番として悪くないものでした。
ただ、スケルトンみたいなセットにしているでしょ。
あれが良くないと思うんですよね。
中途半端に抽象的にする必要ないでしょ。
普通の家のセットを写実で組めば、
この作品はそれで充分ではないかしら。
そんなように思いました。
キャストは僕は初演版はビデオでしか観ていないのですが、
再演の辻萬長さんは駄目でしたね。
申し訳ないのですが寝落ちしました。
この役は軽妙さがないと成立しないので、
辻さんは勿論良い役者さんですが、
この芝居向きではないと感じました。
その点今回の山崎一さんは、
キャリア的にも円熟味が増して、
すまけいさんとはまた違った父親像を、
見事に描出していたように思いました。
伊勢佳代さんも、
「あれ、誰ですか?」というくらい、
以前とはお顔の印象は変わっていましたが、
なかなか良い芝居だと思いました。
2人の相性も良さそうで、
この芝居の今後のスタンダードとして、
上演を重ねて欲しいと思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
井上ひさしさんが1994年に、
すまけいさんと梅沢昌代さんの2人芝居として書き下ろした、
井上さんの後期代表作の1つ「父と暮せば」が、
初演と同じ鵜山仁さんの演出、
山崎一さんと伊勢佳代さんの出演で、
新宿サザンシアターで上演中です。
これは4場構成1時間半弱くらいの短いお芝居で、
井上さんは「化粧」など、
こうした小品の傑作を幾つか残しています。
生者と死者との対話と言うと、
井上さんには「頭痛肩こり樋口一葉」という名作がありますが、
この「父と暮せば」はそのテーマをシンプルに煮詰めたような作品で、
普通こうした構成だと、
最初は生きていると思った父親が、
途中で実は死んでいた、ということが分かる、
というような構成にしがちですが、
この作品では最初から父親は死者であることが、
かなり明確に示されていて、
無念に死んだ父親が、
無為に生きている娘に、生きる希望を与える、
死者から生者への命のリレー、
という1点で物語が構成されています。
これはハッピーエンド、というのがいいんですね。
非常に悲惨な背景がある訳ですし、
安易にハッピーエンドにすると、
そんな簡単に解決していいのか、
と言われそうでしょ。
それをね、「悲しくて沢山泣いた後は、何故か少し爽やかな気分になる」
という人間の心理で解決しているんですね。
3場以降で悲惨な独白で観客の涙を絞るでしょ、
これ以上はもういいよ、というところで、
巧みにそれを反転させて、
「死者の後押しを受けて前向きに生きるという幸福」
というラストに繋げてゆくのですね。
この一歩間違えると、
説教臭くて耐えられなくなりそうなところを、
スレスレで回避するような匙加減が、
井上ひさしさんの円熟した時期の境地なのだと思います。
凄いですよね。
この作品では生者と死者とが、
何の区別も境界もなく、
同じ空間で対話をするのですが、
これは2人芝居だからこそ可能なのですね。
1人だと、ただの妄想や独り言になってしまうでしょ。
3人いると、
今度はその3人目にとっての「現実」というのが、
問題となってしまうのです。
こうした設定は、2人芝居だからこそなんですね。
実際には舞台に登場しない人物として、
娘に恋をする学者の青年がいますよね。
これはまあ、井上さん自身が投影されている人物ですね。
でも、多分変わり者で嫌な奴ですよね。
行動は自分勝手ですし、
被ばく者の心情を無視して、
原爆関連の資料の収集をしているんですよね。
この人物を舞台に登場させない、
というのがこの作品の一番の肝なんですね。
これは簡単に3人芝居に出来る素材でしょ。
実際に映画版では青年を登場させている訳ですよね。
でも、演劇としてはそれじゃ駄目なんですね。
見えないからこそ観客は、
その人物を都合の良いように作り変えて、
主人公の娘の幸せを想像することが出来るんですね。
実際に登場したらね、
多分その幸福を信じることが出来なくなってしまうんです。
現実は所詮無残で冷徹なものだからです。
幸福は結局人間の頭の中にしかないんですね。
井上さんはそう思っているからこそ、
このお話を2人芝居に構成して、
主人公の幸せに不可欠なもう1人を登場させていないのです。
だから、厳密に言うとこの作品は、
映像で青年を登場させると台無しですし、
朗読劇や1人芝居に構成するのも不可なんですね。
2人の肉体が生者と死者を演じて同じ舞台で向かい合う、
という地点で、
ギリギリ成立するように書かれているからです。
この芝居は初演から演出は鵜山仁さんです。
井上ひさしさんの作品の演出は、
初期は新劇やプロデュース公演への書き下ろしですから、
色々な人が担当して、
こまつ座が井上さんの芝居のホームグランドになってからは、
もっぱら木村光一さんが演出を担当。
井上演出の1つの定型とでも言うべきものを作り上げました。
ただ、井上さんが亡くなられた後、
木村演出を見直す動きがあり、
現状は多くの井上作品が、
鵜山仁さんもしくは栗山民也さんの演出で、
上演されるようになっています。
僕は個人的には鵜山さんと栗山さんの演出が苦手です。
色彩感に乏しくて地味でしょ。
あのモノトーンの暗い感じが、
僕はどうも好きになれません。
ただ、木村演出も経年劣化みたいな状態で、
「藪原検校」などはとても上演に堪えないような酷さでしたから、
演出をリニューアルすること自体は反対ではないのですが、
これじゃねえ、というのが正直なところです。
この「父と暮せば」は、
もともと初演から鵜山演出ですから、
今回の上演でも、
いい意味で古めかしさがあり、
1つの定番として悪くないものでした。
ただ、スケルトンみたいなセットにしているでしょ。
あれが良くないと思うんですよね。
中途半端に抽象的にする必要ないでしょ。
普通の家のセットを写実で組めば、
この作品はそれで充分ではないかしら。
そんなように思いました。
キャストは僕は初演版はビデオでしか観ていないのですが、
再演の辻萬長さんは駄目でしたね。
申し訳ないのですが寝落ちしました。
この役は軽妙さがないと成立しないので、
辻さんは勿論良い役者さんですが、
この芝居向きではないと感じました。
その点今回の山崎一さんは、
キャリア的にも円熟味が増して、
すまけいさんとはまた違った父親像を、
見事に描出していたように思いました。
伊勢佳代さんも、
「あれ、誰ですか?」というくらい、
以前とはお顔の印象は変わっていましたが、
なかなか良い芝居だと思いました。
2人の相性も良さそうで、
この芝居の今後のスタンダードとして、
上演を重ねて欲しいと思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2021-05-23 07:35
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