ピーター・シェーファー「ピサロ」(2021年ウィル・タケット演出) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ピーター・シェーファーが1964年に執筆した戯曲を、
イギリスの演出家ウィル・タケットが演出し、
主人公ピサロを渡辺謙さんが、
インカ帝国の若き王を宮沢氷魚さんが演じた舞台が、
今渋谷のパルコ劇場で上演されています。
2020年に初演され、コロナ禍のために多くの日程が中止、
僕も一度予約して払い戻しを受けました。
今回急遽再演が決まったのですが、
無事上演には至ったものの、
緊急事態宣言で今回もかなり危ういタイミングになりました。
これは極めつきの傑作戯曲ですね。
主役の演技も映画的な演出も、
あまり好みではなかったので、
前半は「ふむふむ」という感じで見ていたのですが、
後半になって徐々に戯曲の構造とその凄みが露わになると、
「これは相当凄いのじゃないかしら」と思えて来て、
クライマックスの怜悧で衝撃的な展開には、
掛け値なしに心が震えました。
シェーファーは、
勿論「エクウス」も「アマデウス」もありますが、
もっと先鋭で壮絶で素晴らしい作品です。
ちょっと人間離れした悪魔的な作品だと思います。
この作品の毒を少し抜いて、
口当たり良く一般向けにしたのが「アマデウス」なのね、
というようにも感じました。
これね、スペインの冒険家で兵士のピサロが、
インカ帝国に乗り込んで、
3000人の民衆を虐殺し、
インカの若き王を捕らえるのですが、
太陽王を名乗り、自分が神で不死であると言う、
美青年の王に、
次第に心を寄せていくんですね。
王は純粋に自分が神で、
殺されても太陽神の力で復活すると信じているので、
殺されることを怖がることがないのですが、
彼を息子のように思うようになったピサロは、
その危うさを怖れ、それを止めようとするのです。
最後は勿論無残な悲劇が訪れ、
人間が本当の意味で守るべき美的な何物かを、
永遠に失った瞬間が描かれます。
これね、
キリスト教徒が「野蛮なインカの民」に、
布教のためと称して侵略するのですが、
やっていることはキリストを、
磔にした迫害者と同じという皮肉があるんですね。
インカの王を絶世の美男子と設定することによって、
かなり倒錯的な愛情のようなもの、
神話の時代の終わりのようなものまで描いているんです。
インカの王の死という1点に、
キリストの死と復活や、神話の時代の終わり、
信じていた世界の崩壊や父と子の愛憎など、
多くの異なったテーマが収斂するという辺りに、
この戯曲の悪魔的な素晴らしさがあります。
インカ王は自分の復活を信じているのですが、
それは父である前王の力による、という設定によって、
若い王を息子のように思うピサロが、
支配被支配の立場にありながら愛憎も共にしているという、
重層的な設定が見事に成立しているのです。
このように戯曲は最高なのですが、
今回の上演がその魅力を十全に表現していたのかと言うと、
そこはあまりそうは思えません。
まず気に入らないのは演出で、
欧米の演出家にありがちですが、
映像や音効に頼りすぎなんですね。
別に映像を使ってもいいのですが、
何でもかんでも映像で表現という感じなので、
これじゃ演劇の魅力に乏しいですよね。
それから、渡辺謙さんのお芝居が、
正直今ひとつなんですよね。
後ろを向いてまくしたてるようなところが多くて、
台詞が聞き取れないところが多いのです。
正面を向いて見得を切るようなところはいいのですが、
バランスが悪いと感じました。
これは海外の演出家の弊害ですよね。
台詞のニュアンスが分からないので、
きちんと台詞が届いていると、
誤解してしまうのだと思います。
渡辺さんは風格がありますし、
所謂座長芝居なんですね。
勿論得難い存在感なのですが、
舞台演技がそれほど上手い人ではないので、
もっとカッチリとした演出がないと、
こうした芝居になってしまうのだと推測します。
そんな訳で舞台成果としては今ひとつでしたが、
とてもとても素晴らしい悪魔的戯曲で、
この芝居の実際の上演に立ち会えたということだけで、
今回は至福の時間でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ピーター・シェーファーが1964年に執筆した戯曲を、
イギリスの演出家ウィル・タケットが演出し、
主人公ピサロを渡辺謙さんが、
インカ帝国の若き王を宮沢氷魚さんが演じた舞台が、
今渋谷のパルコ劇場で上演されています。
2020年に初演され、コロナ禍のために多くの日程が中止、
僕も一度予約して払い戻しを受けました。
今回急遽再演が決まったのですが、
無事上演には至ったものの、
緊急事態宣言で今回もかなり危ういタイミングになりました。
これは極めつきの傑作戯曲ですね。
主役の演技も映画的な演出も、
あまり好みではなかったので、
前半は「ふむふむ」という感じで見ていたのですが、
後半になって徐々に戯曲の構造とその凄みが露わになると、
「これは相当凄いのじゃないかしら」と思えて来て、
クライマックスの怜悧で衝撃的な展開には、
掛け値なしに心が震えました。
シェーファーは、
勿論「エクウス」も「アマデウス」もありますが、
もっと先鋭で壮絶で素晴らしい作品です。
ちょっと人間離れした悪魔的な作品だと思います。
この作品の毒を少し抜いて、
口当たり良く一般向けにしたのが「アマデウス」なのね、
というようにも感じました。
これね、スペインの冒険家で兵士のピサロが、
インカ帝国に乗り込んで、
3000人の民衆を虐殺し、
インカの若き王を捕らえるのですが、
太陽王を名乗り、自分が神で不死であると言う、
美青年の王に、
次第に心を寄せていくんですね。
王は純粋に自分が神で、
殺されても太陽神の力で復活すると信じているので、
殺されることを怖がることがないのですが、
彼を息子のように思うようになったピサロは、
その危うさを怖れ、それを止めようとするのです。
最後は勿論無残な悲劇が訪れ、
人間が本当の意味で守るべき美的な何物かを、
永遠に失った瞬間が描かれます。
これね、
キリスト教徒が「野蛮なインカの民」に、
布教のためと称して侵略するのですが、
やっていることはキリストを、
磔にした迫害者と同じという皮肉があるんですね。
インカの王を絶世の美男子と設定することによって、
かなり倒錯的な愛情のようなもの、
神話の時代の終わりのようなものまで描いているんです。
インカの王の死という1点に、
キリストの死と復活や、神話の時代の終わり、
信じていた世界の崩壊や父と子の愛憎など、
多くの異なったテーマが収斂するという辺りに、
この戯曲の悪魔的な素晴らしさがあります。
インカ王は自分の復活を信じているのですが、
それは父である前王の力による、という設定によって、
若い王を息子のように思うピサロが、
支配被支配の立場にありながら愛憎も共にしているという、
重層的な設定が見事に成立しているのです。
このように戯曲は最高なのですが、
今回の上演がその魅力を十全に表現していたのかと言うと、
そこはあまりそうは思えません。
まず気に入らないのは演出で、
欧米の演出家にありがちですが、
映像や音効に頼りすぎなんですね。
別に映像を使ってもいいのですが、
何でもかんでも映像で表現という感じなので、
これじゃ演劇の魅力に乏しいですよね。
それから、渡辺謙さんのお芝居が、
正直今ひとつなんですよね。
後ろを向いてまくしたてるようなところが多くて、
台詞が聞き取れないところが多いのです。
正面を向いて見得を切るようなところはいいのですが、
バランスが悪いと感じました。
これは海外の演出家の弊害ですよね。
台詞のニュアンスが分からないので、
きちんと台詞が届いていると、
誤解してしまうのだと思います。
渡辺さんは風格がありますし、
所謂座長芝居なんですね。
勿論得難い存在感なのですが、
舞台演技がそれほど上手い人ではないので、
もっとカッチリとした演出がないと、
こうした芝居になってしまうのだと推測します。
そんな訳で舞台成果としては今ひとつでしたが、
とてもとても素晴らしい悪魔的戯曲で、
この芝居の実際の上演に立ち会えたということだけで、
今回は至福の時間でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2021-05-22 06:20
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