「終わりよければすべてよし」(彩の国シェイクスピア・シリーズ第37弾) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
彩の国のシェイクスピア・シリーズの第37弾として、
「終わりよければすべてよし」が、
今彩の国さいたま芸術劇場でj上演されています。
このシリーズはシェイクスピアの戯曲全37作を、
蜷川幸雄さんの演出で連続上演する、
という企画として始まったのですが、
蜷川さんが亡くなった後は、
吉田鋼太郎さんの演出と座長という形で継続され、
今回で一応最終作ということになりました。
このシリーズは多分3作くらい観ています。
本当はもっと観たい気持ちはあったのですが、
彩の国は僕の守備範囲からはかなり遠いんですよね。
一度電車で行くと、
もうこれはきついな、と思ってしまいます。
3作とも悪くはなかったのですが、
シアターコクーンなどでの上演と比べると、
同じ蜷川演出と言っても、
かなり省エネ的な感じはあるんですね。
セットは大抵大きなオブジェを配置したような、
あまり変わり映えのしないもので、
平均して一定の水準には達しているのですが、
飛び抜けた印象はありませんでした。
吉田鋼太郎さんの演出も、
「アジアの女」とか2本ほど観ているのですが、
かなり蜷川演出のオマージュというか、
コピー的な側面を強く感じました。
まあ師匠ですし、
スタッフも多くが以前の蜷川組だと思うので、
それはまあ仕方のないことだと思います。
ただ、今回の作品は、
蜷川演出とは少し違う手触りもあって、
良かった点で言うと、
主人公以外の脇キャラの造形が、
なかなか深く彫り上げられていた、
という気がしました。
蜷川演出は主役のパッション重視という感じがあって、
脇キャラは主役のパッションに奉仕する、
道具として扱われる、というところがあるんですね。
吉田さんの演出は、
もっと群像劇として成立させようとしている、
という感じがありました。
台詞は声を落とさせない蜷川演出と比べると、
意識的に弱音も使っていました。
ただ、がなるのが得意な役者さんの弱音は、
「聞きにくい小さな声」になるだけのことが多くて、
全体に自然で綺麗な弱音を響かせる役者さんがいないので、
声の魅力には乏しい上演であったのは少し残念でした。
弱音、聞き取れなかったですよね。
これじゃ駄目だと思います。
内容はシェイクスピアとしてはかなりレアな芝居で、
主人公が医者の娘で、
身分の違う貴族の男性と結婚するために、
王様まで利用して、
あの手この手でその夢を実現する、
というかなり特殊な筋立てです。
殆どの登場人物はその娘に好意を持ち、
応援するのですが、
肝心の恋愛相手の貴族だけは、
娘を忌み嫌っている、
というかなりひねくれた設定なのです。
構成的には、
主人公が一旦は死んだことになったりするので、
「冬物語」に似ているのですが、
作品としての完成度はかなり劣っていて、
何よりラストがハッピーエンドなのかそうでないのか、
良く分からないまま終わるという難物です。
その作品を、
吉田さんは最後は座長としてのご挨拶を付け、
道化の大暴れを含めて、
如何にも中世の娯楽芝居という雰囲気を、
濃厚に漂わせながらも、
彼岸花が一面に咲き乱れる舞台など、
蜷川演出のエッセンスを取り入れて、
まずは安定感のある舞台にまとめていました。
特にラストの大団円に至る、
裁判劇的なやり取りの盛り上げは、
吉田さんの演出も冴えていて、
群像劇としてなかなかのレベルであったと思います。
キャストは声は皆今一つで、
台詞の精度はあまり高くないのですが、
さすがに役の掴み方が上手く、
まずは楽しめる演技に高めていました。
石原さとみさんは、
個人的にはあまり好きな女優さんではないのですが、
今回は難役をかなり工夫して、
自分のものにしていたと感じました。
いわゆる「悪声」なので、
あの声は舞台じゃなあ、といつも思っていたのですが、
逆にあの声で間違えようがないですから、
それも活かし方1つなのかな、
というようにも感じました。
こんなことを僕が言うのは僭越ですが、
かなり努力をされていたと感じました。
横田栄司さんが達者なところを見せ、
文学座らしからぬ、
「大柄な橋本じゅん」みたいな芝居でした。
フランス国王役の吉田鋼太郎さんは、
死にたくないのに医療不信というキャラを、
現代に引き付けて肉付けして、
ちょっとずるい感じもしますが、
さすが座長という盛り上げでした。
藤原竜也さんは損な役回りなのですが、
やっていることは鬼畜でも、
何故か憎めないという難しいバランスを、
なかなか上手く表現していたと思います。
裏テーマはおそらく、
虚勢を張った男の弱さで、
それに対する大地のような女性の強さが、
ラストに表現されているものだと思いますし、
原作の趣旨はそれとは別だと思いますが、
そうしたテーマで作品を現代に引き寄せている訳です。
そんな訳で原作がそれほど出来の良いものではないので、
とても面白いという感想にはならないのですが、
随所に工夫のある舞台は見どころも多く、
吉田鋼太郎さんの演出は、
蜷川演出とはまた違った冴えを見せ始めていて、
豪華なキャストの競演も楽しく、
シェイクスピア・シリーズ完結としての、
「終わりよければすべてよし」は、
まずは達成されていたように思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
彩の国のシェイクスピア・シリーズの第37弾として、
「終わりよければすべてよし」が、
今彩の国さいたま芸術劇場でj上演されています。
このシリーズはシェイクスピアの戯曲全37作を、
蜷川幸雄さんの演出で連続上演する、
という企画として始まったのですが、
蜷川さんが亡くなった後は、
吉田鋼太郎さんの演出と座長という形で継続され、
今回で一応最終作ということになりました。
このシリーズは多分3作くらい観ています。
本当はもっと観たい気持ちはあったのですが、
彩の国は僕の守備範囲からはかなり遠いんですよね。
一度電車で行くと、
もうこれはきついな、と思ってしまいます。
3作とも悪くはなかったのですが、
シアターコクーンなどでの上演と比べると、
同じ蜷川演出と言っても、
かなり省エネ的な感じはあるんですね。
セットは大抵大きなオブジェを配置したような、
あまり変わり映えのしないもので、
平均して一定の水準には達しているのですが、
飛び抜けた印象はありませんでした。
吉田鋼太郎さんの演出も、
「アジアの女」とか2本ほど観ているのですが、
かなり蜷川演出のオマージュというか、
コピー的な側面を強く感じました。
まあ師匠ですし、
スタッフも多くが以前の蜷川組だと思うので、
それはまあ仕方のないことだと思います。
ただ、今回の作品は、
蜷川演出とは少し違う手触りもあって、
良かった点で言うと、
主人公以外の脇キャラの造形が、
なかなか深く彫り上げられていた、
という気がしました。
蜷川演出は主役のパッション重視という感じがあって、
脇キャラは主役のパッションに奉仕する、
道具として扱われる、というところがあるんですね。
吉田さんの演出は、
もっと群像劇として成立させようとしている、
という感じがありました。
台詞は声を落とさせない蜷川演出と比べると、
意識的に弱音も使っていました。
ただ、がなるのが得意な役者さんの弱音は、
「聞きにくい小さな声」になるだけのことが多くて、
全体に自然で綺麗な弱音を響かせる役者さんがいないので、
声の魅力には乏しい上演であったのは少し残念でした。
弱音、聞き取れなかったですよね。
これじゃ駄目だと思います。
内容はシェイクスピアとしてはかなりレアな芝居で、
主人公が医者の娘で、
身分の違う貴族の男性と結婚するために、
王様まで利用して、
あの手この手でその夢を実現する、
というかなり特殊な筋立てです。
殆どの登場人物はその娘に好意を持ち、
応援するのですが、
肝心の恋愛相手の貴族だけは、
娘を忌み嫌っている、
というかなりひねくれた設定なのです。
構成的には、
主人公が一旦は死んだことになったりするので、
「冬物語」に似ているのですが、
作品としての完成度はかなり劣っていて、
何よりラストがハッピーエンドなのかそうでないのか、
良く分からないまま終わるという難物です。
その作品を、
吉田さんは最後は座長としてのご挨拶を付け、
道化の大暴れを含めて、
如何にも中世の娯楽芝居という雰囲気を、
濃厚に漂わせながらも、
彼岸花が一面に咲き乱れる舞台など、
蜷川演出のエッセンスを取り入れて、
まずは安定感のある舞台にまとめていました。
特にラストの大団円に至る、
裁判劇的なやり取りの盛り上げは、
吉田さんの演出も冴えていて、
群像劇としてなかなかのレベルであったと思います。
キャストは声は皆今一つで、
台詞の精度はあまり高くないのですが、
さすがに役の掴み方が上手く、
まずは楽しめる演技に高めていました。
石原さとみさんは、
個人的にはあまり好きな女優さんではないのですが、
今回は難役をかなり工夫して、
自分のものにしていたと感じました。
いわゆる「悪声」なので、
あの声は舞台じゃなあ、といつも思っていたのですが、
逆にあの声で間違えようがないですから、
それも活かし方1つなのかな、
というようにも感じました。
こんなことを僕が言うのは僭越ですが、
かなり努力をされていたと感じました。
横田栄司さんが達者なところを見せ、
文学座らしからぬ、
「大柄な橋本じゅん」みたいな芝居でした。
フランス国王役の吉田鋼太郎さんは、
死にたくないのに医療不信というキャラを、
現代に引き付けて肉付けして、
ちょっとずるい感じもしますが、
さすが座長という盛り上げでした。
藤原竜也さんは損な役回りなのですが、
やっていることは鬼畜でも、
何故か憎めないという難しいバランスを、
なかなか上手く表現していたと思います。
裏テーマはおそらく、
虚勢を張った男の弱さで、
それに対する大地のような女性の強さが、
ラストに表現されているものだと思いますし、
原作の趣旨はそれとは別だと思いますが、
そうしたテーマで作品を現代に引き寄せている訳です。
そんな訳で原作がそれほど出来の良いものではないので、
とても面白いという感想にはならないのですが、
随所に工夫のある舞台は見どころも多く、
吉田鋼太郎さんの演出は、
蜷川演出とはまた違った冴えを見せ始めていて、
豪華なキャストの競演も楽しく、
シェイクスピア・シリーズ完結としての、
「終わりよければすべてよし」は、
まずは達成されていたように思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2021-05-15 06:18
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