岩松了「そして春になった」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
昨日は相当バタバタで更新は無理でした。
今一段落という感じではあるのですが、
色々と不安なことがあって落ち着きません。
また新型コロナのことなど含め、
少し整理してから記事にはしたいと思っています。
今日は休みの日で趣味の話題です。
今日はこちら。
もう公演は終わっていますが、
昨年の12月に岩松了さんの新作2人芝居を、
下北沢の本多劇場で鑑賞しました。
これはダブルキャストでの上演で、
ある映画監督の妻とその愛人が登場しますが、
妻が松雪泰子さんで愛人がソニンさんというペアと、
妻が片桐はいりさんで愛人が瀧内公美さんのペアの2組での上演です。
僕は松雪さんとソニンさんのペアを実際に観て、
それから映像配信があったので、
片桐さんと瀧内さんの舞台を2回観て、
それで「あれ、ここはちょっと台詞が違っているのじゃないかしら」
と気になってしまったので、
結局松雪さんの舞台も配信で観直しました。
結局2回ずつ観たことになります。
岩松了さんの作品はいつも非常に難解で、
とても意地悪に書かれています。
台詞は全て平易な言葉で書かれているのですが、
通常期待されるようなドラマチックな展開は全く起こらないか、
ラストに唐突に起こります。
大抵ラストに至って「えっ!」と驚き、
もしくは「もうこれで終わりなの?」と愕然として、
「今まで2時間を掛けて観させられていたものは何だったのかしら」と、
これまでの展開を遡ろうとするのですが、
時既に遅し、という感じになるのです。
今回の作品は岩松さんの中では、
比較的平易なものですが、
それでも最初に実際の舞台を1回観た時には、
初めから台詞がなかなか頭に入って来ず、
中段で舞台の動きが入ると、
「あっ、これはもう締めに向かっているな」
と予測はしながらも、紛らわしい台詞に翻弄され、
結局欲求不満のまま劇場を後にしました。
配信というのは便利なもので、
実際に観た舞台を、
その記憶がそれほどぼやけない前に、
何度も確認出来るという利点があります。
特に今回の作品は全編で50分程度という短さなので、
それほどのストレスなく確認することが出来ます。
今回は12月に観た舞台を、
レセプト作業をしながら、
電子カルテの隣のパソコンで流しっ放しにしました。
今回の作品は女性の2人芝居で、
2人は読み合わせみたいに台本を手に持っていて、
ある時は互いに台本に目を落としたまま台詞を喋り、
またある時は台本を読みながら、
それについて議論をする、
という感じにもなります。
舞台は湖の畔の映画監督の男性の別荘で、
そこに監督の妻とその愛人の女性がいて、
更に実際には登場しないものの、
より若い新進女優が、
監督の新しい愛人として居合わせているようです。
時制としては、
そのパーティーの夜が「現在」で、
そこで愛人の女性が新進女優(新しい愛人)を、
湖にボートで連れ出して、
ボートから落として殺してしまい、
その瞬間を別荘の窓越しに、
監督の妻が目撃している、
という場面がまず描かれます。
そこから時間は遡って、
監督の妻とその愛人との最初の出会いから、
監督の心が妻から愛人への動く様子、
互いに憎みながら、
同じ男性を支点としている関係性から、
2人の女性が心の繋がりを持つ様子、
そして題名でもある「そして春になった」という映画で、
愛人が「妻」の役をキャスティングされ、
ヒロインを新進女優が演じることで、
愛人もかつての妻のように捨てられることが明らかになります。
そこに至って、妻と愛人の立場はほぼ同じになり、
2人にはある種の共犯関係が生まれます。
そして、ラストにはもう一度最初の場面が描かれるのですが、
殺人を目撃した妻が、
その時に手を切って血をにじませることで、
2人の心理的な共犯関係が確認されて終わるのです。
岩松さんとしては結構クリアなお芝居ですが、
それでも分かりにくいのは、
読み合わせという様式で代名詞が多いので、
「この台詞は誰のことを言っていて、誰に向かって話しているのかしら?」
という点が意図的に不明瞭にされていることが主な原因です。
これは実は「あなた」と言うのは、
その全てが舞台上の相手役のことのみを示しているのですね。
そっぽを向いていても、
呼びかけは全て相手に向かっているのです。
それを理解すると、
比較的すっと、台詞が頭に入ってくるようになります。
読み合わせ形式というのは一種の冒険で、
観ていてそう面白いものではないのですが、
単純な朗読ではなく、
それでいて記憶した台詞を、
あたかも今自発的に発せられたもののように表現する、
普通の台詞劇とも違っているので、
新型コロナ対策の苦肉の策という側面もある一方で、
舞台の新しい可能性を感じさせるものでもありました。
今後は実際の舞台を補足する配信との相乗効果が、
舞台芸術鑑賞の1つの新しい形になっていくような気もしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
昨日は相当バタバタで更新は無理でした。
今一段落という感じではあるのですが、
色々と不安なことがあって落ち着きません。
また新型コロナのことなど含め、
少し整理してから記事にはしたいと思っています。
今日は休みの日で趣味の話題です。
今日はこちら。
もう公演は終わっていますが、
昨年の12月に岩松了さんの新作2人芝居を、
下北沢の本多劇場で鑑賞しました。
これはダブルキャストでの上演で、
ある映画監督の妻とその愛人が登場しますが、
妻が松雪泰子さんで愛人がソニンさんというペアと、
妻が片桐はいりさんで愛人が瀧内公美さんのペアの2組での上演です。
僕は松雪さんとソニンさんのペアを実際に観て、
それから映像配信があったので、
片桐さんと瀧内さんの舞台を2回観て、
それで「あれ、ここはちょっと台詞が違っているのじゃないかしら」
と気になってしまったので、
結局松雪さんの舞台も配信で観直しました。
結局2回ずつ観たことになります。
岩松了さんの作品はいつも非常に難解で、
とても意地悪に書かれています。
台詞は全て平易な言葉で書かれているのですが、
通常期待されるようなドラマチックな展開は全く起こらないか、
ラストに唐突に起こります。
大抵ラストに至って「えっ!」と驚き、
もしくは「もうこれで終わりなの?」と愕然として、
「今まで2時間を掛けて観させられていたものは何だったのかしら」と、
これまでの展開を遡ろうとするのですが、
時既に遅し、という感じになるのです。
今回の作品は岩松さんの中では、
比較的平易なものですが、
それでも最初に実際の舞台を1回観た時には、
初めから台詞がなかなか頭に入って来ず、
中段で舞台の動きが入ると、
「あっ、これはもう締めに向かっているな」
と予測はしながらも、紛らわしい台詞に翻弄され、
結局欲求不満のまま劇場を後にしました。
配信というのは便利なもので、
実際に観た舞台を、
その記憶がそれほどぼやけない前に、
何度も確認出来るという利点があります。
特に今回の作品は全編で50分程度という短さなので、
それほどのストレスなく確認することが出来ます。
今回は12月に観た舞台を、
レセプト作業をしながら、
電子カルテの隣のパソコンで流しっ放しにしました。
今回の作品は女性の2人芝居で、
2人は読み合わせみたいに台本を手に持っていて、
ある時は互いに台本に目を落としたまま台詞を喋り、
またある時は台本を読みながら、
それについて議論をする、
という感じにもなります。
舞台は湖の畔の映画監督の男性の別荘で、
そこに監督の妻とその愛人の女性がいて、
更に実際には登場しないものの、
より若い新進女優が、
監督の新しい愛人として居合わせているようです。
時制としては、
そのパーティーの夜が「現在」で、
そこで愛人の女性が新進女優(新しい愛人)を、
湖にボートで連れ出して、
ボートから落として殺してしまい、
その瞬間を別荘の窓越しに、
監督の妻が目撃している、
という場面がまず描かれます。
そこから時間は遡って、
監督の妻とその愛人との最初の出会いから、
監督の心が妻から愛人への動く様子、
互いに憎みながら、
同じ男性を支点としている関係性から、
2人の女性が心の繋がりを持つ様子、
そして題名でもある「そして春になった」という映画で、
愛人が「妻」の役をキャスティングされ、
ヒロインを新進女優が演じることで、
愛人もかつての妻のように捨てられることが明らかになります。
そこに至って、妻と愛人の立場はほぼ同じになり、
2人にはある種の共犯関係が生まれます。
そして、ラストにはもう一度最初の場面が描かれるのですが、
殺人を目撃した妻が、
その時に手を切って血をにじませることで、
2人の心理的な共犯関係が確認されて終わるのです。
岩松さんとしては結構クリアなお芝居ですが、
それでも分かりにくいのは、
読み合わせという様式で代名詞が多いので、
「この台詞は誰のことを言っていて、誰に向かって話しているのかしら?」
という点が意図的に不明瞭にされていることが主な原因です。
これは実は「あなた」と言うのは、
その全てが舞台上の相手役のことのみを示しているのですね。
そっぽを向いていても、
呼びかけは全て相手に向かっているのです。
それを理解すると、
比較的すっと、台詞が頭に入ってくるようになります。
読み合わせ形式というのは一種の冒険で、
観ていてそう面白いものではないのですが、
単純な朗読ではなく、
それでいて記憶した台詞を、
あたかも今自発的に発せられたもののように表現する、
普通の台詞劇とも違っているので、
新型コロナ対策の苦肉の策という側面もある一方で、
舞台の新しい可能性を感じさせるものでもありました。
今後は実際の舞台を補足する配信との相乗効果が、
舞台芸術鑑賞の1つの新しい形になっていくような気もしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2021-01-11 10:57
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