「情事」(アントニオーニ監督) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1960年に公開されて世界的に大きな話題を振りまいた、
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の代表作の1つ、
「情事」です。
これは当時としては、
かなり生々しい性描写もある映画ですが、
勿論いわゆるアダルト映画ではなく、
むしろ観念的な藝術映画です。
ただ、その題名と言い、
公開当時のポスターや宣材と言い、
映画会社側はエロ映画と間違えて、
騙される観客も一定数は期待しているな、
という感じの宣伝です。
同時のロードショーというのは、
まあ、ちょっとそんな感じもあったのですね。
ミケランジェロ・アントニオーニは、
倦怠とも言うべき独特のムードと、
不条理劇と言ってもおかしくないような、
不思議なストーリーで一時期は世界を席巻した、
イタリアの映画監督です。
僕はこの雰囲気が割と好きで、
名画座で「赤い砂漠」を最初に観て、
その赤を強調した映像美と、
倦怠の雰囲気に魅了されました。
その後「欲望」と「さすらいの2人」も名画座で観ました。
どちらもとても面白かったのですが、
現代風俗を入れたり、
スターを投入したり、
ちょっとヒット狙いのような、
色気も感じました。
アントニオーニの出世作で代表作と言うと、
必ず名前が出て来るのが「情事」ですが、
僕が映画を熱心に観ていた高校から大学くらいの時期には、
殆ど名画座でも上映はされませんでしたし、
ビデオも発売はされなかったと思います。
観たい、観たいと思っていて、
そのうち忘れてしまい、
今回初めて全編をブルーレイで鑑賞しました。
さすがに古いな、という感じはしますが、
なかなか良かったですね。
これね、
3角関係の男と女2人がいて、
付き合っている方の女性が、
孤島にクルーズに出掛けて、
他の2人もいる前で忽然と姿を消してしまうんですね。
その後残された2人が、
消えた女性を探すのですが、
手がかりもなく、
探しているうちに2人は愛し合ってしまいます。
ただ、消えた女性に対する疚しさのようなものが、
2人の関係を微妙に不安定なものにしているので、
そのことを鬱陶しく思った男は、
他の女と行きずりで関係を結んでしまいます。
これで結局どうなるの…と、
観客の多くが思っていると、
何と言うのかひどく身も蓋もない、
という感じで映画は終わってしまいます。
公開当時の映画文法の常識からすると、
最初に消えた女性が、
その後全く登場しない、
というようなストーリーは有り得ないんですね。
また、キャラクターの人格や心理は、
基本的に一貫していないといけない筈です。
変化がある時にはその説明や必然性が必要なんですね。
しかし、この映画では主人公2人の感情は、
常に一定せず揺らいでいて、
愛し合った次の場面では、
もう他の女性と愛し合ったりしているのです。
それも何の必然性も描かれていません。
それで、この映画は物議をかもして、
多くの批判も浴びたのですが、
今になってみると現実はそんなものですよね。
感情なんで常に揺れ動いて一貫性などないものですし、
この映画の本質は、
いる筈の人がいなくなった時の、
残された人間の喪失感や倦怠のようなものなので、
それが持続するためには、
いなくなった人物はそのままでいるしかないのです。
これは不条理劇のように見えて、
不条理というのとはちょっと違うんですね。
単純に人間同士の力学を検証したドラマであるからです。
この映画は撮影が凄いですよね。
非常に贅沢に作られています。
最初のクルーズでも、
本物の海に役者が飛び込んで、
そのまま結構長く泳いでしまったり、
島の景観も見事に捉えられていますね。
途中で女流作家に群衆が集まるような場面があって、
スペクタクル映画みたいな大規模な撮影がされています。
それがそうわざとらしくなく、
全体の画調に溶け込んでいるでしょ。
凄いと思います。
アントニオーニの映画は、
不条理劇が流行った時期に、
如何にもそうした感じで流行したのですが、
今観ると決してそうしたものではなく、
時代の空気と理詰めの心理の物語であったのだと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1960年に公開されて世界的に大きな話題を振りまいた、
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の代表作の1つ、
「情事」です。
これは当時としては、
かなり生々しい性描写もある映画ですが、
勿論いわゆるアダルト映画ではなく、
むしろ観念的な藝術映画です。
ただ、その題名と言い、
公開当時のポスターや宣材と言い、
映画会社側はエロ映画と間違えて、
騙される観客も一定数は期待しているな、
という感じの宣伝です。
同時のロードショーというのは、
まあ、ちょっとそんな感じもあったのですね。
ミケランジェロ・アントニオーニは、
倦怠とも言うべき独特のムードと、
不条理劇と言ってもおかしくないような、
不思議なストーリーで一時期は世界を席巻した、
イタリアの映画監督です。
僕はこの雰囲気が割と好きで、
名画座で「赤い砂漠」を最初に観て、
その赤を強調した映像美と、
倦怠の雰囲気に魅了されました。
その後「欲望」と「さすらいの2人」も名画座で観ました。
どちらもとても面白かったのですが、
現代風俗を入れたり、
スターを投入したり、
ちょっとヒット狙いのような、
色気も感じました。
アントニオーニの出世作で代表作と言うと、
必ず名前が出て来るのが「情事」ですが、
僕が映画を熱心に観ていた高校から大学くらいの時期には、
殆ど名画座でも上映はされませんでしたし、
ビデオも発売はされなかったと思います。
観たい、観たいと思っていて、
そのうち忘れてしまい、
今回初めて全編をブルーレイで鑑賞しました。
さすがに古いな、という感じはしますが、
なかなか良かったですね。
これね、
3角関係の男と女2人がいて、
付き合っている方の女性が、
孤島にクルーズに出掛けて、
他の2人もいる前で忽然と姿を消してしまうんですね。
その後残された2人が、
消えた女性を探すのですが、
手がかりもなく、
探しているうちに2人は愛し合ってしまいます。
ただ、消えた女性に対する疚しさのようなものが、
2人の関係を微妙に不安定なものにしているので、
そのことを鬱陶しく思った男は、
他の女と行きずりで関係を結んでしまいます。
これで結局どうなるの…と、
観客の多くが思っていると、
何と言うのかひどく身も蓋もない、
という感じで映画は終わってしまいます。
公開当時の映画文法の常識からすると、
最初に消えた女性が、
その後全く登場しない、
というようなストーリーは有り得ないんですね。
また、キャラクターの人格や心理は、
基本的に一貫していないといけない筈です。
変化がある時にはその説明や必然性が必要なんですね。
しかし、この映画では主人公2人の感情は、
常に一定せず揺らいでいて、
愛し合った次の場面では、
もう他の女性と愛し合ったりしているのです。
それも何の必然性も描かれていません。
それで、この映画は物議をかもして、
多くの批判も浴びたのですが、
今になってみると現実はそんなものですよね。
感情なんで常に揺れ動いて一貫性などないものですし、
この映画の本質は、
いる筈の人がいなくなった時の、
残された人間の喪失感や倦怠のようなものなので、
それが持続するためには、
いなくなった人物はそのままでいるしかないのです。
これは不条理劇のように見えて、
不条理というのとはちょっと違うんですね。
単純に人間同士の力学を検証したドラマであるからです。
この映画は撮影が凄いですよね。
非常に贅沢に作られています。
最初のクルーズでも、
本物の海に役者が飛び込んで、
そのまま結構長く泳いでしまったり、
島の景観も見事に捉えられていますね。
途中で女流作家に群衆が集まるような場面があって、
スペクタクル映画みたいな大規模な撮影がされています。
それがそうわざとらしくなく、
全体の画調に溶け込んでいるでしょ。
凄いと思います。
アントニオーニの映画は、
不条理劇が流行った時期に、
如何にもそうした感じで流行したのですが、
今観ると決してそうしたものではなく、
時代の空気と理詰めの心理の物語であったのだと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2020-06-27 06:03
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