月刊「根本宗子」第17号「今、出来る、精一杯。」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
根本宗子さんが自身の10周年の記念公演として、
2013年に初演され、2015年に再演された、
根本さんの劇作の代表作の1つ「今、出来る、精一杯。」を、
装いも新たに音楽劇としてリニューアルし、
おそらく根本さんが公演を行なった中で、
最も大きな劇場である、
新国立劇場中劇場で上演しました。
もう公演は終わっていますが、
その上演に先日足を運びました。
「今、出来る、精一杯。」は、
ちょっと三浦大輔さんの影響は感じるものの、
根本さんの個性が良く表れた魅力的な作品で、
特に後半の言葉と展開には迫力があり、
小劇場の傑作と呼ぶに恥じない劇作です。
僕は2013年の初演は観ていませんが、
2015年の再演には足を運び、
ささやかな女の幸せを、
偏執狂的にかつ科学実験のように冷徹に、
追求し続けるような姿勢に感嘆し、
車いすに乗った根本さんの独白から、
ラストに至る展開には身震いをするような感銘を受けました。
僕が観た根本さんの劇作の中では、
最高傑作と言って過言ではありません。
ただ、今回の企画はどうでしょうか?
ミュージシャンの清流人さんとタッグを組んで、
随所に歌が挿入されて音楽劇に構成しているのですが、
原作の台詞はほぼほぼそのまま使われているのに、
それに更に歌を追加しているので、
もともと2時間強の作品が、
休憩を入れて3時間近い長尺に引き伸ばされてしまっています。
本来は音楽劇というのは、
ストレートプレイに歌を足したようなものではなく、
歌がドラマと有機的に結び付いた、
別種の表現形式である筈です。
そのために、良く出来た音楽劇やミュージカルは、
同じ内容のストレートプレイより、
むしろ圧縮され短くなるのです。
「レ・ミゼラブル」をストレートプレイでやれば、
ミュージカル版の倍の時間は掛かる筈です。
それを歌の活力で圧縮して構成しているのが、
名作ミュージカルと言われるゆえんなのです。
一方で今回の作品は、
完成された戯曲に更に歌を追加しているので、
歌の部分が確実に間延びしてしまっています。
これではいけないと思います。
この作品はスーパーの店員控室とアパートの一室が舞台の、
非常に凝集されたミニマルなお芝居です。。
それを大きな回り舞台のセットを作って、
新国立劇場の大舞台で上演するというのは、
かなり無理があるのではないでしょうか?
そのために、
凝集された結晶体のような名作が、
空虚で間延びした作品に変貌してしまったような気がします。
多分根本さんも、
元々は新国立劇場の公演には、
別のお芝居を掛けるつもりではなかったのではないと思います。
「今、出来る、精一杯。」は名作で、
再演の意義もある作品ですが、
それはもっと小さな空間で演じられるべきで、
こんな大きな劇場で、
間延びした音楽劇として上演されることは、
この作品を原作者自ら、
破壊してしまうような行為のように僕には思えました。
そんな訳で今回はかなりガッカリであったのですが、
根本さんは現代を代表する劇作家の1人であることは間違いがなく、
来年以降の活動を期待して待ちたいと思います。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
根本宗子さんが自身の10周年の記念公演として、
2013年に初演され、2015年に再演された、
根本さんの劇作の代表作の1つ「今、出来る、精一杯。」を、
装いも新たに音楽劇としてリニューアルし、
おそらく根本さんが公演を行なった中で、
最も大きな劇場である、
新国立劇場中劇場で上演しました。
もう公演は終わっていますが、
その上演に先日足を運びました。
「今、出来る、精一杯。」は、
ちょっと三浦大輔さんの影響は感じるものの、
根本さんの個性が良く表れた魅力的な作品で、
特に後半の言葉と展開には迫力があり、
小劇場の傑作と呼ぶに恥じない劇作です。
僕は2013年の初演は観ていませんが、
2015年の再演には足を運び、
ささやかな女の幸せを、
偏執狂的にかつ科学実験のように冷徹に、
追求し続けるような姿勢に感嘆し、
車いすに乗った根本さんの独白から、
ラストに至る展開には身震いをするような感銘を受けました。
僕が観た根本さんの劇作の中では、
最高傑作と言って過言ではありません。
ただ、今回の企画はどうでしょうか?
ミュージシャンの清流人さんとタッグを組んで、
随所に歌が挿入されて音楽劇に構成しているのですが、
原作の台詞はほぼほぼそのまま使われているのに、
それに更に歌を追加しているので、
もともと2時間強の作品が、
休憩を入れて3時間近い長尺に引き伸ばされてしまっています。
本来は音楽劇というのは、
ストレートプレイに歌を足したようなものではなく、
歌がドラマと有機的に結び付いた、
別種の表現形式である筈です。
そのために、良く出来た音楽劇やミュージカルは、
同じ内容のストレートプレイより、
むしろ圧縮され短くなるのです。
「レ・ミゼラブル」をストレートプレイでやれば、
ミュージカル版の倍の時間は掛かる筈です。
それを歌の活力で圧縮して構成しているのが、
名作ミュージカルと言われるゆえんなのです。
一方で今回の作品は、
完成された戯曲に更に歌を追加しているので、
歌の部分が確実に間延びしてしまっています。
これではいけないと思います。
この作品はスーパーの店員控室とアパートの一室が舞台の、
非常に凝集されたミニマルなお芝居です。。
それを大きな回り舞台のセットを作って、
新国立劇場の大舞台で上演するというのは、
かなり無理があるのではないでしょうか?
そのために、
凝集された結晶体のような名作が、
空虚で間延びした作品に変貌してしまったような気がします。
多分根本さんも、
元々は新国立劇場の公演には、
別のお芝居を掛けるつもりではなかったのではないと思います。
「今、出来る、精一杯。」は名作で、
再演の意義もある作品ですが、
それはもっと小さな空間で演じられるべきで、
こんな大きな劇場で、
間延びした音楽劇として上演されることは、
この作品を原作者自ら、
破壊してしまうような行為のように僕には思えました。
そんな訳で今回はかなりガッカリであったのですが、
根本さんは現代を代表する劇作家の1人であることは間違いがなく、
来年以降の活動を期待して待ちたいと思います。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2019-12-28 06:06
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