「ドライビング・ミス・デイジー」(2019年翻訳舞台) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1989年に製作され米アカデミー作品賞を受賞した名作映画の、
原作となったオフ・ブロードウェイの舞台劇が、
草笛光子さん、市村正親さん、堀部圭亮さんという魅力的なキャストで、
今翻訳劇として上演されています。
これは1948年から25年に渡る、
元教師のユダヤ人の老婦人と、
その運転手を務めた黒人ドライバーとの、
交流をオムニバス的に描いた物語です。
これね、高齢ドライバーが事故を起こして…
というところから始まるお話なので、
意外に今の時勢にも合っているのです。
舞台版は老婦人とその息子のやり手の経営者、
そして黒人ドライバーのみの3人芝居ですが、
映画はそこにメイドや息子の妻などの人物が追加されています。
映画を先に観ていると、
メイドなどはいないと成立しないように思うのですが、
舞台版では黒人ドライバーの台詞の中で、
舞台には登場しない人物として、
何度も語られていて、
舞台劇としてはそれでありだな、
ということが分かります。
映画で印象的な場面の多くは、
原作でもほぼそのまま残っています。
シンプルな小劇場向けの戯曲で、
森新太郎さんの演出は最小限度の装置で、
過不足ない効果を挙げている点がさすがです。
音楽は映画と同じ「ルサルカ」の「月に寄せる歌」が使われていましたが、
物語と直接の関連はないような気もするので、
イメージでの選曲なのかしら、と感じました。
物語は1948年から始まり20年以上が舞台上で経過するのですが、
それが分かりにくいというきらいはあり、
字幕などで説明した方が、
良かったのではないかしら、というようには思いました。
これ、黒人の表現をどうするのかしら、
と思っていたのですが、
実際には黒人ドライバー役の市村さんは、
古典的なオセロのように、
茶色いドーランを肌に塗って演技をしていました。
今後はこうした表現は、
おそらく難しくなるのだろうな、とは感じました。
キャストは草笛光子さんが素晴らしい芝居で、
後半衰えた肉体の表現などには、
役者魂も感じました。
市村さんは特に前半のちょっとしたやり取りに味があり、
映画と同じ台詞を、
日本人の観客に対しては、
映画より数段説得力と膨らみを感じる演技で、
肉付けしていたのがさすがと感じました。
後半のシリアスな部分は、
映画でもちょっとピンと来ないところがあり、
今回の舞台版でも矢張り釈然とはしませんでした。
公民権運動の話とかキング牧師の話とか、
身近には感じられないので仕方がないのかも知れません。
ラストももう少しくどくてもいいのに、
もう一押しあってもいいのに、
というようには思うのですが、
アメリカ戯曲はこうしたところは淡泊ですね。
そんな訳でまずまずの仕上がりの舞台で、
一見の価値は充分にあると思います。
もう少し練れて来ると、
後半はより趣きが増すのでは、
というようにも思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1989年に製作され米アカデミー作品賞を受賞した名作映画の、
原作となったオフ・ブロードウェイの舞台劇が、
草笛光子さん、市村正親さん、堀部圭亮さんという魅力的なキャストで、
今翻訳劇として上演されています。
これは1948年から25年に渡る、
元教師のユダヤ人の老婦人と、
その運転手を務めた黒人ドライバーとの、
交流をオムニバス的に描いた物語です。
これね、高齢ドライバーが事故を起こして…
というところから始まるお話なので、
意外に今の時勢にも合っているのです。
舞台版は老婦人とその息子のやり手の経営者、
そして黒人ドライバーのみの3人芝居ですが、
映画はそこにメイドや息子の妻などの人物が追加されています。
映画を先に観ていると、
メイドなどはいないと成立しないように思うのですが、
舞台版では黒人ドライバーの台詞の中で、
舞台には登場しない人物として、
何度も語られていて、
舞台劇としてはそれでありだな、
ということが分かります。
映画で印象的な場面の多くは、
原作でもほぼそのまま残っています。
シンプルな小劇場向けの戯曲で、
森新太郎さんの演出は最小限度の装置で、
過不足ない効果を挙げている点がさすがです。
音楽は映画と同じ「ルサルカ」の「月に寄せる歌」が使われていましたが、
物語と直接の関連はないような気もするので、
イメージでの選曲なのかしら、と感じました。
物語は1948年から始まり20年以上が舞台上で経過するのですが、
それが分かりにくいというきらいはあり、
字幕などで説明した方が、
良かったのではないかしら、というようには思いました。
これ、黒人の表現をどうするのかしら、
と思っていたのですが、
実際には黒人ドライバー役の市村さんは、
古典的なオセロのように、
茶色いドーランを肌に塗って演技をしていました。
今後はこうした表現は、
おそらく難しくなるのだろうな、とは感じました。
キャストは草笛光子さんが素晴らしい芝居で、
後半衰えた肉体の表現などには、
役者魂も感じました。
市村さんは特に前半のちょっとしたやり取りに味があり、
映画と同じ台詞を、
日本人の観客に対しては、
映画より数段説得力と膨らみを感じる演技で、
肉付けしていたのがさすがと感じました。
後半のシリアスな部分は、
映画でもちょっとピンと来ないところがあり、
今回の舞台版でも矢張り釈然とはしませんでした。
公民権運動の話とかキング牧師の話とか、
身近には感じられないので仕方がないのかも知れません。
ラストももう少しくどくてもいいのに、
もう一押しあってもいいのに、
というようには思うのですが、
アメリカ戯曲はこうしたところは淡泊ですね。
そんな訳でまずまずの仕上がりの舞台で、
一見の価値は充分にあると思います。
もう少し練れて来ると、
後半はより趣きが増すのでは、
というようにも思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2019-07-13 10:42
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