「ブラック・クランズマン」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みのの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
黒人警官が白人至上主義の秘密結社KKKに潜入捜査する、
という1979年の実話を外連味たっぷりに映像化した、
スパイク・リー監督の新作映画を観て来ました。
カンヌ映画祭のグランプリ受賞作です。
これは観る前には結構期待したのです。
スパイク・リーは嫌いではないし、
今回は社会派色は少し抑えて、
かつての黒人主演のB級活劇(ブラックスプロイテーション映画)を、
今の目線で再構成するという趣向なので、
ぶっ飛んだ面白い映画になるのではないかしら、
とワクワクしたのです。
ただ、観終わってみると、
かなりアジテーション映画に近いもので、
最後にはトランプ大統領が登場して、
トランプを人種差別主義者として糾弾する、
というタイプの作品でした。
それはそれでいつものスパイク・リー節なので、
良いと言えば良いのですが、
今回は敢くまでフィクションの世界で、
そこで完結する物語を紡いで欲しかったな、
というのが正直なところです。
映画は1979年が舞台になっていて、
1970年代前半に主に流行していた「コフィー」や「ハンマー」、
「クレオパトラ・ジャガー」などの黒人ヒーローのB級アクション映画のスタイルで、
全編描かれています。
「クレオパトラ・ジャガー」は僕は大好きで、
空手の名手の黒人の女性刑事が、
白人の悪党をボコボコにしまくるという、
ただそれだけのお話です。
それと共にこの映画は一種のアメリカ映画批判にもなっていて、
オープニングは「風と共に去りぬ」の1シーンで始まり、
この映画における「良い黒人」としてのメイドの描写などが批判されますし、
後半ではKKKの復活を後押ししたとも言われる、
グリフィスの「国民の創世」が槍玉に挙がり、
徹底的に批判されます。
お話的には黒人警官が、
まだ人種差別が残る警察署の中で、
友人となった白人警官と協力しつつ、
KKKの狂信的な白人会員が企む、
爆弾事件を未然に阻止する、
という物語が主軸になっています。
ただ、敵方のKKKが要するに「おバカの集団」として描かれているので、
主人公達にやられ放題という感じで、
アクション映画としてのスリルは皆無です。
作品中で黒人運動の指導者の演説のようなものが、
かなり時間を掛けて描かれるので、
内容もかなり過激なものですし、
何か裏の意図があるのかしらと思っていると、
結局は観客にその演説を聴かせたかった、
ということのようでした。
KKKの当時の幹部として、
今も政治家として活動している白人至上主義者の、
デビット・デュークが実名で登場し、
徹底しておちょくられるのですが、
どうやらこうしたことが、
監督としてはやりたかったことのようです。
クライマックスでは爆弾を追跡する主人公達と、
「国民の創世」を批判する黒人指導者の演説、
そしてその映画を観て喜ぶKKKの団員の姿が、
交互に描出されますが、
これはグリフィス監督が「国民の創世」や「イントレランス」で用いた、
映画の編集技術のモンタージュ理論で、
「国民の創世」批判をモンタージュで描く、
というようなひねった趣向が、
多分カンヌでは受けたのかな、
というようにも感じました。
そんな訳でもう少しアクション映画としての高揚感やサスペンス、
フィクションとして完結する世界観のようなものを期待したのですが、
実際にはそうしたものは希薄で、
監督の主張と今のアメリカの状況に対する危機感が、
生の形で描出されたような作品でした。
ちょっと期待外れでしたが、
それはこちらの期待が的外れであったためで、
映画自体の瑕ではないのだと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みのの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
黒人警官が白人至上主義の秘密結社KKKに潜入捜査する、
という1979年の実話を外連味たっぷりに映像化した、
スパイク・リー監督の新作映画を観て来ました。
カンヌ映画祭のグランプリ受賞作です。
これは観る前には結構期待したのです。
スパイク・リーは嫌いではないし、
今回は社会派色は少し抑えて、
かつての黒人主演のB級活劇(ブラックスプロイテーション映画)を、
今の目線で再構成するという趣向なので、
ぶっ飛んだ面白い映画になるのではないかしら、
とワクワクしたのです。
ただ、観終わってみると、
かなりアジテーション映画に近いもので、
最後にはトランプ大統領が登場して、
トランプを人種差別主義者として糾弾する、
というタイプの作品でした。
それはそれでいつものスパイク・リー節なので、
良いと言えば良いのですが、
今回は敢くまでフィクションの世界で、
そこで完結する物語を紡いで欲しかったな、
というのが正直なところです。
映画は1979年が舞台になっていて、
1970年代前半に主に流行していた「コフィー」や「ハンマー」、
「クレオパトラ・ジャガー」などの黒人ヒーローのB級アクション映画のスタイルで、
全編描かれています。
「クレオパトラ・ジャガー」は僕は大好きで、
空手の名手の黒人の女性刑事が、
白人の悪党をボコボコにしまくるという、
ただそれだけのお話です。
それと共にこの映画は一種のアメリカ映画批判にもなっていて、
オープニングは「風と共に去りぬ」の1シーンで始まり、
この映画における「良い黒人」としてのメイドの描写などが批判されますし、
後半ではKKKの復活を後押ししたとも言われる、
グリフィスの「国民の創世」が槍玉に挙がり、
徹底的に批判されます。
お話的には黒人警官が、
まだ人種差別が残る警察署の中で、
友人となった白人警官と協力しつつ、
KKKの狂信的な白人会員が企む、
爆弾事件を未然に阻止する、
という物語が主軸になっています。
ただ、敵方のKKKが要するに「おバカの集団」として描かれているので、
主人公達にやられ放題という感じで、
アクション映画としてのスリルは皆無です。
作品中で黒人運動の指導者の演説のようなものが、
かなり時間を掛けて描かれるので、
内容もかなり過激なものですし、
何か裏の意図があるのかしらと思っていると、
結局は観客にその演説を聴かせたかった、
ということのようでした。
KKKの当時の幹部として、
今も政治家として活動している白人至上主義者の、
デビット・デュークが実名で登場し、
徹底しておちょくられるのですが、
どうやらこうしたことが、
監督としてはやりたかったことのようです。
クライマックスでは爆弾を追跡する主人公達と、
「国民の創世」を批判する黒人指導者の演説、
そしてその映画を観て喜ぶKKKの団員の姿が、
交互に描出されますが、
これはグリフィス監督が「国民の創世」や「イントレランス」で用いた、
映画の編集技術のモンタージュ理論で、
「国民の創世」批判をモンタージュで描く、
というようなひねった趣向が、
多分カンヌでは受けたのかな、
というようにも感じました。
そんな訳でもう少しアクション映画としての高揚感やサスペンス、
フィクションとして完結する世界観のようなものを期待したのですが、
実際にはそうしたものは希薄で、
監督の主張と今のアメリカの状況に対する危機感が、
生の形で描出されたような作品でした。
ちょっと期待外れでしたが、
それはこちらの期待が的外れであったためで、
映画自体の瑕ではないのだと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2019-03-31 10:45
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