前川知大「ゲゲゲの先生へ」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イキウメの前川知大さんと、
佐々木蔵之介さんがタッグを組んで、
水木しげるさんの世界に想を得た新作舞台が、
今池袋の芸術劇場で上演されています。
これは前川さんらしい奇想が活きた舞台で、
舞台効果もまずまずで面白く鑑賞しました。
ただ、平成60年という舞台の設定と、
そこに展開される安っぽい現代社会批判のようなものが、
何か脳天気過ぎる感じがして、
その点はかなり不満でした。
もっとも、今の演劇作品の大半は、
そうした世界観を共有しているようです。
何となく、芝居を観るのもうんざりする今日この頃です。
以下ネタバレを含む感想です。
ただ、結構踏み込んだ内容が、
特設サイトなどでは記載をされていて、
格別それを超えた意外な展開などはないので、
内容は知った上で鑑賞しても、
そう大きな問題はなさそうです。
舞台は平成60年で、
子供が生まれなくなって日本の人口は激減し、
人間は殆ど都市に住んで、
田舎は自然の支配する世界となっています。
しかも都会で生まれた子供は、
魂のない「フガフガ病」となってしまいます。
都市は怪しげな市長に支配され、
一般住民は管理されて貧しい暮らしをしています。
主人公は佐々木蔵之介さん演じる根津で、
彼は半妖怪のかつてのねずみ男です。
そこに逃げてきた市長の娘と青年のカップルに、
久しぶりに眠りを覚まされた主人公は、
自分の生い立ちを思い出して懐かしみ、
崩壊しつつある人間社会に、
久しぶりに介入することになるのです。
水木しげるさんの世界を再現するのに、
主人公にねずみ男を持ってくる、
という辺りが前川さんらしい発想です。
妖怪というのは人間が気配を感じる世界でのみ存在出来る、
という哲学的な定義も前川さんならでは、
という気がします。
妖怪は人間とは別の存在ですが、
人間がその存在を感じなくなると、
その存在自体も消滅してしまうのです。
儚げに登場する妖怪を、
白石加代子さんや松雪泰子さんが、
それらしく情緒たっぷりに演じるのも魅力です。
ただ、この作品は設定を平成60年に設定していて、
勿論平成はもう31年で終わることが確定しているので、
分かった上での設定ではあるのですが、
出生数が激減して田舎は存在しなくなっても、
そのまま平成60年まで日本が存続している、
というある種脳天気な発想が信じがたくて、
そんな訳がないじゃん、と脱力する気分になります。
平成60年になっても一部の権力者が国民を搾取し管理していて、
その世界が成り立っているという考えそのものが、
僕にはとてもナンセンスに思えますし、
原因不明の「フガフガ病」の治療のために、
悪い病院の院長が、
生きた赤児に人体実験をして殺してしまい、
その母親の怨霊が怪物となって暴れ回る、
というような発想の貧困さはどうでしょうか?
僕は医療者の端くれなので、
こうした「権力にこびた悪い医者像」のようなものには、
その薄っぺらさに本当にうんざりしてしまいます。
こうした薄っぺらな未来を想像するのは、
本当にあり得る未来の悲惨さから、
目を背けたいという願望がその主な原因と思いますが、
こうした結果になるのであれば、
未来を舞台にするのは止めて欲しい、
というのが正直な感想です。
前川さんは「太陽」などの諸作で、
想像力を駆使した「あり得ない、しかしリアルな未来」を、
幾つもこれまで創造してきた作家ですが、
その名手をしてこんな結果になるのですから、
真の絶望というものは、
創造力すら腐らせてしまうものなのかも知れません。
この作品には「ゲゲゲの鬼太郎」は出て来ず、
その存在について主人公が一言触れるだけですが、
せっかくですから鬼太郎の未来のようなものも、
表現して欲しかったな、とは思いました。
今回は前川さんの作品としては見やすいお芝居で、
半妖怪と妖怪や精霊の佇まいのようなものが、
手練れの役者さんによって、
なかなか情緒的かつ魅力的に描かれていて、
その点はこれまでの前川作品にない良さを感じました。
内容には不満もあるのですが、
前川さんらしいちょっとひねった妖怪譚として、
一見の価値はある舞台に仕上がっていたと思います。
それでは今日はこのくらいで、
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イキウメの前川知大さんと、
佐々木蔵之介さんがタッグを組んで、
水木しげるさんの世界に想を得た新作舞台が、
今池袋の芸術劇場で上演されています。
これは前川さんらしい奇想が活きた舞台で、
舞台効果もまずまずで面白く鑑賞しました。
ただ、平成60年という舞台の設定と、
そこに展開される安っぽい現代社会批判のようなものが、
何か脳天気過ぎる感じがして、
その点はかなり不満でした。
もっとも、今の演劇作品の大半は、
そうした世界観を共有しているようです。
何となく、芝居を観るのもうんざりする今日この頃です。
以下ネタバレを含む感想です。
ただ、結構踏み込んだ内容が、
特設サイトなどでは記載をされていて、
格別それを超えた意外な展開などはないので、
内容は知った上で鑑賞しても、
そう大きな問題はなさそうです。
舞台は平成60年で、
子供が生まれなくなって日本の人口は激減し、
人間は殆ど都市に住んで、
田舎は自然の支配する世界となっています。
しかも都会で生まれた子供は、
魂のない「フガフガ病」となってしまいます。
都市は怪しげな市長に支配され、
一般住民は管理されて貧しい暮らしをしています。
主人公は佐々木蔵之介さん演じる根津で、
彼は半妖怪のかつてのねずみ男です。
そこに逃げてきた市長の娘と青年のカップルに、
久しぶりに眠りを覚まされた主人公は、
自分の生い立ちを思い出して懐かしみ、
崩壊しつつある人間社会に、
久しぶりに介入することになるのです。
水木しげるさんの世界を再現するのに、
主人公にねずみ男を持ってくる、
という辺りが前川さんらしい発想です。
妖怪というのは人間が気配を感じる世界でのみ存在出来る、
という哲学的な定義も前川さんならでは、
という気がします。
妖怪は人間とは別の存在ですが、
人間がその存在を感じなくなると、
その存在自体も消滅してしまうのです。
儚げに登場する妖怪を、
白石加代子さんや松雪泰子さんが、
それらしく情緒たっぷりに演じるのも魅力です。
ただ、この作品は設定を平成60年に設定していて、
勿論平成はもう31年で終わることが確定しているので、
分かった上での設定ではあるのですが、
出生数が激減して田舎は存在しなくなっても、
そのまま平成60年まで日本が存続している、
というある種脳天気な発想が信じがたくて、
そんな訳がないじゃん、と脱力する気分になります。
平成60年になっても一部の権力者が国民を搾取し管理していて、
その世界が成り立っているという考えそのものが、
僕にはとてもナンセンスに思えますし、
原因不明の「フガフガ病」の治療のために、
悪い病院の院長が、
生きた赤児に人体実験をして殺してしまい、
その母親の怨霊が怪物となって暴れ回る、
というような発想の貧困さはどうでしょうか?
僕は医療者の端くれなので、
こうした「権力にこびた悪い医者像」のようなものには、
その薄っぺらさに本当にうんざりしてしまいます。
こうした薄っぺらな未来を想像するのは、
本当にあり得る未来の悲惨さから、
目を背けたいという願望がその主な原因と思いますが、
こうした結果になるのであれば、
未来を舞台にするのは止めて欲しい、
というのが正直な感想です。
前川さんは「太陽」などの諸作で、
想像力を駆使した「あり得ない、しかしリアルな未来」を、
幾つもこれまで創造してきた作家ですが、
その名手をしてこんな結果になるのですから、
真の絶望というものは、
創造力すら腐らせてしまうものなのかも知れません。
この作品には「ゲゲゲの鬼太郎」は出て来ず、
その存在について主人公が一言触れるだけですが、
せっかくですから鬼太郎の未来のようなものも、
表現して欲しかったな、とは思いました。
今回は前川さんの作品としては見やすいお芝居で、
半妖怪と妖怪や精霊の佇まいのようなものが、
手練れの役者さんによって、
なかなか情緒的かつ魅力的に描かれていて、
その点はこれまでの前川作品にない良さを感じました。
内容には不満もあるのですが、
前川さんらしいちょっとひねった妖怪譚として、
一見の価値はある舞台に仕上がっていたと思います。
それでは今日はこのくらいで、
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2018-10-14 10:43
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