「寝ても覚めても」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
芥川賞作家の柴崎友香さんの長編小説を、
新鋭の濱口竜介監督が脚色演出し、
東出昌大さんと唐田えりかさんが主演した、
ちょっと不思議な雰囲気の恋愛映画を観て来ました。
これは唐田えりかさん演じる、
ちょっと捉えどころのない感じのする女性が、
東出昌大さん演じる、
同じ顔を持ち性格は対象的な2人の男性の間を、
揺れ動くというドラマです。
これは原作も読みました。
原作はなかなか独特の感性で面白いんですよね。
全編女性の主人公の視点で展開されるのですが、
詩的な短文を連ねたような、
短いエピソードの集積のような作りになっていて、
世界を全て断片に分析して俯瞰するような表現で、
そうしたうつろで無機的な感じが、
そのまま主人公の内面でもあるのですね。
ただ、ラストの展開のみかなり唐突で、
それが全体のバランスを乱しているような感じがあります。
シンプルに考えれば、
主人公が過去の突然いなくなった恋人の呪縛から、
ゆっくりと解けてゆく、
というような感じでも良かったように思うのですが、
それだけだと凡庸という気もしますし、
その辺りが難しいところです。
映画はそのバタバタしたラストだけをフィーチャーした感じのもので、
原作の持つ独特の雰囲気とは無縁で、
主人公の人格設定も全く異なり、
基本的に原作をリスペクトした感じのものではありません。
そんな訳で個人的には納得のゆく映画ではありませんでした。
原作の良いところは全てなくしていて、
それに代わる映画的な魅力が、
そう多くあるとは思えないからです。
以下ネタバレを含む感想になります。
ただ、謎めいた設定にも思えますが、
実際には特に謎はなく、
物語の展開にも意外性やひねりのあるようなタイプの、
作品ではありません。
これは映画を観ると、
全く同じ顔を持つ男が2人いて、
何故かその2人に出会ってしまい恋に落ちるという、
因縁話的な物語に思えるのですが、
実は原作は全くそうしたものではなくて、
最初は過去の恋人そっくりと思った男が、
その過去の執着から逃れてみると、
大して似ているとも思えない程度だった、
というような記憶の不確かさを扱った作品なのです。
佐藤正午さんの「永遠の2分の1」という小説があって、
それと同じパターンですよね。
あれも自分そっくりの悪い男がいて、
間違われて酷い目にあうのですが、
実際に会ってみると、
それほど似ているとは思えなかった、
というような話です。
ただ、こうした話は記憶の曖昧さや改変を扱ったものなので、
映像化はしにくいですよね。
ほぼ不可能と言っても良いかも知れません。
それで今回の映画では、
2人の男を同じ東出昌大さんが演じているのですが、
それだと原作とは全く違う話になってしまうのですよね。
これはもう確信犯的な改変だと思うのですが、
それなら同じ顔を持つ2人の男と恋をする話として、
成立していないといけないのですが、
実際にはそうなってはいないように思います。
元々原作の筋立ても、
記憶は主人公の頭の中で改変されてしまうので、
その意味でご都合主義になっているのですが、
映画は更に唐突感とご都合主義感が増し、
原作とは設定が変わっているので、
よりその不自然さが増している、
という結果になっています。
たとえば過去に姿を消した恋人が、
俳優でスターになっているのですが、
もし全く同じ顔であれば、
主人公ばかりでなく、
周囲が皆それに気が付く筈でしょ。
それなのに誰も気が付かないというのが極めて不自然に感じます。
これは原作も同じ設定なのですが、
実際には「ちょっと似ているという程度」が現実であったので、
それでも良いのです。
この辺は設定を変えたことで、
物語がかなり破綻していると思います。
主人公が昔の友人の女性と再会する場面で、
友人が整形していると告白するところがあります。
これは原作ではポイントの1つで、
一瞬見ただけでは分からないほど、
顔が変わっていて、
それが2人の恋人の顔が同じ、
ということの対比として使われているのです。
映画にはその場面自体はあるのに、
演じている役者さんの顔は全く変わっていないので、
何が言いたいのか不明の、
奇怪な感じになっています。
映画版は主人公の職業などの設定も変わっていますし、
原作には全くない友達が難病のALSになるという設定や、
東日本大震災が男女を結び付けるという設定などを入れていますが、
それが効果的に物語に結び付いているのとは思えず、
ただ映画の作り手の趣味が出ただけ、
という感じになっています。
小劇場演劇やチェーホフとイプセン、
演技論を戦わせるところなどもありますが、
これも全く映画の創作です。
小劇場は大好きなので、
ああいうものもくだらなくて稚拙でガッカリします。
やるならちゃんとやってよね、と思います。
せっかく、面白い小説を映画にするのだから、
もう少し原作の良いところや雰囲気、
その本質的な部分に対して、
リスペクトするような映画にはならなかったのでしょうか?
こうして別物にするのであれば、
オリジナルのストーリーを紡ぐべきではないでしょうか?
どうにも納得はゆきませんでした。
蓮実重彦さんが褒めていて、
ああ、矢鱈に水が象徴的に使われているし、
変な構図が多いので、
こういうのをあの方はお褒めになるのね、
とは思ったのですが、
やたらと人物を横に並べたリして、
風変りな映像ではあるのですが、
それほど個性的な作家性を感じる絵作りではありません。
ただ、前半の謎めいた青春映画的なムードは、
悪くはありませんでした。
そんな訳で、
結構良いかも知れない、
と期待をしていた作品であったので、
鑑賞直後の落胆は大きかったのですが、
少し時間が経ってみると、
まあ映画というのは、
概ねこうしたものなのかも知れない、
と思うようになりました。
後は作り手の感性がこちらとフィットするかどうかの問題で、
この映画は正直僕とはとても合いませんでした。
後から思ったのですが、
物語も語り口も構図も、
是枝監督の「幻の光」に似ていて、
テーマはほぼ同じですから、
影響をされている部分はあるのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
芥川賞作家の柴崎友香さんの長編小説を、
新鋭の濱口竜介監督が脚色演出し、
東出昌大さんと唐田えりかさんが主演した、
ちょっと不思議な雰囲気の恋愛映画を観て来ました。
これは唐田えりかさん演じる、
ちょっと捉えどころのない感じのする女性が、
東出昌大さん演じる、
同じ顔を持ち性格は対象的な2人の男性の間を、
揺れ動くというドラマです。
これは原作も読みました。
原作はなかなか独特の感性で面白いんですよね。
全編女性の主人公の視点で展開されるのですが、
詩的な短文を連ねたような、
短いエピソードの集積のような作りになっていて、
世界を全て断片に分析して俯瞰するような表現で、
そうしたうつろで無機的な感じが、
そのまま主人公の内面でもあるのですね。
ただ、ラストの展開のみかなり唐突で、
それが全体のバランスを乱しているような感じがあります。
シンプルに考えれば、
主人公が過去の突然いなくなった恋人の呪縛から、
ゆっくりと解けてゆく、
というような感じでも良かったように思うのですが、
それだけだと凡庸という気もしますし、
その辺りが難しいところです。
映画はそのバタバタしたラストだけをフィーチャーした感じのもので、
原作の持つ独特の雰囲気とは無縁で、
主人公の人格設定も全く異なり、
基本的に原作をリスペクトした感じのものではありません。
そんな訳で個人的には納得のゆく映画ではありませんでした。
原作の良いところは全てなくしていて、
それに代わる映画的な魅力が、
そう多くあるとは思えないからです。
以下ネタバレを含む感想になります。
ただ、謎めいた設定にも思えますが、
実際には特に謎はなく、
物語の展開にも意外性やひねりのあるようなタイプの、
作品ではありません。
これは映画を観ると、
全く同じ顔を持つ男が2人いて、
何故かその2人に出会ってしまい恋に落ちるという、
因縁話的な物語に思えるのですが、
実は原作は全くそうしたものではなくて、
最初は過去の恋人そっくりと思った男が、
その過去の執着から逃れてみると、
大して似ているとも思えない程度だった、
というような記憶の不確かさを扱った作品なのです。
佐藤正午さんの「永遠の2分の1」という小説があって、
それと同じパターンですよね。
あれも自分そっくりの悪い男がいて、
間違われて酷い目にあうのですが、
実際に会ってみると、
それほど似ているとは思えなかった、
というような話です。
ただ、こうした話は記憶の曖昧さや改変を扱ったものなので、
映像化はしにくいですよね。
ほぼ不可能と言っても良いかも知れません。
それで今回の映画では、
2人の男を同じ東出昌大さんが演じているのですが、
それだと原作とは全く違う話になってしまうのですよね。
これはもう確信犯的な改変だと思うのですが、
それなら同じ顔を持つ2人の男と恋をする話として、
成立していないといけないのですが、
実際にはそうなってはいないように思います。
元々原作の筋立ても、
記憶は主人公の頭の中で改変されてしまうので、
その意味でご都合主義になっているのですが、
映画は更に唐突感とご都合主義感が増し、
原作とは設定が変わっているので、
よりその不自然さが増している、
という結果になっています。
たとえば過去に姿を消した恋人が、
俳優でスターになっているのですが、
もし全く同じ顔であれば、
主人公ばかりでなく、
周囲が皆それに気が付く筈でしょ。
それなのに誰も気が付かないというのが極めて不自然に感じます。
これは原作も同じ設定なのですが、
実際には「ちょっと似ているという程度」が現実であったので、
それでも良いのです。
この辺は設定を変えたことで、
物語がかなり破綻していると思います。
主人公が昔の友人の女性と再会する場面で、
友人が整形していると告白するところがあります。
これは原作ではポイントの1つで、
一瞬見ただけでは分からないほど、
顔が変わっていて、
それが2人の恋人の顔が同じ、
ということの対比として使われているのです。
映画にはその場面自体はあるのに、
演じている役者さんの顔は全く変わっていないので、
何が言いたいのか不明の、
奇怪な感じになっています。
映画版は主人公の職業などの設定も変わっていますし、
原作には全くない友達が難病のALSになるという設定や、
東日本大震災が男女を結び付けるという設定などを入れていますが、
それが効果的に物語に結び付いているのとは思えず、
ただ映画の作り手の趣味が出ただけ、
という感じになっています。
小劇場演劇やチェーホフとイプセン、
演技論を戦わせるところなどもありますが、
これも全く映画の創作です。
小劇場は大好きなので、
ああいうものもくだらなくて稚拙でガッカリします。
やるならちゃんとやってよね、と思います。
せっかく、面白い小説を映画にするのだから、
もう少し原作の良いところや雰囲気、
その本質的な部分に対して、
リスペクトするような映画にはならなかったのでしょうか?
こうして別物にするのであれば、
オリジナルのストーリーを紡ぐべきではないでしょうか?
どうにも納得はゆきませんでした。
蓮実重彦さんが褒めていて、
ああ、矢鱈に水が象徴的に使われているし、
変な構図が多いので、
こういうのをあの方はお褒めになるのね、
とは思ったのですが、
やたらと人物を横に並べたリして、
風変りな映像ではあるのですが、
それほど個性的な作家性を感じる絵作りではありません。
ただ、前半の謎めいた青春映画的なムードは、
悪くはありませんでした。
そんな訳で、
結構良いかも知れない、
と期待をしていた作品であったので、
鑑賞直後の落胆は大きかったのですが、
少し時間が経ってみると、
まあ映画というのは、
概ねこうしたものなのかも知れない、
と思うようになりました。
後は作り手の感性がこちらとフィットするかどうかの問題で、
この映画は正直僕とはとても合いませんでした。
後から思ったのですが、
物語も語り口も構図も、
是枝監督の「幻の光」に似ていて、
テーマはほぼ同じですから、
影響をされている部分はあるのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2018-09-08 07:30
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