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「菊とギロチン」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。

今日は3本の記事の予定です。

まずはこちら。
菊とギロチン.jpg
瀬々敬久監督のオリジナル企画として、
大正時代を舞台とした3時間を超える長尺の映画です。
「菊とギロチン」という名前もなかなかのインパクトですし、
大正末期を舞台に、
無政府主義のテロリストの若者達と、
女相撲を人生の逃げ場所に選んだ女達との交流を描く、
という内容がまた異色です。

昔のATG映画には、
吉田喜重監督の「エロス+虐殺」や「戒厳令」といった、
今回の映画と同じ時期を扱った前衛映画があって、
基本的には同じ性質のものを描こうとしているのかな、
というようには感じるのですが、
アナーキズムとフェミニズムとの関係とか、
時代の描き方についてはかなり根本的な違いがあって、
この間の政治的な状況の変化と、
歴史をねじ曲げようとする、
立場を問わない多くの情報の乱立が、
実情とは異なる今回のようなフィクションを、
成立させてしまう主因となっているようにも感じました。

僕もその時代に生きていた訳では勿論ありませんが、
本当の大正時代がこんなだった筈はないですよね。
それはもう絶対に違うと思います。
昭和初期くらいの時代の記録映像や映画は、
まだ結構残っていますし、
口語の舞台作品もありますよね。
あの時代には絶対にないような言葉を、
おそらくはかなり無自覚に使っていますし、
時代考証などもデタラメでセットなども安手で稚拙です。

まあ、映画というのはその時代性からは、
離れられない性質のものなので、
この映画の持つ殺伐とした感じ、
ひたすら何かに対して恨みを持ち、攻撃し、
反面一方的に自分を責めたり絶望したりする感じなどは、
間違いなく現代のメンタリティであって、
大正や昭和初期のそれではない、
という気がします。

女相撲の興行の栄枯盛衰を描く、
というのは今までにあまりない面白い趣向で、
「旅芸人の記録」を思い起こさせるような感じもあります。
その雰囲気自体はとても良いので、
個人的には「ギロチン社」の話は脇筋程度にして、
いかがわしい興行の悲哀と人間ドラマを描いた年代記、
という感じにした方が、
個人的にはもっとずっと面白かったのではないか、
というように思いました。

ラストはもうドロドロの崩壊劇になり、
爆薬の使い方などはちょっと面白くショッキングですが、
自分で自傷的に壁で頭を割ったり、
男が女を石で殴って殺すのを延々と見せたり、
死後硬直した死体を桶に入れるために手足を折ったりと、
趣味の悪い場面が続くのがうんざりします。

この監督はこの前の「友罪」でも、
自分で頭に石をぶつけて血を流す光景を、
延々と見せたりして、
言いたいことは勿論あるのでしょうが、
僕にはあまり相性は合わないと感じました。

残酷描写が一概に悪いということではないのですが、
単純かつ即物的に、
それを見せ場にして映画を構成しているような感じが、
ちょっとそれは違うのではないか、
というように思うのです。

今回のような映画においては、
女相撲を逃げ場所にせざるを得なかった女達の悲惨を、
もっと別の形で表現する方法が、
あったのではないでしょうか?

石井輝男監督の残酷時代劇のように、
残酷見世物をそれ自体テーマとして、
徹底して追求した作品などは好きなのですが、
この作品はテーマは完全に別物でありながら、
暴行や残酷描写を見せ場にする、
というのはバランスを欠いているように感じました。

そんな訳で個人的にはちょっと残念な映画で、
役者の熱演は印象に残りますし、
女相撲の流浪の感じなどは非常に良かったので、
中途半端でバランスを欠くメッセージ姓と、
悪趣味な残酷描写の連打はガッカリでした。

前作の「友罪」も、
見事で感動的な原作を、
意味不明の演出で台無しにしている感がありましたし、
この監督の作品はもう見ないようにしようと決めました。

勿論個人的な感想ですのでご容赦下さい。

それでは次の記事に続きます。
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