月刊「根本宗子」第15号「紛れもなく私が真ん中の日」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は連休でクリニックは休診です。
祝日は趣味の話題です。
今日はこちら。
小劇場マインドの塊のような根本宗子さんが、
今年初めての純然の新作公演を、
今浅草の九劇で上演中です。
「紛れもなく私が真ん中の日」と題されたこの新作は、
オーディションで選ばれた21人の女優さんが、
極めて緻密かつ奔放に演じる群像劇で、
根本さん自身は出演せず、
戯曲と演出に専念しています。
これは僕が観た根本さんの作品の中では、
間違いなく最も素晴らしい一本で、
小劇場の歴史に残ると言っても、
決して大袈裟ではないと思います。
見逃すと絶対に後悔するレベルのお芝居で、
ほぼ再演は不可能だと思いますし、
仮にしたとしても今回のようなフレッシュさは、
失われてしまうと思います。
掛け値なしの傑作ですので、
僕のことを信じて頂けるなら、
何を置いても是非劇場にお急ぎ下さい。
勿論好みというものはありますから、
全ての方が同じように感動するかは分かりませんが、
このお芝居が本当の本物であることだけは、
全ての方が感じて頂けると信じています。
以下内容に少し踏み込みます。
大きなネタバレはしませんが、
先入観なく鑑賞したい方は、
観終わった後にお読み下さい。
開場からポップな装飾のお屋敷と思しきような場所で、
10人以上の子供なのか少女なのか大人なのか、
良く分からないような女優さん達が、
思い思いに遊んでいる姿は、
何だかあまりに雑然としていて、
とても面白いお芝居になりそうには思えないのですが、
ところがどうしてどうして、
そこから緻密な群像劇が立ち上がると、
意外にも膨らみを持った物語は、
感動的なエンディングまで一気呵成に走り抜けます。
21人のキャストを過不足なく描き分けるだけでも超人的ですが、
物語が中段にさしかかる時には、
その全員が何か僕達の記憶の中に生きているような気分になり、
僕達の記憶の一部に入り込んでくるような錯覚に陥るのです。
そして感動的なラストでは、
根本さんの定番の趣向である、
過去の自分が現在の自分に呼びかけるという構図が、
より切実さを持って描かれ、
観客の誰もが一緒に同じことを呼びかけているような、
そんな錯覚にすら陥るのです。
切なく感動的で、
素晴らしいラストだったと思います。
中学生の「真ん中を目指す」というやり取りの中に、
大人の社会の縮図のようなものを描くという手法は、
昨年の三谷幸喜さんの「子供の事情」が意識されているように思います。
ただ、その風景が更に相対化されるという点では、
この作品は三谷さんの作品の更に上を行っていると思いますし、
そのいじめや格差、自意識過剰におぼれた世界へのシニカルな視線は、
より鋭く深い洞察に満ちていると思います。
更に僕がこの作品を好きなのは、
この作品が純然たる小劇場演劇のスタイルを守っていて、
かつてのアングラに通底する、
美意識をまた持っていると言う点にあります。
キャストのある種の異様さは、
寺山修司の見世物演劇を彷彿とさせる部分がありますし、
テンションの高い一人語りの呼吸は、
唐先生のテント芝居に繋がる息づかいを感じさせます。
つまり、根本さんの芝居は、
紛れもなく現在の芝居であり、
そこで語られる言葉は、
この社会の肉を斬り、
血を迸らせるところから発せられるものですが、
それでいて彼女の演劇DNAは、
深い部分でアングラの地下水脈に繋がっているのです。
役者を調教する演出も冴え渡っていて、
セット構成も、
対角線に倒れた柱が、
時間という断層を切り裂くというアイデアなど、
随所に天才を見せつけています。
唯一僕が不満なのは、
今のお芝居の常で説明過多なところで、
エリート少女の没落を、
侍女の台詞で説明してしまうのですが、
これは台詞自体不自然ですし、
暗示にとどめる程度で良かったように思いました。
ただ、これは昔の難解芝居好きの、
悪い癖かも知れません。
あまり明快に説明されると逆に醒めてしまうのです。
しかし、それを割り引いても、
この部分は流れが悪かったと思います。
ただ、そうした些細な瑕など問題にならないテンションで、
これだけ充実した内容が、
1時間半に濃縮されているのが素晴らしく、
これを観ると、
2時間を超えるダラダラ芝居の多くが、
ただの馬鹿の繰り言のようにしか感じられないのです。
ともかく、「観て!」としか言えない傑作で、
強く強くお薦めしたいと思います。
真面目に凄いですよ。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は連休でクリニックは休診です。
祝日は趣味の話題です。
今日はこちら。
小劇場マインドの塊のような根本宗子さんが、
今年初めての純然の新作公演を、
今浅草の九劇で上演中です。
「紛れもなく私が真ん中の日」と題されたこの新作は、
オーディションで選ばれた21人の女優さんが、
極めて緻密かつ奔放に演じる群像劇で、
根本さん自身は出演せず、
戯曲と演出に専念しています。
これは僕が観た根本さんの作品の中では、
間違いなく最も素晴らしい一本で、
小劇場の歴史に残ると言っても、
決して大袈裟ではないと思います。
見逃すと絶対に後悔するレベルのお芝居で、
ほぼ再演は不可能だと思いますし、
仮にしたとしても今回のようなフレッシュさは、
失われてしまうと思います。
掛け値なしの傑作ですので、
僕のことを信じて頂けるなら、
何を置いても是非劇場にお急ぎ下さい。
勿論好みというものはありますから、
全ての方が同じように感動するかは分かりませんが、
このお芝居が本当の本物であることだけは、
全ての方が感じて頂けると信じています。
以下内容に少し踏み込みます。
大きなネタバレはしませんが、
先入観なく鑑賞したい方は、
観終わった後にお読み下さい。
開場からポップな装飾のお屋敷と思しきような場所で、
10人以上の子供なのか少女なのか大人なのか、
良く分からないような女優さん達が、
思い思いに遊んでいる姿は、
何だかあまりに雑然としていて、
とても面白いお芝居になりそうには思えないのですが、
ところがどうしてどうして、
そこから緻密な群像劇が立ち上がると、
意外にも膨らみを持った物語は、
感動的なエンディングまで一気呵成に走り抜けます。
21人のキャストを過不足なく描き分けるだけでも超人的ですが、
物語が中段にさしかかる時には、
その全員が何か僕達の記憶の中に生きているような気分になり、
僕達の記憶の一部に入り込んでくるような錯覚に陥るのです。
そして感動的なラストでは、
根本さんの定番の趣向である、
過去の自分が現在の自分に呼びかけるという構図が、
より切実さを持って描かれ、
観客の誰もが一緒に同じことを呼びかけているような、
そんな錯覚にすら陥るのです。
切なく感動的で、
素晴らしいラストだったと思います。
中学生の「真ん中を目指す」というやり取りの中に、
大人の社会の縮図のようなものを描くという手法は、
昨年の三谷幸喜さんの「子供の事情」が意識されているように思います。
ただ、その風景が更に相対化されるという点では、
この作品は三谷さんの作品の更に上を行っていると思いますし、
そのいじめや格差、自意識過剰におぼれた世界へのシニカルな視線は、
より鋭く深い洞察に満ちていると思います。
更に僕がこの作品を好きなのは、
この作品が純然たる小劇場演劇のスタイルを守っていて、
かつてのアングラに通底する、
美意識をまた持っていると言う点にあります。
キャストのある種の異様さは、
寺山修司の見世物演劇を彷彿とさせる部分がありますし、
テンションの高い一人語りの呼吸は、
唐先生のテント芝居に繋がる息づかいを感じさせます。
つまり、根本さんの芝居は、
紛れもなく現在の芝居であり、
そこで語られる言葉は、
この社会の肉を斬り、
血を迸らせるところから発せられるものですが、
それでいて彼女の演劇DNAは、
深い部分でアングラの地下水脈に繋がっているのです。
役者を調教する演出も冴え渡っていて、
セット構成も、
対角線に倒れた柱が、
時間という断層を切り裂くというアイデアなど、
随所に天才を見せつけています。
唯一僕が不満なのは、
今のお芝居の常で説明過多なところで、
エリート少女の没落を、
侍女の台詞で説明してしまうのですが、
これは台詞自体不自然ですし、
暗示にとどめる程度で良かったように思いました。
ただ、これは昔の難解芝居好きの、
悪い癖かも知れません。
あまり明快に説明されると逆に醒めてしまうのです。
しかし、それを割り引いても、
この部分は流れが悪かったと思います。
ただ、そうした些細な瑕など問題にならないテンションで、
これだけ充実した内容が、
1時間半に濃縮されているのが素晴らしく、
これを観ると、
2時間を超えるダラダラ芝居の多くが、
ただの馬鹿の繰り言のようにしか感じられないのです。
ともかく、「観て!」としか言えない傑作で、
強く強くお薦めしたいと思います。
真面目に凄いですよ。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2018-05-03 07:29
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