「祈りの幕が下りる時」(東野圭吾原作) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
東野圭吾の新参者のシリーズの長編を、
ドラマのキャストそのままに映画化した、
「祈りの幕が下りる時」を観て来ました。
最初に注意点がありますが、
今回の記事の中では、
「祈りの幕が下りる時」および「容疑者Xの献身」、
「砂の器」の内容に少し踏み込んだ部分があります。
完全なネタバレではありませんが、
先入観なく作品をお読みになりたい方は、
この3作品の原作をお読みになった後で、
以下には目をお通し下さい。
よろしいでしょうか?
では続けます。
これは最初に原作を読みました。
東野さんは結構癖のある作家で、
その出来不出来にはかなりの波がありますし、
その内容も読みやすいライトノベルのようでいて、
かなりひねくれた意地の悪い部分があり、
一筋縄ではゆきません。
この作品については、
松本清張さんをかなり意識していて、
特に「砂の器」を下敷きにしています。
それも、原作よりむしろ、
野村芳太郎監督による映画版の「砂の器」です。
映画の「砂の器」は原作を大幅に変えていて、
清張さんとしては本格ミステリーに振れている原作を、
目茶苦茶単純化して、
父と子の宿命の感動作に変えてしまった、
ある意味かなり原作を冒涜するような作品です。
ただ、これが大ヒットしたので、
その後ドラマ化された「砂の器」は、
原作通りではなく、
映画版を元にするようになりました。
「祈りの幕が下りる時」のプロットは、
勿論「砂の器」とは別物なのですが、
ある過去の秘密が善意の第三者に暴かれてしまったために、
その善人を殺さざるを得なくなる、
という基本ラインは一緒です。
そこにもう1人謎の男が登場して、
その正体は誰なのか、
というところに東野さんらしいひねりがあります。
探偵役は世代の違う2人の刑事で、
これは新参者のシリーズの元々の設定である訳ですが、
この作品においては、
2人の捜査は明らかに、
映画版「砂の器」の丹波哲郎と森田健作を、
イメージして書かれています。
そして、映画版「砂の器」の特徴的な場面と言えば、
捜査会議で探偵役の刑事が事件の真相を説明し、
それと実際の犯人の舞台、
そして過去の回想とがシンクロすることと、
父と子が日本の原風景の中を放浪するところですが、
「祈りの幕が下りる時」の原作でも、
ちゃんとそうした場面が用意されていて、
映画的なクライマックスが書かれています。
この原作は相当に映画版「砂の器」に寄せているのです。
今回の映画版「祈りの幕が下りる時」は、
それを理解した映画化になっていて、
かなり映画の「砂の器」に寄せています。
まず、デカデカと字幕を出して、
事件の説明などをしてしまうというあざとい趣向が、
そのままに使われています。
クライマックスでは父と子が放浪し、
そこにテーマ曲が執拗に流れ、
それが捜査本部での事件の説明とシンクロする、
というところまで「砂の器」が模倣されています。
ただ、「砂の器」が、
原作とは別物のお話になっているのとは対象的に、
今回の映画は原作をほぼそのまま活かしていて、
少しカットされた人間関係などはありますが、
ほぼほぼトリックなども含めて、
原作をそのままに映像化しています。
これは原作が元々映画を意識しているということもあるのですが、
それでもこの複雑な原作を、
ほぼそのままに2時間の尺に納めた構成と台本の妙は、
賞賛されても良い見事さだと思います。
また、主人公が真相に気付く場面の、
あざといくらいの迫力や、
阿部寛さんと松嶋菜々子さんが最初に対決する場面の凄みなどは、
なかなか気合いが入っていて見応えがありました。
ただ、この映画で非常に残念だったのは、
話の核でもある小日向文世さんの芝居で、
老け役の場面はそのまま自然に演じれば、
ほぼ同年代の役であるのに、
大河ドラマの悪影響でしょうか、
妙に芝居がかった変な演技で、
不自然で見るに堪えない感じですし、
回想での若い時の場面は、
おかしなカツラを着けての芝居が、
そちらもわざとらしくて見ていられません。
更に及川光博さんが老け役をしているのですが、
メイクがあまりに酷くて稚拙で、
笑ってしまうようなレベルです。
何故こんなことになってしまったのでしょうか?
阿部寛さんや松嶋菜々子さんの芝居は悪くなかっただけに、
実に残念でなりません。
そんな訳で納得のゆかないことも多かったのですが、
ミステリー映画としては、
かなり頑張って作ったと思いますし、
東野作品の忠実な映像化としても、
一定の意義のある作品ではあったと思います。
ミステリーファンにはお勧めは出来る映画です。
ただ、最初に「容疑者Xの献身」のトリックを、
捨てネタで使っているので(原作と映画とも)、
くれぐれも「容疑者Xの献身」より先には、
「祈りの幕が下りる時」は読まないようにして下さい。
相当に後悔します。
こういうところも、
東野さんは意地が悪いと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
東野圭吾の新参者のシリーズの長編を、
ドラマのキャストそのままに映画化した、
「祈りの幕が下りる時」を観て来ました。
最初に注意点がありますが、
今回の記事の中では、
「祈りの幕が下りる時」および「容疑者Xの献身」、
「砂の器」の内容に少し踏み込んだ部分があります。
完全なネタバレではありませんが、
先入観なく作品をお読みになりたい方は、
この3作品の原作をお読みになった後で、
以下には目をお通し下さい。
よろしいでしょうか?
では続けます。
これは最初に原作を読みました。
東野さんは結構癖のある作家で、
その出来不出来にはかなりの波がありますし、
その内容も読みやすいライトノベルのようでいて、
かなりひねくれた意地の悪い部分があり、
一筋縄ではゆきません。
この作品については、
松本清張さんをかなり意識していて、
特に「砂の器」を下敷きにしています。
それも、原作よりむしろ、
野村芳太郎監督による映画版の「砂の器」です。
映画の「砂の器」は原作を大幅に変えていて、
清張さんとしては本格ミステリーに振れている原作を、
目茶苦茶単純化して、
父と子の宿命の感動作に変えてしまった、
ある意味かなり原作を冒涜するような作品です。
ただ、これが大ヒットしたので、
その後ドラマ化された「砂の器」は、
原作通りではなく、
映画版を元にするようになりました。
「祈りの幕が下りる時」のプロットは、
勿論「砂の器」とは別物なのですが、
ある過去の秘密が善意の第三者に暴かれてしまったために、
その善人を殺さざるを得なくなる、
という基本ラインは一緒です。
そこにもう1人謎の男が登場して、
その正体は誰なのか、
というところに東野さんらしいひねりがあります。
探偵役は世代の違う2人の刑事で、
これは新参者のシリーズの元々の設定である訳ですが、
この作品においては、
2人の捜査は明らかに、
映画版「砂の器」の丹波哲郎と森田健作を、
イメージして書かれています。
そして、映画版「砂の器」の特徴的な場面と言えば、
捜査会議で探偵役の刑事が事件の真相を説明し、
それと実際の犯人の舞台、
そして過去の回想とがシンクロすることと、
父と子が日本の原風景の中を放浪するところですが、
「祈りの幕が下りる時」の原作でも、
ちゃんとそうした場面が用意されていて、
映画的なクライマックスが書かれています。
この原作は相当に映画版「砂の器」に寄せているのです。
今回の映画版「祈りの幕が下りる時」は、
それを理解した映画化になっていて、
かなり映画の「砂の器」に寄せています。
まず、デカデカと字幕を出して、
事件の説明などをしてしまうというあざとい趣向が、
そのままに使われています。
クライマックスでは父と子が放浪し、
そこにテーマ曲が執拗に流れ、
それが捜査本部での事件の説明とシンクロする、
というところまで「砂の器」が模倣されています。
ただ、「砂の器」が、
原作とは別物のお話になっているのとは対象的に、
今回の映画は原作をほぼそのまま活かしていて、
少しカットされた人間関係などはありますが、
ほぼほぼトリックなども含めて、
原作をそのままに映像化しています。
これは原作が元々映画を意識しているということもあるのですが、
それでもこの複雑な原作を、
ほぼそのままに2時間の尺に納めた構成と台本の妙は、
賞賛されても良い見事さだと思います。
また、主人公が真相に気付く場面の、
あざといくらいの迫力や、
阿部寛さんと松嶋菜々子さんが最初に対決する場面の凄みなどは、
なかなか気合いが入っていて見応えがありました。
ただ、この映画で非常に残念だったのは、
話の核でもある小日向文世さんの芝居で、
老け役の場面はそのまま自然に演じれば、
ほぼ同年代の役であるのに、
大河ドラマの悪影響でしょうか、
妙に芝居がかった変な演技で、
不自然で見るに堪えない感じですし、
回想での若い時の場面は、
おかしなカツラを着けての芝居が、
そちらもわざとらしくて見ていられません。
更に及川光博さんが老け役をしているのですが、
メイクがあまりに酷くて稚拙で、
笑ってしまうようなレベルです。
何故こんなことになってしまったのでしょうか?
阿部寛さんや松嶋菜々子さんの芝居は悪くなかっただけに、
実に残念でなりません。
そんな訳で納得のゆかないことも多かったのですが、
ミステリー映画としては、
かなり頑張って作ったと思いますし、
東野作品の忠実な映像化としても、
一定の意義のある作品ではあったと思います。
ミステリーファンにはお勧めは出来る映画です。
ただ、最初に「容疑者Xの献身」のトリックを、
捨てネタで使っているので(原作と映画とも)、
くれぐれも「容疑者Xの献身」より先には、
「祈りの幕が下りる時」は読まないようにして下さい。
相当に後悔します。
こういうところも、
東野さんは意地が悪いと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2018-03-31 08:10
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