ピンター「管理人」(2017年森新太郎演出版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
今日は休みなので趣味の話題です。
今日はこちら。
ハロルド・ピンターの、
あまり日本では上演されない初期の出世作を、
翻訳劇の演出では今日本一と言って良い森新太郎さんが演出し、
男三人の魅力的なキャストによる公演が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。
ピンターは世界的な劇作家でノーベル賞も受賞していますが、
如何にもヨーロッパのスタイルの不条理劇で、
イギリスの風俗劇としての部分も大きいので、
翻訳上演にあまり適した戯曲とは言えません。
これまで「背信」や「ダムウェイター」など、
何本かの舞台を観ましたが、
眠気との過酷な闘いになり、
正直何処が面白いやら、
後で戯曲を読んでも良く分かりません。
上演自体もあまり説得力のあるものではなく、
何か手探り感の強いものでした。
今回の舞台はさすが森新太郎さんという感じはあり、
演出は繊細で練り上げられていますし、
緻密に造られたゴミ屋敷のセットは見事な仕上がりですし、
キャストも相当に頑張っていました。
それでも内容自体はそう咀嚼し易いものではなく、
モヤモヤした感じは残るのですが、
少なくとも僕がこれまで観たピンターの上演の中ではピカ一で、
森さんの手ほどきをもって初めて、
ピンターの芝居とはどういうものかが、
少しだけ分かったような気がしました。
以下ネタばれを含む感想です。
観劇予定の方は観劇後にお読みください。
設定は1960年のロンドンで、
ゴミに溢れた閉塞感のある部屋が舞台です。
忍成さん演じる兄と溝端さん演じる弟が、
その部屋を巡ってさや当てを演じています。
精神を病んでいる兄は、
何も捨てるということが出来ず、
他人とも関わりを持つこともなく、
ゴミだらけの部屋の中で無為な日常を続けています。
弟は部屋をリフォームして貸し出すことで、
新しい生活を始めようとしていますが、
兄への愛情もまた持ってはいるようです。
ただ、兄弟の言うことは細部では食い違っていて、
どちらが正しいのかは分かりません。
そこに「ゴミ」として仕事をクビになったばかりのろくでなしの老人を、
ある日兄が拾って来ます。
温水さん演じるこの老人は、
最初はすぐに次の仕事を探そうと、
前向きの気持ちも持っているのですが、
兄に勧められるままに部屋で寝起きするようになると、
次第にそこでの無為な生活を守る気持ちが強くなり、
「家主」である兄への不平不満を主張するようになります。
そこに弟が「部屋の管理人として兄の面倒を見て欲しい」
というような気を惹くことを言うので、
すっかり調子に乗って、
兄を管理するような態度を見せ始めます。
老人は一旦兄と決裂し、
兄を追い出そうと弟を頼るのですが、
豹変した弟から攻撃を受け、
最後は部屋に置いてくれることだけを兄に懇願するのですが、
それも拒絶されて絶望の淵に苦しんで幕が下ります。
そもそも老人はそこに泊まるつもりさえなく、
翌日には友人や伝手を辿って、
次の仕事やねぐらを探すつもりであったのですから、
別にそこを出ろと言われたところで、
絶望する必要などなかったのですが、
一度「管理人」という待遇を与えられると、
それがただの幻影に過ぎなくても、
そこに囚われて縋り付かざるを得なくなってしまうのです。
人間に与えられる役割と、
仕事というものの本質に対する、
皮肉で冷徹な視点とシュールな遣り取りが、
さすがヨーロッパの不条理劇という感じがします。
演出の森新太郎さんは、
個人的には蜷川幸雄さん亡き後、
最も信頼している翻訳劇演出のエキスパートで、
常に原作をノーカットで、
ト書きにも極力忠実に上演するという姿勢が、
何より誠実で素晴らしいと思います。
今回もイギリスの風俗満載の、
日本で上演することは困難な戯曲を、
3人の役者さんの個性を巧みに活かしながら、
分かりやすく肉付けする手腕が見事で、
美しいセットと照明の技巧とも相俟って、
完成度の高い世界を作り上げています。
キャストはメインの温水洋一さんが、
いつもの自然体とはまた違った、
熱量のある振幅の大きな芝居を見せていて、
温水さんの舞台での代表作の1つと言っても、
良いのではないかと思いました。
特に後半の居丈高になる様子とその後の卑屈との落差は、
人間というものの無残さと哀れさを体現して、
見事な造形でした。
また特筆するべきは、
精神を病んだ兄を繊細かつ不気味に演じた、
映像でも屈折した役柄の多い忍成修吾さんで、
オープニングの闇を秘めた優しさの表現から、
長大で振幅の大きな独白、
そして最後の温水さんを突き放す後ろ姿まで、
舞台役者としての忍成さんの実力を、
見せつけるような舞台になっていたと思います。
驚きましたし感心しました。
これからも是非舞台を続けて欲しいと思います。
これだけの舞台役者はざらにはいません。
勿論溝端さんも華のある熱演で、
3人のアンサンブルが今回は素晴らしかったと思います。
そんな訳で、
作品の内容や難解さからして、
とても万人向けの芝居とは言えないのですが、
日本でのピンターの上演の中でも特筆すべき舞台で、
演劇の素晴らしさを体感出来るレベルの高い上演だと思います。
お薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
今日は休みなので趣味の話題です。
今日はこちら。
ハロルド・ピンターの、
あまり日本では上演されない初期の出世作を、
翻訳劇の演出では今日本一と言って良い森新太郎さんが演出し、
男三人の魅力的なキャストによる公演が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。
ピンターは世界的な劇作家でノーベル賞も受賞していますが、
如何にもヨーロッパのスタイルの不条理劇で、
イギリスの風俗劇としての部分も大きいので、
翻訳上演にあまり適した戯曲とは言えません。
これまで「背信」や「ダムウェイター」など、
何本かの舞台を観ましたが、
眠気との過酷な闘いになり、
正直何処が面白いやら、
後で戯曲を読んでも良く分かりません。
上演自体もあまり説得力のあるものではなく、
何か手探り感の強いものでした。
今回の舞台はさすが森新太郎さんという感じはあり、
演出は繊細で練り上げられていますし、
緻密に造られたゴミ屋敷のセットは見事な仕上がりですし、
キャストも相当に頑張っていました。
それでも内容自体はそう咀嚼し易いものではなく、
モヤモヤした感じは残るのですが、
少なくとも僕がこれまで観たピンターの上演の中ではピカ一で、
森さんの手ほどきをもって初めて、
ピンターの芝居とはどういうものかが、
少しだけ分かったような気がしました。
以下ネタばれを含む感想です。
観劇予定の方は観劇後にお読みください。
設定は1960年のロンドンで、
ゴミに溢れた閉塞感のある部屋が舞台です。
忍成さん演じる兄と溝端さん演じる弟が、
その部屋を巡ってさや当てを演じています。
精神を病んでいる兄は、
何も捨てるということが出来ず、
他人とも関わりを持つこともなく、
ゴミだらけの部屋の中で無為な日常を続けています。
弟は部屋をリフォームして貸し出すことで、
新しい生活を始めようとしていますが、
兄への愛情もまた持ってはいるようです。
ただ、兄弟の言うことは細部では食い違っていて、
どちらが正しいのかは分かりません。
そこに「ゴミ」として仕事をクビになったばかりのろくでなしの老人を、
ある日兄が拾って来ます。
温水さん演じるこの老人は、
最初はすぐに次の仕事を探そうと、
前向きの気持ちも持っているのですが、
兄に勧められるままに部屋で寝起きするようになると、
次第にそこでの無為な生活を守る気持ちが強くなり、
「家主」である兄への不平不満を主張するようになります。
そこに弟が「部屋の管理人として兄の面倒を見て欲しい」
というような気を惹くことを言うので、
すっかり調子に乗って、
兄を管理するような態度を見せ始めます。
老人は一旦兄と決裂し、
兄を追い出そうと弟を頼るのですが、
豹変した弟から攻撃を受け、
最後は部屋に置いてくれることだけを兄に懇願するのですが、
それも拒絶されて絶望の淵に苦しんで幕が下ります。
そもそも老人はそこに泊まるつもりさえなく、
翌日には友人や伝手を辿って、
次の仕事やねぐらを探すつもりであったのですから、
別にそこを出ろと言われたところで、
絶望する必要などなかったのですが、
一度「管理人」という待遇を与えられると、
それがただの幻影に過ぎなくても、
そこに囚われて縋り付かざるを得なくなってしまうのです。
人間に与えられる役割と、
仕事というものの本質に対する、
皮肉で冷徹な視点とシュールな遣り取りが、
さすがヨーロッパの不条理劇という感じがします。
演出の森新太郎さんは、
個人的には蜷川幸雄さん亡き後、
最も信頼している翻訳劇演出のエキスパートで、
常に原作をノーカットで、
ト書きにも極力忠実に上演するという姿勢が、
何より誠実で素晴らしいと思います。
今回もイギリスの風俗満載の、
日本で上演することは困難な戯曲を、
3人の役者さんの個性を巧みに活かしながら、
分かりやすく肉付けする手腕が見事で、
美しいセットと照明の技巧とも相俟って、
完成度の高い世界を作り上げています。
キャストはメインの温水洋一さんが、
いつもの自然体とはまた違った、
熱量のある振幅の大きな芝居を見せていて、
温水さんの舞台での代表作の1つと言っても、
良いのではないかと思いました。
特に後半の居丈高になる様子とその後の卑屈との落差は、
人間というものの無残さと哀れさを体現して、
見事な造形でした。
また特筆するべきは、
精神を病んだ兄を繊細かつ不気味に演じた、
映像でも屈折した役柄の多い忍成修吾さんで、
オープニングの闇を秘めた優しさの表現から、
長大で振幅の大きな独白、
そして最後の温水さんを突き放す後ろ姿まで、
舞台役者としての忍成さんの実力を、
見せつけるような舞台になっていたと思います。
驚きましたし感心しました。
これからも是非舞台を続けて欲しいと思います。
これだけの舞台役者はざらにはいません。
勿論溝端さんも華のある熱演で、
3人のアンサンブルが今回は素晴らしかったと思います。
そんな訳で、
作品の内容や難解さからして、
とても万人向けの芝居とは言えないのですが、
日本でのピンターの上演の中でも特筆すべき舞台で、
演劇の素晴らしさを体感出来るレベルの高い上演だと思います。
お薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2017-12-03 07:43
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