「海辺の生と死」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
「死の棘」で有名な作家の島尾敏雄の奥さんのミホさんが、
小児期から夫との出逢いまでを過ごした、
奄美の島の思い出を綴った作品に、
同じ出逢いの頃をモチーフにした、
島尾敏雄さんの短編小説などを組み合わせて、
昭和20年終戦直前の奄美を描いた映画を、
新宿の単館ロードショーで観て来ました。
上映開始から3週間近く経った金曜日でしたが、
客席は結構埋まっていました。
島尾さんの作品は矢張り「死の棘」が圧倒的で、
僕は大学生の時に読みました。
山崎哲さんがこの作品をアレンジして、
「うお傳説」という戯曲を書き、
僕は実際の舞台を観てはいなかったのですが、
一時期取り憑かれたようにその戯曲に拘り、
一度2人芝居に構成して大学で上演したことがあります。
「死の棘」は夫の浮気で狂気に陥った妻と、
夫との壮絶な葛藤を描いた作品で、
現実を素材にしていながら、
現実の裂け目のような部分から、
幻想や神話的な世界が、
現実を侵食し覆い尽くすような描写が強烈です。
その神話的な幻想の元になっていたのが、
島尾敏雄さんとミホさんが、
最初に出逢った昭和19年から20年の奄美のカゲロウ島です。
海軍中尉として150名余り(物語や記録によって差があり)の兵隊を率い、
一旦敵兵が島に近づけば、
簡素な舟での特攻を命じられた島尾中尉は、
昭和19年にカゲロウ島に赴任します。
そこで島で少女時代を過ごしたミホと出逢った島尾中尉は、
突撃と死の気配が濃厚に漂う南の島で、
ミホと恋に落ちて密かに逢瀬を交わし、
昭和20年8月13日に出撃のために待機せよ、
という命令が出た夜に、
中尉が出撃したら自分も死ぬと心に決めたミホと、
深夜の浜辺で抱き合い、
ミホはそのまま浜辺で朝を迎えますが、
結局出撃命令は出ないまま、
15日の終戦を迎えるのです。
この現実と言うにはあまりにドラマチックな出来事を、
島尾敏雄さんは昭和21年に「島の果て」という短編で、
朔中尉とトエという名前に変えて描き、
昭和37年には「出発は遂に訪れず」として再度描いています。
また島尾ミホさん自身が、
「海辺の生と死」というエッセイ集を出し、
その中にある「その夜」という原稿も同じ出来事を、
ミホの視点から描いています。
今回の映画は朔中尉とトエという、
島尾敏雄さんの小説にある名前を用いて、
朔中尉の昭和19年のガゲロウ島への赴任から、
昭和20年8月15日の終戦までを、
ほぼその2人だけの物語として描いています。
舞台は実際に奄美諸島を中心としたロケーションを行なっていて、
奄美の言葉が字幕付きで使われ、
多くの島唄も使用されています。
トエ役の満島ひかりさんや、
育ての父役の津嘉山正種さんも沖縄出身ですから、
奄美というリアルに非常にこだわった作品になっています。
オープニングはカゲロウ島の峠の道を、
トエが世話をやいている子供達と一緒に、
笑いながら歩くところから始まります。
そこで赴任した朔中尉と初めて出逢い、
峠の道はこれから通行は出来なくなる、
と告げられます。
島の景色は常に俯瞰ではなく近接で切り取られ、
役者さんの台詞は全てゆったりとした棒読みで語られ、
現実より明らかに長い間合いが取られています。
独特の雰囲気で、
何処か東欧の映画や台湾の映画などを思わせるタッチです。
この辺りはなかなか悪くないな、
と思って観ていたのですが、
物語が進んでも、
全く揺らがない淡々としたテンポのままなので、
段々観ているのがしんどくなって来ます。
この物語をしっかりと語るためには、
駐屯していた部隊の様子や、
次第に近づく戦乱の気配、
相次ぐ島への空襲などが、
ある程度の説得力を持って、
描かれなければいけないと思うのですが、
この映画では予算の関係もあるのだとは思いますが、
その辺りはかなりお粗末です。
部隊と言っても10人くらいしか兵隊は登場しませんし、
どのように駐屯しているのかも不明確です。
空襲の場面は1回だけ登場しますが、
安っぽいCGの飛行機が見え、
満島ひかりさんと子供達が逃げるところに、
これもCGでリアルさの欠片もない銃撃が、
ちょこっと描かれるだけです。
8月13日の夜には、
住民に防空壕で自決の命令が出たように、
原作の「その夜」では描かれているのですが、
映画ではその顛末がイメージ的にしか描かれていないので、
何が起こったのか皆目分からないような描写になっています。
イメージ優先の映画でも問題はないのですが、
そうであれば、
全体の核になるような印象的な場面や、
決定的な場面が必要であると思うのです。
それが残念ながらこの作品にはないように思います。
一番核になる場面は8月13日の海辺の邂逅だと思うのですが、
夜の海辺に固定されたキャメラで、
長い長いワンカットで撮影されています。
これがどうも非常に不自然で動きのない場面で、
抱き合ったままボソボソと内容のない台詞を、
アフレコで流しているだけです。
構図も平面的で面白くないですし、
これは何かのギャグなのでしょうか?
もし真面目に撮ったのだとしたら、
ちょっとその神経を疑う感じです。
トエが海に向かう前に裸体になって水をかぶるのですが、
その時に黄色い光が射して、
そちらを向いてトエは笑顔を浮かべます。
これは照明弾のようなものが落ちたからなのですが、
映画を観ても良く分かりません。
(原作では天岩戸が開いた瞬間を、
を主人公は思い浮かべています)
また、海辺での逢瀬の後に、
もういなくなった彼の砂に残った足跡を見て、
その部分の砂を自分に抱き寄せるのですが、
その部分も映画では分かりにくかったと感じました。
それからラスト近くに、
主人公のトエが自宅に戻って来ると、
縁側に座っている育ての父が、
「今日も暑くなりそうだな」
とポツリと呟く場面があって、
どうしてここで「東京物語」をしないといけないのか、
そのセンスにも脱力するような感じがあります。
役者さんは皆熱演で、
奄美の風景は美しく、
島唄の数々も印象的ですから、
そうした意味では良いところのある映画なのですが、
あまりに長く(2時間半を超える)
観客に緊張のみを強いるところは問題で、
そうした忍耐に相応しい魅力が、
あまりないように思えるところが、
問題であったように思います。
個人的には原作の「海辺の生と死」にあった、
奄美の風俗の描写などを前半に描いて、
主人公2人の逢瀬については後半に絞った方が、
作品としては収束感が増して良かったのではないかと思いました。
最近は日本映画を積極的に観ようと思って、
色々と観てはいるのですが、
僕の選択に失敗があるためか、
どうも独りよがりな感じの作品が多くて、
睡魔に襲われることも多いのがちょっと残念です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
「死の棘」で有名な作家の島尾敏雄の奥さんのミホさんが、
小児期から夫との出逢いまでを過ごした、
奄美の島の思い出を綴った作品に、
同じ出逢いの頃をモチーフにした、
島尾敏雄さんの短編小説などを組み合わせて、
昭和20年終戦直前の奄美を描いた映画を、
新宿の単館ロードショーで観て来ました。
上映開始から3週間近く経った金曜日でしたが、
客席は結構埋まっていました。
島尾さんの作品は矢張り「死の棘」が圧倒的で、
僕は大学生の時に読みました。
山崎哲さんがこの作品をアレンジして、
「うお傳説」という戯曲を書き、
僕は実際の舞台を観てはいなかったのですが、
一時期取り憑かれたようにその戯曲に拘り、
一度2人芝居に構成して大学で上演したことがあります。
「死の棘」は夫の浮気で狂気に陥った妻と、
夫との壮絶な葛藤を描いた作品で、
現実を素材にしていながら、
現実の裂け目のような部分から、
幻想や神話的な世界が、
現実を侵食し覆い尽くすような描写が強烈です。
その神話的な幻想の元になっていたのが、
島尾敏雄さんとミホさんが、
最初に出逢った昭和19年から20年の奄美のカゲロウ島です。
海軍中尉として150名余り(物語や記録によって差があり)の兵隊を率い、
一旦敵兵が島に近づけば、
簡素な舟での特攻を命じられた島尾中尉は、
昭和19年にカゲロウ島に赴任します。
そこで島で少女時代を過ごしたミホと出逢った島尾中尉は、
突撃と死の気配が濃厚に漂う南の島で、
ミホと恋に落ちて密かに逢瀬を交わし、
昭和20年8月13日に出撃のために待機せよ、
という命令が出た夜に、
中尉が出撃したら自分も死ぬと心に決めたミホと、
深夜の浜辺で抱き合い、
ミホはそのまま浜辺で朝を迎えますが、
結局出撃命令は出ないまま、
15日の終戦を迎えるのです。
この現実と言うにはあまりにドラマチックな出来事を、
島尾敏雄さんは昭和21年に「島の果て」という短編で、
朔中尉とトエという名前に変えて描き、
昭和37年には「出発は遂に訪れず」として再度描いています。
また島尾ミホさん自身が、
「海辺の生と死」というエッセイ集を出し、
その中にある「その夜」という原稿も同じ出来事を、
ミホの視点から描いています。
今回の映画は朔中尉とトエという、
島尾敏雄さんの小説にある名前を用いて、
朔中尉の昭和19年のガゲロウ島への赴任から、
昭和20年8月15日の終戦までを、
ほぼその2人だけの物語として描いています。
舞台は実際に奄美諸島を中心としたロケーションを行なっていて、
奄美の言葉が字幕付きで使われ、
多くの島唄も使用されています。
トエ役の満島ひかりさんや、
育ての父役の津嘉山正種さんも沖縄出身ですから、
奄美というリアルに非常にこだわった作品になっています。
オープニングはカゲロウ島の峠の道を、
トエが世話をやいている子供達と一緒に、
笑いながら歩くところから始まります。
そこで赴任した朔中尉と初めて出逢い、
峠の道はこれから通行は出来なくなる、
と告げられます。
島の景色は常に俯瞰ではなく近接で切り取られ、
役者さんの台詞は全てゆったりとした棒読みで語られ、
現実より明らかに長い間合いが取られています。
独特の雰囲気で、
何処か東欧の映画や台湾の映画などを思わせるタッチです。
この辺りはなかなか悪くないな、
と思って観ていたのですが、
物語が進んでも、
全く揺らがない淡々としたテンポのままなので、
段々観ているのがしんどくなって来ます。
この物語をしっかりと語るためには、
駐屯していた部隊の様子や、
次第に近づく戦乱の気配、
相次ぐ島への空襲などが、
ある程度の説得力を持って、
描かれなければいけないと思うのですが、
この映画では予算の関係もあるのだとは思いますが、
その辺りはかなりお粗末です。
部隊と言っても10人くらいしか兵隊は登場しませんし、
どのように駐屯しているのかも不明確です。
空襲の場面は1回だけ登場しますが、
安っぽいCGの飛行機が見え、
満島ひかりさんと子供達が逃げるところに、
これもCGでリアルさの欠片もない銃撃が、
ちょこっと描かれるだけです。
8月13日の夜には、
住民に防空壕で自決の命令が出たように、
原作の「その夜」では描かれているのですが、
映画ではその顛末がイメージ的にしか描かれていないので、
何が起こったのか皆目分からないような描写になっています。
イメージ優先の映画でも問題はないのですが、
そうであれば、
全体の核になるような印象的な場面や、
決定的な場面が必要であると思うのです。
それが残念ながらこの作品にはないように思います。
一番核になる場面は8月13日の海辺の邂逅だと思うのですが、
夜の海辺に固定されたキャメラで、
長い長いワンカットで撮影されています。
これがどうも非常に不自然で動きのない場面で、
抱き合ったままボソボソと内容のない台詞を、
アフレコで流しているだけです。
構図も平面的で面白くないですし、
これは何かのギャグなのでしょうか?
もし真面目に撮ったのだとしたら、
ちょっとその神経を疑う感じです。
トエが海に向かう前に裸体になって水をかぶるのですが、
その時に黄色い光が射して、
そちらを向いてトエは笑顔を浮かべます。
これは照明弾のようなものが落ちたからなのですが、
映画を観ても良く分かりません。
(原作では天岩戸が開いた瞬間を、
を主人公は思い浮かべています)
また、海辺での逢瀬の後に、
もういなくなった彼の砂に残った足跡を見て、
その部分の砂を自分に抱き寄せるのですが、
その部分も映画では分かりにくかったと感じました。
それからラスト近くに、
主人公のトエが自宅に戻って来ると、
縁側に座っている育ての父が、
「今日も暑くなりそうだな」
とポツリと呟く場面があって、
どうしてここで「東京物語」をしないといけないのか、
そのセンスにも脱力するような感じがあります。
役者さんは皆熱演で、
奄美の風景は美しく、
島唄の数々も印象的ですから、
そうした意味では良いところのある映画なのですが、
あまりに長く(2時間半を超える)
観客に緊張のみを強いるところは問題で、
そうした忍耐に相応しい魅力が、
あまりないように思えるところが、
問題であったように思います。
個人的には原作の「海辺の生と死」にあった、
奄美の風俗の描写などを前半に描いて、
主人公2人の逢瀬については後半に絞った方が、
作品としては収束感が増して良かったのではないかと思いました。
最近は日本映画を積極的に観ようと思って、
色々と観てはいるのですが、
僕の選択に失敗があるためか、
どうも独りよがりな感じの作品が多くて、
睡魔に襲われることも多いのがちょっと残念です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2017-08-20 12:49
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