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マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
マームとジプシー.jpg
最近時々観るようになったマームとジプシーの、
10周年記念公演の1本、
「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとー」
の彩の国の公演に足を運びました。
彩の国は遠いので休日を潰さないと行けないのがきついです。

この作品は僕は初見ですが、
これまでの3本の作品を再構成して2014年に上演され、
今回は10周年を記念とした再演ということのようです。

藤田貴大さんの劇作はこうした作品が非常に多く、
普通はこうした過去作品の再構成や総集編という趣向は、
オリジナルより落ちるものになることが多いと思うのですが、
不思議とそうはなっていないのは、
藤田さんの劇作は寺山修司と同じように、
同じテーマを複数の作品で分析的に繰り返すので、
その構成を変更することは、
あまり作品の質を変えることはないのかも知れません。

今回の作品はチェホフの「三人姉妹」のバリエーションで、
本当に演劇の人はチェホフが好きだなあ、
という気がします。
2人の女性と1人の男性の兄弟がいて、
長女が東京に出るところから、
少しずつ家族は家を離れ、
次女も家を離れて長男と父親だけが家に残されたところで、
父親の急病による入院から死で家に家族が集まり、
翌年の一周忌での集まりの夜が、
物語の中心となります。

その場で家が新しい道路の用地として取り壊される対象となり、
家がなくなり道になった10年後に、
もう一度3人の兄弟が集って物語は終わります。

特にドラマチックな展開があるということではなく、
ある種の普遍的な風景として、
当たり前に見えた家族の食卓と、
それが家族の死や人間の成長と旅立ち、
などによって変容し、
最後には取り壊しによって家自体がなくなるまでが、
ある種淡々と描かれます。

戯曲の文体は家族のその場での日常会話と、
その個人が現在から過去のその時点を思い返して、
思い出や悔恨や切なさを語る独白とが、
そのまま綴れ織りのように絡み合う構成が面白く、
それが同じ場面を前後などの角度を変えて繰り返したり、
役者さんが回転すると時間が飛ぶような、
独特の演出と相俟って、
非常に自然に時間と空間を行き来して、
現在が一瞬にして思い出に変容するという、
人間の心の不思議を鮮やかに視覚化しています。

今回は特に家族の象徴ともいうべき家がなくなるという、
多くの人が思い当たる部分があるであろう、
内なる故郷の喪失というテーマなので、
枠組みだけの大きな家のセットを舞台に組んで、
即座にそれを解体するという視覚的な効果とも相俟って、
なかなか抒情的で忘れがたい部分のある1作になっていたと思います。

かつて水死した少年に海で救われた少女が、
大人になってその町に戻って来て、
海を訪れて主人公達に出逢う、
という脇筋などもなかなか面白く、
複数の作品を組み合わせる構成の妙を感じました。

ただ、幾つか不満もあります。

3世代に渡る物語なのですが、
親子を同じくらいの年齢の役者さんが演じていて、
衣装も中途半端に白いもので統一されているので、
かなり人物関係の分かりにくい部分がありました。
近所のおばさん役の役者さんの芝居も、
何か中途半端に感じました。
基本的に等身大の芝居が身上のように思うので、
こうした年齢差のある役柄は、
実際の年齢に近い役者さんを起用するか、
衣装などで分かりやすくする方が、
ニュアンスが伝わりやすかったように感じました。

精力的な活動を続けている藤田さんですが、
その独特の様式は完成に近づいているにしても、
まだまだ新しい様式や芝居にもチャレンジして欲しいと思いますし、
これからの活躍に期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 2

ひでほ

札幌、上田、埼玉、豊橋、伊丹、北九州
上演場所ですか。それだけでマニアックすぎます。
by ひでほ (2017-07-23 21:07) 

fujiki

ひでほさんへ
これは呼んでくれる態勢のあるところに行くので、
こうしたマニアックな感じになるのだと思います。
by fujiki (2017-07-24 06:09) 

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