プッチーニ「トスカ」(パレルモ・マッシモ劇場2017上演版) [医療のトピック]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ1日のんびり過ごすつもりです。
休みの日は趣味の話題です。
今日は3本あります。
まずははこちら。
パレルモ・マッシモ劇場の2つ目の演目は「トスカ」で、
タイトルロールには、
10年くらい前までは間違いなく世界で最も人気のあるソプラノの1人、
アンジェラ・ゲオルギュー姐さんが登場しました。
まだ50代前半の筈なのに、
と美人薄命という言葉が脳裏に浮かびますが、
その押し出しの良さというか、
圧倒的なプリマドンナ感のようなものは矢張り素晴らしくて、
歌自体は正直首を傾げる感じで、
こんな「トスカ」はないなあ、
とかなりガッカリもしたのですが、
アンコールで堂々と登場して、
「皆の者、わらわを見てさぞ満足であろう」
というような感じで何度も聴衆の歓声に応える姿は、
これぞプリマドンナでなくて何であろう、
という感じで、
それだけでまたお逢いしたいな、
という思いがしたのです。
「トスカ」も非常に人気のあるプリマドンナオペラですが、
「椿姫」と比べると歌う人は少なく、
僕が本格的にオペラを聴き始めた1990年代後半には、
マリア・グレギーナが一手に引き受けていた、
という感じでした。
彼女は確かに押し出しが堂々としていて、
最初に聴いたのが1997年のメトロポリタン・オペラの来日で、
パヴァロッティとの共演でしたが、
二重唱ではパヴァロッティの声は、
完全にかき消されていました。
新国立劇場ではレパートリーとしてほぼ毎年、
同じ演出での上演を続けていますが、
ノルマ・フォンティーニはなかなかでしたが、
後のトスカ歌いはあまり印象には残っていません。
後生で聴く機会は逃してしまったのですが、
ダニエラ・デッシーのトスカは、
そのビジュアルはともかくとして、
あの高音の細く長く持続する、
胸をかきむしられるような感じ、
ちょっとした掛け合いでも、
旋律が糸のように持続する感じなどが、
これぞプッチーニヒロインという思いがありました。
ああした歌い方の出来る現役バリバリのソプラノは、
今はあまりいないと思います。
今回はゲオルギュ―のトスカに、
もうベテランのマルチェロ・ジョルダーノのカラヴァドッシですから、
なかなかのキャストだったのですが、
ゲオルギュ―姐さんが、
ただの演劇みたいな持続のない歌唱で、
全編を通していたので、
とても元気がなくなってしまいました。
1幕と3幕の二重唱は、
通常ならうっとりと聴き入るところなのですが、
殆どのゲオルギュ―姐さんの歌は、
芝居の台詞にはなっていても、
歌にはなっていないので、
とても聴き入るという感じにはなりません。
これはもう本当にガッカリしてしまいました。
眼目の「歌に生き、恋に生き」のアリアにしても、
旋律がブツ切れで感動するという感じにはなりません。
僕は前方で聴いたのですが、
オーチャードホールはオケピットが簡易的なもので、
オケの音だけがバンバン前方に来るので、
歌声の多くがかき消されてしまった、
というバランスの悪さにも一因はあったように思いました。
ただ、ゲオルギュ―姐さんの歌ではなく芝居に関しては、
なかなか見応えがあって、
その堂々たる押し出しと説得力のあるプリマドンナ芝居は、
矢張り余人には代えがたいものも同時に感じたのです。
ゲオルギュ―姐さんのオペラは、
前からこうした感じのことが多く、
リサイタルではもう少し歌えているので、
どうしたものかなあ、とは思うのですが、
姐さんの舞台は、
歌を聴くのではなく、
その存在感を感じることが、
正しい鑑賞法ではないかとも感じました。
また来日されたら、
ついつい行ってしまうようには思います。
それでは次は演劇の話題です。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
何もなければ1日のんびり過ごすつもりです。
休みの日は趣味の話題です。
今日は3本あります。
まずははこちら。
パレルモ・マッシモ劇場の2つ目の演目は「トスカ」で、
タイトルロールには、
10年くらい前までは間違いなく世界で最も人気のあるソプラノの1人、
アンジェラ・ゲオルギュー姐さんが登場しました。
まだ50代前半の筈なのに、
と美人薄命という言葉が脳裏に浮かびますが、
その押し出しの良さというか、
圧倒的なプリマドンナ感のようなものは矢張り素晴らしくて、
歌自体は正直首を傾げる感じで、
こんな「トスカ」はないなあ、
とかなりガッカリもしたのですが、
アンコールで堂々と登場して、
「皆の者、わらわを見てさぞ満足であろう」
というような感じで何度も聴衆の歓声に応える姿は、
これぞプリマドンナでなくて何であろう、
という感じで、
それだけでまたお逢いしたいな、
という思いがしたのです。
「トスカ」も非常に人気のあるプリマドンナオペラですが、
「椿姫」と比べると歌う人は少なく、
僕が本格的にオペラを聴き始めた1990年代後半には、
マリア・グレギーナが一手に引き受けていた、
という感じでした。
彼女は確かに押し出しが堂々としていて、
最初に聴いたのが1997年のメトロポリタン・オペラの来日で、
パヴァロッティとの共演でしたが、
二重唱ではパヴァロッティの声は、
完全にかき消されていました。
新国立劇場ではレパートリーとしてほぼ毎年、
同じ演出での上演を続けていますが、
ノルマ・フォンティーニはなかなかでしたが、
後のトスカ歌いはあまり印象には残っていません。
後生で聴く機会は逃してしまったのですが、
ダニエラ・デッシーのトスカは、
そのビジュアルはともかくとして、
あの高音の細く長く持続する、
胸をかきむしられるような感じ、
ちょっとした掛け合いでも、
旋律が糸のように持続する感じなどが、
これぞプッチーニヒロインという思いがありました。
ああした歌い方の出来る現役バリバリのソプラノは、
今はあまりいないと思います。
今回はゲオルギュ―のトスカに、
もうベテランのマルチェロ・ジョルダーノのカラヴァドッシですから、
なかなかのキャストだったのですが、
ゲオルギュ―姐さんが、
ただの演劇みたいな持続のない歌唱で、
全編を通していたので、
とても元気がなくなってしまいました。
1幕と3幕の二重唱は、
通常ならうっとりと聴き入るところなのですが、
殆どのゲオルギュ―姐さんの歌は、
芝居の台詞にはなっていても、
歌にはなっていないので、
とても聴き入るという感じにはなりません。
これはもう本当にガッカリしてしまいました。
眼目の「歌に生き、恋に生き」のアリアにしても、
旋律がブツ切れで感動するという感じにはなりません。
僕は前方で聴いたのですが、
オーチャードホールはオケピットが簡易的なもので、
オケの音だけがバンバン前方に来るので、
歌声の多くがかき消されてしまった、
というバランスの悪さにも一因はあったように思いました。
ただ、ゲオルギュ―姐さんの歌ではなく芝居に関しては、
なかなか見応えがあって、
その堂々たる押し出しと説得力のあるプリマドンナ芝居は、
矢張り余人には代えがたいものも同時に感じたのです。
ゲオルギュ―姐さんのオペラは、
前からこうした感じのことが多く、
リサイタルではもう少し歌えているので、
どうしたものかなあ、とは思うのですが、
姐さんの舞台は、
歌を聴くのではなく、
その存在感を感じることが、
正しい鑑賞法ではないかとも感じました。
また来日されたら、
ついつい行ってしまうようには思います。
それでは次は演劇の話題です。
2017-06-25 11:28
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